『ホーム・ライフ』六巻十二号(大阪毎日新聞社、一九四〇年十二月一日)。表紙は川口軌外(1892~1966)。一九二〇年代のパリに十年近く暮らした画家である。この表紙もなかなかいい。当時のグラフ雑誌らしくタテが34cm近くあるのでスキャンできず、雨模様の玄関先で撮影した。どうやってもちょっと光ってしまう。
中野正剛や岸田国士の書斎、ピストン堀口、李鴻章の孫の李国熊(北京随一の読書家とか)、マラソンの孫基禎の暮らしぶりなど興味深い記事ばかり。なかでも「帝劇改組」という見開きは、帝劇が内閣情報部に身売りしたという内容。
《表玄関の広間は昔と同じ待合所には違ひないが面会人も要談も凡そ異なる世界の現出だ》とキャプションのある写真の一部。「防諜」「退すなスパイ」「スパイに用心」などのポスターに目が釘付け。宮本百合子は御用提灯が描かれた防諜ポスターを覚えていたようだが、他にもいろいろな種類があったらしい。
雑誌の内容は思いのほか迎合的ではない。「編輯室」という後記に北尾鐐之助がこう書いている。北尾は上方ライターの代表のひとり。
《それに厄介なことには、防諜の取締から、ちかごろは六甲あたりの山麓に警官が出張してゐて、一々カメラ携帯の登山者を物色しては、現像を警察でやらねばならぬやうな有様である》
《先達て、ある海岸地方へ行つて、特別建築の写真を撮つてゐたら、村の少年が交番所へ密告して、警官を連れて来たのがあつた。問題はことなく済んだけれど、日本のこどもたちの純真な心に、さういふ猜疑の眼で人をみることを覚えさせてもよいのか》
加藤秀俊『
昭和日常生活史1-モボ・モガから闇市まで-』にはこうある。加藤氏昭和十五年当時十歳。
《街頭には「パーマネントはやめましょう」という標語が目につきはじめた。その趣旨はパーマネントというのが西欧的であるのみならず、エネルギーとして電気の浪費につらなる、ということにあったらしいが、無知にして無邪気な小学生、とりわけ男子生徒は街角でパーマネントをかけている女性を見かけるとおおきな声でポスターの文句をそのままオウムがえしに叫ぶのであった。「スパイに用心カメラマン」というのもあった。これもおなじことで、カメラをぶらさげている人を見つけると、そう叫ぶのである。いまにしておもうと、まことにこどもっぽい行為であるが、本人がこどもだったのだからしかたあるまい。とにかくそんなわけで、日本社会はだんだんと軍事一色に塗りつぶされてゆくのである。》
子供は大人の鏡である。純真かどうかではなく、生きる知恵だろう。そして北尾は「編輯室」をこう締めくくっている。
《本誌も、来春からは、新体制にふさはしく“ホームライフ”の誌名を直訳して“家庭生活”と解題し、新しい世紀に向つて進行をつづけることになつた、いつさいただ不言実行である》
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『scripita』12号が届いた。内堀弘「予感の本棚」は野口冨士男について。野口は昭和八年に紀伊國屋出版部に入っていた。野口が関係していた同人雑誌『現実・文学』や『文学青年』の書影(日本近代文学館所蔵)にシビレる。