林芙美子『宿命を問ふ女』(尾崎書房、一九四八年、装幀=吉原治良)。表紙と扉。吉原はこういうことを述べている。
《私は戦争によって絵がかわった。抽象だけでは気がすまないような、いわば人間が再び絵の中にはいりこんでこなければおさまらない感じだった》(吉原治良「わが心の自叙伝」)
先年見た吉原の回顧展でも敗戦後から一九五〇年あたりまでの時期は毛色が違うというか、童画のような世界をつくっていたのを思い出す。五〇年代にはいるとクラーベ、デュビュッフェ、フォートリエといったフランスでの戦後派をいち早く取り入れた画面へと急速に変化して行く。そしてさらに世界の檜舞台へとグタイを牽引する跳躍を見せるのだが、この敗戦後の日だまりのような数年間が、案外と吉原の本質に根ざした画風なのかもしれない。
この「二人」(キャンヴァスに油彩、一九四七年頃)などは『宿命を問ふ女』とほぼ同じモチーフの作品である。以前紹介した
藤沢桓夫『大阪手帖』(三島書房、一九四六年、装幀=吉原治良)となると、まだ戦前の構成的なものをそのまま残している。
《尾崎書房は大阪、梅田の堂島にある毎日新聞社の近く、桜橋の東洋工業ビルの向いにあった。昭和二十一年、元東宝の助監督だった尾崎橘郎が、妻の実家が愛媛の製紙工場だった関係で出版業に転身。二階建ての急造家屋で、階下が事務所、二階が家族の住居だった。メンバーは妻の尾崎今代、弟の星芳郎、後に「具体」の画家となる浮田要三の四人であった。》(高橋輝次)
尾崎書房は竹中郁を顧問に児童詩の雑誌『きりん』を創刊(一九四八年二月)、竹中の詩集『動物磁気』(一九四八年)なども刊行した。