『文体』第一号(文体社、一九三三年七月一五日)。発行人は岩本和三郎。東京堂出身で、書物展望社、双雅房にかかわる人物。
柳田国男、戸川秋骨、三木清、森於菟、横光利一、宇野浩二らにまじって、佐野繁次郎が「船場」という回想記を執筆している。文章自体はかなり以前にソムリエ氏よりコピーしてもらったが、やはり現物を手に取るといろいろ発見がある。「貝殻塔」という編輯後記のような文章で佐野はこう紹介されている。
《佐野繁次郎氏は、二科の新人。船場は氏のとつてをき[五字傍点]の材料。》
また挿絵は内田巌である。
《カツト挿絵扉絵を担当されたの内田巌氏は書物随筆家として無双の評あり、同時に博識広聞の士でもあつた故内田魯庵翁の息帝展の新しき常連だ。》
巌も文章では父に劣らないと思うが、ここに文章は寄稿していない。ちなみに内田らが「反アカデミック芸術精神に於て官展に関与せず、我々は独自の芸術的行動の自覚に於て我々の背馳すると認めたる一切の美術展に関与せず」という主張をかかげて新制作派協会を結成するのは昭和十一年になる。