西村氏の新発見その2はなんと生原稿だった。
《佐野草稿がネットで見つかりました。「佐野繁次郎原稿「幽霊か」 200字詰 13枚完 鉛筆」と出ていました。現物を見るまで信じられませんでしたが、1枚目の印象は原稿用紙の上下を空け、どこの原稿用紙だろう? でした、掲載誌はこれからです。内容未見です。草稿に秀島の名前が出てきます。『秀島正人画集』「秀島正人を惜しむ」、『作品』「秀島正人を惜しむ」とも内容が違いますが同じ時期に書かれたものでしょうか。》
『秀島正人画集』(集成 018)によれば、秀島は大正二年(一九一三)生れ、昭和八(一九三三)年十一月十七日に歿している。画集の奥付発行日は同年十二月三十日。実際にいつこの画集が完成したのかはともかく、単純に考えれば、四十九日法要に間に合わせるべく編集されたのだろう。そんなことなどを考えると「幽霊か」の執筆時期は昭和九年に入ってからかと思われる。
内容は佐野の画塾に通っていた秀島正人という青年が急に死んでしまう。素直で才能もあった青年を惜しむ気持が強く出ている。追悼文を『作品』に発表していることでもそれは分かるが、「幽霊か」は追悼を少し逸れて、その青年が、すでに死んでいるはずの日に画塾のあったビルを訪ねてきたという怪談めいた話。あちらこちらに画塾の様子が目に浮かぶ描写があってとても貴重な文章である。
原稿用紙には「SOGEN-SHA」と印刷されている。この英字が肉太なデコ調。佐野のデザインであってもおかしくはないが、それにしてはちょっと鈍い感じもする。上下のマスを空けているのは、本文をちょうど二十文字にするため。タテ二十四文字の原稿用紙は創元社のいずれか特定の雑誌(?)に使われたものか。よく見ると、二文字目と三文字目の間、十二文字目と十三文字目の間、そして二十字目と二十一文字目の間に小さな印が付いている。右の朱書は上が「8新青」下が「日本」(?)だろう。『新青年』昭和九年八月号だろうか、とにかく当ってみる必要はあるかも。