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約100人のブックカバー展 in Loft UMEDA

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小生も上のような架空書店「ぺるデュ書店」のカバーを出品した。ということで本日会場を視察。および自作を購入してサクラとなる。

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ブックカバーはいずれもデザイン的に見て非常にレベルが高い、すぐに商品化できそうなものばかりだった。黒っぽいのはほとんどなかったが、ま、その意味では目立っていた。若い女性向けのイラストレーションが多数を占めるような感じがした。

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同時開催の古書市もなかなかのレベル。やはり「固有の鼻歌」さんが渋すぎる大人の出品で(加能作次郎とか由良君美とか)、今日、これだから初日あたりはどうだったんだろうと、心配になるほど(何が?)。


 *

イラストレーターやデザイナー、作家やショップ、会社員や学生 etc. 老若男女約100人が「こんな本屋さんがあったらいいな」と考えた「架空の本屋さんの、架空のブックカバー」の展覧会。味のある印刷で人気のレトロ印刷JAMで作られた約100種類もの紙の紙のブックカバーが会場内の壁面等にズラリ一同に展示される様子は正に圧巻。もちろん気に入ったブックカバーはその場で購入可能です! また会場内では古本市や本にまつわる様々なイベントもご用意。読書の秋にふさわしい、もっと本が好きになる、そんなイベントです。

日時:9/13(金)~10/8(火) 10:30~21:00(最終日は17時まで)

場所:梅田ロフト 7階 ロフトフォーラム

主催:kof book sellers union
(駒鳥文庫・ON THE BOOKS・FOLK old book store)
http://bookkaba.lolipop.jp/wp/

協力:レトロ印刷JAM 梅田ロフト

 *
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by sumus_co | 2013-09-30 20:28 | もよおしいろいろ

天五中崎町商店街

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天五中崎町商店街の青空書房へ。日曜休みだと思っていたら本日も休み。そのため例の手書きの絵と口上を目の当たりにすることができた。

古書店店主さかもとけんいちのブログ
http://nomarkukai.cocolog-nifty.com

さらにすぐ近くの高山文庫へ行ってみると、こちらも臨時休業。こういう日もある。

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 ***

中崎町と同じ地下鉄谷町線一本なので谷町四丁目で下車、大阪歴史博物館の「織田作之助と大大阪」も見る。予想以上に展示内容は充実していた。見せ方はもう少しばかり工夫できたたかもしれないが、内容の方はかなリキが入っているように見えた。発表雑誌、著書、原稿、書簡、写真から、遺愛のネクタイ、珍品では最初の妻・宮田一枝の遺髪まで。交友関係や執筆関連の資料から大大阪の雰囲気を醸し出す写真や絵画まで(国枝金三の中之島風景はいい絵だった)。宇野浩二が織田に宛てた昔の大阪をぼくも書きたいのだが…という手紙もよかった。

ひとわたり見終わって出ようかなと思ったときに、受付兼案内人の男性(この展示企画グループのお一人)が来場者の婦人に説明を始めたので、聞いていると、その男性が織田作之助の徴集免除の証明書を最近発見した、というではないか。もちろん現物もショーケースに並べられていたが、それは天神橋筋で短い間だけ奈良の古本屋が店を出した(矢野書房のそばに)、そのときかなりの数の織田作之助旧蔵書が陳列されていたそうだ。そこから五冊ほど求めたなかの近松半二の本の間に二つ折りにして挟んであった。昨日の石川淳も徴兵免除だったが、織田作もそうだったのか。

大阪歴史博物館 特別企画展「生誕100年記念 織田作之助と大大阪」
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2013/odasaku.html
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by sumus_co | 2013-09-30 19:59 | あちこち古本ツアー

石川淳傅説

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渡辺喜一郎『石川淳傅説』(右文書院、二〇一三年八月三〇日、装幀=臼井新太郎)読了。

「はじめに」に面白い話が披露されている。まだ流行作家となる前の石川淳が世話になった海老名雄二という人物がいる。著者は昭和四十年代末から度々海老名を訪問して石川のことを聞き出し、それを文章にして発表していた。

《その都度石川に送った。どうもその「伝記的研究」がいけなかったようだ。昭和六十一年二月に来た石川からの最後のハガキには「貴下の書くものが不快で氣に入りません」などと来訪などを断る文面であった。前年までの七通の"電文"のようなハガキはすべて好意的であったのに。》

渡辺は石川の逆鱗に触れた。それにしても昭和六十一年というと、石川は八十七歳である。まだ生々しい逆鱗が残っているというのも逆に不思議だし(ただし人が年齢を重ねると寛容になると考えるのは、考える方が間違っているのかもしれない)、それまでも研究者の作った年譜をバッサリ切ってしまうなど、作家としては、というより作家にしては肝っ玉の小さい男だという気がしないでもない。

しかしながら、石川の前半生についての、絶対的な資料不足を数々のインタビューなどで補ったこの詳細な調査を読めば、たしかに隠したくもなろう、なんというろくでもない男なのか、という思いを強くする。例えば、例えばだが、先日ドラマを見たばかりのせいか『夫婦善哉』のどうしようもない主人公、勘当されたぼんぼんの柳吉、そんな男を連想する。とにかくその屈折ぶりが生半可なものでないことは石川の作品を読んだ者は誰しも感じるだろう。具体的にどのようにすればあのような文体の作家ができるのか、というのは本書によって初めて明らかにされた、と言ってよいかもしれない。

まるで石川の悪口を書いているように思われては心外であるが、事実というものは誰にとってもいつも都合がいいとは限らず(だからこそ事実は常に玉虫色なのであろうが)、往々にして恥辱や汚辱にまみれているものであろう。それを喧伝する必要はないにせよ、抹殺しようと思っても容易に抹殺できるものでもない。社会的に認められた作家ともなれば、時間の闇のなかから事実という汚物を楽しげに探り出してくる研究者が必ず現れる。作家や詩人の放縦や欠陥は、それこそ勲章なのではないかとも思ったりもするのだが、上述の拗ねぶりからして石川は案外と根は当たり前の人間だったのかも知れない。稲垣足穂は「弥勒」で石川の言葉をこういうふうに書きとめている。

《(石川淳が)怒るように云った。「もっともお前が何を仕出かそうと問題ではないが、それならそれで仕事をしろ。くだらないものは書くな。お前が仕事をしているなら、お前がヴィヨンのように泥棒であろうと、あるいは人殺しであろうと一向に構わぬ」》

石川の行状がどうであれ、作品さえ良ければ一向に構わない……はずだ。本書は本文も読みでがあるし、巻末の年譜はこれだけでも大変に貴重なもの。石川淳をもう一度読み直したくなること請け合いである。

 *

最後に、小生が二〇〇四年に「書評のメルマガ」に書いた「石川淳『諸國畸人傳』中公文庫、1976年」をせっかくだから貼付けておく。この時もし『石川淳傅説』を読んでいたら、まったく違ったことを書いただろう。

 *

石川淳『諸國畸人傳』中公文庫、1976年

 書物との出会いというのは本当に不思議なものだ。京都三条の湯川書房で(元来は出版社なのだが、そこでは古書も販売している)雑誌『すばる』4月臨時増刊・石川淳追悼記念号(集英社、一九八八年四月二五日発行)を入手し、改めてその不思議を体験した。

 この追悼記念号は、刊行された直後に神戸のある書店で(郊外型の割といい本屋だったがすぐに潰れてしまった)、買うべきかどうかかなり迷った揚げ句、結局は書棚に戻したものだった。そのときの逡巡の記憶が書店の風景とともに永らく、面妖にも、くっきりと脳裏に残っていて、これはいずれ手に入れなければならない運命か、などとときどき思い出していた。
 
 絶筆および二十代初期短編をも収録したこの追悼号はたしかに記念的な内容である。中村真一郎、佐々木基一、丸谷才一の鼎談もきわめて示唆に富む。文士たちの追悼文集も読み応えがある。なかで河盛好蔵の「思い出一つ」が引っかかった。河盛は石川淳の名前をアンドレ・ジイド『背徳者』(新潮社、一九二四年/改造文庫、一九二九年/新潮文庫、一九三四年)の訳者として初めて知り、同じく石川訳の『法王庁の抜穴』(岩波文庫、一九二八年)を愛読した。それは《この岩波文庫を日本から送らせて、パリの下宿で耽読したことを覚えている。原文は遂に読まなかった》ほどであった。

 この記事を読んだ翌日、恵文社一乗寺店の古書コーナーで『法王庁の抜穴』(岩波文庫、一九三六年七刷/原文旧漢字)を入手した。以前からそこにあったのかも知れないが、背文字も読みとれないような文庫本、しかも千円なのだから、河盛文を読んでいなければ決して購入するはずのないものである。河盛は石川の《ちなみに、Caveの訳語は以前は地下室といつてゐたやうだが、これを抜穴としたのはやつぱりわたしのさかしらである。わたしの翻訳の仕事はまあ十人並といふ程度で、とくに謙遜もして見せないが、決して自慢するやうなものではない。しかし、この抜穴といふ一語だけはわたしのたつた一つの名訳ぢやないかとおもふ》(「ジイドむかしばなし」)という文章を引用しておいて上述のように告白していた。

 名訳というのは大方は誤訳の別名であろう。石川が「抜穴」と訳した Cave(原題は Les Caves du Vatican で複数形)の今日的な意味はワインセラー(葡萄酒の地下貯蔵庫、カーヴ・ア・ヴァン)で、地下キャバレーのことも指す。他にクリプト(地下礼拝室、納骨堂)とかグロット(洞窟)と同義に使われる例も希にあるようだ。源はラテン語 cavus(洞穴)。また『法王庁の抜穴』の本文中に《Cave は、『注意せよ』と云ふ意味もある羅典語なのですぞ》とあるけれど、これは caveo(注意する)の命令形 Cave のことで、ひょっとしてジードはこの駄洒落が気に入ってタイトルをでっち上げたのかもしれない。

『法王庁の抜穴』はミステリー小説だ。よって、ここで筋書きを述べることは控える。が、ごく簡単に言えば、学校時代の親友二人(ラフカディオとプロトス)が、既成の秩序を省みない若者として、世の中に泳ぎ出してから数奇な邂逅をなすというのが基本線。例によって無神論がここに絡みついてくる。

 さて、この古ぼけた岩波文庫を持って、しばらく田舎に帰った。郷里の本棚を整理していると、すっかり忘れていた『法王庁の抜穴』(生島遼一訳、新潮文庫、一九七一年二十二刷、初版は一九五二年)が転がり出てきて驚いた。生島は早く昭和十二年(一九三七)に改造文庫から『法王庁の抜穴』を翻訳刊行している。しかしこれは考えてみれば妙なことで、そのときには昭和十一年発行の石川訳第七刷(すなわち小生が入手したもの)がまだ書店に並んでいたはずではなかろうか。しかもまったく同じタイトルだ。誤訳すれすれなのだから変えても良かったはずだが、変えない方がより良いとの判断だったとすれば、やはり名訳ということになる。それにしても、岩波書店は日本語版権を独占していなかったのか? そもそもジードに著作料を払っていたのだろうか? 

 この点、山内義雄(仏文学者、翻訳家、東京外国語学校卒、石川の先輩に当たる)の回想によれば、少なくとも『狭き門』(窄き門)を大正十二年(1923)に新潮社から翻訳刊行する際には、当時の駐日フランス大使ポール・クローデルの紹介によって、ジイドから直々の承諾を得たという。なお、クローデルはジイドの『法王庁の抜穴』を評価せず、二人は七年間ほども疎遠になっていたが、この通信が旧交を復活させる機縁になったらしい(山内「ジイドの思い出」)。そして山内訳『狭き門』には石川の跋文が付いていた。戦後の白水社版にも再録されているが、その語調はかなり熱く、ジイドへの傾倒ぶりがうかがえるようである。

 はっきり言って、石川訳第七刷は、本としてはかなり粗雑だ。活字が抜けた空白があちらこちらに目だつし、刷りムラもはなはだしい。昭和十八九年ならともかく十一年なのだから、どうしても版元の怠慢である。しかも「抜穴」に象徴されるように、石川訳には多少の強引さがあるらしく思える。一番目立つ箇所は次の手紙の書き出し。

《兄弟………》石川訳
《可愛いひと……》生島訳、新潮文庫版

 フランス語では男女の区別ははっきりしている。生島は女性宛の手紙と解釈した。どちらかが間違っている。というか、石川訳が怪しい。生島は一九〇一年大阪生まれ、京都帝大仏文科卒業(河盛や桑原武夫と親しく交わった)、翻訳者として活躍、京都大学教授を経て一九九一年に没している。石川より二年遅く生まれ二歳多く生きた。

 無論、こんな揚げ足取りをして石川の翻訳を貶めようという積もりは毛頭ない。河盛が《石川さんが後年『狂風記』を発表されたとき、この作品には『法王庁の抜穴』のレミニッサンス(無意識記憶)があるのではないかと思われてならなかった》と指摘しているように、文筆家としての石川はすでに『法王庁の抜穴』において完成されていると言いたいのだ。例えば、次の一節。

《あはれなジュリウス! 書き手はうんとあるが、読み手はろくにない。それは事実だ。人はだんだん読まなくなる…………他人の口吻を借りて、己を推して攷へればだな。結局は、破滅が来るだらう》石川訳

《困った男だ、ジュリウスは! 書き手は大勢あるが、読み手はごく少数だ、だんだん人間は本を読まなくなる。これは事実だ。あの先生のいう通りこのおれが第一そうなんだから。いずれ最後には、悲惨な破滅がやって来るだろう》生島訳

 ここで言うジュリウスは作中人物、作家である(嗚呼、この嘆き、今に始まったことではなかったらしい)。どうだろう、二者の筆法違いは! ある意味、石川訳は、難アリの岩波文庫第七刷のようなもので、少々の不備をも含め、物質的な抵抗感のある存在ではないだろうか。(ちなみに、帰郷中、新古書店ブックマーケットで十年前に手放したまま邂逅のチャンスがなかった『狂風記』(集英社文庫、一九八五年)上下二冊を四百円で見つけた。本は本を呼ぶ)

 石川が『法王庁の抜穴』を翻訳出版したのは二十九歳、いまだ小説家としては認められていなかった。引き続きジイドなどを反訳しつつ、昭和十年頃から本格的な創作の発表を開始、十二年に「普賢」で第四回芥川賞を受けて文壇的な評価を確かなものとした。石川のこの時期の作品発表は雑誌『作品』(作品社、一九三〇~四〇年)を中心に行われ、受賞作「普賢」も同誌に連載されていた。この点でも『作品』の編集責任者だった小野松二を調べている小生としては、とりわけ因縁めいたものを感じる。

 ということで、いよいよここから『諸國畸人傳』の解剖に取りかかる腹づもりだったのだが、紙数が尽きた。この列伝が石川のベストだと断言しては石川ファンに申し訳ないかもしれないけれど、《石川さんの小説は実感がないんだから。虚感しかないわけだから》(中村真一郎)あるいは《石川淳のエッセイは、いくら学問的に深くても、ぼくはペダンティックのまま終わったと思う故に認めたくない。澁澤龍彦のようにペダンティックが昇華して芸術にならなかった》(奥野健男)という洞察に首肯しつつ、『諸國畸人傳』の不器用な我儘ぶり、「マスマのバカばなし」(同書「武田石翁」参照)を嘆賞するものである。


 *

紙数が尽きた……って、メルマガなんだから紙数は関係ないはずだけど(苦笑)。
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by sumus_co | 2013-09-29 21:33 | おすすめ本棚

季刊SOMNIUM No.3 葉書

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by sumus_co | 2013-09-29 20:26 | 古書日録

ソムニウムNo.2 No.3

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『ソムニウム』(エディシオン・アルシーブ+彗星倶楽部)No.4に続いてNo.2(一九八〇年四月二五日)とNo.3(一九八〇年九月二五日)を入手した。表紙デザインはもちろん羽良多平吉。

ソムニウムNo.4
http://sumus.exblog.jp/20952531/

二号ではボルヘスの「バークリーの十字架」そして龍胆寺雄が「幻想の街」と題して巨大樹の話を書いているのが目立つ。「彗星通信2」(編集後記)にはワークショップの報告と予告がなされている。(1)幻想文学アプローチ、(2)カイヨワ『妖精物語からSFへ』、(3)ノディエ『パン屑の妖精』、(4)フランシス・イェーツの方法、(5)ホフマンをめぐって、以上実施。予定は(6)ユダヤ神秘主義、(7)泉鏡花、(8)ゴシックロマン、である。他には雑誌『アルシーブ』、『別冊ソムニウム』、ソムニウム叢書の刊行予告。また七九年クリスマスにはTV取材があり、八〇年一月一三日に松岡正剛が来訪したという。さらにはレオ・レオーニ『平行植物』(工作舎)のプレゼントまで告知されている(日高敏隆による書評掲載)。

三号ではパウル・シェーアバルト「ツアツクとチヂと巨大なあたま」が目玉だろうか。「彗星通信3」には例のソムニウム叢書『水蜘蛛』の年内刊行が告知されており、書評誌も企画しているとある。今号のプレゼントは『迷宮』第三号(白馬書房)。梅木英治による扉絵の原画(メゾチント版画)販売も。

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二号に広告を出しているのは、七彩工芸(マネキン製造)、klab MODERN、『迷宮』白馬書房・迷宮編集室、『rock magazine』(阿木譲編集発行)、『WX-ray』復刊第一号(羽良多平吉)。

三号は、れんが書房新社、『WX-ray』復刊第一号、国書刊行会、東洋文化社、『迷宮』、『rock magazine』、工作舎。

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雑誌にコミあり。挟み込みいろいろ。二号には工作舎の栞「工作舎ハイパー・ブックスタジオ3」、八〇年三月に大阪市南区のヒバリヤ書店ナンバ店で開催されたブック・フェアー「神道と錬金術」の書目である。それからもうひとつリーブルなにわのレシート。日付は「55・11・22」、600円一点は『ソムニウム』だろう。もう一点600円の品物を買って一万円札を出した、ということが分る。

三号の方には、郵便振替の払込用紙(払込料金加入者負担すなわち赤色)と『ソムニウム』の読者カード。全六冊刊行予定であった。

ここまできたら、創刊号、なんとか入手したいもの。
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by sumus_co | 2013-09-28 20:08 | 古書日録

木琴デイズ

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通崎睦美『木琴デイズ 平岡養一「天衣無縫の音楽人生」』(講談社、二〇一三年九月九日、装幀=間村俊一、本文デザイン=西岡勉)読了。力作である。

通崎さんは著名なマリンバ奏者。しかし小生にとって通崎さんと言えば『天使突抜一丁目』(淡交社、二〇〇二年)という著書を出しておられるように、京都の下京区に実在する天使突抜という住所に住んでおられるということで印象深い。この天使は耶蘇の天使ではなく平安時代に天神を祀った「天使の宮」ができたことに由来するというが、一度聞いたら忘れないインパクトのある地名だ。

本書の装幀を手がけておられる間村さん(装幀=間村、本文=西岡というのは通崎さんのご指名だそうだ。さすが)と親しい編集者Yさんが「ぜひ林さんに紹介したい」といって京都市中の料理屋のようなところでお会いしたのが最初だった。先日も拙作個展に来て下さってご挨拶くらいはしたが、こんな本格的な評伝を執筆されているとは知らなかった。

平岡養一という傑出した木琴奏者は若くして渡米、NBCラジオの専属アーティストになるほどの活躍を見せた。日米が交戦状態になるや、米国の友人たちの制止を振り切って帰国、戦時下で多くのレコードを吹き込み、コンサートを開き、音楽挺身あるいは従軍慰安活動に参加した。また敗戦を経ても変わることなく演奏活動を続け「紅白音楽試合」にも出演するなど大衆的な人気を博したそうだ。しかし徐々に木琴という楽器はすたれてゆき、マリンバに取って代わられる。ひとつの時代が終わる。

そして今、またその木琴デイズが復活しようとしている。木琴とマリンバとシロフォン(ザイロフォン)がどうちがうのか、知ってます? そのへんもぬかりなく本書においては詳述されているのでご心配無用。

歴史的記述や文化全般に対する目配りも充分になされており、著者自身が演奏者であるということから単なる評伝を越えた共感や、演奏者ならではの分析も随所に見られて、感嘆しながら読みふけっていたのだが、内容はもとより、その説明の分かり易さが小生のような音楽に昏い人間にも響いてきてある意味意外に感じたほどだ。例えば平岡養一のライバルだった同じ慶応出身の朝吹英一(朝吹の評伝にも一章割かれている)、二人の音楽的な相違を説明するくだり。

《たとえて言うなら、何か困った事態に遭遇したとする。「助けてくれ!」と大声で叫べる、あるいはつい叫んでしまうのが平岡の音楽だとすると、朝吹の音楽には、どんな緊迫した状況にあっても「すみませんが、こういう事情で困っておりますので、助けてはいただけませんか」というような折り目正しさがある。おそらく、朝吹は心から叫べる平岡を心のどこかでうらやましく思いながらも、それを軽蔑する心がないとは言えず、同時に自分は決して叫びたくない、という気持ちがあったに違いない。平岡からすれば、朝吹の美しい音楽作りはどこか「きれいごと」に思えたのではないか。しかし、朝吹の人となりを知る平岡は、その美しさが単なる「作り物」ではなく、朝吹そのものであることを誰よりも知っていたから、その美しさを認めざるを得なかっただろう。》

あるいは平岡の演奏を総括するくだり。

《平岡の弾く旋律は、時に不均等なゆらぎをみせはじめる。
 均等であることに慣れきった現代からすると、平岡の過度なアゴーギグは、時に理解を超えるものだが、どんなに独特の「平岡節」が出てこようとも、決して全体的なビートは揺らぐことがなく、またミス・タッチもほとんどない。平岡の音楽の変遷をみていけば、これが単なる癖ではなく、工夫であり、独特のセンスであったことがわかる。
 より多くの人に語りかけたいと思う平岡の歌心の表れだったのだろう。》

《これらの奏法により、透明感のある木琴の音色に「雑味」が加わったともいえる。音符としては表現できない、すなわち成分表示ができない「雑味」であったからこそ、誰にも真似のできない味わいが生み出された。一部分聞いただけでも「これは平岡の木琴だ」とわかる、平岡養一の世界を確立し、大衆からの人気を得た。》

断片的な引用だが、それでも通崎さんの文章の巧みさがよく分っていただけると思う。通崎さん自身が本書について語っている画像が YouTube で見られるのでご参考まで。また平岡養一と通崎さんの演奏もリンクしてみる。

木琴を弾く通崎睦美 平岡養一の評伝を書いて!
http://www.youtube.com/watch?v=vU854U0oHEY

平岡養一 夢見る人(Beautiful Dreamer) 1974
http://www.youtube.com/watch?v=wtV56wEnAu4

Recorder and Xylophone Duo
http://www.youtube.com/watch?v=CnF--KHdb0s

高遠先生の文楽の本もそうだったけれど、知らない世界の物語を読むのは少々骨が折れるにしても(専門用語や固有名詞に馴染みがないので)、そこから得るものはこちらが思うよりも深く大きいかもしれない。とにかく六十年近く生きてきても世の中知らないことばかりなのだ。だから本は面白い。
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by sumus_co | 2013-09-27 21:48 | おすすめ本棚

ラ・アンリアッド

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『La Henriade, par Monsieur de Voltaire, Avec un Essai sur la Poésie Epique, & autres pieces. Nouvelle Édition, Enrichie en Figures. Tome Second.』(Jean Racine, Rouen, 1789)を入手した。

ヴォルテールの『ラ・アンリアッド』は一七二八年にロンドンで刊行された。フランス王アンリ三世とナヴァル王アンリ三世(後のアンリ四世)によるパリ包囲戦(一五八九)を語った叙事詩である。小生には新教旧教の力関係、ローマやスペインも絡んで錯綜したパワーポリテッィクスを簡単に説明することはとうてい出来ないが、とにかくも宗教的寛容を雄弁にうったえる「アンリアッド」は、ヨーロッパ全土にわたって前例をみないほどの成功をおさめたそうだ。そのためだろうが、多種多様な版が刊行されたようである。今でも十八世紀あるいは十九世紀初期の版本を容易に見ることができる。

これはルーアン、ガントリ通り(rue Ganterie)の書肆ジャン・ラシーヌがおそらく二巻本で刊行したもののうちの第二巻。「アンリアッド」は第一巻に収められているようで、ここにはパロディ版「仮装アンリアッド La Henriade Travestie」や「叙事詩論 Essai sur la Poésie épique」などのエッセイが何編か収められている。

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折り込み地図付。「メーヌ公爵夫人宛書簡詩 Epitre à S.A.S. Madame la Duchesse du Maine, sur la Bataille de Lawfeldt, gagnée par Louis XV, le 2 Juillet 1747」の主題となっているローフェルト(現在のベルギー、マーストリヒト)の戦いの戦場地図のようである。これは一七四七年に行われたフランスの領土拡張戦争でオランダやスコットランド等の連合軍と戦ってマーストリヒトを落とした。

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もちろん読もうと思って買った、わけではなく、絵に描ければいいな、くらいのところである。見返しのマーブル紙があまり手が込み過ぎておらず素朴なのが気に入った。

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田中りえさん(作家)が死去」されたという報せが知人より。これまで何度かこのブログでもお名前を出させていただいた。ご冥福をお祈りします。

野見山暁治 絵とことば
http://sumus.exblog.jp/18756765/
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by sumus_co | 2013-09-26 21:34 | 古書日録

海文堂書店の閉店に思う

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ギャラリー島田より毎月送られてくる『Gallery SHIMADA & Art Support Center Kobe INFORMATION』十月号に島田誠さんが「海文堂書店の閉店に思う」という文章を書いておられる。これは神戸新聞が九月に三回にわたって掲載した「【海よ、さらば 元町・海文堂書店の99年】愛情と敬意」という記事が、いたって不満足な内容であったため、それを補うという趣旨だそうだ。海文堂書店の歴史についてはいずれ詳しい記録が刊行されるとも書かれているが、ここでは島田さんの記述から主な事柄を抜き出しておくことにする。

 *

海文堂創業者・岡田一雄は島田氏の妻・悦子さんの父親。島田さんが三菱重工に勤めていた時、岡田氏が重篤な病で亡くなる直前、書店を継ぐように頼まれ、サラリーマンを捨てて書店の世界に足を踏み入れた。一九七三年のことである。

当時は現在の店の西半分が二階建ての木造店舗、東半分が空き店舗(以前は三好野という海文堂が経営する食堂)だった。一九七六年、空き店舗を書店として改造。一〇〇坪となる。児童書、雑誌、学習参考書を充実させた。島田氏が児童書を担当。宮崎豊子(児童文学研究家)さんが選書し、読書相談、こどもの育児教育相談コーナーなどを作った。これが現在の田中智美さんが率いる児童書コーナーへとつながった。

一九八〇〜八一年、西側の店舗の老朽化のため全面改築。仮店舗営業ながらポートピア博覧会のガイドブック販売でしのぐ。二五〇坪を九ゾーンに分けてそれぞれを専門店の集合とし、ゾーンごとにデスクと人を置き棚作りを任せた。

元町三丁目まで集客するためギャラリーを開設、マリーングッズ、子供の教育玩具(スウェーデン製)を販売。文化発信拠点を目指した。書店はグループの一員ながら独立経営だったため家賃を支払っていた。

創世記の大番頭・清水晏禎(よしやす)、前店長・小林良宣(よしのぶ)

『海会』に先だって小林店長時代の通信に『読書アラカルテ』、他に『読書手帖』『神戸ブックマップ』『ヴァイキングの乗船者たち』『神戸古書店地図』『郷土史一覧』などを刊行してきた。

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以上のようなことが神戸新聞の記事に欠落しているというのが島田さんの言い分である。島田さんに取材がなかったのだから仕方がない。なぜ取材がなかったのか、これはここで簡単に論評できないけれども、なかったのだから推して知るべしであろう。【同紙10月1日付でほぼ上記の内容の記事が掲載されました】

上の写真は店舗東側の壁を元町通から撮影したもの。右手奥に通用口がある。

なお、この通信には拙作個展の案内も掲載されている。そこに三百文字ほどの紹介文を書いたが、《1973年、上京して武蔵美に入学した》とあるのはうっかりミス。一九七四年の間違い。ちょうど四十年と思いこんでいた。ここで訂正しておきます。
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by sumus_co | 2013-09-25 20:03 | 著述関連

芸術家の眼

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宇佐見英治『芸術家の眼』(筑摩書房、一九八四年五月一〇日)。

さきの土曜日、ギャラリー島田で木下晋さんと洲之内徹の話をさせてもらった。木下さんはさすがに洲之内の最期を看取った方だけあって、その実像をよく見ておられる。周辺の誰彼についての情報、当方のような部外者が知り得ないシークレットな部分も、トークショーの前にいろいろとうかがった。忌憚のない話し方にも人柄がうかがわれた。トークでは小生は主に伝記的な事実について解釈をほどこしながら、洲之内徹の行動パターンをまとめ、またその気まぐれシリーズの面白さについて語った。まずまずの内容だったように思う。

トークの終りに参加者からの発言があった。その方は洲之内徹と親しく話したわけではないが、かつての現代画廊にはしばしば足を運んでおられたということだった。「でも、私は洲之内さんの文章は評価していません。宇佐見英治さんの詩的な文章とくらべるとまったく雑駁なものだと思います」とおっしゃるではないか。

宇佐見英治……はっきり言って、ほとんど読んだ記憶がない。過去の拙ブログを検索してみると『季刊湯川』の執筆者として名前が挙がっているくらいだ。

季刊湯川
http://sumus.exblog.jp/9386733/

たしかに雑誌の記事で少しは読み『同時代』の宇佐見英治追悼号は誰かにもらって持っていたような気もするが、具体的な印象は希薄だった。そこで「宇佐見英治の文章が好きな方は、たしかに洲之内はだめかもしれませんね。雑駁なところが洲之内の魅力だと思います。どちらがいいとか、悪いとかということではないでしょう」というふうにお茶を濁しておいた。

翌日、ネットで調べると、宇佐見英治はたくさん本を出している。湯川書房からも出ている。どれといって読んだことはない、どころか買ったことさえない。これはマズイ。早速安いのをみはからって二冊程注文。その翌日にはもう届いたのでざっと読んでみた。

結論から言うと、発言氏とまったく逆の感想を持った。たしかに詩的である。インテリである。湯川さん好みだとも思う。しかし退屈だ。『芸術家の眼』では表紙画にもなっている画家島村洋二郎のことを描いた「或る画家ーー島村洋二郎のこと」が読み応えがあった。しかしそれは島村の文章の引用が凄いということであって、島村の数少ない親友ならもっと別のことが書けたのではないかと思う。

そこに島村の友人豊倉正美の追悼文が引用されているので一部を抜き書きしてみる。

《交り、といってもごく短い数年間のことです。そのはじめのころ、あさはかにも私は、心からのいたわりをもって、彼のいのちをよろこび、祝しつつ、冷や飯の鍋をつつき合った。その頃の様々な思い出が、今となってはあまりに苦しく胸を痛ませます。やがて素直にいたわることが出来なくなった。何というおごり、何というたかぶり。己れの絵のために、他人の繊細な感情を弊履の如く踏みすてにして、顧みない粗暴な面魂。
「朝から歩き廻ってまだ米粒を口にしない」と訴える人に、一体何で飯つぶを捧げねばならぬ義務があるのか、とこれは会ったあと苦く心に喰い入る、いつもの思いでした。》

そして宇佐見はこれにつづけてなかなかいい文章を書いている。

《これが島村を知っていた数少ない人々の多くが、現実的につきつけられた疑問であった。彼はまわりの人たちが、彼を助けるか、捨てるかどちらかの態度を決定せざるを得ないような生き方をした。彼の絵は自由美術で落選したし、彼はずいぶん甘い売絵も描いた。彼は私の親戚、私の友人のまた友人、その弟、というふうに絵を売り歩いた。「絵を買って下さい。絵具を買う金がない」はじめはそうだった。だがそれがとうとう「朝から米粒を口にしない」という駆込みにかわった。》

島村は宇佐見に宛ててリラダンの言葉を引用した手紙を送っていたという。宇佐見はリラダンの生き様と島村を引き比べる。

《その島村は、あの流竄の王子、ヴィリエ・ド・リラダンの高志を胸に、万人が野犬のように餓えていた戦後の暗い時代を、よろよろと生きた。乞食のように。物貰いのように。だれでもリラダンの句を盗むことはできる。ピカソやゴッホの、意匠や色を盗むことができる。しかし誰が、リラダンのように《最高の讃辞は無関心なり》として、最後まで魂の曠野を真の実在として信じ、貧窮、飢餓、狂気、敗残をものともせず、生きることができるか。》

実は洲之内徹もまた島村洋二郎との出会いについて書いているのだ。島村を叔父と呼ぶ女性から遺作展をやって欲しいと言われて、名も知らぬ作者の絵を初めて見た。

《彼女が包みを解いて出した四号位(色紙大)の、額に入った絵を、私はソファの横の棚の上に置いてしばらく眺めた。寒い色と太い線を使って描いた男の顔で、作者が何か激しい想いに迫られているのは分るが、モデルの特徴の分析や把握は稀薄で、形式化が目立つ。絵は強いようで弱い。》

この絵は宇佐見英治所蔵のものだった。洲之内にしてはよく見ている。この後、後藤洋明氏が『同時代』の島村追悼号を届けてくれて島村の略歴を知り、上述の豊倉正美の追悼文を洲之内も読むことになる。

《宇佐見氏宛の手紙(昭和二十七年四月、大田区馬込より)の中に、たとえばこんな言葉がある。「リラダンの云うところの《金剛石の色に輝くエエテルの中に夢想された純潔にして蒼白な思想》にまで昇化された一枚のタブロ」。だが、そういう彼は、客観的にはどういう存在だったろう。追悼文集の中の、豊倉正美氏の「ものの怪」という文章をここへ引いてみよう。》

上述の文章が引かれて、そしてこう洲之内は切り捨てる。

《凄い文章だ。島村洋二郎には私は会ったこともなく、見たこともないが、眼に見えるようだ。こういう人間がいるものだし、そういう人間に対して誰でも本音はこうだ、というところがこの文章にはある。第三者にはリラダンもハチの頭もない。》

《島村洋二郎が大森馬込に住んでいた昭和二十七年頃には私も大森にいた。眼に浮かぶようである。私にとっても「この頃もっとも貧窮す」という時期であった。もしかすると、そういう彼と私とは、大森の池上通りのガードあたりですれちがったということもあるかもしれない。
 いずれにせよ、この文章を読んで、島村洋二郎の遺作展をやろうと心に決めた。》

「第三者にはリラダンもハチの頭もない」は宇佐見が「あの流竄の王子云々」と書いた部分に対応するだろう。二人の文章の違い(人間の違い)がはっきり現れている。好き嫌いは勝手だが、小生はハチの頭を取る。それにしても、この島村を巡る文章には図らずも典型的な洲之内の絵の見方が露呈しているように思われる。絵そのものよりも絵や作者と自らを繋ぐものにひきつけられるというスタイルである。

島村洋二郎遺作展は一九八七年八月二四日から九月四日まで現代画廊で開催された。その二ヶ月後には洲之内の死が待っていた。
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by sumus_co | 2013-09-24 21:43 | 古書日録

神戸の古本屋

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三宮から元町へ歩くついでに新しくオープンした倉地書店を確認する。三宮センタープラザ2Fをかなり久し振りに通り抜けた。土曜日だったせいか人通りは多い。清泉堂書店にも客が絶えないように思われた。見やすいいい感じの棚を作っておられる。

清泉堂倉地書店の三宮店『清泉堂書店』
http://hyogo-kosho.net/hpgen/HPB/entries/43.html


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清泉堂の少し西、同じ通路沿いにまんらく書店もある。


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元町通りに入ってシラサの前を通過。無事営業中のようでひと安心(ただし、この後で聞いた話では、テナント募集中だとか……)。

SHIRASA(シラサ)
http://shirasa.ko-co.jp


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元町から北へ。県公館の南側にある有文堂書店。神戸在住の頃にはよくのぞいた店。頑張っておられるようで何より。

有文堂書店
http://www.hyogo-kosho.net/shop/shop_data/store_008.html


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そこをさらに北上して東へ歩いていると、突然、おしゃれな店舗に出くわした。本屋ではなくアンティーク・ショップだろうが、古書類も置いてあるようだ。いずれ時間のあるときにゆっくりのぞいてみよう。

Landschapboekランスハップブック - Rollo
http://www.tit-rollo.com/lands.html
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by sumus_co | 2013-09-23 17:56 | あちこち古本ツアー