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災厄と身体

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季村敏夫『災厄と身体 破局と破局のあいだから』(書肆山田、二〇一二年一〇月二五日、装幀者=菊地信義、カバーのように見えるのは帯、いや丈の短いカバーかな、やっぱり)読了。詩人というよりも人としての季村さんの思索と行動の記録である。東北の震災と阪神の震災というふたつの大きな災厄についてどうとらえ、どう関わったのか、関われるのか、それはホロコーストや水俣、太平洋戦争とも呼応して自己と他者の在り方、あるいは表現行為そのものへの疑義、無力感を受け止めつつ、立ち上がる、立ち上がらざるを得ない……そんな誠実さがひしひしと感じられる。

くり返し語られるキーワードは「ほとり」である。

《災厄直後、私の場合は阪神大震災ですが、「あいだ」ではなく、「ほとり」という場所を考えていました。死者と生者のほとり、まだなま温かい死者の間近で生きて在る。》

《生き残った。死者は昨夜、いっしょに酒を酌み交わした親しい隣人。これが十七年前の一月十七日の実感です。》

《「いま・ここ」といえば、瞬間性、偶然性が刻印されます。一瞬に過ぎ去る時間、私たちは日々通り過ぎ、刻々と過ぎ去るひとりです。「あいだ」にうずくまる、目に見えない死者を抱えながら。死者を踏みつけながら、通り過ぎるわけですから、逃亡というか、ある種のごまかし、欺瞞というか、見て見ぬふり、忘却という問題を背負っていかざるをえない、そうおもいます。》(超越者としての震災)

こんなに近いのにあまりに遠いということだろうか。存在の本質について考えると時間に触れざるを得ない。ゆく河のながれはたえずして…世の中にある、人と栖と又かくのごとし…(方丈記が東北の震災後によく読まれているらしいが)。

《よそごと、よそごととして関わることから始めるしかない、そういうことです。もう一つは行きずりということ、友人知人でもない、人生の途中の小道で偶然出会い、わかれていく他者が決定的に忘れがたいということです。》(同前)

《見てみぬふり、傍観者性こそが表現を促し、表現者のうずきとなるのだ、改めて知ることになりました。》(同前)

誰であってもすべての災厄を背負うことはできない、その歯痒い気持ちが表現につながる。しかしそこには陥穽が待っている。

《書かれたことは、なにごとかを隠蔽している。隠蔽、その所作に、制度、拘束、捏造などが無意識のうちに孕まれる。》(書かれたこと、書かれなかったこと)

《中島敦の「書かれなかった事は、無かつた事ぢや」、私はこの考えに抵抗する。》(同前)

《書くこと、書かないこと、不可避的になにかを隠蔽してしまうこと。そのことに自覚的にふるまう。これは最低限のエチカである。》(同前)

ではどうすればいいのか、どうするのか。

《身のまわりの、できることから少しずつ、自分のペースで始めよう、今そうおもっている。
 古書店をいとなむ友人は、いつも通りに淡々と、いつもより少し慎ましく、今まで以上、おもいっきり古本にまみれていたい。そうつぶやく。でも心はうづく。うづき、うつむき、東北の方へ向かっている。そうつぶやいていた。少し慎ましくの、「少し」というところ、ここに、心動かされる。少しという心づくし、量で測れるものではない。》(心づくしーー今できることから)

読み終わった頃にちょうど矢部登さんから『田端抄 其参』を頂戴した。そのなかに田内静三の詩が引用されていた。「老来惘然」と題されている。老であろうと若であろうと死者を踏みつけながら通り過ぎることに変りはない。

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またピッポさんからも『横浜六角橋詩集』(黒猫リベルタン叢書、二〇一二年一〇月二〇日、装丁=Pippo)を頂戴した。

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頭が「災厄と身体」になってしまっていたため(平常あまり考える本は読まないからでもあるが)ここでもこんなフレーズが目に留まってしまう。Pippo「六角橋商店街」より。十五歩ぐらいうしろで《よそごととして関わる》わけだ。

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古書店をいとなむ友人とは誰か? 考えていたら、ふとこの人が思い浮かんだ。『本と本屋とわたしの話3』(宮井京子、二〇一二年一〇月一日)の宮井さんのエッセイ「いちばん敷居の低い店ーー古書店街の草」より。
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というふうにいろいろなことを連想させてくれる本はいい本に違いない。

書肆山田
http://www.longtail.co.jp/~shoshi-y/
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by sumus_co | 2012-10-31 21:13 | おすすめ本棚

俳画の美 蕪村・月渓

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柿衞文庫の創始者である岡田柿衞(1892-1982)の没後三十年記念展を見る。久し振りに伊丹へ行った。美術館の周辺は震災の後すっかり変ってしまった。それ以前にはかつて繁栄した地方都市の情緒を色濃く残していたが、今は街全体がほとんどまったくと言っていいくらいすっかり建て替えられてしまった。旧岡田家もかなり老朽化していたような気がする。今はご覧のように記念館になってしまった。時流と言ってしまえばそれまでだが、街を残すというのは容易なことではないらしい。京都だってよそ事ではない。

それはともかく「俳画の美 蕪村・月渓」はいかにも柿衞文庫らしいしっとりとしたいい展示だった。蕪村のとびきりの名品「又平に」だとか「徒然草・宇治拾遺物語図屏風」だとか「奥の細道画巻」なども良かったし、それこそ俳画のキラリと光る名軸がいくつも並んでいた。

それはそれとして今回は月渓(宝暦二1752〜文化八1811)の作品をまとめて見られたのが収穫だった。月渓は二十歳頃に蕪村の弟子となり蕪村そっくりな作風を身につけた。その後、不幸が重なって傷心の身を養うため蕪村にすすめられて池田(大阪府池田市)へ移った。この地で心機一転、呉春と名前も変えて僧形となった。蕪村歿後は円山応挙と親しくなり四条派の画風を自家のものとする。その月渓時代の主要作が二十点以上並んでいた。蕪村と相対で較べては酷なところもないとは言えないけれども、図録に戸田勝久さんが

《自ら光を放つ太陽にはかなわないものの、太陽からの光を浴びて夜空に浮かぶ月の美しさもある。》

と書いておられる通りだと思う。書簡や俳句帖などもあって飽きない展示である(11月4日まで)。下は月渓筆「蕪村像」。

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そうそう、驚いたのは岡田柿衞が昭和六、七年に撮影した前衛写真二点。柿衞の事績を伝える展示コーナーに並んでいたのだが、柿衞は一時期、浪華写真倶楽部に属していたそうで、道楽を越えた本筋の作品になっていた。

また隣接する伊丹市立美術館では中原浩大展をやっている。ほぼエスキースばかり。誰か、例えば坪内稔典さんとか、が俳句を寄せたらコンテンポラリーな俳画になりそうだ。

駅への戻り道、あるお寺の門前に今日の一言が張り出してあった。

 三日月もほんとうはまあるい

うまいこと言うなあと思った。帰ってから調べたら浄土宗の十月の日めくりの表題だそうだ。お寺さんの標語にはアンチョコがあったのか。
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by sumus_co | 2012-10-30 20:27 | 雲遅空想美術館

旧岡田家酒蔵

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旧岡田家住宅・酒蔵
http://www.city.itami.lg.jp/SHISETSU/_8276/0003878.html
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by sumus_co | 2012-10-30 19:39 | 写真日乗

新語新知識付常識辞典

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『新語新知識付常識辞典』(大日本雄弁会講談社、一九三四年一月一日)キング新年号別冊付録。質問・回答形式で新しい言葉を説明している辞典。某氏よりお借りしているが、これは読んで飽きない。面白い。

「野球の球の性質を教へて下さい」ではイン・カーヴ、アウト・カーヴ、イン・ドロ、アウ・ドロ、イン・シユート、アウト・シユート、イン・コーナー、アウト・コーナーの説明がしてある。インとアウトは打者に近い方と遠い方という意味。カーヴ、ドロップ、シュートの意味するところも現在とやや異なっているようにも思う。球種の細かいことには詳しくないけれどもシュートとあるのが今のスライダーのようだ。

「最近美術界に於ける左の主義の意味を教へて下さい」では立体派(俗に三角派ともいふ)、印象派、後期印象派、シュール・レアリズムの説明が答えとして出ている。シュール・レアリズムは以下のように定義されている。

《現実的な意識から離れて人間の感情や夢想などを画面に示すことを主張した一派で、世界大戦後のフランスに起つた画派です。これにはフロイドの精神分析学の理論が影響してゐますが、画面といふものは現実をうつすことに限らないといふ点で、勝手な表現をするから、これも一見何が何かわからぬ。》《ミロー、タンギー、ピカソ等が現在この派の作家。》

あれ? ピカソはシュルレアリストだったのかな。ごく広い意味で言えばそうかもしれないが。

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「レストラン、バー、カフエー、ミルクホール、喫茶店はどう違ひますか」の回答は全文引用しておく。(改行のところ一行アキとした)

《【答】 レストランとは特に欧米風の食事をさす料理店を云ひます。定食の外に二三品といふ軽便な食事もつくり、食事中に必要な酒類其他の飲料も備へて客の註文に応じます。

 バーは酒場のことです。各国の各種の酒類を網羅し、酒本位の客の満足する様、設備してあります。つまみ[三文字傍点]と称へる小菜以外その店では食事の用意をせず、レストランに比し、小規模で、経費も少く、随つて売価も幾分低廉です。

 カフエーは珈琲店です。良いコーヒーを安価に飲ませるのが主眼ですが、ビール、リキユール等の飲物や、パン、サンドウヰツチ程度の極く軽い食物位は用意してゐる訳です。我国現在のカフエーは、本当にコーヒーのみを飲ませて呼物にしてゐる店もありますが、大体レストランでもあり、バーでもあり、カフエーでもあり、殆ど此等三種を混同した特種の営業をしてゐるものが多く、何も美人のサービスを切離しては考へられぬ様な有様です。又、サロンと云ふのは我国の現状では美人揃ひの大きな構へをもつた所謂高級なカフエーを指します。

 ミルクホール、これは牛乳を飲ます店です。多く牛乳屋が兼業して居り、ミルク、トースト位を売うつてゐます。多く学生や小サラリーマンなどがお客で、官報や新聞などを供[ママ]へて奉仕をしてゐます。併し食堂や喫茶店などが盛になつた今日では、ミルク専門のかうした店は段々数少くなつて来ました。

 喫茶店、これは主として紅茶とか菓子とかを販売する店です。紅茶の外コーヒー、ソーダ水、アイスクリーム、各種の和洋菓子などを備へて、婦人子供等を常客とするのが普通ですが、今では手軽な食事なども出来、中には酒精含有の飲料も売る店もあつて、欧米の喫茶店に比し、余程風変りの形をしてゐます。》

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こちらは架蔵のキング新年号付録。ただし戦後版である。『新語大辞典付世界時局人名録』(一九五一年)。作りとしては簡略化されていて戦前版の凝った感じはまったくない。シュルレアリスムはここでも新語として出ている。

《シュール・レアリスム(sur-réalisme 仏)「超現実主義」の意。主観的で、幻想的な、独特な芸術傾向。文学上にも使われるが、もともと絵画の一方向で、ピカビア、キリコなどがこの派に属する。フランス映画「美女と野獣」、イギリス映画「赤い靴」のバレーの場面などはこの傾向のもの。略してシュールともいう。》

《もともと絵画の一方向》でいいのか? もともとは詩人たちが始めた文学運動ではなかったろうか。グループの主導権を握ったアンドレ・ブルトンの美術好きから美術に偏重したようにみなされるのかもしれない。なおブルトンは音楽に興味を持たなかったため、当時は音楽のシュルレアリスムは存在しなかったようだ。
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by sumus_co | 2012-10-29 21:31 | 喫茶店の時代

コタツ

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高松の家の荷物を整理する。古い家電をみんな捨てずに取ってある。扇風機がいちばん多くて十台ほどあった。よほど暑さが苦手だったか。このナショナルのコタツはもらおうかと思っている(使うという意味ではないです)。

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本はさすがに一般家庭の本棚である。健康や長生きの本が好きだった。将棋関係は思ったほどではないが(実戦派だったので)それでも何十冊かはある。
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by sumus_co | 2012-10-28 16:52 | 写真日乗

Morandi 1890-1964

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モランディについてはこれまでいろいろ言及してきた。もっとも愛する画家の一人である。ということを知っておられる方よりウィリアムモリスでこの画集を頂戴した。多謝、深謝。二〇〇八年にニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムで、翌年にボローニャの近代美術館で開催されたモテンディ展の共通のカタログであり、一般図書としてスキラから刊行されている。

日本でも昨年モランディ展が開催される予定だったが、東北震災のために急遽中止になった。その図録が『ジョルジョ・モランディ』(フォイル、二〇一一年一一月)として出版されているそうだ。フォイル(FOIL)は東京と京都でギャラリーと出版をやっている会社らしい。一度訪ねてみよう。

FOIL
http://www.foiltokyo.com/enter.html

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この図録で特徴的なのはモランディにおけるフランス絵画などの影響をかなり執拗に比較検討しているところだろう。セザンヌ。ルノアール、コロー、ルソー、スーラ、そして先日紹介したシャルダンとの類似も指摘されている。上左がモランディの銅版画(一九二七年)、右がシャルダンの静物画(一七五八年)。このシャルダンの図版をモランディはアトリエの壁に貼っていたそうだ。

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モランディ(レオ・レオニ撮影)。以下主な過去のモランディ関連記事。

甘い生活のモランディ
http://sumus.exblog.jp/18157347/

モランディへの旅  林哲夫
http://sumus.exblog.jp/13367492/

モランディのアトリエ
http://sumus.exblog.jp/13515515/

アブラモヴィッチ『ジョルジョ・モランディ:静謐の画家と激動の時代』
http://sumus.exblog.jp/12751182/

モランディが住んでいたヴィア・フォンダッツァ
http://sumus.exblog.jp/8851733/

FLOWERS BY GIORGIO MORANDI
http://sumus.exblog.jp/6606677/
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by sumus_co | 2012-10-24 20:36 | 雲遅空想美術館

上京する文學

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岡崎武志『上京する文學』(新日本出版社、二〇一二年一〇月二五日、装丁=間村俊一)読了。上京という視点で作家や作品を見直すとまた新たな眺望が現れることを教えられた。読書案内にも文学散歩案内にもまた映画案内にもなっているところはさすがで、一冊で三度おいしいという感じに仕上がっている。各作家ごとにエピローグというか締め口上のようなフレーズがでてくるのだが、それが大見得のようでなかなかチャーミング。

《この「人間なんてかなしいもんだな」こそ、周五郎文学を支える大黒柱ではないか。》(山本周五郎)

《このとき、菊池の描いた世界を現実が追い越して行った。》(菊池寛)

《賢治が乗る銀河鉄道の席の傍らには、きっとこのトランクが寄り添っているに違いない。》(宮澤賢治)

《長い長い坂を駆けるようにして上がってきた芙美子の、ここが頂上だ。》
(林芙美子)

《太宰はけっきょく、「上京」するしかなかったのである。》(太宰治)

《女性の裸が上京の理由であっても、恥ずかしいことは何もない。》
(井上ひさし)

《となると、「東京」という存在そのものが、寺山の「家」だったのか。》
(寺山修司)

ちょっと本文が読みたくなるでしょ。どうぞお求めください。

個人的なことを述べる。美術大学を了えて銀座で二度目の個展を開いた。そのときはもう京都へ移住することを決めていた。個展会場に知人というほどでもない顔見知りくらいの先輩の絵描きさんがやってきたので京都行きのことを話した。その人いわく「しばらく地方にこもるのもいいかもしれないね」。今でもはっきり覚えているくらいだからよほど印象的な言葉だったのだろう。京都を隠国の僻地か何かのように見なしているようだった。当時の小生にはひとかけらもそういう考えはなかった。東京の空気の悪さや小さな地震の多発にへきえきしていたこともあるし、また京都で古い文化に直に触れてみたいと思ったこともある(実際学んだのは古本の世界だったような気もするが、それもまた古いものには違いない)。

これは一九八〇年代の初めのことで『上京する文學』で言えば村上春樹がデビュー作「風の歌を聴け」を『群像』に発表して鮮烈にデビューし(一九七九)、ジャズ喫茶「ピーターキャット」をたたんで作家一本でやっていくことを決意して千葉県船橋へ引っ越した(一九八一)時代に符号する。

岡崎氏は、村上春樹は《昭和四十三(一九六八)年春に上京して以来、夫人の実家があった文京区千石をいちばん東として、住んだところはすべて東京の西側に偏っている》という《関西から上京して来た者は、東京の西側に住みたがる》理論にのっとって解釈し、村上春樹の船橋転居についてこう指摘する。

《このとき、ようやく東西の壁が打ち破られ、大きく針が東へ振れる。村上春樹の「上京」は、このとき終わりを告げたのかもしれない。》(これが村上の章のエピローグ)

また「一人っ子」というキーワードも上京と関連付けて解釈される。

《作品に漂うどこかもの哀しい感じ、主人公のクールさなど、村上作品には「一人っ子」として孤独を操り育てた者にしか描けない透明な空気感がある。これは、同じ一人っ子だった詩人の谷川俊太郎にも通底する世界であり、「一人っ子」文学論をいつか書いてみたい、という気にさせられる。》

なるほど、スルドイ。たしかにあのモノトーンな感じは一人っ子の自分だけの世界観に通じるものはあるかも知れない。ひとり遊びの世界ではゲームメーカーはつねに自分である。クールにもなろうというもの。恥ずかしながら小生も一人っ子なのでこの点には共感できる。

《村上の場合、家から独立し、両親さえ近くにおらず、本当の意味で一人になれる「上京」が、その「一人っ子」気質に磨きをかけた、と言えば変だろうか。『村上朝日堂』では、上京したときのことをこんなふうに語っている。
「生まれてこの方、一人で暮らしたのははじめてだったから、毎日の生活はとても楽しかった」》

一人が苦にならないということである。ちなみにビートルズの邦訳タイトルは「ノルウェーの森」。
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by sumus_co | 2012-10-23 20:41 | おすすめ本棚

ポ・ト・フ 林哲夫作品展 開催中

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2012年10月2日〜31日

ウィリアムモリス珈琲&ギャラリー
東京都渋谷区渋谷1-6-4 The Neat青山2F
開廊時間 12:30 -18:30
休廊日 日曜/月曜/第3土曜

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by sumus_co | 2012-10-23 15:15

原色日本壜圖鑑 第〇巻

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庄司太一『原色日本壜圖鑑 第〇巻【はじめに】』(ボトルシヰアター、二〇一〇年五月二〇日)を頂戴した。びん博士として知られる著者の壜との出会いが語られている。他の巻に関してはこちらのサイトをご覧あれ。

かれこれ十年近く前になるが、小さな壜を描いた絵をある方が購入してくださった。その方の知人にものすごいボトル・コレクターがいらっしゃると伺った。この図鑑を頂戴して奇しくもその尋常ならざるコレクターというのが庄司太一氏であることに気づいたのである。

氏はもともと図鑑フェチであったという。

《昔から私は「圖鑑」というものがこの上もなく好きであつた。まだ小學校にあがる以前に、實家に近い西武新宿線の下井草驛前に三眞書房(註五)といふ本屋があり、そのニスの匂ひのプン[繰返記号]する本棚の上に保育社の『ポケツト圖鑑』を見つけて、母親にさん[濁点付繰返記号]ねだつたことを覺えてゐる。ちやうど大人の手のひらほどのサイズで、低學年用のものであり、値段は百五十圓ほどであつたらうか、ねばつた末に『貝のいろいろ』と『昆蟲のいろいろ』の二冊を買つて貰ひ、寝るときはいつも枕許において寶物のやうにして眺めてゐたものであつた。》

そしてアメリカに渡り、初めてボトル・コレクションの世界を知ったという。

《日本においては個人的妄想でしかなかつたはずのびんの世界が、その地ではすでに二十世紀初頭頃から價値あるものとして認められ、各州にはガラスびんを愛好するボトル・クラブまであつて、びんに關する書物も多數出版されてゐることを知つたのである。》

小生もイギリスの田舎町にしばらく滞在していた頃、公会堂のような場所で毎週末に開かれる蚤の市を楽しみにしていのだが、そこでは古いビンを売っている人がたくさんいた。飲料壜はもとより薬壜、インク・ボトルや哺乳瓶など種類が多いのにも驚かされた。その町の本屋(WHSmithだったと思うが)ではボトルコレクターのための定期刊行物を売っていた。ちょっと信じがたかった。蚤の市では小さなインク壜を二三買っただけで終わって深入りはしなかったが、英国のボトル熱の高さはたしかに感じた(今調べると一九七〇年代に急速に高まったものらしい)。

日本に帰ってからも古いガラスものには魅せられてきた。コレクションということではなくもっぱら絵のモチーフとして買っている。下の右は薬壜。段ボール箱ひとつにホコリだらけの薬壜が詰め込まれていた。それが骨董屋さんの店の隅においてあった。たぶん買い取ったばかりだったのだろう。一箱まとめて譲ってもらった。そのなかにこれがあったのである。下の左はどこで入手したのか忘れてしまった。ボディの文字は「JUICE」ジュース。高さ14センチ。他にひょうたん形のニッキ水の瓶も持っている。

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by sumus_co | 2012-10-22 20:52 | 貧乏こっとう

小峰大羽について続報

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先日紹介した『東京語辞典』の著者・小峰大羽についての情報を徳田秋聲記念館へ問い合わせてくださった方がおられ、本日いくつかの資料を頂戴した。上は企画展示「秋聲の本 明治篇 木版口絵と装丁の美」のガイドペーパーより。この紹介には歿年が記されていないが、歿年その他の経歴については『美術家人名事典 古今・物故画家300人』(日外アソシエーツ、二〇〇九年)の記載が添付されていた。

《小峯大羽 こみね・たいう
  郷土史家,俳人,画家 「高潮」主宰
[生年月日]明治6年(1873年)2月15日
[歿年月日]昭和20年(1945年)5月24日
[出生地]東京都[本名]小峯邦寿[別号等]号=大羽楼大羽[学歴]東京府立毛筆画伝習所卒 文学を尾崎紅葉、絵画を狩野洞谷に師事。画家としては、富岡永洗の藻斉画塾の客員、新聞・雑誌の挿絵を手がけた。俳人としては、25歳から新聞・雑誌の選者をつとめ、「高潮」主宰。大正2年高山に転居。地元俳句結社の指導なども行った。飛騨史談会創立者の一人として、「飛騨史壇」の編集を担当。昭和7年名古屋に転居。編著に「俳句大観」「東京語字典」「蘭亭遺稿」など。》

文中「東京語字典」はママである。また『新潮日本文学アルバム別巻1 明治文学アルバム』(新潮社、一九八六年)の九十八頁に徳田秋声、小栗風葉、柳川春葉と一緒に撮影された写真が掲載されいていること、山田奈々子『木版口絵総覧 明治・大正の文学作品を中心として』(文生書院、二〇〇六年二刷)に見える小峰大羽の関連記事も教えていただいた。以下の図版は同書からである。村井弦斎の挿絵も描いている。

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『徳田秋聲全集 第21巻』(八木書店、二〇〇一年)の「わが文壇生活の三十年〔1〕」には以下のように書かれている。

《その時分一番親しくしてゐた人は小栗なんかは別として、他に三島霜川、それから画家の小峰大羽といふ人、これは芸術的でないが、遊び友達見たやうなもの、一緒に物を食べに行つたり、遊びに行つたりする場合に、この人は非常に面白い人であつた。それから俳句も一緒に作つた。この小峰といふ人は紅葉さんの所へも出入りしてゐましたが、中々才人で、怠け者で、江戸児肌の面白い人だつた。》

なるほど小峰大羽のアウトラインはこれでほぼはっきりしてきた。しかしそれにしても大正二年にいきなり高山へ行ってしまうというのは、どういう理由なのだろう。飛騨高山は元禄八年以来の幕府領なので藩士の息子でもないだろうし……何らかの係累があったのか。
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by sumus_co | 2012-10-21 19:57 | 古書日録