『古今桃色草紙』第一巻第二号(発藻堂、一九二八年八月一日)。これは納涼で某書店から買ったものだが、昨日届いた『
股旅堂古書目録』2号に九冊まとめて載っていたので思い出した。この目録、風俗中心だが、なかなかのもの。大阪の新大和屋少女連の写真帖など、すごいなあ。
『古今桃色草紙』創刊号は発禁になったそうだ。《創刊号は最善の注意を払つたが、店頭に出る早々禁止になつたので、今月は止むを得ず幾らか調子を下げた》。たしかにあまりエロ味はない。斎藤昌三、五十沢二郎、石角春之助らが寄稿している。マゾッホの飜訳もある。なかでは綿谷摩耶火の「俳諧キツス考其他」に注意をひかれた。江戸川柳におけるキッスを拾っている。
《「キツス」の事を「口を吸ふ」と言ふのが彼等の常套なのであつた。其れ故、『道中双六』に
「えゝ、あれ、口中をちぎりをる、こりやもう堪忍ならぬ」
といふ文中の「口を契る」といふ語の如きは、実に稀れなる用語と云つても差支へないかも知れぬ。》
ただし、性愛にあまり関係ないキッスも江戸時代にはふつうに見られたようだ。これは意外な感じがする。
子の口吸ふて音頭分れる (武玉川、初)
抱人がよさに子の口を吸ひ (武玉川、十八)
子供にチュッとするのは、古今東西を問わず、だろうか。次のように人形や浮世絵にチュッというのも昔からあったことらしい。「ケイ」は『俳諧ケイ(つのぎり)』(字が難しいので省略)。
来年と雛の小僧の口すふて (ケイ、三)
あまりてなどか絵の口を吸ふ (不断桜、初)
そしてデカダンなのがこれ。
口の吸ひたいあつ盛の首 (武玉川、四)
敦盛はもちろん清盛の弟、十七歳(十六歳とも)で熊谷次郎直実に首を落とされた美少年。歌舞伎『一谷嫩軍記』などで人気が高かった。《江戸の民衆の中にも、サロメと同じ変態嗜好者が居たとは心強い》と綿谷は書いているが、江戸の方がよほど進んでいたのかも。