『史迹と美術』第一〇号(スズカケ出版部、一九三一年八月二〇日)に掲載されている「興福寺 乾漆天竜八部衆の内」《いわゆる阿修羅王であるが、後世の獰猛な相好に比して何と童らしい温雅な相好だ》(明珍恒男)と説明がある。上半身裸でサンダル履きというのは天竜八部衆の中では異例。他はみんな鎧を着ている。顔容が夏目雅子に似ていると書いている人がいたけれども、そう言われれば、たしかに似ていないこともない。
見れば分かるように二本の手が欠けている。現在は合掌した形になっているが、この写真を見ると、合掌はやや不自然かもしれない。明治時代に合掌形に修復されたと言われているようだが、この雑誌はわざわざ古い写真を掲載したのだろうか? おおむね合掌は菩薩像がしているもので、阿修羅には似合わないとも思える(ただし鎌倉時代作の三十三間堂の阿修羅も合掌している)。

『史迹と美術』は川勝政太郎の編輯・発行。京都市東洞院二条北入。川勝は明治三十八年、中京区の染色を家業とする旧家の独り子として生まれた。市立第一商業学校(現・西京高校)卒業後、天沼俊一に師事し古建築、石造美術などを研究。昭和三年、スズカケ出版部を設立。昭和五年には史迹美術同攷会を創立し、雑誌「史迹と美術」を発行した。昭和十八年、京都帝国大学文学部史学科考古学専攻を卒業し、大阪工業大学、大手前女子大学の教授を歴任した。