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牧野伊三夫展ツアー

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個展終了でとりあえず一息ついた。来週はまた少々ドタバタしそうなので、本日市中を一回り。まずはメリーゴーランド京都で牧野伊三夫展。上の写真の真ん中に写っているコラージュ(+ペインティング)が渋くて実に良かった。展示はどれも抽象的な作品だった。

バスで河原町通りを北上し今出川で下車。善書堂の均一をのぞき、歩いてWEスペース下鴨・ギャラリー&カフェへ。知人が参加している「5つの表現展」を見る。通りから奥まった隠れ家風になっており、花々が咲き乱れる庭を眺めてゆったりできるスペースだ。

出町柳まで歩いてバスに乗り、白川通りまで。久し振りのガケ書房で牧野伊三夫展。こちらは具象的なスケッチ風の作品が中心。写真が一点あって、これがまた欲しくなるほどの逸品。

来年の花森安治カレンダーの表紙が素晴らしく、これも欲しくなった。結局は店内の古本棚から詩集一冊求めただけでガマン。牧野さんの題字とイラストのフリーペーパー『飛騨』と『雲のうえ』をもらう。活版刷の絵葉書は購入。

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善行堂へ立ち寄る。主人不在。遠路、鹿児島へ出張中だとか。奥さんとしばし雑談。三本松という地名が出て来てびっくり仰天。

二条通へ回って水明洞を見る。珍しく何も買わなかった(!) そこから目と鼻の先のブックカフェ&ギャラリー・ユニテ UNITÉを訪問。二条通りからわずかに北へ入ったビルの奥にあるが、扉を開けると別世界の感じだった。右手ギャラリースペースには絵の他に陶芸、木工などの作品が常設されており、中央に書棚、左手がカフェである。神戸の個展に来てくださったご主人としばらく談話。

ユニテから南下。ユニテのご主人に頂命寺の境内を抜ける道を教えてもらう。仁王門通りに出て川端通りの手前で左折(南下)。町家のギャラリーnowakiでまたまた牧野伊三夫展。こちらはスケッチと抽象性の強い作品と両方並んでいた。小物もいろいろ。

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牧野伊三夫展ちらし
http://chirashcol.exblog.jp/18705616/

最後にアスタルテ書房まで足をのばしてみた。残念ながらまだ「緊急入院」の張り紙はそのままだった。

          ***

海文堂書店の平野さんがブログを移転して再開しました。

ほんまに日記
http://hiranomegane.blogspot.jp
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# by sumus_co | 2013-10-18 20:38 | もよおしいろいろ

最新理科教科書 理科篇

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秋山鐵太郎+高橋章臣『最新理科教科書 理科篇』(東京宝文館、一九一三年一二月五日訂正三版)。木口木版画の挿絵にひかれて購入。サインの入っている絵が三点(すべて人物画)、「修?」。

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光の直進


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水の濾過


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羅針盤


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石炭瓦斯


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陶器
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# by sumus_co | 2013-10-17 21:05 | 古書日録

個展終了いたしました

無事終了いたしました。みなさま有り難うございました。

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「少女(マレ)」、「樹(プラタナス)」

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「少女(ランビュト)」

                  *

12日15時より会場にて作家トーク「東京1978」無事終了しました。連休の初日、貴重な時間を割いてご来場いただいた皆様に深謝いたします。

トークの様子はこちら=http://nabequest.exblog.jp/20573669/

トーク後のパーティの模様はこちら=http://nabequest.exblog.jp/20573346/

                  *

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「自画像」、武蔵美に入った一九七四年の冬から翌年の正月にかけて完成させた作品。十九歳のころ。竹橋の近代美術館に常設されていた靉光の「自画像」が好きだったので、多少そんな風なところも見えなくもないが、靉光よりはずっと大づかみなタッチで勢い良く描いている。

                  *

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海文堂書店で出会ったという父母をもつ生後8ヶ月のお客さまです!


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ギャラリー島田
http://www.gallery-shimada.com/index.html
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# by sumus_co | 2013-10-16 22:14 | 画家・林哲夫

スペクタクルの社会

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ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』(木下誠訳、ちくま学芸文庫、二〇一〇年四刷)読了。オザンヌ書店の目録でオリジナルの図版を見て興味をもった。海文堂書店に注文して入手したもの。

ギー・ドゥボール
http://sumus.exblog.jp/20720111/

ギャラリー島田でこの『スペクタクルの社会』を読んでいたら「林さん、シチュアシオニストですか?」と声をかけられた。「え? まさか違いますよ」と答えてはみたもののシチュアシオニストって何?というのが心の声だった(まだ途中までしか読んでいなかった。ただし、こういう問いかけに対しては常に否定で答えるべし。本書の解説まで読んで納得)。

「スペクタクルの社会」は社会はスペクタクル(見世物)だという、いかにも映画から出発したドゥボールらしい理論(というほどのものでもない、世界解釈とでもいうべきか)。一九六八年の五月革命に影響を与えたと言われているが、この内容で影響が与えられたのなら、よほど当時の学生や労働者は鬱積したものがあったとしか思えない。

文明論としてはいいところ衝いている。しかし運動となるには尖りすぎだろう。ドゥボールの基本的な考え方は「分離」である。スクリーンの前の観客たちに横のつながりがないように、現代社会に生きる個人はスペクタクルに目をくらまされ本当の生から分離(個別に疎外)されている。それにより権力は社会を容易に操作することが出来る。まさか世の中そんなに単純じゃないだろうが、ある種の先見性と言うべきかどうか、たしかに五十年前の世界よりも現在の世界に対しての方がよりいっそうぴったり当てはまる指摘もある。

《近代的産業にもとづく社会がスペクタクル的であるのは、偶然でもなければ、表面的なことでもない。そうした社会は本質的にスペクタクル主義的なのである。支配的経済のイメージであるスペクタクルにおいて、目的は無であり、発展こそすべてである。スペクタクルがなろうとしめざしているものは、己れ自身以外の何ものでもない。》

ドゥボール(一九九四年に自死)がスマホに支配されている現代人を見たなら、それみたことかオレの言った通りになっているとうそぶきそうだ。

《スペクタクルにおいて、世界の一部がこの世界の前で演じられ[=代理-表象され(se représente)]、しかもそれはこの世界よりも優れたものなのである。スペクタクルとは、この分離の共通言語にほかならない。観客どうしを結びつけるものは、彼らを孤立状態に保つ中心自体に対する彼らの不可逆的な関係だけである。スペクタクルは分離されたものを一つに結び合わせるが、分離されたままのものとして結び合わせるのである。》

《観客が凝視すればするほど、観客の生は貧しくなり、観客の欲求を表す支配的なイメージのなかに観客が己の姿を認めることを受け容れれば受け入れるほど、観客は自分自身の実在と自分自身の欲望がますます理解できなくなる。活動的な人間に対するスペクタクルの外在性は、客観の身振りがもはや彼自身のものではなく、自分に代わってそれを行っている誰か他人のものであるというところに現れてくる。それゆえ、観客はわが家にいながらどこにもいないような感覚を覚える。というのも、スペクタクルはいたるところにあるからである。》

ネット、スマホ社会にこそこれらの指摘はよりいっそう似つかわしい。ただ、ではそれをどうするのか、ということになると、まったく弱い。弱いというよりもドゥボールの説くプロレタリアートによる革命というものがスペクタクル社会のなかでそのまま自縄自縛に陥ってしまうのである。

シチュアシオニスト、これは以上のような状況を脱すべく実践活動を行う活動家の意味である。転用[détourment、方向を変える]という言葉がキーワードになる。ただしかし、この実践活動はある意味で文化的テロ、その昔ダダイストやシュルレアリストが行ったことと似通った(当人たちは否定するだろうが)かなり子供じみた行為である(例えば落書きだとか)。しかも仲間割れがひどい。除名のオンパレード。

結局彼らは最後には自らの理論で自らを終わらせることになる、というか、スペクタクルではない世界というものはしょせんこの世では成り立たないのである。映画を否定して映画を撮ることができないのと同じである。映画でないなら映画じゃないし、映画なら映画を否定できない。ジレンマ。

《七〇年に入ると、SI[シチュアシオニスト・インタナショナル]内外での行動の欠如と観念論的議論の沸騰が著しくなり、SIはこれに抗して、沈黙という武器で闘い、さらに、もはやSIの理論の普及の役割を果たさなくなった機関誌の刊行を中止した。》

《ドゥボールらはSIが「最後の形態の革命スペクタクル」とならないように、SIを破壊する闘争を開始する。》

自壊して終わるように運命づけられていた。
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# by sumus_co | 2013-10-15 20:59 | おすすめ本棚

ナシヨナル第二

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『ナシヨナル第二 NEW NATIONAL SECOND READER.』(吉岡平助、一八八七年三月一八日再版御届)。以前、細川平助発行の『ナシヨナル読本第二』を紹介した。本書はそれとほぼ同じ内容(元版の複製なので同じなのは当たり前)ながら細部が少し違っている。また、この吉岡版は質的には細川版より劣る。挿絵の木口木版もあまり上等とは言えない。

『ナシヨナル読本第二』(細川芳之助、明治二十一年第三版)
http://sumus.exblog.jp/4545371/

『ナシヨナルニユーリーダー』第三
http://sumus.exblog.jp/5945002/

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明治二十年頃に英語リーダーが競って発行されたのは明治十九年に高等小学校で英語が正課と決まったからである。そこでいろいろな種類の英語のリーダーが発行された。これは西洋人の生活習慣が一般に広く普及するかなり有効な手段となったのではないかと思われる。

中にひとつ興味を引く挿絵があった。ちょっと変ったサンタの挿絵。

《Mamma was putting Milly and May to bed, the night before Christmas, and she told them this story.
 "After little children are fast asleep, the good, old Santa Claus comes down the chimney with a great bag of toys."》

元版ももちろんこれに相応する挿絵だったのだろう(?)。なんともビミョーな姿である。サンタというよりナマハゲ?

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日本で初めてクリスマスが祝われたのは何時か? 

『彷書月刊』二〇〇五年一二月号「特集・明治のクリスマス」によれば、日本人だけの手になるクリスマスは明治十二年十二月二十五日に横浜公会で初めて行われたという(山本秀煌)。また明治七年には原胤昭(十字屋の経営者)が東京第一長老教会で受洗した記念として築地大学の宣教師カロゾルスの指導を仰いで行っている(『植村正久とその時代』)。

また明治十二年十二月四日付け朝日新聞には二十五日は耶蘇の大祭日なので信者を川口天主堂に集めて行事をする旨の記事が出ているという。同紙上では明治二十五年に東京の菓子店壺屋が「クリスマスお菓子」の広告を載せたのが「クリスマス」という言葉の初出だとも。記事に現れたのは明治三十二年だそうで「基督萬寿(クリスマス)」、またツリーのことを「クリスマス吊」と書いた。

原胤昭回顧談(前出書)によればサンタクロースも登場した。

《それから、サンタクロースだが、これは是非純日本風の趣向でやらうといふので、裃をつけ、大小を差し、大森カツラをかぶり、殿様風の身拵へ厳しき扮装にして、さて、そのサンタ爺さんの役をつとめたのは、誰あらう、戸田忠厚其の人であつた。》

殿様姿のサンタクロースも異形と言えば異形であろう。

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巻末の大売捌所一覧。
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# by sumus_co | 2013-10-14 21:17 | 古書日録