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神戸のモダニズムⅡ

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ゆまに書房から季村敏夫さん編集の『コレクション・都市モダニズム詩誌 第27巻 神戸のモダニズム Ⅱ』が刊行された。季村敏夫さん自身の紹介文が届いたので掲げておく。座右に一冊あれば……いいなあ。

《三月つごもり、懸案の仕事にようやく目処がついた。昨年から手がけていたもので、一九三〇年代神戸のモダニズム詩の編集だった。第二期全十五巻都市モダニズム詩誌(東洋大学教授和田博文監修)を刊行中の「ゆまに書房」からの依頼で、年表作成、概論、そして、竹中郁、福原清らの『AIR POCKET』、第二次『羅針』(全十一冊)、『一家』、亜騎保や小林武雄らの第四次『神戸詩人』(全五冊)の復刻、解題をひき受けた。
 調べものは苦手、こまめにメモをとる習慣などなく、あれはどこの誰の記述だったか、探し出すのにひと苦労の日々。手こずった。三〇年代の神戸詩史、先鞭は君本昌久がつけている。その基礎を背負い、誤植と錯誤を直し、足りないところを補い、さらに大幅にふくらませることがポイント。詩史は四百字詰原稿用紙五十枚まで、神戸の場合、十枚も書きこめばあとは空白になる。そこで、雑誌や単行本の刊行以外に、歴史的な出来事はいうまでもなく、文化や社会、芸能面まで触手をのばし、重層する時間の祝祭面を切り取ってみた。以下は、年表の冒頭と最終部である。

昭和五(一九三〇)年
一月十二日付神戸新聞の読者詩短歌投稿欄『神戸・文藝』(選者は富田砕花)に関西学院中学部に通う十六歳の足立巻一の歌(破れたる行李をとけばなつかしき香にかも似たる古紙の香ひ)、二月二十二日付同欄に十五歳の米田透(足立巻一の『親友記』では川崎藤吉で登場)の歌(新妻をめとりし友はこの日頃遊びに来よと文をくるヽも)、二月二十八日には、詩村映二(三十歳)の詩(「俺の心はどうか」)が載る。

昭和十五(一九四〇)年
一月一日付神戸新聞に「皇紀二千六百年新春を壽ぐ健全娯樂陣」という大見出しで、榎本健一、二村定一、高勢實乘が出演する「エノケンの弥次喜多」(原作波島貞、脚本八住利雄、演出中川信夫、阪急會館)の広告が掲載される。
創刊された詩誌は七月発刊の『BLANCO』(大岡昇平編輯。表紙鳥海青児。執筆者は浅野孟府、鮫島麟太郎ほか。神戸市葺合区中尾町五四旭アパート)のみである。

 エノケン、二村定一(ふらむらていいち)、高勢實乘(たかせみのる)、名をつぶやくだけで心躍る。林喜芳と交友があり、詩集『業』(雑草社、一九八一年)をもつ中川信夫の演出もうれしい。このような芸能面のほか、バラケツ(当時の不良少年)が徘徊する盛り場に触れてみた。ソシアル(神戸区三宮町)、花隈(北長狭通六丁目)、キャピトル(三宮町)、ダイヤ・クラブ(浪花町)などのダンスホールをピックアップ。闇のはなやぎにおびかれ、音楽家の貴志康一や写真家の中山岩太などが夜な夜な集っていたからである。
 竹中郁よりひと世代下の亜騎保や岬絃三、足立巻一や米田透の文学的目覚めが十代の半ば、少年だったこと、改めて知った。後に東京へ転居した中桐雅夫(当時は白神鑛一)や田村隆一らがT・S・エリオットの「荒地」(上田保訳)に出会い震撼としたのも同じ年頃だったことと合わせ、なぜか新鮮におもえたのは不思議であった。
 概論は二つの詩の傾向、竹中郁らと小林武雄らの対照という視点で構成した。レスプリ・ヌーボーをはなやかに身にまとった第二次『羅針』。同じ海港都市にありながら、いわば社会の底辺に属し、シュルレアリスムに影響されたとはいえルサンチマンをたぎらせ、総力戦に傾斜する国家権力と結果的に衝突した第四次『神戸詩人』。二つの潮流の齟齬(『神戸詩人』内にも齟齬があった)、そして、思想の肌あいが違うにもかかわらず、東西に細長い地域社会に同居せざるを得なかったがゆえの屈折した友情、不当弾圧により蹂躙された魂への惻隠の情を描くことに意をそそいだ。
 編集過程で福田知子と対話を重ねた。自分を語らなかった君本昌久が、なぜ詩の歴史に向かったのか。そのことを真剣に問い直した。私は書誌学的なことにくらいので、林哲夫や扉野良人を煩わせた。とりわけ扉野良人との語らいは格別のものとなった。京都轆轤町の町屋の住いをたずねたり、アナキストがたむろした三星堂ソーダフアウンテンのあった元町通を俳諧、海文堂書店の一室で『新領土』をひもとき、埋もれていた神戸の詩人、冬澤弦の作品を発見したことなど忘れがたい。
 脱稿したいま、安堵となつかしさに陶然とするのもある意味自然だが、次なる歩み、一九二〇年代の検証、受川三九郎、高木春夫、近藤正治、平岩混児(何とすべて関西学院系ではないか)などの詩の復刻、神戸のダダイズムやアナキズムの動向の再探索という仕事が眼前にある。》

ゆまに書房
http://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843337776
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by sumus_co | 2013-05-13 16:40 | おすすめ本棚

割箸を銜へて割つて麦の秋 三乗

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雑用を片付けるため帰郷しておりました。この時期に帰るのは久し振りのこと。「麦秋だなあ」という景色が広がっていた。


 割箸を銜へて割つて麦の秋  

 緑陰のかたちとなりし父の墓

 すひかずら母を疎みしむかしかな


以上いずれも澤本三乗の『句集一樹』より。

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かけうどんと揚げちくわ。この組み合わせが好きだ。まさに「割箸を銜へて割つて麦の秋」。

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義父の書棚から将棋の本を移動。将棋の戦法には流行の波もあり、また序盤作戦などは日進月歩なので、実用性は薄れているものの、それはそれなりに見るべきところもまだまだあるように思う。
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by sumus_co | 2013-05-12 20:26 | うどん県あれこれ

三惜書屋初稿

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『三惜書屋初稿』(藤澤黄坡先生華甲祝賀会、一九三六年四月三日)。黄坡藤澤章次郎の還暦を記念した漢詩集である。黄坡については以下の通り(関西大学のHPより)。

《明治9年(1876)3月7日大阪に生れる。
字は士明、号は黄坡と称した。幼少の頃より父南岳に漢籍を学ぶ。その後、東京に遊学、明治29年、東京高等師範学校を卒業後帰阪して、 岸和田中学で国漢を講じた。明治44年6月、同中学を辞し、南区竹屋町にあった私立高等小学校跡を借りて、祖父東(とうがい)以来の伝統ある泊園書院を再興し、漢学の普及に努めた。
 関西大学には、大正11年、予科講師に就任。昭和4年、教授となり、昭和13年、定年退職した後も引き続いて非常勤講師として教鞭を執った。昭和23年、名誉教授(初代)の称号を受けた。昭和23年(1948)12月13日没した。72歳。昭和26年、義弟石浜純太郎教授の斡旋により、約2万冊の漢籍を本学に寄贈した。》

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巻頭に越智宣哲の序が収めてある。題字や扉の文字を揮毫したのも越智かもしれない。「老友黄華」と署名がある。越智は奈良の人でやはり藤沢南岳に学んだ。黄坡より九歳年長だから兄弟子に当たるのだろう。南岳墓碑の撰者でもある。

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黄坡の漢詩集に特別感心するという訳ではないが、この本の作りは還暦祝いでありながらも特段きらびやかなところはなく、じつに簡素に仕上がっているのが好ましい。

ざっと目を通していると、黄坡は正宗白鳥と閑谷黌(しずたにこう)で同級生だったようだ。正宗白鳥が新聞紙上に昔のことを書いているのを読んで感慨を催し、上写真の頁に見える漢詩を白鳥に贈った。黄坡は白鳥より三歳年長になるが、大阪府立中学から閑谷黌へ移っているので、同じ時期に机を並べたのだろう。白鳥が閑谷黌に在籍したのは明治二十五年から一年半ほど、黄坡も半年ほどしか在籍していなかったらしいから、交遊はわずかな時間であったのだろう。しかし、若き日の一瞬はいつまでも輝いて永遠に消えないもののようである。

もうひとつ藤澤黄坡の軸も架蔵している。さすがに双白銅文庫というわけではないものの、あまりに安価なので思わず買ってしまった。

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 倫理学有二大本全帰一欲獲神明祐要不分真實
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by sumus_co | 2013-05-08 08:30 | 古書日録

林哲夫×武藤良子二人展

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武藤良子さんと二人展が実現しました! どうなることでしょう。お近くの方、ぜひご来場ください。

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小生の出品作の一部。新旧とりまぜて。

ギャラリーパセオ 山形県米沢市桜木町2-55
http://www.omn.ne.jp/~dinghara/Gallery_PASEO/top.html


ムトーさん関連記事

武藤良子展 耳朶とスプーン
http://sumus.exblog.jp/10689389/

武藤良子個展「日曜おんな」 itohen
http://sumus.exblog.jp/8437559
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by sumus_co | 2013-05-07 21:49 | 画家・林哲夫

アントニオ・ロペス

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アントニオ・ロペスの日本での初個展がザ・ミュージアムで開かれている。長崎と岩手へ巡回するだけで関西方面には来ないらしい。そこで東京在住の方にいち早く図録を送っていただいた。

ロペスは一九三六年スペインのトメリョソ(マドリードの南方約150kmに位置する町)生まれ。マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーを卒業して画業一筋に打ち込んでいるリアリズムの画家である。若い頃は写実に物語性を持ち込んだような作風だったが、六〇年代頃から実物を丹念に描写し、付加的な要素を画面に持ち込まなくなった。

ヨーロッパの写実というのは写実そのものよりも、リアルさに幻想性を加味することによって、写実と絵空事が和音あるいは不協和音を奏でることを意図するのが主流である。例えばダリを思い浮かべてもらえばいい、リアルな、しかし在り得ない世界。ベタな写実は十九世紀で終わった、とそういった考えなのかもしれない。現在でもあまり変らないと思う。フランスで言うならば、バンド・デシネ(劇画)がまさにその潮流を体現している。

ロペスは目前に置いた静物や人物を淡々と描く。巨大なキャンバス(パネルに張った画布)を路上やビルの屋上に設置して、長時間かけて都市風景を描く。ただそれだけでありながら、そこには当たり前の細密なリアリズムとは全く違う一種独特の世界が構築されている。

ロペスを分類するとすれば、おそらくポップ・アートに振り分けるのが適当であろう。その視点でロペスの作品群を眺めれば、トイレの便器とか冷蔵庫とか変哲もない都市風景とか、ポップ・アートの作家と同じ態度で現実世界に接し、それを作品として造形化していることが分かる。

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ロペスを知ったのは美術雑誌だったろうか。実物を初めて見たのは一九八九年につかしんホールで開かれた「スペイン20世紀美術展」だった。緻密な素描「バスルーム」はよく覚えている。細密な作家は日本にも外国にもたくさんいるけれども、何か違う、硬質で繊細な本質に肉薄するものがあるように思えた。

一九九一年の「スペイン美術はいま マドリード・リアリスムの輝き」には絵画七点と彫刻が来日した(図録による)。ロペスの出品は小回顧のような構成で、今この図録と比較しても遜色のない選択である。このとき同時にグスタボ・イソエ(磯江毅)も知ったわけだから、この展覧会の意義は大きかった。

上の静物画はそのときも来ていて今回も出ている。「花を生けたコップと壁(花を差したコップと壁)」(一九六五)、壁とテーブルが併置されていて、まだ何かデペイズマン(違和感)を試みようとしている。好きな作品だ。

一九九二年、ビクトル・エリセ監督が「マルメロの陽光」というロペスの日常を描いた映画を公開した。ロペスが庭にある一本のマルメロを描く、そのプロセスをドキュメンタリー風に撮っている。九三年五月六日(奇しくも!)、梅田のロフト地下シアターウメダ1で上映されたので、これは逃してはならぬと出かけて行った。後日買ったのがこのDVD。

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六十席ほどの小さな上映室だった。ふとみると旧知のSさん(現在、国際美術館におられる)が来ているではないか。小生の日記から映画の感想を引用してみる。

《ロペスがマルメロという果樹(手づから植えた)がたわわに実をつけているのを描くために、アトリエへ入り、大きなパネルにキャンバスを張るところから始まる。既製品の木枠を組み立て、ベニヤ板を切って、なんと、釘で木枠に打ちつける。そして、そこへ既製品のキャンバスを張っておしまい。けっこうイージー。
 つぎにマルメロ樹(そんなにまだ大きくない)の両側に、金属のポールを1本ずつ立て、糸をわたし、その中心から鉛垂をつけた糸を降ろして、垂直の目印とする。そしてうしろの煉瓦べいにやはり、白ペンキで横線の目印をつける。そして、マルメロの実や葉にも白いポスタカラー(?)で印をつけてゆく。
 次にキャンバスを三脚のイーゼルにのせて、足の位置を決め、そこのつま先の部分に小さな金属の杭を埋めこむ。これで目線が固定された。しかし、それにしても、ちょっと樹に近すぎるように思われる。》

金属の釘でベニヤを打ち付けてその上にキャンバスを張ると、日本ならまず間違いなく釘が錆びてキャンバスへ錆が移ってくる。日本ではできない方法だ(スペインでもやっちゃ駄目でしょう)。映画では、結局、天気が悪くなって(十一月なので)絵を完成できなかった(この未完成のマルメロも本展に来ているようだ)。Sさんと上映終了後、昼飯を食べながら雑談。

《マルメロの評価については、ちょっと苦しむということ。たしかに、ちょっと中途半端かもしれない》

拙著『帰らざる風景』に「マルメロの陽光」というエッセイを収録してあるのでご興味のある方は参照してくだされ。
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by sumus_co | 2013-05-06 21:25 | 雲遅空想美術館

明治の京都てのひら逍遥

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監修生田誠『明治の京都てのひら逍遥 便利堂絵はがきことはじめ』(便利堂、二〇一三年四月二三日)。

便利堂の創業は明治二十年、「便利堂書店」と称し、貸本売本そして出版を始めた。絵葉書は明治三十五年に田中美風の絵と歌による「帰雁来燕」というセット絵葉書を発行したのが最初だそうだ。明治三十八年にコロタイプ工房を解説、書店を絵葉書店に転じた。

明治末頃から社寺や博物館の図録や絵葉書を受注制作する事業スタイルを作り上げ、昭和二年には原色版印刷を開始、美術印刷の便利堂という基礎を確立した。この流れを数々の美しい図版で紹介したのが本書。巻末には明治三十八年の絵葉書が複製されて綴じ込まれている(切取って使用できるが、もったいなくて切れ取れそうもない)。

京都 便利堂
http://www.shinise.ne.jp/benrido/
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by sumus_co | 2013-05-06 17:27 | おすすめ本棚

コレクションカタログ

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佐野繁次郎を発見した『コレクションカタログ』は加藤京文堂およびかとう美術(ギャラリーアクシズ)が刊行していたものである。某氏より十三冊お譲りいただいた。深謝です。一九九五年のリニューアルオープン記念『加藤京文堂版画目録』から二〇〇五年三月発行のものまで十年間にわたる。

美術商が扱う版画と古書店が扱う版画はその取り扱いが微妙に違うようで、やはり古書好きの好きな作家は偏るもののようだ。ざっと見たところ、かとう美術になってから、とくに二〇〇〇年代に入ると、ほぼ美術商系の品揃えに変化しているように思える。

金額のことは考えず、ミュゼ・イマジネール・ドゥンチク(Le Musée imaginaire d'Ounticou 雲遅空想美術館)の収蔵品をこれらのカタログから選んでみる、という遊びを思いついた、と言っても貧乏性は抜け切らず、表記額に左右されたところもかなりあるのだけれど、そのなかから幾つか紹介してみよう。

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これは誰あろう香月泰男! リトグラフ「裸婦」(一九七一)。背中を見せる裸婦というのはひとつの定番ポーズなのだが、このサラリとした力強さは並の力量ではでない。

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驚かされたのは、この古賀春江「樹間」という水彩。東京美術倶楽部の鑑定証だけ。信じましょう。


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藤森静雄「はとむぎ」(一九三四)、これは空想でなくとも何とか買えるくらいの値段(十一年前ですが)。今、どれくらいするのだろう……。


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ジャック・カロの銅版画。メリヨンも同時に四種類ほど出ている。迷ったが、カロにした。これは買うでしょ。


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平野遼「城壁の前の男」銅版画。これも清水の舞台ほどでもなくて、我が家の二階から飛び降りるくらいの気持ちでも購入できる額。平野遼は現実に何か身近に置いてみたい作家である(油彩画でもむちゃくちゃ高いというわけではない、版画なら手が出しやすいし、水彩かデッサンがいいかもしれない)。

深夜、雷鳴のなかでしきりに鳴き続ける野犬の遠吠えに、ふと永遠を思っていた 平野遼水彩素描集
http://sumus.exblog.jp/18994633/

まあ、こんなことでゴールデンウィークの半日を楽しんだ。
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by sumus_co | 2013-05-05 21:30 | 古書日録

佐野繁次郎関連記事

最近、佐野関連の資料が次々と集まったのでまとめて紹介しておく。まずは『銀座百点』No.700(銀座百店会、二〇一三年三月一日)に宇野亜喜良が「聞き書き佐野繁次郎」を執筆している。

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《東京オリンピックのポスターで知られる亀倉さんは、佐野さんのことを知っていて、あの独特のイラストレーションの描き方を話してくれたことがあった。ハードボイルドなルノワール、はたまたグラマラスにデフォルメされたエゴン・シーレといった感じの、階調のない黒い線で描かれた画風は、濃度の高い4Bとか6Bで力一杯に描かれ、凸版で黒白に製版するという話であった。佐野さんという画家は、印刷というメカニックをよく知っている。グラフィックデザイナーの方法論である。》

この亀倉雄策の回想する黒い線というのは『佐野繁次郎装幀集成』の巻頭に出ている挿絵原画などがいい例だろう。ただ、全部が全部そのような調子で描いたというわけではなく、もっと柔らかいタッチの線画もある。

それから、かとう美術の『コレクションカタログ』(二〇〇三年一二月)に「佐野繁次郎 ドローイング、コラージュ 68.5×51cm サイン ¥360,000(額共)」が出品されていたのを発見。一九六〇年代に得意とした動物(犬、馬?)の抽象形態。

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もうひとつ、『第9回現代日本美術展』(一九六九年)に「母と子」(一九六〇)を出品している。残念ながら図版は掲載されていないが、この作品は『佐野繁次郎展』図録(東京ステーションギャララリー、二〇〇五年)に出ているので確認できる。

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by sumus_co | 2013-05-05 20:34 | 佐野繁次郎資料

風船舎古書目録第8号

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風船舎古書目録第8号』(二〇一三年五月)が届いたとき、一瞬だが、「あれ石神井さんの目録、小さくなったのか?」と思った。よく見ると風船舎さん。失礼しました。

小特集・ジャズる NIPPON 1920-1945。音楽関係の資料はいよいよ充実。小生の興味としては戦前の古書目録1000冊余一括というのにビックリ。これだけでちょっとしたコレクションである。一冊単価にすれば安いものだが、いやはや、千冊となると……、千代田図書館あたりに入ってほしい。
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by sumus_co | 2013-05-05 16:58 | おすすめ本棚

祝祭、あるいは文学 3

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本日の生田耕作はこちら『太陽』一九九九年六月号(平凡社、一九九九年六月一二日)「作家のスタイル」より「全身愛書狂 生田耕作」。《家ではいつも和服だったというが、これは珍しく洋装》というキャプション。フランス文学者としてはこちらの方が似つかわしいだろう。他にも書斎や書庫などの写真がいくつも載っている。バタイユの『マダム・エドワルダ』のタイプ原稿、ピエール・ルイスの書簡、ブルトン『狂気の愛』の自筆原稿を拡げて並べた写真はじつに興味深い。そして坂井氏が言及していた和本の山積も論より証拠。

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アスタルテ書房さんのコメントも載っていて

《「先生はね、厳しいコレクターでしたから状態の悪い物は嫌われましてね。読めればそれでいいなんて集め方はされなかった。いつも一番いいものを選んでいかれる」》

という集め方だったらしい。小生のような虫穴だらけの和本数奇には他山の玉とすべき言葉だが、玉で石は磨けないか……。

また、生田かをるさん談のなかにこういうくだりがある。

《子どものころは「少年倶楽部」の愛読者で投稿マニアだった。優良読者として表彰された時の賞状が大切にとってあって、書庫の一番目立つところに飾っております・「これが僕の唯一の賞や」って。結局そのころから、無邪気な偏愛ぶりは変らなかったということなんでしょうね。一生、本を買い通し。》

先に「生田耕作、清冽の美学」で引用した書庫の写真にうやうやしく飾られた賞状が写っていた。お気づきの方もおられるだろう。生田耕作らしくない、うやうやしさだと思ったら、こういうことだったのである。納得。

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「書籍購入控帳」と書かれた大学ノート。《支払いの明細がびっしりと書き込まれている。支払い済みのものは赤線で消していく》

ふたたび坂井氏の記事より。

《生田耕作が主宰する漢詩文の輪読会に加わった。私の家にも板本が知らず知らずに集まってくる。古書画を探し求めて、寺町から、縄手、古門前、東山通へと生田耕作の供をするようになるのには、さして時間を要しなかった。輪読会は和風サロンとでもいえばよいだろうか。終わるとサロン同様、すぐに酒盛りが始まる。ともすると酒盛りが目的か、輪読会が目的か分らない気分になる。やはりこれも祝祭であった。》

平成元年、生田耕作は京都府が打ち出した鴨川改修計画に憤然として反対した。社会運動には無縁の人だったが、四条大橋近くで生まれ育った生田には許せない改修計画であった。

《「京都府の役人どもは、鴨川の風流な光景が文化だということがまったく分からん。無教養人ばかりだ」「こんな無粋な役人をいただいている府民、市民っこそいい面の皮やね」と憎まれ口をたたき、しゃべるほどにいよいよ熱を帯びて、この分では熱弁を振るって徹夜もしかねない勢いであった。行政批判を盛り込んだパンフレットを発行し、いかに鴨川の風景が魅力的で美しいかを絵画資料で証明せんとした絵画展を開くといった孤軍奮闘の運動が実ったのかどうかは分からないが、四条大橋あたりの鴨川の川底を掘り下げるという改修案は撤回された。》

そのパンフレットというのがこちら。『「日本文化研究会」会報』一号「いい加減にしろーー「鴨川改修計画」批判」(日本文化研究会、一九九〇年四月二〇日)である。この冊子には『鴨川を哭す』(エディション・イレーヌ)がセットで付いている。『「日本文化研究会」会報』は以下四号まで発行された。二号「木水彌三郎 洛中洛外雜詠抄」(一九九〇年九月三〇日)、三号「風景は文化なり 鴨川東岸「花の回廊」整備計画批判」(一九九二年一一月二〇日、)、そして四号はすでに紹介した「江戸のボードレール 柏木如亭を偲ぶ 如亭墓碑復興記念」(一九九八年九月三〇日)で歿後に刊行された。

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平成四年春頃にはすでに体調不良があらわになっていた。それでもエリファス・レヴィ『高等魔術の教理と祭儀ー祭儀編』の翻訳を続けながら漢詩輪読会をも止めなかったという。

《八月、夏負けしたといって流動食ばかりとなり、輪読会は主宰者を欠くことになった。検査だけのつもりだったが、病院に行くとそのまま入院となってしまった。前立腺癌であった。》

《深夜まで病室で、原稿に手を入れ、フランス語や英語の原書を読んで動き回るとあって、病人仲間から敵視されていた。
 入院は二週間で済んだ。薬物による治療ということであった。退院二三日後、夜中に電話があった。「寺町の古書画屋に、大窪詩仏の扇面と棕隠の先生の伴蒿蹊が賛した画があるね」といって、ひとしきり内容についてあれこれいう。さすがにあきれてしまった。》

翌年二月、再入院ということになって、親しい人を双蓮居に呼んで一日かぎりの谷崎本の展示会を開いたという。それまでもときおりテーマを決めて開かれていたようだが、入院直前の展示会には「あるいは」という一抹の不安があったのかもしれないと坂井氏。しかし、手術後の経過も良く、以後一年余り、『フランスの愛書家たち』を改訳、決定版『超現実主義宣言』、輪読会の成果に基づく『洛中洛外漢詩紀行』をまとめ、『卑怯者の天国 生田耕作発言集成』を刊行した。

平成六年七月、癌は全身に転移していた。

《衰弱していく体を病床にうずめながらも、あるいはカタログにお気に入りの古書画を見つけて求め、掛け軸を点滴のフックに掛けて楽しみ、あるいは夢に西欧にまで成島柳北を追い駆けていき書画を譲り受けたといって心を躍らせた。九月に入って、鷹峯の双蓮居に帰った。愛惜おくあたわざる蔵書や古書画を身にまとおうとするかのように。やがてホトトギスが咲き始め、山田一夫や長田幹彦が愛した嵐山の旅館「ほととぎす」を思わせるこの花を枕辺に飾り、いとおしみながら、闇の向こうへ旅立って行った。
 葬儀は十月二十三日、京都市左京区の大乗寺を式場にして無宗教で営まれた。読経の代わりに宮薗節の「鳥辺山」が流された。》
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by sumus_co | 2013-05-04 21:42 | 古書日録