『麒麟』創刊号(麒麟の会、一九七二年八月一日)、第貳号(麒麟の会、一九七三年三月一日)と創刊号の目次。この会については「
desperaの掲示板 2004年03月23日」に臨場感あふれる証言が掲載されているので一部を引用させていただく。『麒麟』創刊号の「妄言(編集後記に代えて)」を紹介してこう書いておられるのは渡辺一考氏。
《当時、古書店早出組の末席に私もいたのだが、文中「強者」と著されているように即売会の初日は体力がものをいう世界であった。私が年少の頃、場所は吉祥寺のデパート、要所は後年「麒麟の会」を構成する人たちが固めていた。開店と同時に人々は雪崩を打ってエレベーターへ殺到、会場では宿敵が突き飛ばされたり、蹴飛ばされたり、薙ぎ倒されたり、揚げ句はショーケースが壊されるありさま。私を押し倒した人の名を高橋書店の主人に訊ねたところ、あれが名にし負う八木昇さんとのことであった。》
八木昇が『麒麟』の編集人である。国枝史郎を再評価したことで知られる。まあ、それにしてもすごい熱気である。今でも即売会の初日一番乗りは殺気立っているが、ここまではないだろう。しかし、上には上があるのだ。『柳田泉の文学遺産』第二巻「書物を釣る」にはこのように書かれている。
《矢来倶楽部や志久本が、古書展の花であつた。あの頃は皆が熱で当つた、買う方も売る方も損得よりも利益よりも、熱であつた。》
《斎藤少雨荘の泊りかげ戦術、石川巌翁の夜明け一番がけ戦術、故神代種亮君の前の晩戦術など、いろいろな手を戦はしたもので、いくらカバンに札たばをいれた巌松堂老主人波多野重太郎さんでも、これには歯が立たゝなかつた。わたしなどはこれ等先輩の驥尾に付していろいろな戦術を学んだもの、元気にまかせて夜うち、朝がけ、いろいろやつた。石川翁と冬の朝三時に自動車屋に矢来までの自動車を頼みにいつたことなど、今では全くの昔話となつた。百貨店の古書展はいくら売上がよからうとお客が多勢入らうと、矢来時代の真剣さを知つてゐるものにはまるで古書展らしい感じがしない。》
矢来倶楽部の古書展は、西神田倶楽部で大正十一年十二月に明治堂三橋彦次郎が中心になって旗揚げしたのが第一回で、震災後の第三回から矢来倶楽部で行なわれるようになったようだ(八木福次郎「東京・大阪古書即売会事始め(上)」『日本古書通信』962号)。矢来倶楽部そのものは旧酒井若狭守の下屋敷跡、矢来町九番地に明治二十五年頃に作られたとのことで庭園が有名だった。
夜うち、朝がけって……。例えば、今でも百万遍の古本まつりは前日設営だから、まあ、夜うちも可能かも知れない。お堂で夜番(会期中、古本屋さんが交替で泊まり込む)をしているから、そこを何とかねじ込む、みたいなものか。実際、某氏は前日に下見すると言っておられたが。
『麒麟』第二号の裏表紙。鶉屋書店の広告。