『出版研究39』(出版ニュース社、二〇〇九年三月二〇日)に「『美しい暮しの手帖』第3号掲載広告をめぐって」という雪野まり氏の論考が載っている。広告を一切載せなかったことで知られる『暮しの手帖』に唯一度だけ掲載された資生堂の広告があるというのだ。それが一九四九年四月発行の第三号の表4に載った「資生堂ゾートス化粧品」。
結論だけ引用すると、山名文夫の稿料や講演料と相殺する形で山名から出稿をもちかけた、ということらしい。山名は戦時中に報道技術研究会の中心人物だった関係から、大政翼賛会に勤めていた花森安治とかなり親しくしていたようである。そのため戦後も花森の作った衣裳研究所に山名はじめ研究会のメンバーたちがかかわっていた。その謝礼が払えなかった(『暮しの手帖』もスタートしたばかりで、まだ飛ぶようには売れなかった)ため、山名が提案したらしい。そして第三号の初刷に掲載されたものの、増刷分からは省かれたせいで、忘れ去られてしまったのである。
上の図は小生の持っている参考図版であって、該当広告ではないのでお間違いなく。ちぎれた裏表紙で、この裏面の発行日だけがかろうじて読めるのだが誌名は分からない。これも山名だろうが、一九五一年三月だから少し印刷が良くなった時期である。そしてもうひとつ参考図版。
報道技術研究会編『宣伝技術』(生活社、一九四三年、装幀=山名文夫)。『石神井書林古書目録75』(二〇〇八年七月)より。なるほど、生活社から山名文夫の関係する本が出ていたのか(!)。
すでに書いたように花森安治は生活社とは浅からぬ縁がある。ということは花森が紹介したのかもしれない。