『写真集成京都百年パノラマ館』(淡交社、一九九二年)より「洋品店 朝日堂」(石井行昌撮影)。年代は書かれていないが、
石井行昌撮影写真資料(京都府総合資料館寄託)によれば、《明治20年代から大正10年頃までに、京都の町並み、交通、風俗、年中行事、人物等を撮影したもの》の一枚である。そして、これが先週、撮った二条通寺町西入るのイワデ帽子店。とくに関係はありません。
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中尾務氏の連載「VIKING」は第十回。島尾敏雄と富士正晴の親密な交友について。引用されている島尾美保(ミホ)の手紙がちょっとすごい。巻末の前号についての例会記を見ていると、中尾氏の連載に関連して、三高出身者は三高同士なら目上でも目下でも呼び捨てだということが書いてあった。三高同士呼び捨てについては、淀野隆三日記ではまさにそうだが、これは日記なのでちょっと意味が違うか。また、天野政治氏が、
《天野「呼び方は注意せなあかん。あいつには先生付けて、俺には付けんとか、俺を呼び捨てにしやがったとかね、あるんや。大高では上級生は◯◯氏言うてた。中学では先輩を呼び捨てにしたら殴られた。人の呼び方だけでも原稿用紙十枚くらい書けるわ」》
と発言している。《大高》は旧制の大阪高校。「氏」を付けるというので、思い当たったのは、小生の大学時代の恩師がやはり学生を「氏」付けで呼んでいたこと。その先生は兵庫県出身だった。また、手塚治虫が後輩の漫画家を「氏」付けで呼んだということも、どこかで読んだ記憶がある。旧制高校の習わしだったか?