星野芳郎『マイ・カー』(カッパ・ブックス、一九六一年、カバーのデザイン・さしえ=真鍋博)。「乗用車」と書いて「マイ・カー」とルビをふってある。「マイ・カー」と「・」(なかぐろ)があるが、今はほとんど「マイカー」。きっとこの本が「マイ(・)カー」という言葉を流行らせたのだろう(六歳だったのでよく覚えていないが)。
真鍋博のイラストはかなりイカしてる。カバーの下部が空いているのはオビがあったか。見返しもカッコいい。
当時の自家用車は以下のようなラインナップ。本書の採点では、大衆車クラスではパブリカの評価がもっとも高い。スバル360が次点。パブリカの燃費に驚いた。《都心の混雑のなかで、リットル当たり一六キロ、郊外で一八キロはかたく、うまく運転すれば二〇キロには達するようである》。車両重量が580kg、総排気量が697cc、空冷二気筒、これで38.9万円(スバル360は36.5万円)だからそうとう気張った内容だと思う。
パブリカの開発者だった長谷川龍雄氏は昨年亡くなり、その死亡記事(朝日新聞二〇〇八年五月七日)が挟んであるが、それによれば氏は一九五九年にパブリカ、そして六三年にはカローラの初代主査(開発責任者)を務めたそうだ。トヨタに入ったのは一九四六年。それまでは立川飛行機でB29迎撃用の戦闘機「キ94」を設計、試作したが、敗戦により廃棄。
例えば、パブリカの星野評価でマイナス点は以下の通り。
《そのお粗末な後輪の懸架装置、そのほか乗り手の微妙な神経や日常の便利さを無視している点で、大衆車のなかでも、とくに日本を代表する国民者としての技術的な資格は、まだない》
要するにパブリカは戦闘機だったのである。性能とコストパフォーマンスだけ考えて、乗り心地は無視していた。ただ、いずれにせよ、ここからマイカー時代が始まったことは間違いなく、トヨタを世界一に引上げたものは「敗者の精神」だったことが分かったような気がする。
÷
将棋名人戦。挑戦者郷田がじつにいい勝ち方をして、俄然おもしろくなった。郷田氏は息子の出身高校の先輩なので応援しよう。