伊藤龍涯『写生の仕方』(松邑三松堂、一九一〇年九月二十一日)。松邑三松堂は明治中期から昭和十八年までの出版物が確認できる。教科書が中心の版元だったようだ。伊藤龍涯は明治十三年東京京橋八丁堀に生まれ、東京美術学校の日本画科を首席で卒業、寺崎広業の門に入り「日本美術協会」に属した。初期文展から帝展に出品し昭和三十四年に歿している。大正六年に文展初入選なので、この画手本の時期は苦節何年というところだろうか。
タテ16センチ、ヨコ12センチという絵葉書にちかい大きさ。当時、絵葉書水彩が趣味として流行していたから(美術雑誌『みづゑ』は明治三十八年創刊、文字通り「水絵」の雑誌だった)、この『写生の仕方』の巻末には八枚のスケッチ用紙(ノドのところにミシン目入)が綴じられている。
納涼の百円テントで雑書のいちばん下に潰されそうになっていた。表紙が取れている。どこかその辺にないかと探したが見当たらなかった。表紙が付いていれば大した値段である。そうでなくても今はこういう略筆画帖に魅力を感じているので、今年の納涼の買物ではいちばんうれしいもの。
÷
『ふるほんやたいへいき』に注文が殺到(!)したわけではないが、何件かお問い合わせいただいたので、善行堂に納品することにした。近日中に持参しておきます。
÷
「早稲田古本村通信 第212号」、中嶋大介「関西の店主たち」第2回は「ガケ書房:山下賢二」、あのガケの名物、壁自動車に意外な反応ありとか!