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明理詩集

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漢詩集の写本を求めた。題簽がほとんど読めない。ただ、巻末に奥付的な覚え書きがあって、それと考え併せて表題は『明理詩集』としてよいであろう。弘化二年(一八四五)の夏から秋にかけて成ったもののようである。五言絶句ばかり百五首が収められている。

詩の内容はご覧のように、柳下坐、夏夜、谷上花、遊松下、夏山、遊水、深山、憂酒、夏深、月夜、夏月、谷深、遊山上、遊愛宕山……と山や川で遊んでは酒をくらってばかり。「愛宕山」とあるから作者は京住まいだろうか。「望天星少夜名月出東山」という表現も出ている(東山は単に東の山かもしれないけれど)。また「竹林酌酒飲酔向南風眠 水冷声蝉静西山微日憐」ともあって、西山に竹林の多い山城国に符号するようにも思える。

ただし「北海」「山青々海緑見谷多花紅」などの語句からして海が比較的近い場所に住んでいたととれるところもあって、そうだとすれば京都とは考えにくだろう(あるいは単純に観念的な詩的用語かもしれない、全体的にそういう常套句の多い作風である)。

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弘化二年に何があったかというと、二月に老中水野忠邦が辞職(天保の改革の失敗)、イギリス船が琉球にやって来た(前年にはフランス船が来航しオランダ船が国書を持参していた)。江戸城本丸が落成(前年、火災により焼失)。高野長英が脱獄。幕府は崩壊へ向かって一直線に進んでいた。

そんな激動の時代にこんなのんきな詩集が写されていた。もっとも、のんきな詩集でなければ、書けなかったということもあるのかもしれない。
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by sumus_co | 2013-07-30 21:04 | 古書日録

諏訪優関係資料一括

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『第22回東急東横店 渋谷大古本市』目録が届く。この古本市、発送は代引きのみなので注文する気持ちがしぼみがちなのだが、それでも一応はハラハラとめくって、探し物が出ていないかをチェックする(と言っても、何を探しているのかは小生もよく分らない、チカッとするタイトルがないかなあ……と)。

するといきなり巻頭カラー頁に「諏訪優関係資料一括」および諏訪優旧蔵書と思われるものが掲載されていて、ギョギョっとした。以前このブログでも少しだけ言及したケネス・エル・ボードワンによる「アイ・ポエム」作品も出ているではないか。雑誌などから切り抜いた文字によるコラージュ詩である。

洪水 第3冊 Kenneth Lawrence Beaudoin (1913-1995)
http://sumus.exblog.jp/10168430/

諏訪優については『彷書月刊』299号(二〇一〇年九月)の目録頁で石神井書林さんが見事な回想を執筆しておられるので、先日の鶉屋目録に引続いて度々の引用で申し訳ないが、以下に転写してみる。

《諏訪さんは、田端にあった六畳一間の学生下宿に住んでいた。壁の全面を黒い布で覆っていて、そこにギンスバーク(だったか)のポスターが貼ってある。まるでジャズ喫茶のようだった。
 本宅は練馬だったが、その頃は一人暮らしだった。ちょっとしたお金が必要になると(たとえば展覧会の案内状の送料とか)、「少し本を見てよ」と呼び出されるのだが、評価も何もない。その「送料」を申し上げるしかないのだ。
 学生時代、仲のいい友人が田端に住んでいて、私には馴染みのある街だった。諏訪さんは昼から水割りを飲みながら「ウチボリ君のお店、やっていけそう?」と優しい笑顔で心配してくれる。私の答えはいつも同じだ。「スワさん、人のこと心配してる場合じゃありません」。
 帰り際になって、「そうだ、これを上げようと思っていたんだ」と、自分で綴じた自筆の一篇詩集とか、絵と俳句を書いたポストカードだとかを持たせてくれる。ああいうのが諏訪さんのダンディズムだった。
 何年かして、諏訪さんは谷中のマンションに引っ越した。今度は二人暮らしだった。大きな窓があって、ずっと下に何本も線路が見えた。そこを終の棲家にして諏訪さんは一九九二年に亡くなった。》

歿後二十年を経て、旧蔵品の核心的な部分が古書の世界に現れた。
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by sumus_co | 2013-07-29 20:00 | 古書日録

報道写真家福島菊次郎とゆく

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題 名=My Private Fukushima 報道写真家福島菊次郎とゆく 
発行日=2013年8月15日
著者等=那須圭子 写真・文
発行所=みずのわ出版
http://www.mizunowa.com/index.html
装 幀=林哲夫

寸法等=B5判並製 タテ257mm

ちょうど一年前に同じ著者・那須圭子さんの『平さんの天空の棚田』を装幀させてもらった。頑張るおじいちゃんシリーズ第二弾(勝手に命名!) あの福島菊次郎に那須さんが迫っている。話題の人・山本太郎氏も登場。
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by sumus_co | 2013-07-29 17:36 | 装幀=林哲夫

ターバンを巻いた娘

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マルタ・モラッツォーニ『ターバンを巻いた娘』(千種堅訳、文藝春秋、一九八九年二月二〇日、装幀=中島かほる)読了。原題は『La ragazza col turbante』( Longanesi, 1986)でマルタの処女短編集である。イタリア語や歴史を教える教師だったが、演劇に興味をもって劇評を書き、プルーストなどの作家論もものしている。創作意欲の起こるままに一年一作のペースで短篇を書き上げ、一九八三年に批評家のピエトロ・チターティへ送った(本書に収録の前半三篇で「ターバンを巻いた娘」を含む)。チターティはこれらの作品にすっかり感心してロンガネージ社から出版されることになり、世界各国語に翻訳される出世作ともなった。

《身ごもった妻を残して、ハーグの商人ベルンハルト・ファン・リイクは海へでてゆく。まだ会ったことのない得意先のデンマーク貴族ヘアフールエの城に、一点の絵をとどけるためである。》

《何日もの航海のあと商人は城に着く。はじめて会う年老いた貴族は、一人の若い娘と一匹の大きな犬といっしょに暮らしている。海に近い、謎(なぞ)めいた不安のたちこめる広大な領地。静かだ。何も起こらない。若い娘とのつかのまの対話のなかで、何かが起こりそうな気配がふときざすが、それも影のように過ぎてしまう。一切がすでに起こってしまったので、もう時間のなかで起こることはなにもない。すべて時間のなかで起こることは、青いターバンの娘の絵のなかの、あの時間の彼方の世界にひそやかに引き取られてゆく。》

……とこれは本書に挟まれていた新聞切り抜きより(掲載新聞紙は不明)。「"時間の彼方"の物語」と題された種村季弘による本書の書評である。

《生(なま)の時間がことごとく物語の音楽的無時間に転位されてゆく一方で、ほとんど意味というほどの意味のない物語のテクスチュアからは、時間のなかで起こり得るおびただしい出来事が想像を通じて生成してくる。》

たしかに種村の言う通りで間違いはないと思うが、小説としては描写力が弱く、妄想を紡いでゆくような感じであって、そういう意味ではマルタがプルーストに興味をもつのは分かるような気がする。フェルメールもプルーストの小説を通して知ったそうだ。だから絵についての蘊蓄などは一切出てこない。それは潔くて小説としては何の問題もない、というかレトリックの一種として成功している。

人間が描けているか、というとそれも型通りであろう。背景も人間も描けていないのに、なぜか、かえって、面白味のようなもの(ようなものであって、いわゆる面白さではない)が宿っている。そこが作者のもっともユニークな着想だろう。筋立ては、モーツァルトやカール五世の周辺を描いていかにも時代劇映画に向いていそうなのだが、そのストーリー展開への期待をことごとく裏切って物語は進む、物語が進むというより時間が進む。アンチ小説と言ってもいいだろう。むろん歴史読物やエッセイ風ではない。不思議な味の作品群である。千種堅の翻訳が手堅い。
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by sumus_co | 2013-07-28 20:32 | 古書日録

ミニアチュール神戸展V vol.13 Cadeau

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7月27日〜8月7日

ギャラリー島田
http://www.gallery-shimada.com/

*

小生、珍しく人物デッサンを出品します。カドー(Cadeau、贈物)という今展のテーマとほとんど関係ないですが、パリ土産ということで「パリの少女」。タテが17cmくらいです。
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by sumus_co | 2013-07-28 11:49 | 画家・林哲夫

鶉屋書店

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東京都台東区谷中七丁目十八番地十三号にあった鶉屋書店の古書目録。発行日は記載されていないが、後述するように昭和五十三年のものである。

《改築のため永い間ご迷惑をおかけ致しました 誠にささやかな目録ではございますが 能うかぎりの極美本を選びました なお大変勝手なお願いでございますが 今回は御売約の品も特にお許しをいただき開店より三日間 当目録全品を店内に展示させていただきます 書棚にも精々お目に新しいものを差しいれます 何とぞ 御一覧を賜りますよう切にお待ち申し上げております》

《憶えば戦いに生き残り 遥々と帰りついた瓦礫の中から 古書店としての私の人生が始まりました 最初に売れた本が露伴の「五重塔」 何か因縁めいたものを感じます よいお客さま よい先輩 よい友達に恵まれながらも たどたどしく稔りの少ない道でした 古書もなりわいとなっては 一冊を願望することそれはすでに修羅です 最早や五十の坂を越えこれからの人生こそ私にとっては かけがえもなく貴重な附加というべきでしょう 所詮 修羅を負っての世界なら せめて思うまま信じるままに 何からも制約されることなく 自分の仕事を思いきりこの店の中で 楽しませてもらおうと心を括りました》

鶉屋書店飯田淳次については追悼集や評伝も出ているが、残念ながらまだ手にしたことはない。ただ、店には一度だけ入ったことがある。朝倉彫塑館を訪ねた帰り道、真新しい古本屋さんだなあ、と思ってふらふらっと入った。おそらく昭和五十四年だったはず。改装後間もない頃であろう。ガラスケースに稀覯本の詩集が収めてあったのが印象に残っている。「おや、こんな詩集が!」とまだ古本の世界にはさほど深入りしていなかったのだが、それでも知っているような有名な詩集が何冊もあったように思う(具体的には思い出せないけれど)。

この鶉屋目録は『第三回伊勢丹府中本店古本市』目録(二〇〇四年)に載っていた。石神井書林さんが出品していたのである。そこにこういう説明文が付いている。

《鶉屋書店は、谷中の一角にあった古書店。詩書の品揃えで知られた。昭和53年、瀟洒な店舗に改装し、その記念に作られた在庫目録。厚手の和紙を折り、24頁の冊子仕立てとしている。アンカット原装。掲載される詩集の189点はどれも逸品と呼べるものばかり。詩書を専らとする古書店は、これだけの品揃えをいっときに叶えるものかと思えば、我途は遥かに遠い。この二年後、つまり昭和55年に、私は初めて作った自店の古書目録を手に、鶉屋書店を訪ねた。思えばいい度胸であった。貧相な目録を、それでも店主の飯田さんは「これでいいんだよ」と言ってくれて、そのことがとても嬉しかった。「僕が君の歳にはまだ兵隊にとられていたんだから」、そう笑っていた飯田さんは、そのとき六十歳を目前。ところが、対面していた二十代の若造は、なんということ、今では五十歳を目前としている。改めて鶉屋書店古書目録を見れば、このラインナップは奇蹟なのかと、途方ない気持ちになる。昭和56年、飯田さんは病に倒れ、長い闘病生活を送る。そして、奇蹟のようなこの店を再開することなく亡くなった。》

う〜ん、そういう因縁があったのだ。文中「和紙」とあるのは石神井さんの勘違い、洋紙である。これを手に入れて、嬉しくて、湯川書房へ持参して、自慢しようかなと思った。そうしたところ、湯川さんは、一目見るなり「それは私が作ったんもんや」と言うではないか。鶉屋書店は湯川書房の本も扱っていたし、湯川さんは金策のため架蔵の詩集を売りに出かけたこともあるそうだ。こちらにもそういう浅からぬ縁があった。

言われてみると、たしかに湯川好みの仕上がりで、凝りすぎずに上品にうまく抑えてあると思う。表紙の書影は別刷りで貼付けになっている。これも上手い。一八九冊目、書目の末尾に湯川書房の本、高橋睦郎『頌』(一九七一年)が掲載されているのは、鶉屋さんによる湯川さんへの御礼、あるいはオマージュであろうか。


三稜亭敬白
追想 飯田淳次
「塚本」本を語る上で、書肆季節社の社主・政田岑生と古書肆鶉屋主人・飯田淳次を外すことはできない。

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by sumus_co | 2013-07-26 22:58 | 古書日録

戦後大阪のアヴァンギャルド芸術

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大阪大学総合学術博物館叢書9『戦後大阪のアヴァンギャルド芸術 焼け跡から万博前夜まで』(大阪大学出版会、二〇一三年七月一日)を頂戴した。御礼申し上げます。以前報告した「オオサカがとんがっていた時代」展の図録である。

阪大で「オオサカがとんがっていた時代」を見る
http://sumus.exblog.jp/20455100/

戦後、万博前夜までの大阪のアヴァンギャルド状況が、美術、デザイン、音楽、都市などのジャンルにわたって俯瞰されているが、やはり具体美術、グタイピナコテカの活動についてはとくに重要な資料となっているように思う。アルバムに写っている海外からの来訪者をざっと挙げると、ペギー・グッゲンハイム、小野洋子、ジョン・ケージ、ミッシェル・タピエ、サム・フランシス、ジャスパー・ジョーンズ、イサム・ノグチ、ロバート・ラウシェンバーグなどなど、大物ずらり。世界が注目していたと言って過言ではない。表紙の上の写真がグタイピナコテカ(醤油倉を改造した美術館)と具体会員たち。

詳しいことは本書をお求めいただくとして(2400円)、図版のなかで好きなものを並べる。まずは小石清「スマイル目薬」(一九三〇年)。小石については下記に少しだけ書いた。

レンズの狩人
http://sumus.exblog.jp/19040455/

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そしてジョン・ケージのオトグラフ。一九六二年の来日に際して草月アートセンターに送ったプログラム用原稿。

《I FEEL THAT MY GRAPH MUSIC IS CONCEIVED NOT SO MUCH AS A WORK OF ART BUT RATHER THE "WORKINGS" OF ART. OR PUT IN ANOTHER WAY : THE SOUNDS HERE ARE NEITHER DEPENDENT, INTER-DEPENDENT NOR RELATED TO THE WHOLE……YET THE "WHOLE" OF COURSE ENCOMPASSES THE ALL.》

これはさすがにジョン・ケージらしい禅問答のような言葉である。そういえば、ジョン・ケージを特集した『美術手帖』にケージのソノシートが付いているものがあったことを思い出した(一九七〇年一二月号でした)。

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フォンタナの作品二点。「イタリア現代絵画フォンタナ、カポグロッシ展」(一九六四年六月)より。典型的なフォンタナ作品だが、やはり現在の目で見てもスマートに決まっている。

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by sumus_co | 2013-07-25 20:39 | おすすめ本棚

水蜘蛛

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『乾河』67に掲載された冨岡郁子さんの「展覧会『パリの本屋さん』」に登場する古書店ポン・トラヴェルセの店主マルセル・ベアリュの代表的著作『水蜘蛛』(田中義廣訳、エディシオン・アルシーヴ、一九八一年一〇月一〇日、装幀=羽多良平吉他)の裸本を入手して読んだ。実際はゴージャスな飾函がついており、明らかに函の方が価値が高いと思われる。

表題作の「水蜘蛛」がよく書けている。カフカの「変身」に類似したメタモルフォーゼが主題だが、そこはフランス人らしく色っぽい仕掛けになっている(その分、深みには欠ける)。

一九〇八年、ベアリュはロワール河流域のセル・シュル・シェールに生まれ、ソーミュールで幼年時代を過ごした。パリへ出た後、一九三一年モンタルジス県のモンタルジスという町で帽子屋になった。三二年に処女詩集を刊行。三七年にマックス・ジャコブと知り合ったのをきっかけにジャン・コクトーをはじめ多くの詩人たちの知遇を得た。

一九四五年、パリに戻る。まず郊外のサンジェルマン・アン・レイで古家具店を営み、次いで四九年、パリ七区のリュ・ド・ボーヌに古書店「Le Pont traversé」(ジャン・ポーランの小説のタイトルだそうだ)を開店。サン・セヴェラン寺院の近く(ソルボンヌのそば)に移転した後、ヴォージラール通り六十二番地の肉屋だった建物に移った(現在もそこで未亡人によって営業中)。五五年より雑誌『秘密の現実 Réalités secrètes』をルネ・ルージュリ(René Rougerie)とともに刊行(〜七一年)。九三年歿。

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田中義廣「ベアリュを訪れて」に付されている写真より。ベアリュと若妻のマリー・ジョゼ。

《マルセル・ベアリュ氏は現在、パリ、リュクサンブール宮殿の近くで「ル・ポン・トラヴェルセ(渡られた橋)」なる看板を掲げた古書店を営む。かねてより彼の作品を愛読していた私は、一九七九年夏の訪問以来ふたたび渡仏して、八〇年秋、彼のもとを訪れた。文学(特に幻想文学、シュールレアリスム、詩)と美術書を専門にしたこの店で彼は忙しく働き、執筆は午前中にするという。原稿を清書するタイプライターのリズムに合わせて、豊かなバリトンの声で歌を口ずさむベアリュ氏は元気そうであった。
 彼と彼の若き伴侶マリー・ジョゼに迎えられた私は、二階の住居へ案内された。皮表紙の貴重な蔵書が収められたガラスケースを踊り場に見、献呈本がところ狭しと並ぶ廊下を通り抜けて居間に入る。ベアリュ氏自身の手による水彩画が収められたその部屋で、この日、私たちはゆっくりと語りあうことができた。》(ベアリュを訪れて)

函の写真を探し出した。ここに幅広の帯が付く。
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版元のエディシオン・アルシーヴにも興味を覚える。巻末の書目を見ていると、ド・クインシー『芸術としての殺人』(川島昭夫+法水金太郎・共訳)というのがあった。これは、これは、びわこのなまず先生と古本邪鬼横山先生のコンビではないか(!)。本書の編集人は訳者夫人の生田智恵子で、検索によれば生田耕作の姪にあたるそうだ。季刊誌『ソムニウム』という雑誌も刊行していた(四号まで?)。エディシオン・アルシーヴに要注意である。
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by sumus_co | 2013-07-24 20:38 | 古書日録

僕、馬

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扉野良人氏より『藤井豊写真集 僕、馬 I am a horse』(りいぶる・とふん、二〇一三年六月二一日、書容設計=扉野良人)が届いた。一年以上前から、藤井氏の写真集を作ると聞いていたのが、仕上がったのである。藤井氏が《2011年3月11日、東日本大震災発生一ヶ月後の4月11日より約1ヵ月余りを東北沿岸を歩いて撮った写真集》だそうだ。扉野氏らしいこだわりのうかがえる美しい写真集だ。

震災後一ヶ月というと、生々しい光景が連続するのかと思い勝ちだ。実際、ニュース映像でくり返し見せられたような破壊の生々しさを撮った写真も随所に登場する。するには違いないが、全体のトーンは淡々と、一歩引いたような旅人の、歩かないではいられない切迫感も感じさせながら、静かな日常が写し取られている。日常……、地震と津波と原発崩壊(当然ながら写真には現れないが、現れないことによって一層深いところから脅かされるようでもある)さえも、すでに日常でしかない。そんな凄みを感じさせる写真集になっている。

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栞で荻原魚雷、河田拓也の二氏が藤井氏のことを語り、本文には季村敏夫さんの詩「枯葉を拾う」が挿入されている。

 頭蓋 骨片
 雨ざらしの壁
 潮騒の向こうから
 この馬鹿面は
 どうみえているのか

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藤井氏は旅から帰り四十三本のフィルムを現像したと書いている。36枚なら1500カット以上だ(これが全部ではなかったそうです)。巻末にベタ焼の図版があるが、そこでは、本文の選び抜かれた写真の連続とはひと味違った、写真家の眼の動きが生に感じられる。展覧会ならこの流れを生かせるかもしれないなと思う。


『 僕、馬 I am a HORSE 』りいぶる・とふん 刊行
2013年7月20日 発売開始
http://d.hatena.ne.jp/tobiranorabbit/20130717/1374057098
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by sumus_co | 2013-07-23 20:46 | おすすめ本棚

蔵書の苦しみ

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岡崎武志『蔵書の苦しみ』(光文社新書、二〇一三年七月二〇日)読了。「蔵書の苦しみ」というタイトルがうまい。著者も「あとがき」で書いているように

《「本が増え過ぎて困る」というぼやきは、しょせん色事における「惚気(のろけ)」のようなもの》

「苦しみ」のないところに「楽しみ」は存在しない。蔵書における究極の愉楽、それは蔵書について苦しみ抜くことではないだろうか、と本書を読んでサド・マゾ的に思ったしだいである。内容の説明よりも目次を掲げるのが手っ取り早いしまた、この目次そのままの内容である。

第一話 蔵書が家を破壊する
第二話 蔵書は健全で賢明でなければならない
第三話 蔵書買い取りのウラ側
第四話 本棚が書斎を堕落させる
第五話 本棚のない蔵書生活
第六話 谷沢永一の場合
第七話 蔵書が燃えた人々
第八話 蔵書のために家を建てました
第九話 トランクルームは役にたつか?
第十話 理想は五百冊
第十一話 男は集める生き物
第十二話 「自炊」は蔵書を解決するか?
第十三話 図書館があれば蔵書はいらない?
第十四話 蔵書処分の最終手段

どの話も面白すぎるが、ひときわ興趣をおぼえたのは「古書西荻モンガ堂」富永さんの第九話、羽島書店羽島さんの「羽島書店まつり」そして「岡崎武志一人古本市」における蔵書最終処分法(第十四話)。ブログなどによって「羽島書店まつり」も「岡崎武志一人古本市」も知識としては知っていたが、東京在住ではないうらみもあって、参加することはかなわなかった。本書を読むと、たいへんな賑わいで、大成功のイベントだったことがリアルに感じられる。羽島さんは東大出版会で『知の技法』を編集した方。その羽島さんの本を売った古書ほうろうの宮地さんはこう言っている。

《羽島さんは、近くの書店『往来堂』へ毎日のように通って、どんどん本を買っていく。本を見て、選んで、買うことそのものを、出版という仕事の活力にしていくという感じで、だから、けっこう未読の本も多い。段ボールを開けたら、書店の袋に入ったまま、なんて本もありました》

これはなかなか意味深い観察だ。本を買うことの本質を衝いているのではないだろうか。書店の袋に入ったままだから、羽島さんがその本を読んでいないとは限らない。少なくとも、書店で手に取ったときにタイトルその他、主要な情報は読み取っただろう。何よりも、お金を出して買い取ったことに大きな意味がある。

本を買うということは(決して「読む」ではなく)、自分のものにする、血肉にする、活力にすることそのものである。その意味では食事に近い行為かもしれない。ちょうど黙示録でヨハネが本を食べたようなものである。

《彼いふ『これを取りて食らひ尽せ、さらば汝の腹苦くならん、然れど其の口には蜜のごとく甘からん』われ御使の手より小さき巻物をとりて食ひ尽したれば、口には蜜のごとく甘かりしが、食ひし後わが腹は苦くなれり。》(『新旧約聖書』米国聖書協会、一九一四年版、黙示録第十章第九〜十節)

口には蜜のごとく甘いとは、よく言ったもの。本を買う誘惑の甘さ。そして自分のものとした後の苦さ。たくさん食べれば太ってしまう。日々の積み重ねによって、どうしようもなく肥大した肉体、そこからまさに「蔵書の苦しみ」が生まれるのだ。

そしてその決定的ダイエット法として蔵書家の前に出現したかのような電子書籍についても、ダイエット嫌い(?)の岡崎氏はこう考えている。

《これまで出版されたすべての書籍や雑誌が、すべて電子データ化されるとはとても思えないから、「紙の本」でしか残らない情報もあるはずだ。歌手・弘田三枝子のダイエット本『ミコのカロリーブック』が、電子書籍になる日は来るだろうか。》(あとがき)

出た!『ミコのカロリーブック』。ただ、小生の考えでは、すべて電子データ化される可能性の方が高いような気がする。ただし、そのことと紙の本の存亡とは別次元の話であろう。また「第十一話 男は集める生き物」にも多少の異論があるけれど、それについてはいずれ、どこかで書いてみたいと思うので、ここでは書かないでおく。

何はともあれ、暑さを吹っ飛ばすにもってこいの痛快な一冊である。




これまで紹介した岡崎氏の近著

上京する文學
http://sumus.exblog.jp/19326754/

昭和三十年代の匂い
http://sumus.exblog.jp/20437247/

ご家庭にあった本
http://sumus.exblog.jp/18085945/
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by sumus_co | 2013-07-22 21:44 | おすすめ本棚