『文章倶楽部』第七年第四号(新潮社、一九二二年四月一日)より。同誌は大正五年から昭和四年まで刊行された文芸雑誌。状態が悪くても大正時代のものならそこそこのお値段。だから二冊しか持っていない。どちらも数百円だった。サンエス万年筆については以前も書いたので興味のある方はご参照くだされ。
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この号でオッと思ったのは下記の写真。宮原晃一郎「森の細路と鳩の家」、中村白葉撮影。宮原は小学唱歌「我は海の子」の作詞者で、北欧文学やフランス文学の飜訳者である。中村白葉はむろんロシア文学者。二人は代々木上原を散歩していて鳩小舎を見付ける。ちょっと現在の代々木からは想像がつかない描写なので引用しておく。岸田劉生の切り通しの風景画だ。
《かすかな波形にうねうね起伏する草原、所々ぼやぼやと立つ小さな森、無限を出て、無限へ入ることを想はせる褐色な直線の道路。見渡す地平線には灰色の雲が深く立罩めて、丁度ドストイエヴスキの「死人の家の回想」の始めを偲ばせるものがある。》
《私は早くも軍用鳩の移動舎を認めた。鳩ばかりではない、その傍には兵隊さんも住まつてゐる。カーキー色の褪せたのが一人、近くの天幕で何やら仕事をしてゐたが、私共が接近したときには、何処かへ去つてしまつた。鳩も一羽も姿を見せない。草原の中に放棄せられたやうな、異様の小舎は珍しいといふ好奇心を誘ふけれど、何となく物足りない。「猥りに入るべからず」と、制札のあるのを犯して、今度は私がレンズの前に立つところを白葉君が撮影した。》
黒岩比佐子『伝書鳩 もう一つのIT』(文春新書、二〇〇〇年)によれば、第一次大戦終結後の一九一九年、陸軍が《フランスから伝書鳩一千羽および移動鳩舎四台、その他の鳩舎用具等を輸入し、さらに、軍用鳩の訓練の教官を初めて日本に招聘した》のだそうだ。だからこの写真に移っているのはその四台の内の一台と見てまず違いない。印刷が悪いのだが、よく見ると小屋の下に車輪らしきものが写っている。
この『文章倶楽部』は表紙も挿絵も読者の投稿作品から選んでいる。須山計一とか松山文雄など後年の左翼漫画家の名前も見えるけれど、この時期の作品はまったく未来派の亜流である。須山は一九〇五年生まれだから十七歳、松山文雄は二十歳か。そしてこれは例の松竹座のキネマ文字で有名なあの山田伸吉だろう。山田は十九歳。彼の略歴は以前下記にメモしておいた。
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【早稲田古本村通信210号】でBOOKONN氏の「関西の店主たち」が始まった。第1回は「恵文社一乗寺店:堀部篤史」、知られざる一面は「セクキャバ」?
http://archive.mag2.com/0000106202/index.html