京都駅の美術館「えき」で「ミヒャエル・ゾーヴァ展」を見た。映画「アメリ」や『ちいさなちいさな王様』(講談社、一九九六年)の挿絵など、日本でもすっかりおなじみの画家。不条理なドラマを平凡な日常の光景に忍び込ませる独特の作風は最上の一コマ漫画ということもできるだろう。とにかく色彩の清明さと陰影描写の確かさ、これはドイツロマン派の画家あたりよりもずっと器用で上手だ。上は「治療中の犬」(KRANKER HUND、直訳なら「患者犬」)で「アメリ」のベッドルームに掛かっていた絵。アトリエの写真にはリキテックスのチューブが写っていた。
http://www.amazon.de/Arche-Sowa-Michael/dp/3725412839
小さな作品が多かった。一枚印象に残ったものに、波の中に漂っているコルク栓をした瓶の絵があった。たしか「すぐにもどってくるさ」(?)と書かれたレッテルが貼ってある。それだけなのだが、おそらくグリム童話の「ガラス瓶のなかの化け物(KHM99, Der Geist im Glas)」と関係があるのだろう(瓶を見つけるのはグリム童話では森の中だったような気もするけど)。あるいはスティーヴンソンの「瓶の小鬼」(The Bottle Imp)か。こっちはハワイが舞台で何でも望みを叶えてくれるが、買ったときより安く売らなければ地獄に堕ちる。
グリム童話の方は栓を抜いて飛び出してきたガイスト(幽霊、妖精、天使、悪魔。ちなみにグーグルの自動独和飜訳だと「Der Geist im Glas」は「ガラスでの精神」になる!)を学生が言いくるめ再び瓶のなかに戻してしまう。これとそっくりな話が、口笛さんで買った『曽呂利新左衛門笑話』(南図生、大学館、一九一四年五版)に出ていた。
曽呂利が太閤秀吉の微行(しのび歩き)を遠回しにいさめる話。太閤の前に出た曽呂利はしきりに咽をカツカツと鳴らしている。秀吉が「どうしたのじゃ」と尋ねると、来る途中で大男の天狗のような怪物に遭遇して観念したが、一計をめぐらし、小さくなったところを見たいと望み、怪物が自慢げに豆粒くらいに小さくなったときにひと呑みした、どうもそれが咽のへんにつかえているようで……、以後太閤の微行はフツリと止んだ。
幾種類かあるらしい曽呂利咄の原典にこんな話があるのかどうか、読んだこともないので分からないが、南図生がグリム童話からパクったのかなと思ったりした(御教示待つ)。ただしもしそうだとすれば、日本初訳は金田鬼一による『世界童話大系第二巻独逸篇グリム童話集』(同刊行会、一九二四年)らしいから、少なくとも原典または英訳などからパクったことになる。
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四条までもどって高島屋京都店で「柄澤齊色彩版画展」を見る。読売新聞に連載された小池真理子の小説「Strawberry Fields」の挿絵から80点を選んで、手彩色した柄澤齊の作品展。緻密な作風が売りだが、新聞連載ということもあってシンプルな構成力を見せる作品が多かった。それはそれで柄澤マジックがちゃんと仕掛けられている。23日まで六階美術画廊。