季村敏夫+扉野良人編著『Love is 永田助太郎と戦争と音楽』(震災・まちのアーカイヴ、二〇〇九年六月一四日、装幀=林哲夫)。四六判中綴じ76ページ。表紙はTS-1/N-58/四六判Y目100kg。
目次
愛は未明に音を響かせ——永田助太郎と戦争と音楽 扉野良人
永田助太郎の音楽性——本田未明の新しい調性 季村敏夫
資料篇
永田助太郎について 永田寛定
『新領土』永田助太郎後記
永田助太郎年譜
あとがき 季村敏夫
表紙写真 永田助太郎(撮影=立川鴻三郎)
永田については扉野氏が『ボマルツォのどんぐり』に書いているが、ここではさらにミュージシャン本田未明との交錯をからめながら論じ直した。季村氏も呼応している。それにしても永田助太郎はどうして忘れられたのだろう? インテリジェンスを感じさせ、したたかさも持ち合わせている、昭和詩史を考えるときに無視できない、無視してはならない詩人である。昭和二十二年に急逝(三十九年三ヶ月)しているが、もし生き長らえていれば、そして敗戦後の英米系詩人の台頭を考えれば、永田も間違いなく重要な詩人として認められていたはずだ。その点で『永田助太郎詩集』(蜘蛛出版社、一九七九年)を編んだ君本昌久は炯眼だった。
永田はアオイ書房が刊行していた『新領土』(一九三七年五月〜四一年五月、四十八冊)の編集を手伝っていた。その後記から永田の署名記事を拾った資料篇もたいへん興味深い。下は昔、扉野氏にもらったカラーコピーから。このボーヨーたる題字は恩地孝四郎だろう(アオイ書房だし)。
《書斎を整理しだしたらなにも仕事が手につかない。一週間ほど書物のチリを払つてゐた。手に入れてすぐ読まず、下積や物陰で一、二年ほつたらかしぱなしのがほこりにまみれて現はれ、なかには発見の喜びのもある。図書館の書物といふものをほとんど利用したことがない(ヒトから借りて読むとピッチが上るやうに図書館でも上る)。ワタクシで集め、ワタクシで散らす。集める時高価ですぐ読めたものは大抵売り払ふ(十円ぐらゐになつてもどつてくるものがよろしいナ)。つまり手元にあるものはガラクタか門外不出の逸品だけといふことになる。尤も逸品と云ひ、ガラクタと云ふも定価や古本売価の高値が尺度ではない。》(第四十八号、昭和十六年五月)
永田先生、そうとうな古本者だったようだ。
定価1000円、明後日14日(日曜日)の海文堂書店のトークショーで入手できる。