『杉浦非水の眼と手』(
宇都宮美術館、二〇〇九年、デザイン=佐藤真哉)図録。これはなかなかの資料である。非水の学生時代のデッサンからデザインや装幀作品はもちろん、影響を受けたであろうポスターなど、自らコレクションしていた他人の作品やオブジェ、そして遺された滞欧日記まで、見どころたっぷりだ。
ざっとめくって驚いたのはこの絵。松山省三が描いた油絵「プランタンの卓」(一九一三年頃)。松山はカフェー・プランタンの経営者である。東京美術学校を出ていると聞いていたが、このマネばりの作品はなかなかの手並みと思う。カフェー・プランタン資料としても貴重。
もうひとつ、「滞欧日記」に宇和川通喩(うわがわ・みちさと)の名前と写真が出ていた。写真の方は《でないかと思われる》だが。非水は一九二三年一月九日にパリに着いて、翌年の同じ頃神戸に戻るまで、丸一年間、精力的に活動したようだ。カルピスのポスター図案を募集して応募作を日本に送ったのも非水だった(ストローをくわえる例のオットー・デュンケル作が採用された)。藤田嗣治がこの募集に協力した様子が日記に詳しく記されている。
宇和川通喩はリヨン駅に非水を迎えており、滞在中も親しく付き合って非水の世話をしていたようだ。ちょっと残念なのは、註の欄に宇和川の名前があるが、その経歴や没年があまり正確に記載されていないこと。ネットで調べればすぐに分かったのにねえ……スムース文庫『1914年 ヒコーキ野郎のフランス便り』(築添正生+扉野良人編)に収めた書簡類は滋野清武から宇和川に送られたものだったので、スムースのサイトに略歴をアップしてある。没年は一九四二年。
また『sumus』9号(特集・あまカラ洋酒天国)には生田誠氏がカルピスの絵葉書に関連して非水が結城素明にマルセイユから送った葉書が掲載されている。《明二日出帆帰国の途につきます》とある。スムース同人なかなかやるじゃない。
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昨日の日曜日、このブログへのアクセス数が普段の倍以上になった。ふつうは土日はぐっと減るはずが突然に増えた。冬ソナ関連本の装幀をしたときも瞬間的に何千ものアクセスになって驚いたが、それほどではなくとも、今日もかなり多い、どうしてかな……? と思ったら、日曜の夜に放送された情熱大陸で石井一男さんが取り上げられていたからだ。
絵の家 石井一男画集
http://sumus.exblog.jp/9593464
石井さんの、清貧というのともちょっと違う、ミニマルな、それでいて洒落ものふうの(ファッションとか食器とか)、ふしぎな生き方が印象的な番組だった。絵の描き方があれほどいい加減だとは思わなかった。それでいて形になってくるのだから、ある意味スゴイ。情熱大陸というだけあって、毎回活動的な人物ばかりが取り上げられるこの番組にしては、情熱のあまり感じられない(静かな情熱か)、淡々とした生活がかえって新鮮だった。