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祝祭、あるいは文学 3

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本日の生田耕作はこちら『太陽』一九九九年六月号(平凡社、一九九九年六月一二日)「作家のスタイル」より「全身愛書狂 生田耕作」。《家ではいつも和服だったというが、これは珍しく洋装》というキャプション。フランス文学者としてはこちらの方が似つかわしいだろう。他にも書斎や書庫などの写真がいくつも載っている。バタイユの『マダム・エドワルダ』のタイプ原稿、ピエール・ルイスの書簡、ブルトン『狂気の愛』の自筆原稿を拡げて並べた写真はじつに興味深い。そして坂井氏が言及していた和本の山積も論より証拠。

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アスタルテ書房さんのコメントも載っていて

《「先生はね、厳しいコレクターでしたから状態の悪い物は嫌われましてね。読めればそれでいいなんて集め方はされなかった。いつも一番いいものを選んでいかれる」》

という集め方だったらしい。小生のような虫穴だらけの和本数奇には他山の玉とすべき言葉だが、玉で石は磨けないか……。

また、生田かをるさん談のなかにこういうくだりがある。

《子どものころは「少年倶楽部」の愛読者で投稿マニアだった。優良読者として表彰された時の賞状が大切にとってあって、書庫の一番目立つところに飾っております・「これが僕の唯一の賞や」って。結局そのころから、無邪気な偏愛ぶりは変らなかったということなんでしょうね。一生、本を買い通し。》

先に「生田耕作、清冽の美学」で引用した書庫の写真にうやうやしく飾られた賞状が写っていた。お気づきの方もおられるだろう。生田耕作らしくない、うやうやしさだと思ったら、こういうことだったのである。納得。

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「書籍購入控帳」と書かれた大学ノート。《支払いの明細がびっしりと書き込まれている。支払い済みのものは赤線で消していく》

ふたたび坂井氏の記事より。

《生田耕作が主宰する漢詩文の輪読会に加わった。私の家にも板本が知らず知らずに集まってくる。古書画を探し求めて、寺町から、縄手、古門前、東山通へと生田耕作の供をするようになるのには、さして時間を要しなかった。輪読会は和風サロンとでもいえばよいだろうか。終わるとサロン同様、すぐに酒盛りが始まる。ともすると酒盛りが目的か、輪読会が目的か分らない気分になる。やはりこれも祝祭であった。》

平成元年、生田耕作は京都府が打ち出した鴨川改修計画に憤然として反対した。社会運動には無縁の人だったが、四条大橋近くで生まれ育った生田には許せない改修計画であった。

《「京都府の役人どもは、鴨川の風流な光景が文化だということがまったく分からん。無教養人ばかりだ」「こんな無粋な役人をいただいている府民、市民っこそいい面の皮やね」と憎まれ口をたたき、しゃべるほどにいよいよ熱を帯びて、この分では熱弁を振るって徹夜もしかねない勢いであった。行政批判を盛り込んだパンフレットを発行し、いかに鴨川の風景が魅力的で美しいかを絵画資料で証明せんとした絵画展を開くといった孤軍奮闘の運動が実ったのかどうかは分からないが、四条大橋あたりの鴨川の川底を掘り下げるという改修案は撤回された。》

そのパンフレットというのがこちら。『「日本文化研究会」会報』一号「いい加減にしろーー「鴨川改修計画」批判」(日本文化研究会、一九九〇年四月二〇日)である。この冊子には『鴨川を哭す』(エディション・イレーヌ)がセットで付いている。『「日本文化研究会」会報』は以下四号まで発行された。二号「木水彌三郎 洛中洛外雜詠抄」(一九九〇年九月三〇日)、三号「風景は文化なり 鴨川東岸「花の回廊」整備計画批判」(一九九二年一一月二〇日、)、そして四号はすでに紹介した「江戸のボードレール 柏木如亭を偲ぶ 如亭墓碑復興記念」(一九九八年九月三〇日)で歿後に刊行された。

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平成四年春頃にはすでに体調不良があらわになっていた。それでもエリファス・レヴィ『高等魔術の教理と祭儀ー祭儀編』の翻訳を続けながら漢詩輪読会をも止めなかったという。

《八月、夏負けしたといって流動食ばかりとなり、輪読会は主宰者を欠くことになった。検査だけのつもりだったが、病院に行くとそのまま入院となってしまった。前立腺癌であった。》

《深夜まで病室で、原稿に手を入れ、フランス語や英語の原書を読んで動き回るとあって、病人仲間から敵視されていた。
 入院は二週間で済んだ。薬物による治療ということであった。退院二三日後、夜中に電話があった。「寺町の古書画屋に、大窪詩仏の扇面と棕隠の先生の伴蒿蹊が賛した画があるね」といって、ひとしきり内容についてあれこれいう。さすがにあきれてしまった。》

翌年二月、再入院ということになって、親しい人を双蓮居に呼んで一日かぎりの谷崎本の展示会を開いたという。それまでもときおりテーマを決めて開かれていたようだが、入院直前の展示会には「あるいは」という一抹の不安があったのかもしれないと坂井氏。しかし、手術後の経過も良く、以後一年余り、『フランスの愛書家たち』を改訳、決定版『超現実主義宣言』、輪読会の成果に基づく『洛中洛外漢詩紀行』をまとめ、『卑怯者の天国 生田耕作発言集成』を刊行した。

平成六年七月、癌は全身に転移していた。

《衰弱していく体を病床にうずめながらも、あるいはカタログにお気に入りの古書画を見つけて求め、掛け軸を点滴のフックに掛けて楽しみ、あるいは夢に西欧にまで成島柳北を追い駆けていき書画を譲り受けたといって心を躍らせた。九月に入って、鷹峯の双蓮居に帰った。愛惜おくあたわざる蔵書や古書画を身にまとおうとするかのように。やがてホトトギスが咲き始め、山田一夫や長田幹彦が愛した嵐山の旅館「ほととぎす」を思わせるこの花を枕辺に飾り、いとおしみながら、闇の向こうへ旅立って行った。
 葬儀は十月二十三日、京都市左京区の大乗寺を式場にして無宗教で営まれた。読経の代わりに宮薗節の「鳥辺山」が流された。》
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by sumus_co | 2013-05-04 21:42 | 古書日録

祝祭、あるいは文学 2

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ひつこいようだが、生田耕作。上の映像は一九八三年に生田が日曜美術館に出演したときのひとコマ。ベルギー象徴派のクノップフについて語っている。やはり某氏にお借りしたもの。喋りはやや固い感じでフランス語や日本語も少し言い間違えたりしているが、それもご愛嬌ということで、貴重な動く生田資料である。

昨日の坂井輝久「祝祭、あるいは文学」の続き。

《このような愛書家であるから、生田耕作を囲む人たちには無類の愛書家が多い。出張先で仕事もそこそこにひたすら古書店めぐりに奔走する人、銀行の貸金庫を借りて稀覯本の安全を図る人、紙魚その他の害虫や日焼けから本を守るために食品の真空包装を応用して蔵書の密封保存に努める人、まさに生田耕作編訳『愛書狂』に登場する人たちを地で行く愛書家たちである。》

《京都に戻った鷹峯閑人生田耕作は、連日のように寺町筋や古門前、東山三条近辺の古書店や書画屋に出没して、和本や古書画を買いあさっていたらしい。江戸漢詩文で、その御眼鏡にかなった文人は、京都の粋文人の中島棕隠と江戸の吟遊詩人の柏木如亭が東西の両横綱であった。鷹峯の家「双蓮居」には続々と古書画や和本が蓄積していって、訪れるたびに最近家蔵となった逸品について、ひと講釈ある。書は掛け軸を床の間にかけ、壁に額を掲げて、朗々と一読して披露に及ぶ。》

 楼燈 影なくして水声〓(さわが)し
 一片の残蟾 寂寥を照らす
 少女十三 よく客に慣れ
 風露を辞せず送って橋を過ぐ

《「いいねェ。茶屋の明かりも消えた深夜、寂寞として花街を月明かりだけが照らしていて、そこをまだわずか十三の舞妓が客を送っていく景だね。棕隠の『鴨東四時雜詞』の中でも名詩の一首だね。鴨東花街の遊趣と鴨川の深夜の風情が見事に詠まれている」》

鴨東四時雜詞
http://sumus.exblog.jp/19432981/

集め出すと徹底するとは昨日も引用したが、中島棕隠についてはこんな具合だった。

《机を二つ並べて、和本を一面に陳列し、周囲の壁や床には掛け軸や屏風がある。すべて中島棕隠の本であり書である。和本は詩集、小本の狂詩集、洒落本、歌集、写本の春本まである。なかに稀覯本の『鴨東四時詞』や『蝶々詩』、漢籍書誌学者で蔵書家の長澤規矩也旧蔵『水流雲在楼集』などもある。「棕隠の板本は、あと『嵯峨小稿』を残すだけになったね。これだけは目下のところ複写で読むしかない』。書は漢詩の掛け軸や額のほか、美人画や四君子図に賛した作品まである。》

これはお勉強ではない、楽しくて楽しくて仕方がないのだ、と坂井氏は評しておられるが、まさにその通りだろう。以前、TV番組で白川静が日々漢字の研究に没頭していることについて、同じように語っていた。研究(かな?)は楽しくてしょうがないものなのだ。

明日も坂井稿をもう少し紹介したい。
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by sumus_co | 2013-05-03 21:27 | 古書日録

祝祭、あるいは文学

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同じく『D STYLE』掲載の写真より。「ダンディズム」の自筆原稿か。

生田耕作反故原稿
http://sumus.exblog.jp/14800128/

某氏より『D STYLE』とともに『新潮』二〇〇四年八月号のコピーも頂戴した。それは坂井輝久「祝祭、あるいは文学 鷹峯閑人生田耕作没後十年」と題された回想記である。坂井氏は生田耕作の一番弟子ともいうべき人物。

生田の住居についてこう書かれている。

《民家が並ぶ中に、ベージュの壁の四角い家が見えてくる。お世辞にも瀟洒なとか、粋なとか、そのような修飾語のどれもがつけがたい、一見してプレハブと分る家。私はこの家にどれだけ通ったことであろう。平成六(一九九四)年十月二十一日未明、フランス文学者、生田耕作はこの家で亡くなった。》

《この家は誰が名づけたか知らないが、俗に「セリーヌ御殿」と呼ばれた。昭和三十九(一九六四)年、生田耕作は卑語俗語を吐き捨てるように書き連ねた難解な文章の『夜の果ての旅』を足掛け三年かけて翻訳し、中央公論社「世界の文学」全集の一冊として刊行した。》

この中公のセリーヌは小生も面白く読んだのでよく覚えている。第一次世界大戦の雰囲気が如実に伝わってくる始まり方、逃亡するように落ちて行った暗黒アフリカの描写も新鮮だった。生田訳で感銘したのでガリマールのフォリオ版もかじってみたけれど、セリーヌ、したたかに上手い文章である。

《当時、出版界は全集ブームで、この翻訳の出版によってまとまった印税が入ったことは間違いないが、鷹峯の新居を「セリーヌ御殿」と呼んだのには多分にやっかみもあってのことであったろう。いまは二階建てに増築されているが、最初は平屋のささやかな家であったと聞いた。》

昭和四十三年に京大へ入学した坂井氏は友人に連れられて生田のサロンへ加わった。

《サロンは何の予告もなく突然始まる。場所は大方、百万遍の北にある喫茶店「学士堂」であった。生田耕作は名うての休講魔である。新入生相手のabc(アベセ)から始まる語学講義が面白い訳がない。いくつもの翻訳の仕事を抱えて、大学への出講は最少日数の最短滞留時間を心がけることになる。掲示板にしばしば休講の張り紙があった。それでも講義があると、目ざとく見つけた先輩諸氏が授業潰しに襲い掛かる。教室の廊下から、手を振り、コーヒーミルをギリギリ回す仕種を大仰にやる。》

《「文学は教室で教えられませんよ。お勉強で小説を読むわけじゃなし」
 生田耕作がこう言うと、喫茶店内の幾つものテーブルからイスを寄せてきて取り囲んだ学生たちが「そうだ、そうだ」とばかり応じて、止めどもない話が沸き起こる。レーモン・クーノーがどうの、ブレーズ・サンドラールがどうの。》

《集まった誰彼がよんどころない用事で一人立ち、二人立ちするのを潮にサロンは解散となる。このとき、抜け目なくそっと生田耕作の顔色を窺う。去っていったあとで、誰かがいう。「きょうは『ゲリラ』だ」。三、四人が「よし、行こう」と応ずる。「ゲリラ」というのは、京都祇園の縄手通を四条から少し下ったところにある「ぎおんビル」五階スナックである。この勘が結構当たる。生田耕作が現れるのである。こうなったら、サロンの再開、酒が入って祝杯に次ぐ祝杯、一気に祝祭は最高潮になる。》

と、このように引用をしていてはキリがないが、生田耕作を取り巻く一九七〇年前後の空気がじつによく伝わってくるように思う。

一九七二年に生田は京都を離れ神戸に住む。『バイロス画集』摘発事件を経て、京都に戻るのは八七年である。セリーヌ御殿はこの転居を機に「双蓮書屋」「双蓮居」と名付けられ、江戸後期漢詩への傾斜があきらかとなる。神戸時代から「敗荷」と号していたが、さらに鷹峯閑人(おうほうかんじん)、鴨東酔史(おうとうすいし)という別号を用いた。

《後から聞けば、もともと江戸の戯作文学を愛読してきたが、いつか日本の文人の漢詩文も耽読してみたいと思っていたところ、市島春城の旧蔵書を受け継いだ蔵書家の練木準のコレクションなどが一括して古書店に出たので、この際、もう後戻りできないよう踏ん切りをつける意味で購入したという。「何かやろうとするときは、君も絶対逃げられないように自分を追い込むことだ」。親切な教訓付きで話してくれた。》

なんとも過激な……。
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by sumus_co | 2013-05-02 20:52 | 古書日録

生田耕作、清冽の美学

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某氏より頂戴した雑誌『週刊ダイヤモンド臨時増刊 D STYLE』(ダイヤモンド社、二〇〇〇年四月三〇日)に「孤高の反時代的文学者 生田耕作、清冽の美学」という記事がある。というかこの記事があるのために某氏はこの雑誌をまとめ買いされたそうだ。熱烈生田ファンなのである。

しかしファンならずともそのカッコ良さには唸ってしまう。一度だけご本人を某書店でお見かけしたことがあるが(たぶん八〇年代後半だったと思う)、そのときはピッタリした黒っぽい背広姿で、せっかちそうな立ち居振る舞いも印象に残っている。

本書は歿後の鷹峯の自宅(双蓮居・そうれんぎょ)を紹介しながら、夫人の回想を多く引用し、生田耕作の生活の一端をうかがわせてくれる内容だ。

《「生田はよく『日本男子は着るもののことで思いわずらうなんて恥だと考えていたもんだ』と言ってました。そう言いながら『あいつはもっちゃい(田舎臭い)やつや』なんて、結構男の恰好を気にしていたようです。男の派手な服装は特に嫌っていました。『きみ、なんやその真っ赤な靴下は』なんて、若い客人にずけずけ言ってましたから」》

《書斎では洗いやすいウールの着物、外出には紬と着分けたが、どれも渋い色に限られた。洋服の趣味と同じである。その代わり盛夏には小千谷縮を涼やかに纏った。》

《冬には夫人が杉綾の洋服地で仕立てた角袖(和服用コート)を粋に羽織った。二重回し(英国のインバネス・コートを改良したもので"とんび"とも呼ぶ)を天神さんの骨董市で手に入れたが、ケープがついたりして大仰で目立ちすぎ、結局は着なかったそうである。》

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これは漢詩用の机だという。右手に掛かっている軸は中島棕隠であろう。晩年、集中的に蒐集していた。

《「毎日六時か七時に起きて、すぐに机に向かうんですが、本を読んだり、古書の繕いをしたりして、なかなか仕事に取りかかりません。『翻訳に取りかかるのは決心がいるんや』と言ってました」
 昼食後は夫人の弾く長唄の三味線を聞きながら一時間ほど昼寝をして、午後からは古書店や書画屋を覗いたり、仕事の続きをしたりが生田氏の晩年の日課であった。》

そして生田耕作の好き嫌い。

《ジーンズも『あれは労働着や』と言って、絶対に身につけませんでした。》

《『冷や酒は飲むもんやないと母親に教えられた』言うて、日本酒は必ず燗をして飲みました。》

《辛口の日本酒以外は滅多に飲みません。ウイスキーは『牛追い(カウボーイ)の飲み物や』と言って飲みません。フランス文学の同僚教授がたちがワインの蘊蓄をひけらかしたりすると、『フランス語が満足にできんやつに限ってワインに詳しいんや』と笑っていました。嫌いな食べ物はくさやの干物。それから鯨。『あんな自分の体より大きいものが食えるか』って言うんです》

いや、このコメント、まるで落語に出て来そうなキャラクターではないか。反骨というか偏見の塊といった方がいいかもしれないが、そこがまた生田ファンには堪らない魅力なのであろう。

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《専門のフランス文学をはじめ、英米文学などがぎっしりと収められた書庫は生前そのままに残されている。数え切れないほどの蔵書にはすべて目を通したという》

この時点では生前そのままに残されていた生田耕作旧蔵書は、その後、古書の市場に流れ出たが(ブルトンやバタイユのオトグラフも所蔵していたし、稀覯書も多かったようだ、「生田耕作旧蔵書」で検索するといろいろヒットする)、某氏によれば、現在では書物ばかりでなく、双蓮居そのものも跡形もないという。
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by sumus_co | 2013-05-01 21:04 | 古書日録