宇崎純一『スミカズ画集 妹の巻』(エミヤ書房+杉本梁江堂、一九一一年三月三日)。これが宇崎純一の最初の画集と思われる。明治四十四年三月発行。『夢二画集春の巻』(洛陽堂、一九〇九年)に遅れること一年半である。エミヤ書房(書店)も杉本梁江堂もともに大阪の出版書肆。後者は現在古書店となっている。
エミヤの書皮を以前紹介した。
この巻をやがて別れなければなぬ
我がなつかしき人達にさしあげます
と巻頭に印刷されており《我がなつかしき人達との離散は、眼の前に迫つて来ました。私の春は、もう尽きて了ふのでせう。》《この紀念の画集を抱いて、冷たい涙を流しながら、暗い家に生きねばならぬ。/「思ひ出よ」お前ばかりが私の情人になるのでせう。》などという前書きに続く。
スミカズ二十二歳。《我がなつかしき人達》をどう解釈すればいいのか。純一は市岡中学(現・大阪府立市岡高校)中退という見方が有力であるが、実際のところは何も分からない。例えば、絵を東京の画塾かどこかで学んでいたとすれば(そう書く資料もある)、東京から大阪へ戻って家業(難波南海通で食品販売などをやっていた)を手伝うのだ、みんなさようなら、というような意味にもとれる。ただこの画集の前にすでに絵葉書のシリーズを大阪の版元(少なくとも二つの)から出版していたようだから、それは東京である必要はないかもしれない。
処女作だけに夢二を意識しているのは明らか。サインが四角にスというのも夢二の初期のサインに似通った形である。絵柄に夢二ほどの自在さは見えないにしても、なかなか魅力的な女性像を作り上げているように思われる。
この出版に当っては幼少よりの親友田村華陽(小説家、詩人)の強い支持と推薦があったようだ。本文にも田村の手紙を何通か引用している。田村は文学雑誌『白楊』(白楊社)を発行し、そこには与謝野晶子や若き百田宗治も寄稿していた。この雑誌については『spin』06の瀧氏の論考に詳しく、創刊号掲載の晶子や百田の作品が全篇引用されているので、ぜひお読みいただきたい。
スミカズについてはまだこの十代後半がまったく謎で、何かその行動を物語る物証が欲しいところなのである。明日、百万遍に落ちてないかなあ……。