『ニコニコ』第十七号(ニコニコ倶楽部、一九一二年六月一日)、表紙は平福百穂。ニコニコ倶楽部は協和銀行創始者で当時は不動貯金銀行の頭取だった牧野元次郎が会頭となって始めた運動体。本誌の奥付によれば一九〇七年の合衆国の不況に際してルーズベルト大統領、カーネギー、ハリーラウダーの三人がはじめたニコニコ運動に賛同したものだという。
幹事が壱岐寛、梅小路定行、木村靖。常務理事が松永敏太郎。壱岐は相馬御風の媒酌人を務めたときには小石川警察署にいたようだ。梅小路定行は藤原氏北家を祖とする梅小路家十三代で子爵、京都市上京区院参町が居所である。木村靖は分からない。松永は徳島出身、巡査や東京報知の記者を経て『ニコニコ』の編輯と発行を任された。不動銀行の理事も務め、村上浪六と銀座に酒場を出したりもしている。
この号では松崎天民が与謝野晶子を誉めたたえたり、歌舞伎改革に貢献した松居松葉が「ニコニコ哲学」という文章を飜訳したりしている。驚いたのは「カフエーパウリスタ」と「銀座台湾喫茶店」の店内で撮影した記念写真が掲載されていたこと。まずこれが「カフエーパウリスタのニコニコ党」と題された一枚。人物説明はないが、本号の執筆者や編集人がいるようだ。明治四十五年だし、ニコニコの編集部は京橋区南金町だから、ここは銀座のパウリスタであろう。
「銀座台湾喫茶店」はこちら。別に「フオルモサの珍客」という記事がある。台湾の原住民(高砂族と呼ばれていた)五十名ばかりを招いたところらしい。靖国神社で相撲を見てからここへやってきたという。この写真では手前右の方テーブルについている三人が珍客。手前髭の男性の斜め後ろでニコニコしている色黒の女性はヤユツさんという日本人と結婚した台湾出身の女性のようだ。通訳だろうか(?)
他にも与謝野晶子がパリへ向けて出発するときの様子だとか、松井須磨子のマクダ、モルガンお雪のゴシップ記事だとか、明治末の世相を楽しませてくれる。