小沢信男さんの新著が届いた。『東京骨灰紀行』(筑摩書房、二〇〇九年、装丁=間村俊一、写真=矢幡英文)。明暦の大火から東京空襲まで死屍累々の都市=東京を歩き、骨灰を、文字通り掘り起こす、じつに名調子の小沢史観の決定版だろう。
両国回向院からはじまって両国江戸東京博物館で締める。その間は、日本橋、千住、築地、谷中、多摩、新宿とまさに小沢監督の「ポルターガイスト・大東京篇」。ポルターガイストといえばガタガタと勝手に物が動いたり音を出したりする現象だが、本書で鮮やかなのがその音響のイメージ。音は空間を支配しているのだ。
《そのころは世の中がシーンと静かだった。ここからほど近い石町の時の鐘は、大江戸の四百十町にきこえて「石町は江戸を寝せたり起こしたり」と川柳にうたわれた。じつは処刑も、この鐘の音で執行した。そのご縁により都重宝「石町時の鐘」はいま、十思公園に移ってモダンな鐘楼に吊られています。してみれば、この土壇場であがる断末魔の悲鳴は、練塀をとびこえて四方へひびいたのではあるまいか。大丸呉服店のあたりへまでも。》(新聞旧聞日本橋)
江戸伝馬町処刑場跡での描写である。《大丸呉服店のあたり》とあるのは大伝馬町の旧大丸。そしてそれは長谷川時雨の父親の回想で確かめられている。明治維新後、市ヶ谷監獄ができて小伝馬町牢屋敷の跡地がそのまま放置されていた。無償で提供しようとしても貰い手がなかったという。時雨の父深造も打診されたがやはり断った。
《おれは斬罪になる者の号泣[ルビ=なきごえ]を聞いているからいやだ。》
日本橋一帯に響き渡ったわけである。この跡地を引き受けたのは大倉喜八郎と安田善次郎だった。この章では最後に河竹黙阿弥『四千両小判梅葉(しせんりようこばんのうめのは)』が引用されているが、そちらも音がらみ。御金蔵を破った富蔵が仕置きの前日に牢内で大宴会・お別れパーティを開く。
《「ここは地獄の一丁目で、二丁目のねえ所だ」と富蔵が見得を切るくだりでは、トンテンカンと鍛冶場の槌の音を、効果音にひびかせたという。道ひとつ隣の小伝馬上町は鍛冶屋の町で、日々に槌音が聞こえていた。》
処刑が日常のなかにあり、日常が牢獄のなかにあった。みごとな音響効果ではないか。その他の章もいずれも、東京という都市に対する見方をガラリと変えてくれる(ようするに屍の目線をもたらしてくれる)力作、しかも力のぬけた名文、カラリとして陰湿なところはまったくないクールビューティな一冊だ。
ああ、東京でこれなら、京都なんかどうなるんだろう。どこ掘っても骨灰でガチガチだね。