讃岐で買った『家庭』(精美堂、明治四十二年五月一日)第一巻第三号。日本女子大学校の編集になる雑誌。一九〇九〜一九一一まで刊行されたようだ。巻頭は創立者で校長の成瀬仁蔵「婦人と国民」。第六回卒業生の記念写真も掲載されている。明治のお嬢さま方である。購入の決め手は竹久夢二のエッセイが載っていたこと。
『夢二画集 春の巻』(洛陽堂)が発行されるのは同じ明治四十二年十二月、これがよく売れて、夢二時代が始まるわけだが、まだこの頃は一介の挿絵画家だったろう。二十四歳余である。岸たまきと結婚して長男をもうけたのが前年で、この年には離婚している(ただし翌年たまきと再婚する)。
「少年の頃」(夢二は明治十七年生れなので、明治二十年代になろう)の思い出として三つの小文が記されている。ひとつ目は、播州から年老いた巡礼が四国遍路へ向かう途中で無料の宿を尋ねられ、大師堂へ案内してやるというもの。
ふたつ目は姉との思い出。夢二の絵そのもののような描写である。
《姉と裏の丘へのぼりました。いつものやうに樫の木の下に茣蓙(ござ)を敷いて、二人で並んで坐りました。夏の日光が梢や葉の間から洩れて、姉の頬のあたりをチラチラと射しました》
みっつ目はお腹が痛んだときに飲まされる富山の置き薬セメンエンへの恐怖。花が咲く頃にやってくる越後獅子。どちらも北の方から来るのが不思議だったこと。
《「シモンズ」というやはり医者の宣教師がおりました。シモンズが作りました薬の中に「セメンエン」というのがありました。私、子供のころ病気をしますと、富山の売薬がいつもあり、その中から飲まされたものです。その中に「虫下し」のセメンエンがあったのを覚えています。セメンエンは今でも富山の池田屋という古い薬屋さんにあり、作っております。これはシモンズが作った薬です。》(神奈川県立保健福祉大学長・阿部志郎氏の講演録より)
「
ツムラの大正時代の医薬品」にセメンエンの袋が出ているが、そこには「SANTONINE」と表記されている。サントニンは中央アジア原産の薬草で、虫下し、下痢、腹痛、発熱、消化などに効果があるとされるようだ。