『社団法人日本広告協会会報』(社団法人日本広告協会、一九三四年一一月一五日、なお印刷が二〇日なので二五日の誤植かと思われる)。文字力のある表紙だ。同会報によれば「日本広告協会」は昭和五年十月二十八日に設立された。五周年記念号である(四周年?)。ちなみに「日本屋外広告協会」HPの沿革には以下のように説明されている。
《昭和6年
交通広告の公式入札制度発足に伴い、競争等の整備を図る関係から、馬場聰吉氏(当協会初代副会長)が中心となって「日本広告協会」を設立。(屋外という名前はおかしいということから日本広告協会とした。)》
《昭和12年
8月 上海事件勃発により日本広告協会全国大会(小樽)を最後にたちぎれとなった。》
なぜかこの会報の記す創立時期とは一致しない。会長は堀田晙二郎、相談役が三枝挙一郎であり、彼等の文章にも執筆者にも会員一覧にも馬場聰吉の名前は出て来ない。ただ屋外広告業者が中心の協会というところは一致する。
会報に掲載されている囲み広告では鉄道広告とネオンサインが目立つ。先日のビラのこともあるので鉄道関係を紹介しておこう。
また型而工房同人・高橋実「商店建築の一考察」に面白いことが書かれていた。高橋は言う。強い色彩や線を使う広告は街全体の統一を頭において最も効果的な手段を選ばなければならない。ブルーノ・タウトが灰色のマグデブルグの街を原色に塗り替えたときも市民たちには受け入れられなかった。
《震災直後、東京のバラツク街に進出した画家達の彩管に彩られた街の風景を思ひ出す。印象的である可き店の存在が乱雑な色彩の中にカモフラージユされて、何時の間にか店舗の喪失を来さないとは限らないであらう。要はその人と方法にあるのだ。》
今和次郎らの「バラック装飾社」がこんなところに出てくるとは意外だったが、やはり印象的な出来事だったようだ。なお「型而工房」とは昭和三年に結成された、家具等の室内工芸品の標準規格化を図り量産製品の大衆への普及の基盤づくりを目指した建築家・デザイナーのグループで、蔵田周忠、豊口克平、小林登、中島賢次、斎藤(石川)四郎、手塚敬三、高橋実、伊藤幾次郎らが参加していた。豊口克平は武蔵美で教えていたので作品展示を見た記憶がある。
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『日本古書通信』966号の巻頭に間村俊一さんの「わが古本グラフィティ(青春編)」が登場していてビックリ。これがまさに青春期(姫路から京都・同志社時代)の回想となっていてじつに面白い。先頃のコクテイルのトークに来てくださって、京都時代に同人雑誌をつぎつぎ出したとおっしゃっておられたが、
《今出川キャンパスにテントを建て下手糞な芝居を上演するかたわら、創刊号ばかりの同人誌を発行した。その名も『緑葬館』、『鐵の處女』、『サラマンドラ王國誌』。先日この話を林哲夫氏にしたところ、「何を読んでいたかすぐわかりますな」と笑われた。》
ネタに使われていた(汗)。他にもびわこのなまず先生が連載開始。これから毎号、本業(?)の蘊蓄を傾けてくださるようで楽しみである。