『すだより』盛夏号(古書興居島屋、尾崎澄子、二〇〇九年)
『おに吉古本案内』(二〇〇九年六月二九日、問合せ=古書興居島屋)
岡崎武志氏の本の装幀でおなじみ石丸(尾崎)澄子さんの個人ペーパーと荻窪・西荻・吉祥寺の古書店案内を兼ねたフリーペーパー『おに吉』(これは善行堂にも置いてあった)。『すだより』のエッセイがいい。澄子さんは京都市中の生まれと聞いた。
《鋳掛屋は、私が子供のころ廻ってきていたのをかすかにおぼえています。物売りは、山科から野菜を積んだトラック、西陣から反物の行商、週に一度チンカラリンとやってくるのがロバのパン、毎夕らっぱを鳴らして通る豆腐屋、あと夏場には「わらびーもち 麦茶にーはったい粉」という売り声も聞こえてきました。》
《末っ子の私がお便所に片足はまってしまいました(ほどなく水洗式に換わるその前の'60年代のことです)。》《「家族の誰かがお便所にはまると、次の日おはぎを作って食べる」というナラワシがあったのです。》《ちなみに「ぼたもち」とはいわず、春秋共におはぎで通していたと思います。/おはぎは二種類ありました。餅の中に餡を詰めて表面に黄粉をまぶしたものと、餅を餡で包んだもの。「あんころ餅」とも呼んでいたことを今思い出しました。》
「おはぎ」「ぼたもち」は呼び名の違いだけである。小豆餡の色を、牡丹と萩、それぞれの時期の赤い花にちなんで名付けた。「あんころ餅」は中味が餅なので「おはぎ」「ぼたもち」とは一応区別されるようだ。小生の祖母もよく作っていたが、もっぱら小豆餡で包むのではなく黄粉(きなこ)で包んでいた。餡は中に入っていた。それでも「ぼたもち」と呼んでいたからいいかげんなものだ。こちらは逆に「おはぎ」とは言わなかったように記憶している。