小野十三郎『大海辺』(弘文社、一九四七年一月十五日、装幀=池田克己)。カフェ・ド・ポッシュの一箱古本市で詩人の箱から。ジャケット欠け。ジャケットは同じデザインでタイトルと著者名・版元名が入っている。装幀の池田克己も詩人。詩誌『日本未来派』(一九四七年創刊)の創刊に加わり編集を担当する。
内容は敗戦直後の抜殻のような空気のなかでの安堵と不安と光明を現わしているように思われる。朝鮮の労働者たちが半島に引上げた後の廃墟と化した風景をうたった作品が印象的だ。
「ぼうせきの煙突」全文。旧漢字は改めた。
たそがれの国原に
ただ一本の煙突がそびえてゐる。
大和郡山の紡績工場の煙突である。
ぼうせき。それはいま死んだやうな名だが
私は忘れることが出来ない。
明治も終りの夏の夜である。
七十六年の周期をもつハリー彗星の渦が
涼しくあの紡績の鋸歯状屋根の
紺青の空に光つてゐたのを。
○
ひとりゐる。若草山。
風渡る。
芒原。
煙突とくればこれ。同じく小野十三郎『大阪』(創元社、一九五三年再刊)の本文見開き。左の挿入写真は河野徹。河野は大阪の心斎橋二丁目「丹平ハウス」内に結成(一九三〇年)された丹平写真倶楽部のメンバーだった。
そしてまた『ロトチェンコ』より。雑誌『Sovetskoe kino(ソヴィエト映画)』第四号(一九二八年)の一頁。こういう仰ぎ見る構図が特徴的。無意識にしろ、もしロトチェンコの煙突がヒントで河野の煙突が生まれたとしたら、それはすばらしいことじゃないだろうか。
今気づいたが、『大海辺』表紙の鉄骨の一部のような写真もまさにロトチェンコである!