『柳田泉の文学遺産』第二巻を読んでいると、「書物をやいた話」のなかにキヤツセル文庫というものが登場している。柳田が早稲田で英文学を学んでいた頃の話。
《貧乏書生にふさわしいキヤツセル文庫本というものがはやつていた。これはいろいろの装釘があるが、ねずみ色の仮綴のものが普通で、鳶色ボールクロースのが特製本、後になつてねずみ表紙が赤い厚紙表紙となりボールクロースも赤色となつた。(別に第二輯といつて、黄色い表紙のものもあつた)。これは、定価がいかほどしたか、古本では極めて安く、五銭からあつて、まず仮綴のが十銭というのが普通であつたので、私どもには大歓迎の本であつた。値の安いわりに内容はいずれも西洋古典の名著であつたから、一寸出かけるのにもち歩くにまことに都合がよかつた。》
そして上の写真が《ボールクロースも赤色となつた》キャッセル文庫(CASSELL'S NATIONAL LIBRARY)の一冊サミュエル・ジョンソン『ラセラス』(Cassell, 1909)である。原著は一七五九年に出版された。すでに一七五五年に英語辞典を刊行して名前は知られ「ジョンソン博士」と呼ばれるようになっていたにもかかわらず、ジョンソンの手元不如意は続いていた。
ちょうどこの年の一月に九十歳の母が死んだ。葬式費用にも事欠き、知人から借金をした。それをなんとか早急に返す必要に迫られ、他人の成功をまねて、東洋の物語としてのモラル・エッセイをやっつけたのが『ラセラス』だそうだ。
《ヂョンスンがサー・ヂョシュア・レイノルヅに話したところによると、彼はそれを、夜だけ一週間で書き上げ、書けただけづつ印刷所に送り、其後一回も読み返したことがないのださうである。ストレーアン、ヂョンストン、ドツヅリー、の三氏がそれを百磅(ポンド)で買つたのだが、後日それが再版になつた時、別に二十五磅を彼に払つた。》(ボズウェル『サミュエル・ヂョンスン伝』岩波文庫、一九四六年二刷)
面白いのはこちら。三省堂書店の青年英文学叢書と《赤い厚紙表紙》のキヤツセル文庫と並べてみると一目瞭然。ここまでそっくりに真似るものかね、と今なら思うところだが、当時は外国の装幀をパックリまるごといただくのに後ろめたさはなかったようだ。