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東京漫遊記

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富士正晴『東京漫遊記 富士正晴資料整理報告書第19集』(茨木市立中央図書館併設富士正晴記念館、二〇一三年二月二八日)を頂戴した。そういえば、昨年、編集に当たられた中尾務さんが完全版を出しますからとおっしゃっておられた。上はカラー口絵より。肖像写真は開高健撮影、昭和二十九年八月九日野間宏邸にて、富士が手にしているのは開高が持参した寿屋が社内で頒布していたウイスキー・ローモンド。そして次は「東京漫遊記」原稿一枚目と掲載誌。

昭和二十九年の七月から八月にかけて富士正晴が東京の文士たちを手当たり次第に訪問したときの見聞記録である。初出は『新潮』昭和二十九年十月号。中尾さんの解題によれば、上京中の八月九日(上の写真が撮られた日)に新潮社の野平健一から執筆依頼があったそうだ。八月十四日に帰阪、二十日に原稿を書き始めて二十八日に脱稿、三十枚という依頼のところ、七十八・五枚にまで膨らんでいた。富士が心配したボツにはならなかったが、十三枚ほど削られて、オリジナルのタイトル「東京漫遊記」から「東都文士訪問日記」へと解題されて掲載された。集中して書いただけあってスピード感があふれている。

小生は、この訪問日記を、雑誌掲載後、初めて単行本に収められた『VIKING選集1 兵庫地下文脈大系[1]』(風来舎、一九九八年)で読んだのだが、あまりに面白いので富士正晴をすっかり見直してしまった。そしてそれから十五年を経て、今回は生原稿から初めてオリジナルな形で全文翻刻されたわけである。他に単行本未収録の「わが良友悪友」「児童の目と大人の手」「素晴らしい猛夫」「洛北・大原 小松均訪問記」「浅野竹二の強い若さ」を初出誌を定本として収録。当時、富士を案内した小沢信男さんの解説「訪問日記と漫遊記」および中尾さんの詳細な解題も貴重この上ない。

本当なら、もう少し原稿を増やして、講談社文芸文庫あたりでまとめて欲しかった。少し前ならウッェジ文庫だとか……。そうは言ってもこうやって完全版が手軽に読めることは有り難いことである(ただし部数は少ないようですので、ご注意を!)。

小沢さんは本書の白眉を同じ日に安部公房と花田清輝を訪ねたくだりだと見ておられるが、たしかにこの作品のなかではいちばん骨っぽく書かれている。しかしそれだけではなく、久坂葉子の原稿を白洲正子に託したとき青山二郎を紹介され、そこへ前田純敬がやってくるあたりもいいし、鶴見俊輔がペンキ塗りをしている前後もいい。

個人的には、井伏鱒二邸訪問のくだりがとくに気に入っている。先日の小山清の描写と較べてみると、興味尽きないものがあり、観察というのは、結局観察する人間が現れるという全く当たり前の事実に再び気付かされるのである。

井伏邸では仕事中だと言われて二時間ほど時間をつぶすはめになる。その間、留守中の石川淳邸を訪問して書斎にベッドがあることを羨ましがったり、河盛好蔵に電話をすると訪問を断られたりして、しけた飲み屋でビールをあおって時間を消した。

ふたたび井伏邸へ戻ったが、まだ仕事は終わっていなかった。井伏は仕事部屋で待つように言った。

《戸を開き放って、庭に向い、厚い座布団を二枚重ねた上に大あぐらをかいて、カッチリ肉がついた浴衣姿の背を見せ大仕事をしている。それを斜後ろから見ているわけだが、こちらは気兼ねでならない。冷たい茶をのめば喉がごくりと鳴り、団扇をつかえばパコパコいいそうだ。出された雑誌を見ていると、バリバリと頁をひきちぎった跡がある。かんぺきの強いようなちぎり方だ。目次を見ると、彼の連載小説の部分だった。》

小山清の文章にも出てきた庭の樹木について。

《このあたりは昔猛烈な砂ぼこりで、隣の家の軒さえ見えなくなる位だった、それで風よけにと思って植えたのがあの樹で、それがあのように大きくなった。こちらの木は成長する時にこやしが足りなかったので大きくならない、成長するのにはその時期があるようだと言った。》

学士会館で荒正人と会う約束があったのだが、井伏に飲屋へ誘われたのでついていった。小さな閑散としたスタンドバーだった。十時近くまで飲んだ。覚えている話はふたつ。ひとつは中島健蔵の旋盤いじり。

《もう一つ。歩き方をみれば、その人の閨房も判るし、文学も判ると思うという井伏的主張。彼は執拗にこの話をつづけていたが、ふいに尿意をおぼえて共同便所へと出かけた。その足音はカタカタカタカタひどくせっかちであった。》

うまい。「まえがき」を読むと《つぎの方々のお世話になりました》というところに黒川創、笹瀬王子、庄内斉、都築令子、野平明子、冨士重人、松本八郎、矢部登、山田稔の諸氏にまじって小生の名前があった。なぜに? なにもお世話した記憶はないのだが……と思って本文を読み始めると、ああ、なるほど、と納得する記述に出会った。

 瀉瓶コミュニケイション

鶴見俊輔を描いたくだりに「瀉瓶」が何度も出てくるのである。雑誌ではどうなっていたのだったか、忘れてしまったが、原稿を読んでも文意が通じないので「溲瓶」じゃないかとか、いろいろな人がいろいろな意見を述べているということを中尾さんと会ったときにうかがった。しかし鶴見さんが溲瓶はないだろう。と思って帰宅して検索してみると、それは簡単な仏教用語であった。瓶の水を他の瓶にそっくり移す意味で、師が弟子に仏法の奥義をもれなく伝授することなのだそうだ。これならいかにも鶴見さんらしい発想だ。これを中尾さんに伝えた、それだけのことである。まえがきで謝辞を述べて頂くほどの尽力ではないので、誤解なきよう表明しておきたい。

とにかく面白い!
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by sumus_co | 2013-03-31 21:03 | おすすめ本棚

もうひとつの川村清雄展

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『もうひとつの川村清雄展 加島虎吉と青木藤作・二つのコレクション』(目黒区美術館、二〇一二年一〇月二〇日)を借覧している。川村清雄の代表作は「形見の直垂(虫干)」のようだが、個人的には断片的な作品しか印象になく、どういう作家なのかよく知らなかった。この図録は江戸東京博物館で同時期に開催された川村清雄展に合わせて目黒区美術館および那珂川町馬頭広重美術館の二つのコレクションで構成された展覧会のもの。しかしこれだけでも、おおよそのところは理解できる。川村については鏑木清方が次のように評しているのが的を得ているようだ。

《川村氏は明治期洋画家界の先駆者で、油絵の是真と云はれ、油彩で抱一から是真、省亭と伝はつた江戸好みの工芸趣味を特色とした人で、鮮麗な色彩と渋い味はひとを巧みに調和させた特異な存在だつた》(岩切信一郎「装幀意匠家・川村清雄」より)

本展の特色は装幀意匠に焦点を当てていること。川村は雑誌『新小説』(春陽堂)や『新婦人』(至誠堂)の表紙画を手がけ、大正三年頃まで五十点以上の単行本の装幀を行っており、それがまた、鏑木の言葉通りの渋派手な江戸好みの工芸趣味、ロコツな和洋折衷が何とも面白い。今どきの作家で比較すれば、ひょっとして村上隆かも(!)

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川村のパトロンでもあった至誠堂の加島虎吉は出版界ではなかなかのやり手だったようだ。

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加島は明治四年一月十日に但馬の国(兵庫県)豊岡に生まれた。御用商人の家に育ったと言われ、早くに上京して勉学しつつ石屋の小僧などもやり、夜店の本屋からたたきあげて書店界へ足を踏み入れたという。明治二十七年頃に古本・貸本業を始め、二十八年には日本橋区人形町に「至誠堂」を創業している。明治三十二年、新本・雑誌の取次・販売を開始。

明治四十一年頃(四十二年?)、日本橋本石町に新社屋を設立して出版業にも手を拡げた。処女出版は同郷の経済学者・和田垣謙三の『青年諸君』(一九〇九年)、これがよく売れた。本図録には百六十点以上の至誠堂の刊行物がリストアップされているが、手堅い辞書などの実用書を柱としつつ、大町桂月、村上浪六、渡辺霞亭らの作家や渋川玄耳、三宅雪嶺らジャーナリストの本もかなり出している。明治末から大正にかけての重要な版元の一つであろう。

ところが、大正十二年の関東大震災で痛手を被り、大正十四年には倒産の憂き目を見た。その後、取次部門を大誠堂としたが、これも大東館へと再編されてしまう(東京堂・東海堂・北隆館とともに四代取次時代に突入)。加島はしかし自宅で出版業を続けていたようで、少なくとも昭和四年までの出版物は確認することができるようだ。昭和九年歿。

誠文堂の小川菊松は至誠堂の番頭を勤めていた。小川菊松『出版興亡五十年史』(誠文堂新光社、一九五三年)および『回顧五十年 藤井誠治郎遺稿』(藤井誠治郎遺稿回顧五十年刊行会、一九六二年)に至誠堂の草創期についての情報が盛られているということである。
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by sumus_co | 2013-03-30 20:51 | 雲遅空想美術館

矢野眞遺作展

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矢野眞遺作展
http://www.kentauros.com/makoto_yano/posthumous_work.html
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by sumus_co | 2013-03-30 14:30

三鷹ゆかりの文学者たち/二人の友

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『三鷹市市制施行60周年記念展 三鷹ゆかりの文学者たち』(三鷹市芸術文化振興財団、二〇一〇年)を頂戴した。阿佐ヶ谷、高円寺には文士連が大勢住んでいたことは知られているし、それに関する本も出ている。ところが三鷹市となるとあまり具体的な印象がなかった。たしかに太宰治がいた、それはそうだが。

本書によれば、他にも三木露風、山本有三、武者小路実篤、丹羽文雄、瀬戸内寂聴、吉田一穂、宮柊二・英子、吉村昭、津村節子、大岡信・玲、李恢成、辻井喬、井上荒野、高村薫、奥泉光、平田オリザ、吉野左衛門(三鷹出身のジャーナリスト、俳人)、亀井勝一郎、今官一、武田麟太郎、小林美代子……そして村上春樹も昭和四十四年に三鷹のアパートに引っ越しているし(翌年まで住む)、川本三郎も下連雀に住んだことがあった。また森鴎外が下連雀の禅林寺に改葬されたのが昭和二年、この寺には太宰治の墓があり、昭和二十四年には田中英光がその墓前で自殺を図った。小林美代子も三鷹市内の自宅で自殺している。

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三鷹に関連する同人雑誌の写真に目が止まる。『文学者』は丹羽文雄の主宰で同人雑誌といっても影響力の大きなもの。『Z』はその後継誌、三谷晴美(瀬戸内寂聴)と恋愛関係にあった小田仁二郎が主宰。『亞』はさらにその後継、吉村昭の主宰。吉村昭は同人誌で鍛え上げ頭角を現した作家であった。

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で、どうしても残念だな、と思うのは小山清が抜けていること。小山清は昭和十五年に三鷹下連雀の太宰宅を初めて訪ねた。『ARE』第十号の大崎節子「年譜と小山清」からそのくだりを引用してみる。

《玄関の戸をあけて、「ごめん下さい」と言うと、すぐに太宰治があらわれた。「初めてお伺いした者ですが、ちょっとお目にかかりたくて」と言うとかるくうなづいてから「お上がり」と言った。清が黙っていると「三鷹ですか」と太宰が聞いた。「いえ、下谷です」というと太宰は怪訝な面持ちをした。そして下谷には砂子屋という本屋がありますねと確かめるように言った。それから「尾崎一雄がいますね」と言った。なんで下谷の住人がはるか三鷹くんだりまでという口ぶりだった。清が持参の原稿を取り出すと、太宰は興ざめ顔をした。それもその原稿が鉛筆書きなのを見て、自分も鉛筆を使ったことがあるが鉛筆は疲れるような気がすると言った。太宰は一旦傍らに置いた原稿を取り上げて、書き出し二三行を読み、うなづいて「いいものかも知れない」と言った。太宰が読んだのは清の文章ではなかった。エピグラフとして引用したアンデルセンの文章だった。清はちょっとおかしかった。でも、いずれわかることだからと何も言わないで帰った。》

この後、清は太宰をしばしば訪ね、小説を見てもらうようになった。昭和二十年には清の住んでいた新聞販売店が空襲によって焼失したため、清は太宰宅に身を寄せた。太宰一家が甲府に疎開した後も清は三鷹の留守宅に住んでいた。昭和二十一年十一月に太宰らが帰ってきてもしばらく一緒に居たが、翌年一月末に炭坑夫の募集に応じて夕張へ出かけた。

昭和二十三年、太宰死去の報を受けて東京に戻る。清は夕張を引き払って文筆に専念するようになった。このときは板橋区に越したが、二十四年に武蔵野市吉祥寺に移転、三十一年に練馬区関町の都営住宅に当選するまでそこに住んでいた。ということで三鷹市(=太宰治)とは深いつながりがあるわけだ。ぜひとも入れておいて欲しかった。

頂き物をする少し前に『二人の友』(審美社、一九七九年八月二十日再版、初版は一九六五年)を目録で買った。うっかり日本の古本屋で検索しないまま注文して、届いてから調べると、一番高額な方だったのガッカリ。しかも鉛筆の線引きを消した跡がかなりある。まあ、仕方ない、自らのうかつさは別にして、この本屋さんは小山清を高く評価しているのだろう、と納得することにした。

短い随筆を集めたこの本では、清が太宰のことを書いたものもいいが、「井伏鱒二の生活と意見」は井伏の本質を無造作にえぐるような佳作であろう。井伏の書斎について書かれているあたりを引いてみる。

《井伏さんのお宅に伺うと、いつも玄関からは入らずに、庭先へ廻り、縁側から書斎に上る。井伏さんの書斎は庭に面した八畳間で、ここで井伏さんは客に会う。
 井伏さんは庭のことを植木溜と云っている。実際、処狭きまでに、庭いっぱいにいろんな樹木が植えてある。井伏さんはその樹の一つ一つを、井伏さんの郷里、深安郡加茂村の家の背戸から眺めた、故郷の山々の姿になぞらえて見ているのだという。あの樹はなに山、この樹はなに山というように。》

《井伏さんの机は、横長の抽斗のない、材は赤松の、もう十五年来愛用しているものである。夜になると、井伏さんはこの机のうえに電燈を引っぱってきて、執筆するようである。文房具なども、とりわけて好みに執することもないようである。井伏さんは身のまわりをかえりみて、あれも貰いもの、これも貰いもの、それも、と云つた。井伏さんはいまいい硯箱が欲しいそうである。
 部屋の壁には、ゴッホの糸杉の絵の複製が貼ってある。カレンダー附のポスターである。どこやらの酒場に掲げてあったのを、気に入ったので、無心してきたのだという。
 井伏さんは机のわきにある小抽斗をあけて、なにやら取り出し、私に渡して寄こした。見ると、馬糞紙でこしらえたメンコであった。井伏さんが子供の頃に弄んだ品だそうである。こないだ郷里へ帰ったときに、生家で見つけたのだといふ[ママ]。
「心が荒れているときなど、こんなものを取り出して見ていると、柔らいでくるね」
と井伏さんは云った。》

小生、井伏鱒二をよく読んだ時期があったが、この小山清の観察は、その読書体験から得た印象をしっかり支えてくれるような感じがする。「井伏さんって興奮させるところのある人だろ」……と太宰が清にもらしたという言葉も、また鋭いものだ。

もうひとつ、井伏が酒場で清に語った、執筆に際していちばん大事なことというのが、意外性があって、しかもいかにも井伏らしい。チエホフのように書きたいねと言ってこう続けた。

「いちばん肝腎なことは熟睡することだ。」

熟睡した後では潜在意識がよび覚まされて、自然に筆が運ぶのだそうである。これは自らを強く恃むところのある作家にしか言えない言葉だと思う。
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by sumus_co | 2013-03-29 22:07 | 古書日録

パリの本屋さん 林哲夫作品展より2

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例によって額縁を自主製作。今回は内側に古布を貼り付けてみました。
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by sumus_co | 2013-03-29 09:01 | 画家・林哲夫

永遠の線を求めて 坂田一男

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『永遠の線を求めて 抽象絵画の先駆者坂田一男』(山陽新聞社、一九九六年一一月一八日)。高松市の古書店で発見。これまで坂田一男についての資料を持っていなかったことに思い至り購入してみた。

坂田は明治二十二年岡山市生まれ。父は東京帝大卒、ドイツ留学もした高名な外科医であった。岡山中学卒業後、岡山医専、六高を受験して失敗。上京して予備校に通ったが次々に受験に失敗しノイローゼ気味になった。大正二年に二十四歳で画家になることを決意。本郷絵画研究所で岡田三郎助に、川端画学校で藤島武二に師事する。大正十年三十二歳、フランスへ渡る。いくつかの研究所に通った後、オトン・フリエス(Achille-Émile-Othon Friesz)の教室に定着しフリエスの家族とも親しくなる。この渡仏後の一年間で坂田はすっかり人生観を変えた。

《何んだか総べてを超越してしまった様な気がします。お金を受け取りました。お金も在っても無くてもよい様な気がします。パンと水と丈でも生きられるし、何んなら食わずにいた所で、絵丈かいて知らない裏に死んで了ったって平気な様な気になって了まいました。》(母宛書簡、一九二二年八月二日、本書年譜中の引用より)

この後、サロン・デ・ザンデパンダンなどに出品しながら、フェルナン・レジェの教室で学ぶことになった。坂田は終生レジェを崇拝していたようである。たしかにレジェの影響力は戦後にいたるまでその画風を支配しているようにも思えるが(晩年は独自の世界を築く)、レジェよりもずっと繊細で色彩感に優れているようだ。

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気付いたこと。一九二五年のサロン・デ・ザンデパンダンに出品した絵の図版は掲載されているのだが、年譜にはその記載がない。単に見落としか、確証がないために記載しなかったのか、それは解らないけれども、このときの出品目録はこのブログですでに紹介している。

SOCIÉTÉ DES ARTISTES INDÉPENDANTS
http://sumus.exblog.jp/8539957/

そこに二点出品している。再引用しておく。

SAKATA(Kazuo), né à Okayama.ーJaponais.ー 15, rue Hégésippe-Moreau
3030 Etude.
3031 Etude.

下の図版ページ、左上の作品はこのどちらかであろう。どちらにしても「エチュード(習作)」というタイトルだった。年譜に書き込んでおこう。

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坂田の写真。パリにて一九二三年六月。驢馬にまたがっている。どうやら剥製か作り物の驢馬である。背景は垂れ幕のようだ。足下にマンホールの蓋が見えているので戸外でセットを組んで写真撮影をするような商売があったのだろうか。

坂田は父の死去によってフランス生活が維持できなくなり、昭和八年十一月に帰国。足掛け十三年の滞在だったが、妹の記憶によれば、持ち帰ったのは《スケッチ用画紙と鉛筆、着替えの肌着が入った紙製のトランク一つだったという》。サッパリしていてよろしい。
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by sumus_co | 2013-03-28 21:57 | 雲遅空想美術館

パリの本屋さん 林哲夫作品展より1

パリの読む人を描いてみました。これらは二十点くらい出品する予定です。

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2013年4月13日(土)〜24日(水)
パリの本屋さん 林哲夫作品展
http://sumus.exblog.jp/page/2/

メリーゴーランド
http://www.merry-go-round.co.jp
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by sumus_co | 2013-03-27 21:35 | 画家・林哲夫

江戸川乱歩著書目録

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『江戸川乱歩リファレンスブック3 江戸川乱歩著書目録』(名張市立図書館、二〇〇三年三月三一日)を久し振りに取り出す。ビブリア古書堂の最終回を見て思い出した。装幀は戸田勝久さん。筒函で用紙にも凝った書物通ならではの美しい仕上がり。江戸川乱歩リファレンスブックは全三巻、1は『乱歩文献データブック』(一九九七年)、2は『江戸川乱歩執筆年譜』(一九九八年)。

見返しの原稿は「蜘蛛男」連載第一回。扉の作品は戸田勝久「月の菴」(二〇〇一年)。なんとも贅沢な著書目録。名張市は乱歩の生まれ故郷である。本書は二〇〇一年までのデータを収録している。それによれば乱歩の著作総数は千四百二十四点、うち自著が九〇九点、だというから驚きである。

本書の序文を新保博久氏が執筆しておられるが、この後、同氏と山前譲氏の監修になる光文社文庫の決定版『江戸川乱歩全集』(全三十巻、完結二〇〇六年)が出ることになるから、乱歩の人気には計り知れないものがある。二〇〇六年三月二日の朝日新聞に出た完結を報じる記事がこの本に挟んであった。《最も売れているのは初期短編集の趣の「屋根裏の散歩者」(第1巻)。予想外に売れたのは「黒蜥蜴」(第9巻)という。》

ビブリア古書堂の最終回では「押絵と旅する女」(「押絵と旅する男」の初稿)という破棄されたはずの原稿が保存されているというのが大きな隠し球である。それはいいとして、問題は演出だ。金庫のなかに二つ折りにした原稿用紙の束がそのままポンと置かれているというのは、まず、あり得ないだろう。乱歩コレクター(じつは乱歩の泊まったホテルの従業員だったから破棄原稿を保存できたという筋書き)の秘蔵品なのだから。漆塗りとは言わないまでも、せめて桐箱にくらい入れておいて欲しかった。

ビブリア古書堂の棚も、もう少しなんとかしても良かったのでは? どう見てもプロの古本屋が作った棚ではない。マニア向けなら(いや、マニア向けでなくとも)こだわって欲しかった。ストーリーそのものはヒネリも利いていていいと思うが、視聴率ということからすると、やはり一般向け推理ドラマでは次々に殺人が起こらないと難しいのだろうか。古本の世界、セコイ事件はしょっちゅう起こっているが、殺人は……当たり前ながら、そうはないでしょう。
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by sumus_co | 2013-03-27 21:13 | おすすめ本棚

エターナル・サンシャイン

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映画「エターナル・サンシャイン」(ミシェル・ゴンドリー監督、二〇〇四年)を観た。脚本が「マルコヴィッチの穴」のチャーリー・カウフマン(なるほどと納得)。

監督であるミシェル・ゴンドリーはフランス人、一九六三年ヴェルサイユに生まれた。祖父の代から音楽一家だったようでバンド「Oui Oui」でドラマーをやっていたが、そのMTVを作ったことから、ビョークやストーンズらのビデオクリップを多数製作するまでになる。ヴィデオを使ったインスタレーションや漫画の原作も。そして映画も作るようになった。最新作は四月に公開されるボリス・ヴィアン原作の「日々の泡」。オドレイ・トトゥが主演のようだ(宣伝ヴィデオを見る限り、あまり期待できそうもない)。

L'Écume des jours (film, 2013)
http://www.lecumedesjours-lefilm.com

NY、ヴァレンタイン・デーの朝、目覚めると頭がすっきりしない。今日は会社を休んでやれと思ったジョエル(ジム・キャリー)は反対方向の電車に飛び乗りロードアイランド方面へ向かう。人気のない砂浜で一人の魅力的な女性クレメンタイン(ケイト・ウィンスレット、「愛を読むひと」でも登場)と知り合う。彼女はバーンズ・アンド・ノーブル書店に勤めている。この書店については以前わりと詳しく書いておいたので参照されたし。要するに全米最大手のチェーン書店。

J・エプスタイン『出版、わが天職』
http://sumus.exblog.jp/13708729/

フィッシャーマンズ・ワーフのバーンズ・アンド・ノーブル
http://sumus.exblog.jp/9560783/

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すっかり恋人になっていたはずが、ある日、書店を訪ねると彼女は「何か探します?」と赤の他人のような扱いをする。彼女の記憶からジョエルはすっかり抹殺されてしまっていた。

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それなら俺も、ということでジョエルも記憶抹消クリニックでクレメンタインに関する記憶を消してもらおうとするのだが、その作業中に異変が起きる……というようなお話。ごちゃごちゃして解り難いところもあるものの、基本構造は単純なので、最後まで見られないほどではない。

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原題は「Eternal sunshine of the spotless mind!」でこれはアレクサンダー・ポープが「アベラールとエロイーズ」をテーマに書いた熱い長詩「エロイーザからアベラードへ Eloisa to Abelard」から一行をそのまま使っている。該当する連を引用しておく。真実の愛は夢のなか、そして天国にしかないということなのかな?

How happy is the blameless vestal's lot!
The world forgetting, by the world forgot.
Eternal sunshine of the spotless mind!
Each pray'r accepted, and each wish resign'd;
Labour and rest, that equal periods keep;
"Obedient slumbers that can wake and weep;"
Desires compos'd, affections ever ev'n,
Tears that delight, and sighs that waft to Heav'n.
Grace shines around her with serenest beams,
And whisp'ring angels prompt her golden dreams.
For her th' unfading rose of Eden blooms,
And wings of seraphs shed divine perfumes,
For her the Spouse prepares the bridal ring,
For her white virgins hymeneals sing,
To sounds of heav'nly harps she dies away,
And melts in visions of eternal day.

全文はこちら

Alexander Pope, "Eloisa to Abelard"
http://www.monadnock.net/poems/eloisa.html
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by sumus_co | 2013-03-26 21:12 | ほんのシネマ

世ニ二棄物有リ

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近所の桜はまだ五分咲き程度のようだが、この樹だけは満開になっていた。

『scripta』二十七号(紀伊國屋書店、二〇一三年四月一日)が届いた。荻原魚雷氏の新連載「男の本棚」が載っている。第一回は「四十初惑」と題して、野村克也、扇谷正造、吉川英治、源氏鶏太とつないでゆく芸は魚雷氏ならではの筆さばきである。そのなかに田能村竹田が登場しているので驚いた。昨日の今日だ。吉川英治からの引用。

《田能村竹田は、三十で隠遁し、四十代で田翁、田叟(そう)と自署していることから、吉川英治は「ずいぶん老けた人である」とおもっていた。
 しかし五十歳ちかくなった田能村竹田は、若年のころからずっと誰にも負けまいという気持で絵を描いてきたのだが、「四十をすこし踏んでからは、これでいいかと考え出した。(中略)つまらない雑草の花ではあっても自分の枯れた後も、この土壌に自分の種族を来年の春も、次の春も、咲いてあるように欲しいというような本能を感じてくる」というようなことを友人宛の書簡に綴っていたそうだ。》

竹田の隠居したのは三十六歳(数え三十七)である。竹田は由学館という藩校で講義をし、また『豊後国誌』編纂に従事した岡藩(大分県竹田市)の有望なインテリ青年だった。文化八年の百姓一揆に対する建言書を藩主に提出しようとしたらしいが、しかし下役だったので提出も許可されなかったらしい。そのため隠居願いを出し、それは認められた。ただし隠居後も由学館で非常勤講師を勤め、藩からは扶持ももらっていたので、本当の隠遁というのとは少し違う。

《世ニ二棄物有リ。蕉叟ト僕ト之ヲ謂フ也……是ヲ以ツテ会スル毎ニ相謀リ、帰隠ノ計ヲ為ス。而シテ猶未ダ果サズ、頃日、僕ハ竹田書屋ニ屏居ス……》

とこれは享和三年(一八〇三)に書かれた竹田の文(『日本美術絵画全集 木米/竹田』解説より)。自らの無力さを痛感し隠遁(隠居ではなく)への願望をつのらせていたことがよく分る内容である。吉川英治の言うようなのんきな話ではないようだ。むろんここから田能村竹田は田能村竹田に成るわけだから、この挫折感をわれわれは幸いとしなければならない。

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「愛瓢自画像(部分)」(『日本美術絵画全集 木米/竹田』より)。若い頃から晩年まで眼病に苦しんだというが、天地眼のような瞳の配置にちょっと凄みがある。

富士川英郎は「鴟鵂庵詩話(十四)」(『本』第十五号、一九六五年五月)で田能村竹田を取り上げて、その詩風について次のように書いている。

《竹田は一言にして言えば、風雅の士であり、趣味の人であった。広瀬淡窓、草場珮川、田能村竹田と三人を並べてみると、淡窓の詩は清逸典雅で、格調が高く、珮川は素朴で、日常的で、写生的であるが、竹田は最も浪漫的、趣味的で、書巻の気が多い。そして時に「穠褥に過ぎた」その詩境が、しばしばデカダンスに陥っていると言うことができるが…》

竹田の風雅や趣味の根幹に挫折が、深い無力感が、あった。しかも、その絵も詩も趣味の人の域は遥かに超えているし、本人にも高みを求める強い自覚があった。竹田は著作も多い。全集……はちと高価だが、いずれ繙いて、もっとよく竹田の本質を見つめてみたいと思う。
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by sumus_co | 2013-03-25 22:19 | 古書日録