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民藝の仲間

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『民藝の仲間』第9号(劇団民芸、一九五三年)、表紙=河野鷹思。


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『民藝の仲間』第13号(劇団民芸、一九五四年)、表紙=河野鷹思。なかのしげはる「アメリカを知るために」が掲載されている。


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『民藝の仲間』第53号(劇団民芸、一九六〇年)、表紙=田中一光、宇野亜喜良。


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『民藝の仲間』第62号(劇団民芸、一九六二年))、表紙=デザイン・田中一光、イラスト・横尾忠則。


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『民藝の仲間』第63号(劇団民芸、一九六三年)、表紙=デザイン・山城隆一、イラスト・横尾忠則。


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『民藝の仲間』第85号(劇団民芸、一九六六年)、表紙=デザイン・田中一光、イラストレーション・和田誠。


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『民藝の仲間』第127号(劇団民芸、一九七〇年)、表紙=長友啓典。

「どん底」の話題を取り上げたので、その流れで劇団民芸のパンフレットを出してみた。一九五〇年代から七〇年代へ、日本におけるデザインあるいはイラストレーションの変遷がはっきり分かるように思う。

和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』(文春文庫、一九九七年一月一〇日)によれば、和田が多摩美を卒業してデザイン会社ライト・パブリシティに入って間もなく(一九五九年)のこととしてこう書かれている。

《田中一光さんは会社の仕事のほかに音楽会や新劇のポスターも手がけていた。アートディレクターとして、イラストレーターを起用することもあった。ある日、君の絵をポスターに使いたいと言われ、打ち合わせのために田中さんのお宅に行った。田中さんはけじめのきちんとした人で、会社以外の仕事の話を会社ではしないのだった。
 最初にぼくの絵が使われたのは「火刑台上のジャンヌ・ダルク」だったと思う。その後「ウィンザーの陽気な女房たち」「どん底」などのポスターに、田中さんはぼくの絵を使ってくれた。その度に会社の帰りに青山一丁目にあったお宅に出かけたが、そんなある夜、もう一人ぼくと同年輩の男が訪ねて来ていた。田中さんは彼を「神戸から出てきて、今はナショナル宣伝研究所に勤めている横尾忠則君」と紹介してくれた。ぼくはとっさに「あ、"ふしぎなふえふき"の横尾さんですか」と言い、ぼくの名をきいた彼は「"夜のマルグリット"の和田さんですね」と言った。どちらも同じ頃に日宣美で賞を取った作品の題名で、あのころはみんながそんなふうに他の人の仕事に関心を持っていたのだ。》

ここに掲げた「セールスマンの死」は一九六六年だから、和田誠は矢崎泰久といっしょに『話の特集』を創刊(一九六六年二月)した頃である。和田はアートディレクションから編集にまで関わり、表紙は和田の主張によって横尾忠則が担当した。

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すこし後年になるが『話の特集』131号(一九七六年一二月)、横尾忠則の表紙。『民藝の仲間』表紙とは十数年を隔てている。
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by sumus_co | 2013-05-21 21:01 | 古書日録

どん底

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ゴォリキイ(カバーではゴオリキーだが、扉ではゴォリキイ)『どん底』(松本苦味訳、如山堂書店、一九一六年六月一八日)を均一で手に入れた。松本苦味およびこの本に先立つパンテオン叢書『どん底』(金桜堂書店、一九一四年)については古本夜話249を参照していただくとして詳細は省く。

国会図書館のデジタル化されたパンテオン叢書『どん底』を閲覧しながら比較してみると、まず扉の図案が変っている。そして、小山内薫から提供されたという舞台写真四葉が、本書では口絵として巻頭にまとめられているのに対してパンテオン叢書では各幕ごとに別々に配されているのが目立つ。登場人物の紹介文も本書では口絵の裏に別刷で貼付けてある。いろいろ改変はあるものの、第一幕の冒頭は本文五頁目にあり、同じ紙型を使っていることは明らかのように思われる。

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小山内薫と『どん底』についてはたしか河盛好蔵『藤村のパリ』(新潮文庫、二〇〇〇年)に書かれていたと思って開いてみると、松本克平『日本演劇史』(筑摩書房、一九六六年)が引用されていた。大正元年十二月末にモスコオに到着した小山内は憧れの芸術座の舞台を目の当たりにした。

《二十三日間の滞在期間に十三回、通った。俳優スタニスラフスキーを出来るだけ多く舞台で見ることと、演出を克明に学ぶためであった。旅日記には、「舞台監督として出来るだけ多く、舞台のうしろで見よう」としか書いてないが、この時『どん底』その他の詳細克明な記録をノートにとっていたのだった。これが帰国後整理されて自由劇場再演の『どん底』の手がかりにされ、また築地時代に「小山内おやじの虎の巻」と言われたものであるが、》

この後、小山内は六月にパリに到着、九日ほど滞在した。その間、藤村とともにオペラ座、シャンゼリゼー劇場、シャトレ座などで観劇し、そのまま帰国の途についている。松本苦味に提供された舞台写真は当時としては最新の情報だったと言えるだろう。

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小生、舞台にはまったく詳しくないため、この陰惨なモスクワ芸術座の舞台写真を見て思い出すのは黒澤明の「どん底」でしかない。ストーリーもよく分らない、とにかく昏くてじめじめした映画だった。おそらく黒澤の脳内にはこの写真のようなイメージが渦巻いていたに違いないと、今この口絵を見て思い当たった次第である。

本書の翻訳はなかなかの名調子。江戸の戯作か明治の講談か落語のような猥雑さである。もちろんロシアのシチュエーションを日本に置き換えるとこうなってしかるべきなのだが(黒澤の映画が日本の長屋になっていたように)……今読むと多少違和感がないでもない。最後の一頁ほど引き写してみる。

《韃靼人。(笑ひながら。)えゝこのブー公のへちやもくれ奴が…構はねえ、酒持つて来う! 斯うなつたらもう飲めや謡へやだ。死ぬ時が来たら斃(くたば)るまでだい!
ブブノーフ。サチン、注いでやれ! まゾーブ、座れよ! 何うでえみんなア! 人間嬉しくなるにやアたんと入らねえもんだなあ? 己様は、飲んだらうもうそれでご機嫌だぜ! こうゾーブ!…謡つてくれ…己の好きな歌をよ! 己は謡つて…そして泣くんだ……
ゾーブ。(謡ひ始む。)
    『日は昇り、日は沈む…』
ブブノーフ。(後に従ひ。)
    『闇は獄屋(ひとや)を訪れぬ!』
    (この刹那、戸は俄かに開かる。)
男爵。(閾の上に立ちて叫ぶ。)おい…み…みんなア! こつちへ来て見ろ! 空地で…役者が…首を縊つたぞ!
   (沈黙。皆々男爵をば凝つと見る。と、彼の肩後よりナースチヤ顕れ、静かに眼を見張りつゝ卓の側に近付く。)
サチン。(低声に。)えゝこのあんぽんたん奴! 大事(でえじ)の歌の腰を折つてしまやがつた!……
  ○幕。》
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by sumus_co | 2013-05-20 21:07 | 古書日録

バッテンボー

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こちらも大掃除の掘り出し物。こんなのいつ、どこで買ったのだろう? ダイナ・ショアの大ヒット曲「ボタンとリボン」。裏面はレイ・ノーブル・オーケストラの「SWEET DREAMS, SWEETHEART」。

Dinah Shore Buttons Bows
http://www.youtube.com/watch?v=vZsA7HQXXBE

ボブ・ホープとジェーン・ラッセルの映画「腰抜け二丁拳銃 The Paleface」(N.Z.マクロード監督、一九四八)でボブ・ホープが軽妙に歌ってヒットした。曲は一九四七年に作られ一一月三〇日にダイナ・ショア・ヴァージョンのレコードがリリースされている。四八年九月、ビルボード・ヒットチャートに初登場し二十四週チャート入りしていた(十週ナンバーワン)。

歌の原題は「Buttons and Bows」で「ボタンとリボン」は苦心の邦題であろう。映画ではボブ・ホープが歌っているので男性版の歌詞になっているから bows はリボンでなくては通じない。映像を見ると幌馬車に揺られながらボブの歌を浮かない顔で聞いているジェーン・ラッセルの頸にリボン・タイが揺れている。

Bob Hope-Buttons and Bows
http://www.youtube.com/watch?v=JvqRMEdU8Kk

「バッテンボー」としか日本人には聞こえないが、この語呂の良さもあって日本でもヒットしたようだ。昭和二十年代の匂いである。ただし、小生もバッテンボーの歌は子供の頃によく聞いた記憶がある。大ヒット曲は寿命が長いということだろうか。

ダイナ・ショアの略歴をざっと wiki で読んでみて、ビックリ。長く芸能界で活躍したこともさることながら、その男性遍歴のゴージャスさには目をみはった。まずはニューヨークでジャズ・ドラマーのジーン・クルーパ、ハリウッドに移って俳優ジェームズ・スチュワート(駆け落ちまでしたとか)、第二次大戦中はパットン将軍と仲良くなってイギリスとフランスを慰問した。

一九四三年に俳優ジョージ・モンゴメリーと結婚(〜六二)。娘メリッサを生んでいる。結婚している間にもフランク・シナトラと付き合っていたそうだし、恋の相手は次々現われたという。七〇年代にはなんと二十歳年下のバート・レイノルズを恋人にした。これによってショアは再び話題の人となり、タブロイド新聞で騒がれるようになって恋は終ったが、その後もウェイン・ロジャーズ、アンディ・ウィリアムス、ロン・エリ(ターザン)、シドニー・シェルダン(小説家)、ディーン・マーチンそしてニューヨーク市長ヒュー・ケリーらと浮き名を流したというから、相当に魅力的な女性だったに違いない。一九九四年二月二十四日、ビヴァリー・ヒルズの自宅で死去。七十八歳の誕生日の五日前だった。

と、バッテンボーの読みかじりを書き連ねて、ふと気付いた。おんや? 中に入っているレコードは、「バッテンボー」どころか、朝居丸子の小唄「緋鹿子・竹にサ・こぼれサ/話しらけて・初雪」(ヴィクター)ではないか! どうして、また……。
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by sumus_co | 2013-05-19 21:53 | 古書日録

京都近代文学事典

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『京都近代文学事典』(和泉書院、二〇一三年五月一五日)がようやくに完成した。小生も「京都の文芸出版」というコラムを寄稿させてもらっている。今後いろいろな状況で活用できる事典になりそうな予感あり。みなさまも、ぜひ座右に一冊。

図書出版和泉書院
http://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=57359&prev=released
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by sumus_co | 2013-05-19 20:28 | 著述関連

暮らしと美術と高島屋展

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世田谷美術館で開催中の「暮らしと美術と高島屋」展図録を頂戴した。高島屋は京都烏丸松原上西側で天保二年(一八三一)一月十日創業。創業百八十二年の記念事業として(?)世田谷美術館はじめ各所で高島屋関連の展覧会が開催されている(されていた)。

高島屋が初めて開催した美術展覧会は明治四十二年十月京都店での「現代名家百幅畫會」だった。三越はその前年十一月に「半切畫展覧会」を心斎橋の大阪店で開催して一歩先んじていたようである。昭和三十年生まれの立場で喩えれば、少年マガジンと少年サンデーのつばぜり合いみたいなもの。三越大阪支店美術部は明治四十二年創設だが、高島屋の大阪店は四十四年開設とここでも一歩遅れている。

しかも三越の初代美術部長・北村鈴菜は高島屋の京都本店が編集していた『新衣裳』という雑誌(本図録にも書影多数あり)を大阪朝日新聞の大森痴雪とともに担当していたという経歴の持ち主だったから、ある意味、仁義なき戦いだったもよう(北村鈴菜と三越美術部については山本真紗子氏による論稿を参照)。

とにかく百貨店の扱う美術というのは、七〇年代、八〇年代の美術展ラッシュを待つまでもなく、日本の美術の流れのなかでも無視できない大きな存在であったのは確かであろう。その辺の様子も本図録を見るとよく分る。時代に応じて当代の一流作家が百貨店美術部を賑わしてきた。本図録掲載作家を参考にして簡単に言えば富岡鉄斎から元永定正まで、節操のないようで節度をわきまえた品揃え、というような気がする。

その意味では、美術館で作られる美術史と百貨店美術部で作られる美術史は共通しながらもかなりの程度で異なるわけだが、どちらかが優れて、どちらかが劣るというよりも互いに補完する関係のようである。そんなことはともかく、図版のなかで一番欲しいと思ったのは上の図、島成園「お客様」(一九二九)。二人の少女、姉妹(?)の緊張振りが伝わってくる見事な描写だ。

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明治二十六年頃の高島屋飯田新七東店(京都)の建物。内部は椅子とテーブルでなかなかハイカラなインテリアである。

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高島屋日本橋店は昭和九年に「現代日本民藝展覧会」という民芸運動にとっての画期的な企画を打ち出した。この年、柳宗悦(上の写真は一九一三年撮影)は「日本民藝協会」の初代会長となり、その活躍によって昭和十一年に駒場の日本民芸館が開館の運びとなる。おそらく高島屋の果たした経済的役割は決して小さなものではなかったろう。総支配人の川勝堅一の民芸(とくに河井寛次郎)への入れ込み方は一通りではなかったようだ。

もうひとつ美術とは別に高島屋出版部も注目に値する。これについても『書影でたどる関西の出版100』に高橋輝次さんが書いておられるが、そこに出ていない書影もこの図録には掲載されていて、たいへん参考になる。
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by sumus_co | 2013-05-18 21:26 | もよおしいろいろ

阪大で「オオサカがとんがっていた時代」を見る

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梅田から阪急宝塚線で石橋下車。ここの駅西側の商店街は、それこそ昭和三十年代の匂いが色濃く残る貴重な遺構である。


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異界へのトンネルのような商店街を通り抜けて大阪大学へ向かう。


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高速道路の高架下に太田書店。久し振り。梅田のかっぱ横丁にも出店している。文庫本までもビニール袋に封入して完璧に状態を保っていることに驚く。堅い本が多い大学町の古書店というイメージそのまま。表は210円均一。これは拾える。


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太田書店から歩いて数分。緑の多いキャンパス、校門を入ると正面左手に総合学術博物館の建物が見える。初めての訪問。

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「オオサカがとんがっていた時代 戦後大阪の前衛美術 焼け跡から万博前夜まで」は三階企画展フロアにて開催中(入場無料)。

いきなり小石清の『初夏神経』(国書刊行会の復刻版)、『柳屋』の未来派特集号が並んでいてビックリ。前田藤四郎の「時計」や銅板画のプレートを貼付けた本などもある。池田遊子の油彩画や彫刻作品。デモクラート関連で、瑛九のフォトデッサン作品集、早川良雄のポスター、泉茂、三上誠、下村良之助、河野芳夫。

目玉のグタイピナコテカ(大阪中之島に吉原治良が伝来の土蔵を改修して作った展示施設)関連では、白髪一雄、嶋本昭三、元永定正、村上三郎、田中敦子、マチウ、サム・フランシス、ミッシェル・タピエ、ポール・ジェンキンス、アッセット、カポグロッシ、フォンタナらの作品展示。グタイピナコテカでの展覧会パンフレットや案内状、写真資料がズラリ。新歌舞伎座関連で村野藤吾、辻晉堂、建畠覚造。オリンピック関連で横尾忠則など。

たしかにトンガッテいる。近畿圏が戦後の非具象美術を(国際的にも)牽引していた時期があったことが如実に分かる仕掛けになっている。図録があれば買いたかったけど…なかった。プリント資料のみ。

『古書店地図帖全国版』(図書新聞社、一九七三年五月一〇日二刷)によれば石橋の周辺には太田書店だけ。平和堂書店が池田の近くにある。また『大阪古書店案内114』(980企画社、一九八〇年六月一日)には太田書店と《マチカネ書店 阪大正門の正面にある》が掲載されている。古書キリコは石橋と池田の中間くらいに現在も営業しているようだ。訪ねてみればよかった(「天神さんの古本まつり」に出店)。他に古書組合などに登録していない古本屋もあったかもしれない。
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by sumus_co | 2013-05-17 20:21 | もよおしいろいろ

ふく風につけてもとはむ

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連続した個展が終わって一区切り、のつもりでアトリエの大掃除をはじめた。はじめたはいいが、いつまでたっても終わらない。というのも、こんなものがあった、おや、こんなものも、あんなもの、どんなもの、そんなものまで、手を止める時間の方が長くなって進まない。

本日は短冊箱を開けて、整理していない何枚かを見つけ出したのが運のつき。いきなり掃除は頓挫してしまった。なかでは、このわりと状態のいい短冊がブレーキになった。元から短冊だったかどうかもはっきりとは分からないが、おそらく江戸時代前半のものだろう(断言はしません)。金泥で松林や庭園らしきものが描かれた地にスラスラっと和歌。ものすごく上手というほどでもないが、かなり上手い字。何て書いてあるのだろう……と思い始めたら、もう時間はあってなきがごとし。午前中、あーでもない、こーでもないと、にらめっこしつつ過ごし、午後になってようやく全文解読に至った。

題も署名もないのでおそらく有名な歌だろうと推測。検索するにしても、あるていどは自力で読まなければならない。出だしの最初の文字……一瞬分からない、次の文字は「か」(可)で間違いはない。三文字目の「勢」(せ)は読める。とここまできて頭の文字が「吹」だと理解する。Wのようになっているヘンは「口」だ、そうだった。「吹かぜ」とくれば次ぎにくるのは「に」かなと予想して「耳」(に)と判明。

その次は変体仮名に慣れていればラクショーなのだろうけど、まだまだ不勉強で、とりあえず飛ばしておく。次を「くもといむ」と一瞬読んで、「く」ではなく「て」(天)だと気付き、「い」ではなく「ハ」だと気付く。「吹かぜに……てもとはむ」、もう少し。

「む」の次は「佐可りの」かな…違うか。次行こう。二行目最初は「閑」。次が「?」、その次は「ふ」「の」(乃)かなあ? やはり違うようだ。次は「半」(は)でいい。次が難関なので飛ばして、最後の文字は「裳」(も)、これは見知っている。「裳」の前が「ゆ」だが「ゆ」と「裳」の間に一文字あるように見える。

この辺で一度パソコンに向かい、「吹く風に」で古今集とか新古今集とか同時に検索してみたが、いろいろヒットはするもののこれぞというものはなかった。

仕方がないので変体仮名の字典を拡げて順番に繰って行く。「吹く風に」の次は「徒」(つ)らしい。「吹くかせにつ[ ]てもとハむ」とすれば、[ ]内は「け」か「れ」かと思ってその文字の変体仮名を調べると、どうやら「氣」(け)らしいと推測できた。

さらに一行目下方にある「徒」にやや似た字は「佐」(さ)で良かった。「さかりの」ではなく「り」のと見えたのは「吹く風に」の「に」と同形だから「さかにの」だろう、でも、意味不明。

二行目の「半」のすぐ上の文字がポイントだった。これは「道」、偶然、書体字典を眺めていて発見。「閑……し道」は「かよひし道」かも。そう思って調べると「閑よ飛」である。しめしめ。

最後のところに戻って、「ゆ…も」なら間に入るのは「と」かもしれない。「ゆ」の前は「た」(多)のような気もする。「たゆとも」。しかし「た」の前が分からない。「半」の次は「曽」かも。

戻って、一行目の終りの方をじっと眺める。「さ」と「か」の間に「ゝ」(くり返し記号の点)があるのでは、と気付いて、やっと「ささかにの」と読めた。これは行けそうだ。

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ということで、ここまで判読できれば、あとはググるのみ。予想通り、有名な歌だった。

 ふく風につけてもとはむささがにのかよひし道は空にたゆとも

「そらに」だったか……。藤原道綱母の『蜻蛉日記』より。また『新古今集』にも採られているので、根気よく探せば、最初の検索で発見できたかもしれない。その分、ベンキョーになった。

解説によれば、作者二十歳前後、友達の時姫(藤原道長の母)の元へしげしげと通っていた兼家の通いが絶えたとき、慰めるつもりで送った歌だという。「ささがに」とは形の連想から「蜘蛛」を意味していて、兼家のメタファーである。蜘蛛の道(蜘蛛の糸)が切れてしまって(彼氏が来なくなって)、あなた大丈夫? というような意味らしい。

はっきり言って、おせっかいな歌だ。ムッとした時姫の返しは「色かはる心と見ればつけてとふ風もゆゆしと思ほゆるかも」だったそうだ。歌の解釈は下記サイトに拠った。

藤原道綱母 ふじわらのみちつなのはは
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tunahaha.html
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by sumus_co | 2013-05-16 21:23 | 古書日録

カワルマチ カワラナイマチ 河原町

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河原町商店街でこんな0円雑誌を見つけた。表紙は赤尾照文堂のご主人だ(本文中に店舗紹介あり)。リーフ・パブリケーション、二〇一三年三月一一日発行。

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他に大学堂書店も写っていた。
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by sumus_co | 2013-05-15 21:22 | あちこち古本ツアー

トリマルキオの饗宴2

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『トリマルキオの饗宴』にはいろいろ興味をそそられるローマ時代の習慣が記されている。ふたつほど紹介してみると、まずは色彩について。

冒頭、饗宴(cena)の前に髪の毛の長い少年たちとボール遊びをする禿頭のトリマルキオが描かれている。トリマルキオは「tunica uestitum russea」すなわち《赤い浴衣をまとう》(青柳)あるいは《赤褐色の部屋着をまとった》(国原)姿で緑のボール(pila prasina)を投げ合っている。

《ローマ人は赤と緑の二色に特別の色彩感覚をもっていたようである。この物語の作者ペトロニウスも「赤い織物」とか「緑のお仕着せ」といったようにさまざまな箇所で赤と緑だけははっきりと記している。》(青柳)

要するにイタリアの国旗トリコローレを思い浮かべればいいわけだ。イタリア国旗そのものの起源は十八世紀のようだけれども、ローマの昔から緑と赤は特別な色彩であった。

次に宴会のくじ引き。これには正直ちょっと驚いた。

《大杯に入れた籤引き札が参会者にまわされた。「汚された銀」を当てた者には、腿肉のハムとその上におかれた銀のコップが与えられた。「首のもの」には一切れの頸肉が、「後智恵と襲撃」には薬草と串刺しのリンゴである。また「ニラとモモ」には鞭とナイフが、「スズメと蠅取り」には乾しブドウとアッティカの蜜が渡された。参会者たちが腹を抱えて笑うなかで、さらに「正餐服と市民服」には一片の肉と書板が、「犬のものと足のもの」には野ウサギと平目が、そして「八目ウナギと文字」にはネズミを体にくくりつけたカエルと甜菜一束が与えられた。》(青柳)

"Argentum sceleratum": allata est perna, supra quam acetabula erant posita. "Ceruical": offla collaris allata est. "Serisapia et contumelia": {xerophagiae ex sale} datae sunt et contus cum malo. "Porri et persica": flagellum et cultrum accepit. "Passeres et muscarium": uuam passam et mel Atticum. "Cenatoria et forensia": offlam et tabulas accepit. "Canale et pedale": lepus et solea est allata. "Muraena et littera": murem cum rana alligatum fascemque betae accepit. Diu risimus. Sexcenta huiusmodi fuerunt, quae iam exciderunt memoriae meae.

いずれも引き当てた札に書かれている文言と品物がダジャレあるいは単純な連想になっているのだ。解説の全文を引用するのも面倒なので、ダジャレになっているものだけ三例を挙げる。

contumelia(襲撃)………contus cum malo(串刺しのリンゴ)

Passeres(スズメ)………passam(乾し)

Muraena(八目ウナギ)………murem, rana(ネズミ、カエル)

日本にも全く同じ遊びがある。そして福引きのためのネタ本まである。架蔵の一冊は野良久良山人『新案福引妙珍集』(服部貴文堂、一九三〇年、上の写真)。これによれば「新聞記者」という札を引いたとすれば、もらえる景品は「鰹節」ということになる。そのこころは「かいてたべる」。

小学校の小使  歯磨  口中(校中)を掃除する

生意気な息子  巻煙草  末は(吸へば)ハイカラになる

などというたわいもない駄洒落がズラズラズラと並んだだけの本である。似たようなものは明治時代終り頃から多数発行されていたようだ。詳しくは『関西の出版100』に書いたので、参照していただきたい。

書影でたどる関西の出版100
http://sumus.exblog.jp/14299824/

一世紀頃のローマ人もこんななぞなぞ遊びに興じていたとは、人間は変ったようで変らない生き物なのかもしれない。
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by sumus_co | 2013-05-15 21:14 | 古書日録

トリマルキオの饗宴

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青柳正規『トリマルキオの饗宴 逸楽と飽食のローマ文化』(中公新書、一九九七年三月二五日)をやはり旅中に読了。じつに面白い。「トリマルキオの饗宴」はペトロニウス『サテュリコン』(Satyricon libri、サテュロスたちの物語の巻。一世紀のローマ、ネロ時代に書かれた諷刺小説)のなかの名高いパート。本書にはテクストの梗概と懇切な解説が施されている。全体のテクストは国原吉之助訳『サテュリコン』(岩波文庫、一九九一年)などで読める。フェリーニの映画はよく知られているだろう(大昔に見たようなおぼろげな記憶がある)。

フランス語/ラテン語対訳は以下のサイトでどうぞ。

Itinera Electronica
Du texte à l'hypertexte
Pétrone, Satyricon

奴隷の身分から成り上がった大金持ちトリマルキオ(トリマルキオン)が突拍子もない宴会を打ち上げる(ネロが実際に行った饗宴を揶揄しているとも)。その様子が主人公エンコルピオス(これもまたネロの分身だという説もある、いずれにせよペトロニウスはネロと親しいアドヴァイザーであった。結局は自殺に追いやられるのだが…)によってこまごまと語られている。

以前紹介したユイスマンスの『さかしま à rebours』にはペトロニウスを絶賛する箇所がある。ウェルギリウスを手始めとしてラテン作家たちをバッサバッサぶった斬った後、こう切り出す。

《彼の心を真に捉えた作家があった。ペトロニウスである。
 彼は洞察力の鋭い作家であり、繊細な分析家であり、素晴らしい絵画的な文章を書く作家でもあった。偏見も憎悪もなく、彼は淡々としてロオマの日常生活を描き、『サテュリコン』のきびきびした短い章のうちに、その時代の風俗習慣を物語ったのである。》

《しかもこれが不思議と辛辣さのある、正確な色彩的な文体、ロオマに流れ込んできたあらゆる言葉から表現を借り、いわゆる黄金時代のあらゆる制限と束縛を遠ざけた、あらゆる方言から活力を汲んだ一種独特な文体で語られているのである。そして各人物にはその慣用語を話させている。すなわち、無教養な解放奴隷には下層民のラテン語や街の隠語を、外国人にはアフリカやシリアやギリシアなど雑種の外国語の混った訛を、アガメムノーンのような愚かな衒学者には人工的な言葉の修辞学を。こうした人物たちが、的確な一本の線で描かれ、みな一つの食卓のまわりに寝ころがりながら、酔いどれの無意味な無駄話を互いに取り交わし、主人公のトリマールキオーの方へ顔を向けて、古くさい金言や馬鹿げた格言を喋り散らしているのである。一方、トリマールキオーは小楊枝を使って歯を掃除しながら、参会者一同に尿瓶を配り、どうか気楽にくつろいで下さいなどと言いながら、自分の胃の腑の壮健さを誇り、さかんに放屁するのである。》

以上澁澤龍彦訳(なんとも澁澤節である)。このユイスマンスの分析は参考になる。要するに本物の「小説家」だったということだ(むろん職業という意味ではない。ペトロニウスは官僚であり宮廷人であった)。
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by sumus_co | 2013-05-14 22:01 | 古書日録