『歴史日本』第一巻第五号(雄山閣、一九四二年十一月一日)。表紙は花森安治。『歴史日本』は一九四二年七月創刊で一九四四年までは出ていたようだ。日本近代文学館に九冊所蔵されている他、各地の大学にもある。
ブログ以前のデイリー・スムースのときに、たしか一度表紙をアップしたように記憶するが、これはカラーコピーからの図像で、実物は南陀楼綾繁氏に譲った。というのも、花森安治装幀本の南陀楼コレクションを谷中の内澤アトリエで見せてもらって以来、花森の装幀を見直したという経緯があったからだ。上のデザインなどはバウハウス風とでも言えそうな、写実あるいは日本回帰的な図案が主流の当時としては、かなり思い切ったものと思う。
コメント欄にカギコメ様より書き込みをいただいて、『婦人の生活』シリーズの挿絵はすべて花森ペンネーム説を以前おうかがいしていたことを思い出した(最近モーロクしてます。お礼申し上げます)。たしかに、証拠がないので断定はできないにしても、カギコメ様の推測は正しいように思われる。このシリーズの挿絵は、佐野を抜け切らず、まだやや弱い。けれども、活字ふうの文字の書き方が後年の花森を連想させる。何より目次や奥付の組み方がまさに花森流ではないか。下は『婦人の生活』より。
ということは『婦人の生活』シリーズは、文字や挿絵にとどまらず、花森安治が編集のすべてを取り仕切っていた、要するに昭和二十三年に創刊された『美しい暮しの手帖』のプロトタイプだった、と結論付けても、そう的外れではないように思える。
拙著『古本スケッチ帳』(青弓社、二〇〇二年)に収めた「佐野繁次郎のこと」では佐野と鉄村大二との関係があって、その雑誌を花森が手本にしたと推測したのだが、そうではなく、花森の主導でこのシリーズが展開したのだと考えれば、それは戦後の流れに自然につながって、とても納得しやすいストーリーとなる。あとは裏付けだ。
さらにご指摘の新生社の雑誌『女性』創刊号も、現物は架蔵しないので図版からだけ判断するのだが、とくに英文の「WOMEN'S MAGAZINE」という書き文字が、いかにも花森安治である。しかし、推測だけでは、推測にすぎない。何か証言なり、書き残された記録があれば、申し分ないのだが。
新生社といえば、その社屋で花森と佐野が鉢合わせしそうになったという逸話が福島保夫『書肆「新生社」私史 : もと編集部員の回想』(武蔵野書房、一九九四年)に出ていたと思うが、花森が佐野を「敬して遠ざけた」様子がよく分かる。カギコメ様にこそ花森安治装幀集成を編んでいただきたいものである。