林蘊蓄斎の文画な日々
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安保倶一「子どものいる風景」展

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本日、河原町通りの mina というビルにあるユニクロで洋服を見ていたところ、「林さん!」と声をかけられた。扉野氏だった(今月三度目の予期せぬ遭遇!)。東京での「藤井 豊「僕、馬 I am a HORSE」展」から戻ったばかり。オープニングトークは盛況だったとのこと、何より。「今、メリーゴーランドで、もう亡くなった方なんですが、面白い展覧会をやってますよ。谷内六郎みたいな絵なんですよ」と言われて、へえ、と思って足を運んだ、もちろん三密堂書店をちょっと覗いてから。

この作家(と言えるのかどうか、生前は発表していなかったらしい)を発見したのは若い絵かきさんだという。手書きの説明文にはこのようにあった。

《安保倶一、兵庫生まれ。
 東京に上京しデパートのディスプレイデザインなどを担当。のちに兵庫にもどり、半身不随になりながらも筆を執り、絵を楽しんだ。
 安保倶一氏は無名の画家でしたが、その愛らしい、小さな絵の中には、確かな息づかいが感じられます。
 この小さいながらも確かな絵の世界からは、同時代を生きた、もう一人の画家。長谷川潾二郎氏の次の言葉が思い出されます。「よい画はその周囲をよい匂いで染める。よい画は絶えずよい匂いを発散する。よい匂い、それは人間の魂の匂いだ。人間の美しい魂の匂い、それが人類の持つ最高の宝である。」》


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額縁も手作りだという安保(あぼ)氏の作品はわずか六点だけの展示だったが、たしかに「よい匂い」が香るようであった。色の使い方に特に感心した。おそらくそのあたりによい匂いの秘密があるように思う。

無名の画家ということで関連させると、たまたま、9月21日から洲之内徹生誕百年記念のコレクション展がギャラリー島田で開かれることになった。洲之内徹がエッセイに書いた画家たちの作品が並ぶ。21日、初日の午後五時より、洲之内徹の臨終にも立ち会った画家の木下晋さんと小生がトークをすることになった。トークといっても小生は木下さんの話を引き出す役割になるだろう。今からどんな話が聞けるのが楽しみでならない。入場無料(要予約)ですので、お近くの方、洲之内徹にご興味のある方、ぜひご参加ください。
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by sumus_co | 2013-08-31 20:46 | もよおしいろいろ

拝受多謝

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『古本海ねこ古書目録』6号(二〇一三年九月)届く。見所満載。コドモの本、あるいは絵のある雑誌などが、これほどまでの広がりと奥行きを持っているとはつくづく感心する。今回とくに興味をひかれたのはチャップブック・コレクション23冊一括という出品。

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《チャップブックは、主に17世紀から19世紀にかけてイギリスで発行された小さな本。行商人らが各地を巡って市場や祭で売りさばき、売れた分の代金を印刷業者に支払うシステム。大衆向けの文学や実用的な内容のものなど内容はさまざまですが、低価格で大衆に楽しみをもたらしました。しばしば木版画の挿絵を含む、8、12、16、24ページの体裁で、チープなつくりのものが多数。しかしながら、のちに蒐集家らのコレクション対象になり、19世紀の蒐集家によって「チャップブック」と名付けられました。》(本目録より)

THE CHAPBOOK
http://www.bekkahwalker.net/comt111a/websites_11/resheske_site/index.html

このサイトによれば十六世紀に発生したらしく。労働者階級の識字率の向上に一役買ったらしい。新聞というメディアが普及するに従って下火になっていった。本の行商については以前少し書いたことがある。

本の行商人
http://sumus.exblog.jp/13802970/



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『いい香のする名前 フョードル・ソログーブ童話集』(書肆盛林堂、二〇一三年八月二三日)。ソログーブの『影絵』(前田晁訳、精華書院、一九二二年)を底本とした内容。岩波文庫でも三月に『かくれんぼ・毒の園 他後編』が再刊されたということで、スプラッター・ファンタジィが注目されているのかもしれない。たしかに独特のタッチだ。「少年の血」などは、現実を中和させるべく徹底して無慈悲を描いたという逆説的なものすら感じさせるが、子供皆殺し、これが今現在、逆説ではなく、われわれの世界のあるところではリアリティとしてそのままに起こっている事実なのだ。愚かなるかな。それにしても、まさに「進撃のソログーブ!」と言いたい。



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『雲遊天下』114号(ビレッジプレス、二〇一三年八月三〇日)、頑張っている。「〈街とメディアと市民〉のかたちを模索して」本間健彦インタビュー(聞き手:南陀楼綾繁)に喫茶店が登場したのでメモしておく。

《ーー『新宿プレイマップ』の編集部があったのは、新宿二丁目ですね、当時からゲイ店とかはあったんですか?
本間 ありましたね。だけど、あの時点で二丁目で一番有名だったのはヌード・スタジオでしたね。むかしの赤線の店がそういうものに切り替えたんです。その中でゲイの店がだんだん増えていった感じだったと思います。
 編集部の新宿通りを挟んだ向こう側には、ミニコミを扱う〈摸索舎〉がありました。二丁目の仲通りには〈コボタン〉という漫画喫茶があって、宮谷一彦が展覧会やったりしていました。小さい店だったんだけど、漫画好きが集まっている喫茶店でした。》

『新宿プレイマップ』の創刊は一九六九年六月。「コボタン」は宮谷一彦の漫画にも登場していたようなあいまいな記憶がある。
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by sumus_co | 2013-08-30 20:50 | 古書日録

DADA

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昨日の荷物からもう一冊。『DADA』(Editions du Centre Pompidou, 2005)展の図録。この展覧会はパリ、ワシントン、ニューヨークと巡回したようだ。見たかったなあ〜と思うが、仕方がない。とにかく凄い図録が手に入って満足。千頁以上ある。ABC順に項目が並んでおり、ダダ百科事典のおもむきだ。年譜も備わっているし、これは使える。

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レイアウトにも工夫が凝らされ、だいたいこの手のカタログは凝り過ぎになる気味があるのだが、これは、まずまず見やすい方だ。表紙を開くとマン・レイの写真がお出迎え。栞代りのローズ・セラヴィの荷札「VOUS POUR MOI?」(荷札だから「おたく、ぼく宛?」とか?)。

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Jの項目には「JAPON」(日本)も立項されている。十九歳の高橋新吉が一九二〇年にトリスタン・ツァラの思想に触れて日本で初めてのダダイストを名乗った…云々というテキスト(Carole Benaiteau)があり、辻潤、村山知義らが紹介され、図版としては雑誌『MAVO』、高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』(中央美術社、一九二三年)、高橋新吉『ダダ』(内外書店、一九二四年)、萩原恭次郎『死刑宣告』(長隆舎書店、一九二五年)が掲載されている。

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マン・レイは二十八頁にわたって多面的な活動が紹介されている。デュシャンには三十頁、ジュヴィッタースには二十二頁ほどを費やしているのが目につく。まったく聞いたこともない作家も多い。また、クロノロジーもチューリッヒ(1914-1922)、ベルリン(1912-1925)、ハノーヴァ(1914-1924)、ケルン(1914-1922)、ニューヨーク(1913-1926)、パリ(1913-1925)と都市ごとに分けて細かく出来事を並べてくれている。

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これは「PRESSE」(新聞)の項より『Le Petit Monde』一九二一年一一月一五日号の漫画。

 サロン・ドートンヌより戻って
 女子「やいこら、キュビスト!」
 男子「ほっといてくれ、ダダイスト!」

サロン・ドートンヌは秋の展覧会。積み木(キューブ)で遊ぶ男子をキュビストと呼ぶダダイスト女子は木馬(ダダ)にまたがっている……とこれはなかなかケッサクである。
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by sumus_co | 2013-08-29 21:14 | 雲遅空想美術館

コリッシモ!

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パリよりコリッシモ(Colissimo)が届いた。コリッシモはフランスのポストがやっている小包サービス。いろいろな種類のパッケージがあるが、重さ30kg、寸法150cm(三辺の合計)以内でフランス国内はもとより世界中に配達してくれる。国内48時間以内、海外領土5〜7日、諸外国4〜8日と迅速な配達とインターネットによる支払いおよび追跡が売りである。

この荷物、内容物はすべて書籍。折をみていくつか紹介してみたいとは思うが、とりあえずこのマックス・エルンストの詩画集『パラミト』(Paramythes, LE POINT CARDINAL, 1967)を。元々は英語で書かれ、ビヴァリーヒルズのコプリー・ギャラリー(The Copley Galleries)から一九四九年に刊行された。さらに著者によってドイツ語にかなりゆるく翻訳されてケルンのシュピーゲル画廊(Galerie der Spiegel)からも出版された。そして一九六七年にドイツ語から著者の協力を得てロベール・ヴァランセ(Robert Valençay)が翻訳したのがこの版だそうだ。口絵にドライポイント、本文にはコラージュが掲載されている。千部本の377番。千部の内六十部はリトグラフ付き豪華版になっているようだ。

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「Paramythes」はエルストの造語だろうかと思ったら、十八世紀ドイツの哲学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーにも同じ仏訳タイトルの著作『Paramythes, imitées d'Herder』があり、そこでは以下のように説明されている。

《THEANO.
……Paramythes ! je ne connais pas ce mot !

 DEMODOR
Paramythion signifie délassement S'il en faut croire Guys, les Grecs donnent, encore de nos jours, ce nom à tous les ouvrages de l'imagination. Je pourrais encore alléguer une autre raison pour justifier le titre de ces fragments ; c'est parce qu'ils sont fondés sur la Fable des anciens Grecs. qu'ils appellaient[ママ] Mythos ; à taquelle j'ai simplement donné une autre interprétation.》

要するにギリシャ語の Paramythion(なぐさめ)と mythos(伝承、神話)を意に含めたタイトルだということである。
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by sumus_co | 2013-08-28 21:21 | 古書日録

アスタルテ書房、健在なり

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本日、何はともあれ事の真偽を確かめようとアスタルテ書房を訪問。入口扉にはたしかに《近々、アスタルテ書房を閉店することになりました》という「謹告」が貼り出されていた。

恐る恐る扉を開いて入店すると、店主はゴソゴソと何やら流し(レジの後ろの隠し扉の裏)でジュースのようなものをつくっている。いきなり「近々、閉店なんですか!」と詰問した。すると、どうしてそんなことを言うのかな? と怪訝そうな顔をしつつ「いや、閉店なんかしませんよ」と肩すかしを食ったような答えである。七月からひと月ちかく体調不良で店を閉めて、復帰したところ、今はやる気まんまんですよ、という感じだ。

「近々っていうから今月末とか九月には閉めるのかと思うじゃないですか」
「そう思いはった? ドクターストップがかからない限り五年でも十年でもやるつもりですよ」
ジュースに見えたのは薬だった。
「この薬がまずくてねえ…」
と愚痴りながらアスタルテさんはその一見おいしそうな色合いの液体を一気に飲み干した。う〜ん、ひと安心ではあるが、とにかく自重していただき、永く営業していただきたい。

九月七日に緊急入院されました。
http://sumus.exblog.jp/21013281/

アスタルテ書房再開しています(二〇一三年年末より再開)
http://sumus2013.exblog.jp/21359487/

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景気付けに(気持ちだけ)一冊購入。アンドレ・ジィド『エル・ハヂ』(石川湧訳、文圃堂書店、一九三三年一一月二五日、原著は『El Hadj』Editions d'Ispahan, nrf, 1932)。並装だが、本文二色刷(墨と朱)でそれなりに凝った造り。原著のイラストも二色刷で複製されている。内容は、都から旅立った中東(?)の王子に従う予言者になってしまった男が出口なしの状況を語るという筋立てで、何か時局を象徴か諷刺しているのかもしれないが、それははっきりとは分からない、散文詩の趣。

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『エル・ハヂ(ハジ)』は刊行の翌年和訳が出たことになる。この時代、日本でもジッドは人気があったのだろうか? ジッド全集は、本国では一九三二年から刊行され始めているが、日本でも早くもその二年後の三四年から建設社が刊行に手を着けた。その頃の若手で優秀なフランス文学者がこぞって翻訳に参加している(淀野隆三も!)。ただし、建設社版で「エル・ハヂ」を訳したのは堀辰雄だった。

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蔵書印アリ、記名書き込みアリ。「ミヨシ /大阪道頓堀」のレッテルも。よって格安だった。書き込みは以下のようなもの。

 To M. Okamoto

 Presented by Pro. Y. Manabe
 at his study-room 
 1942

いろいろ想像させてくれる献辞ではある。
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by sumus_co | 2013-08-27 17:19

北海道駅名の起源2

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手持ちのアイヌ絵葉書を並べてみる。まずは「(北海道・アイヌ風俗)メノコのモダンな姿(川上恵美子さん)」と記載のある絵葉書。これは使用済みで、切手面には「弟子屈/不老泉温泉」の夫から兵庫県西宮市の妻へ出した文章がしたためられている。弟子屈は「テシカ・ガ」(北海道釧路総合振興局管内川上郡)で『駅名の起源』によれば「岩盤の下」の意。消印がはっきりしないけれど、どうやら昭和十一年四月のようである。

昨日の続きで「アイヌ語地名単語集」を見ていると、日本語との関係でいくつか興味深い発見があった。まずは昆布盛(コンプ・モイ=昆布・とれる湾)に使われている「コンプ」、これを昆布の語源とみなす人もいるようだ(日本の古語では海藻類は「め」と呼ぶのがふつう、例えばワカメ、昆布はエビスメなど)。昆布ブランドとして名高い利尻(リシリ〜リイ・シリ)は「高い山」の意だとか。それから能登半島の能登、これは「ノッ」(岬)と「ト」(海)……別の解釈もあるが、アイヌ語起源だということはほぼ確かのようである。いちばん興味を引かれたのは「オ[o]」。そこにたくさんある(いる)、そこに群生する、という意味。「多い(オホイ)」との関係を考えたくなる。もちろん小生が無知なだけでアイヌ語研究は本書の時期よりきっとずっと進んでいるのだろうから、日本語(と単純に言っていいのかどうか)との相互作用もかなり見極められているに違いない。

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「白老みやげ/宮本酋長の絵はがき」の袋。この中に三枚入っていた。袋の裏面に昭和三十年とペン書きあり。白老は北海道白老郡白老町若草町。宮本酋長は当時有名な人物だったようだ。

白老のアイヌ民芸館「ミンタラ」
http://blog.livedoor.jp/janjannews/archives/2540485.html

宮本酋長売店 北海道白老郡白老町若草町
http://www.ainu-assn.or.jp/zigyosha/16.html

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アイヌの生(出産)と死(墓地)、そして酋長の娘ならぬ孫。

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何度か行きつ戻りつ、地名単語集を眺めていると「オタ」とあってニンマリ。アイヌ語で「オタ」は砂、砂浜という意味で地名にはよく使われる。ウタと訛ることも多いそうだ。さらに一文字ずつバラせば、オは尻(尾と関係ありか?)、タは打つ、クは弓をそれぞれ意味する。「オ・タ・ク」とは「尻・打つ・弓」になる。

最後になったが「アイヌ」は「人間」という意味。日本人のことを「シサム(シャム)」(隣国の人)という。
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by sumus_co | 2013-08-26 20:41 | 古書日録

北海道駅名の起源

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『北海道 駅名の起源』(池田晴男編、日本国有鉄道、一九六二年三月一日十三版)。先日の中島峻蔵『北方文明史話』に関して「こういう本もありますよ」と某氏が送ってくださった。深謝です。

初版は昭和四年らしいが、人気があったようで、何度か改訂もされ版を重ねている。ざっと目を通してみても、駅名の由来を論じただけでなく、「北海道国郡名の起源」「アイヌ語地名単語集」「北海道の鉄道機構の推移」など、思わず読み込んでしまう内容になっているから、数多い重版も当然かもしれない。折り込み北海道鉄道図も付録している。

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地名の語源は先日引用した中島峻蔵によるものとは少し異なるところもある。改訂においては高倉新一郎、知里真志保、更科源蔵、河野広道ら専門家の検討を経たと序文で根来幸次郎(札幌鉄道管理局長)は述べている。代表的な地名についていくつか例示しておく。

札幌 サリ・ポロ・ペッ(その葦原が広大な川)

余市 イ・オッ・イ(それが群生する所)〜イヨチ(蛇の多い処)の転訛

旭川 チュウ・ペッ(瀬の早い川)の誤転チュプペッ(日の川)の意訳

稚内 ヤム・ワッカ・ナイ(冷たい飲水の川)

礼文 レプンケ・プ(沖へ突き出ている所)

根室 ニムヲロ(樹木の茂つた処)とされるが、メム・オロ・ペッ(湧壺・そこにある・川)

この本については明日以降もう少し紹介したい。下の写真は撮影場所、発行年など不詳の絵葉書。架蔵のもの。写真用ペーパーをそのまま絵葉書として使っているようだ。「ORIENTAL OK PHOTO PAPER」と印刷されている。おそらくは戦前であろう。

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by sumus_co | 2013-08-25 21:01 | 古書日録

斗南先生

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中島敦『山月記・李陵』(集英社文庫、一九九三年)が読みたくなったので、ブへひとっ走り。集英社文庫版だけ見つかる。かつて新潮文庫で読んだ記憶があるし、中島敦全集も持っていた(ただし、年譜が入っている巻だけ)。あの本たちはどこへ行ったのでしょう。

「山月記」は高校の教科書で習ったときの印象が強い。酔っぱらって文字通りの「虎」になった元詩人がクダを巻く話……だとばかり思っていたのだが、読み直すと、やっぱり実際その通りで、青年時代の感性に狂いは無かった。この文庫の口絵写真に「山月記」の舞台として河南省の山岳風景が掲げられているが、これは正直にもほどがある。おそらく新宿あたりの夜の繁華街の写真を掲げた方が良かったろう…。

冗談はともかく、単純に春日井さんの冊子に触発されて「斗南先生」を読んでみたくなったのである。出来栄えは悪くないが、まだ小説になりきっていない感じもする(単行本『光と風と夢』に収録の際に付した文章に「私記」として書かれたとされている)。とくに伯父の臨終間近のノートのあたりは、もう少し練ってもいいのではないかと思った。鴎外のようにもっと淡々と書いてもよかった。おそらく敦はそうは書きたくなかったのであろう。昭和初めに流行っていた新心理主義の影響なども考えてもいいかもしれない。

「斗南先生」は昭和七年頃に書かれた。若い敦のなかには伯父の生涯に対して何か釈然としないものがあって、その遺稿集を図書館へ寄贈するのも何やらはばかられたのである。しかし十年を経た付記においては、その評価は百八十度変っている。敦は支那事変が起こった時、初めて伯父の著書『支那分割の運命』(大正元年刊行)を繙いてみた。二十世紀のアジアのあり方について伯父は大局をもって論じていた。

《支那事変に先立つこと二十一年、我が国の人口五千万、歳費七億の時代の著作であることを思い、その論旨の概ね正鵠を得ていることに三造は驚いた。もう少し早く読めば良かったと思った。或いは、生前の伯父に対して必要以上の反撥を感じていたその反動で、死後の伯父に大しては実際以上の評価をして感心したのかも知れない。
 大東亜戦争が始まり、ハワイ海戦や馬来沖海戦の報を聞いた時も、三造のまず思ったのは、この伯父のことであった。十余年前、鬼雄となって我に寇(あだ)なすものを禦(ふせ)ぐべく熊野灘の底深く沈んだこの伯父の遺骨のことであった。鯱(さかまた)か何かに成って敵の軍艦を喰ってやるぞ、といった意味の和歌が、確か、遺筆として与えられた筈だったことを彼は思い出し、家中捜し廻って、漸くそれを見付け出した。》

斗南中島端は散骨を言い残していた。見つけ出した色紙には瀕死の病者のものとは思われない雄渾な筆つきで次のような和歌がしたためられていた。

 あが屍野にみな埋みそ黒潮の逆まく海の底になげうて

 さかまたはををしきものか熊野浦寄りくるいさな討ちてしやまむ

この文庫本の口絵には「あが屍…」の色紙が写真版になって掲載されており「海」と敦がしているところは「潮」となっている。書風は雄渾というよりも亀田鵬斎の流れを汲む「フライング・ダンス」風であろうか。
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by sumus_co | 2013-08-24 21:18 | 古書日録

昭和八年の中島敦

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春日井ひとし『昭和八年の中島敦 昭和八年・文学者のいる風景 その1』(掌山房、二〇一三年八月)を頂戴した。深謝いたします。春日井ひとし氏は『サンパン』の同人のお一人。同じく同人だった矢部登さんの『田端抄』に刺戟を受けたのかどうか、それは分かりかねるものの、やや似通った小冊子のスタイルに自らの執筆への情熱を托されておられる。

その1とあるように《昭和八年に限定しての文学者列伝の一編です。昭和八年の時点に立っての、中島敦とその周辺の様子を描こうというもので》ということでこの年、中島敦が何をしていたのか、かなり詳しく調べて列挙してある。これが大変に面白い。

中島敦は昭和八年に東京帝大の大学院に籍を置いた。森鴎外を研究テーマとする予定だったが、横浜高女への就職が決まり、国語と英語の教師となる。四月には結婚を約束した橋本タカに男子が生まれている。そして伯父の中島斗南を描いた小説「斗南先生」書き上げるのもこの年。

《伯父は狷介にして自恃厚く、峻厳でいて狂躁、父撫山の薫陶を受け幼時から俊才をうたわれたが、まとまった仕事をなさず、職に就かず、妻をめとらず、飄然と旅に出ては大陸に長く留まり、かの地の人士と交わり、国事を憂え東洋の将来を談じた。しかしついに志を得ることなく、世を罵り人を罵って許すことを知らず、周囲に鬱憤をまき散らして、三年前に七十八歳でその生を終えていた。》

本書の冒頭は、その伯父の著作『斗南存藁』(勿堂中島遺著、中島竦編、文求堂書店、一九三二年)および祖父・中島撫山『演孔堂詩文』(中島竦編、私家版、一九三一年)を、それらの編者であるもう一人の伯父・中島竦より依頼されて帝大附属図書館へ寄贈しようとするが、どうも気恥ずかしくて、持参できず、郵便で送りつける、というところから書き起されている。《大学の図書館からは一月二十三日付けの寄贈の礼状が届いた》。これに関しては以下のサイトにも日付についての言及があった。

東京大学創立130周年・総合図書館再建80周年記念特別展示会
-世界から贈られた図書を受け継いで-展示資料解説
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2007/shiryo5.html

《『中島敦全集・第一巻』の冒頭に据えられた「斗南先生」には、「自分の伯父の著書を――それも全然無名の一漢詩客に過ぎなかつた伯父の詩文集を、堂々と図書館へ持込むことについて、多少の恥づかしさを覚えないわけには行かなかつた」と、回想されている。全集の解題では、敦が寄贈したのが「昭和八年一月二十八日」だったと記してあるが、総合図書館に現存する実物に押されている日付を見ると、「一月十四日」である。》(島内景二)

中島敦の父田人(たびと)は撫山こと中島慶太郎の六男であった。撫山は幕末に日本橋の豪商の家に生まれ、亀田鵬斎の子の亀田綾瀬に学んだ。二十九の歳に私塾「演孔堂」を開塾。四十で埼玉の久喜に移住し私塾「幸魂教舎(さきたまきょうしゃ)」を開く。地域教育において功績を残し明治四十四年に歿している。七男三女があった。

斗南は志を得なかったかもしれないが、もう一人の伯父中島竦(しょう)は着実な漢学者としての実りある生涯を終えたようだ。

《同じく漢学者であっても竦伯父は落ちついた学究である。古代の漢字の研究をしながら、漢学塾で支那語と蒙古語を講じていた。白髯を二尺近くも伸ばした風貌は隠者然としているが、甥からは〈お髯の伯父〉と慕われている。それに引き替え斗南伯父の髯は黄色く染まっている。》

村山吉廣,關根茂世『玉振道人詩存』明徳出版社 2012年07月
《中国ならびに日本に於いて前人未到の学問的業績をあげながら、名利には一切かかわらぬ樸学をもって自ら任じた玉振中島竦。世事に通じ、人情を解した寧静寡欲の人品・風格が、歿後72年、簡明な評伝と新発見の詩歌で明かされる。》

竦は古代漢字の研究に先鞭をつけた人物で白川静もその業績を評価しているという。永井荷風の母恒は儒者鷲津毅堂の二女だったが、荷風以上に中島敦には漢学・儒学の血が濃く流れ込んでいたということである。いまさらながら『山月記』の秀逸な文体の遺伝子について納得してしまうのであった。

昭和八年シリーズ、その2は杉本秀太郎だとか、これは楽しみだ。
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by sumus_co | 2013-08-23 22:00 | おすすめ本棚

蒐集物語

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柳宗悦『蒐集物語』(中央公論社、一九五六年二月二八日、装幀=芹沢銈介)読了。少し前に、この中の「盒子物語」の粗筋を知る機会があって、何とも面白く、全編を読みたいものと思っていたら、ある古書目録に手頃な値段で掲載されていたのを折よく入手できた。後で調べてみると中公文庫版でもそこそこいい値がついているのでビックリ。

「盒子物語」の粗筋はこうである。大正の初め頃、柳は朝鮮京城の道具屋で染付に辰砂入りの可愛い盒子を見つける。一目気に入って予約、後日受け取りに行ったところ手違いで別人に売られてしまっていた。それから二年、李朝の蒐集家として知られた富豪、富田儀作の家でその盒子に巡り会う。手違いではなく道具屋は人を選んで売っていたのだ。柳は自分が先約だったことすら披露できずに指をくわえるしかなかった。しかし富田翁は数年後に歿し、コレクションは散逸してしまう。これでもう二度と盒子は手に入らないと諦めた。

昭和五年、柳はハーバード大学附属のフォッグ美術館に招かれてボストン近郊ケムブリッヂに滞在する。あるときボストンの山中商会を訪ね、朝鮮ものを探して地下室へ入ると薄暗い部屋に雑然と品物が置かれてあった。

《さうして重ねられたその箱を一つ一つ見て行った。ところが何たる奇遇か、その箱の一つから、例の辰砂の盒子と桃型の水滴とが肩を並べて共に現れて来たではないか。私は思はずも二つを掌の中にしかと握り、胸に抱いた。私は代金を支払ひ小さな包みを手に納めるまでは、それが現実の出来事とは思へなかつた。》

富田コレクションはほとんどを山中商会が引き受けていた。その一部がアメリカの各店舗に送られたが、まったく不思議な巡り合わせでボストン店に柳が想い続けていた盒子と桃型の水滴が届いていたのである。さらにそれらは米国では人気がなく地下室に長年放置されていた。

《私は多くのものを集めて来たが、こんなにも奇異な因縁に結ばれたものは少ない。又誰にだつて起る出来事ではない。それ故いつかこのことを書き記しておきたいと思つた。漸くその時が来て一部始終を綴るに到つたが、私の蒐集物語の中でも不思議でならない一例である。》

念ずれば通ず、ということか……それにしても。

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和讃の古版本を見つける話も、こちらは古本譚だけに興味深いものがある(レベルは違うがこのブログでも『正信念仏偈』を紹介した)。

《仏書を求める方は、今も京都を訪はねばならぬ。》《明治この方昔に比べたらさびれては来たが、これでも丁字屋、平楽寺などの名は、もはや古典的な香りがある。近年、貝葉書院、法蔵館、興教書院、護法館など、何れも仏書で名を広めた。古書を扱ふものに竹苞楼や細川がある。中で最も多く仏書を売るのは其中堂である。(東京の浅倉屋も森江も名があつたが、度重なる災害を受けて、昔ほどの蔵書がない。大阪にはひとり鹿田があつた)。》

柳は越中砺波の古寺で目にした色紙和讃(一枚おきに紙色が変る仕立てになった版本)にノックアウトされ、どうにかしてそれに類するものを見つけたいと京都を訪れていた。

《せめて室町末か慶長頃のものでも見出せまいか。今はもう稀な版本であるから無謀な求めと思へたが、再び若しやとも考へられて、次から次へと厭かず本屋を探つた。焼け去つた東京から来ると、京都の町々は物で埋もれてゐるほどに思へた。店々は美しく着飾つてゐるのである。書物も眼を忙しくさせるほどであつた。私は幾冊かのものを得たが、併し求める古書は容易に姿を現はさなかつた。
 だが如何なる宿縁によるのであらうか。之こそ奇縁と呼ぶべきであらうか。或は導きに依るのだと見るべきであらうか。求める者には与へられることが約されてゐるのか。既に授けられてゐるが故に、それを受けるに過ぎないのか。偶然なのかそれとも必然なのか。何れにしても思議を越える。私が夢に描いたその和讃が、突如目前に置かれるに至るとは。》

しかも値段は柳の支払える範囲の、どうして?と疑問を抱く程だった。

《だが果して私が求めたと云へるのか。誰かが私に求めさせてくれたのか。私が和讃を追つたのか、和讃が私を追つてくれたのか。「求めよ、さらば与へられん、叩けよ、さらば開かれん」と聖句は云ふ。併しもつと切な真理は、与へられてゐる世界の中でのみ求めてゐるのだと云ふべきではないのか。既に開かれてゐる扉を開きたいと希つてゐるまでに過ぎなくはないのか。得るものは一物もなく、贈られるもののみが凡てなのだと思ひ得ないであらうか。そこまで考へずば説き得ない謎である。》

こう考えて柳は宿命論あるいは運命論にたどり着く。すべて予定されていた宿縁だと。

《私はあり余るほど幸福なのである。かういふ本に廻り合はせてもらつたこと。こんなにも見事な本が存在することを知るに至つたこと。その美しさを感じる心まで授かつたこと。さうしてそれを求め得、座右に置くほどの恵みを受けたこと。それにこの悦びを頒ち得る多くの友達さへ与へられてゐること。いつでもこの本で日本の書物を語らせて貰へること。私は幾度となく厭かずその頁を繰つた。私は幾人かの親しい友人に報らせの筆を急いだ。さうして尽きぬ美しさの泉をそこに汲み、遂にこの一篇を綴るに至つた。》

気持ちは分かる。それにしてもこの舞い上がった調子は、やはり京都で古い絵画などを蒐集した岸田劉生にも通じる単純さがあって(首尾よく手に入れたときには「神様ありがとう」と日記に書くような)、ちょっとあっけにとられるくらいだ。

鶴見俊輔は《白樺派には書物蒐集家はいない》(『柳宗悦』)と柳が若き日に書物蒐集をした時期があったにもかかわらず、後年にはブレイクの影響から直観を重んじる方向へ転じたことを論じているが、本当にブレイクが柳をこれほど単純にしたのなら、それはまさに「神様ありがとう」と言わざるを得ない宿縁だろうと思う。
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by sumus_co | 2013-08-22 21:50 | 古書日録