北川純氏よりコメント欄にてご質問をいただいたので、お答えしておく。カギコメだったが、公開にてお答えしたい。
ご希望の写真は上図。『海鳴り』19号(編集工房ノア、二〇〇七年六月一日)掲載の鈴木漠「書肆季節社愛惜」より、《1957年9月広島市内で。北園克衛(手前)と政田岑生(中央)/(堀内れい子氏提供)》。『洪水』の創刊メンバーを中心に行われた「第一回構成詩展ー詩と写真とデッサンによる新しいタブローへの参加」と銘打った盛大なイヴェントが催されたときのもの。昭和三十二年九月。
なお北川氏に関する記事として、架蔵の『洪水』第6冊(一九五九年十一月一日)には下記のように記されている。記者は大塚啓也。
《北川純は、関西で始めての季刊総合誌を編集する。すでに資金的なバックアップがあり、針生一郎、広島では松元寛や「洪水」「存在」グループにおけるスパーク・ヤンガーの原稿がとどいている》
《北川純が企画並びに造本する豆本詩集シリーズ第一冊目として、大塚啓也の「意味論」等が予定されている》
当時のことをぜひ記録されておかれるように希望したい。