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大統領の陰謀

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映画「大統領の陰謀 All the President's Men」(アラン・J・パクラ監督、一九七六年)よりライブラリー・オブ・コングレス(アメリカの議会図書館)の登場したシーンをいくつか。映画はウォーターゲート事件の発端となったワシントン・ポストの二人の記者たちの活躍を描いている。彼ら(ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマン)はニクソン側が議会図書館でエドワード・ケネディ(ニクソンの最有力の対立候補とみなされていた)の調査をしたという情報に基づきその裏を取りに出掛けるシーン。階段を登るウッドワード記者(レッドフォード)の背後にはホワイトハウスが鎮座している。

一八〇〇年。議会図書館(The Library of Congress)はジョン・アダムス大統領のときに設立された。しかし一四年後にはイギリス軍によって焼き払われてしまったため元大統領のトマス・ジェファーソンが自らの蔵書(6,487冊)を新たな議会図書館を設立するために提供した。翌年それは正式に受け入れられ今日の議会図書館の礎となった。

一八七〇年の著作権法によりすべての著作物は二部納本することが決められた。ところが当然ながらそれによって大量の書物や資料類が集まってきたため新しい建物を建築する必要に迫られた。コンペが行われた結果一八八六年に John L. Smithmeyer と Paul J. Pelz の設計したイタリア・ルネサンス様式の設計案が採用され、一八九七年一一月一日になってようやく新しい建物は一般公開された。

現在のコレクションは 144,000,000 アイテムを超える。書籍および印刷物は 33,000,000 冊。写本・原稿・自筆ものは 66,000,000 点以上。その他、音楽媒体なども多数所蔵しているそうだ。

下は利用状況の調査をしたいと司書(?)に掛け合っている場面。一九七二年の設定なので当時のライブラリアンはローレンス・マンフォード(Lawrence Quincy Mumford)だったろう。左に掛かっている肖像画は六代目ライブラリアン Ainsworth Rand Spofford のようだ。
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この回廊はたしかにイタリア・ルネサンス風である。
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貸し出し係のお兄さん。記者たちは貸し出し票を調べたいと言って出してもらいしらみつぶしにチェックしはじめる。
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結局は証拠となるものはすでに隠滅されてしまっており、何も手がかりは得られなかった。

映画そのものは70点くらいの出来だろうが、当時の新聞社の様子、まだパソコンも携帯電話もない(ファックスはある)オフィスや文房具類のデザインがとても興味深いのである。
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by sumus_co | 2012-09-29 20:55 | ほんのシネマ

味覚極楽

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『味覚極楽』(東京日日新聞社会部編纂、光文社、一九二七年一二月八日再版、表紙=山形駒太郎)。ある古本屋さんから「これ林さんが好きそうだと思ってとっておきました」と手渡された。今、日本の古本屋で「味覚極楽」と検索すると『味覚極楽 子母澤寛聞き書』(龍星閣)ばかりヒットするが、ありました、某書店さんが函付初版をたいへんな値段で出しておられる。こちらは函なし再版なのでグッと落ちるとは思うが、気分は悪くない。深謝です。

本書は昭和二年に東京日日新聞に連載された「味覚極楽」をまとめた単行本である。連載当初から大きな反響があったと編者の小野賢一郎は書いている。執筆者がなかなかである。石黒忠悳(いしぐろただのり、子爵・軍医)、福原信三(資生堂主人)、道重信教(増上寺大僧正)、伊井蓉峰(俳優)…と三十二人全部あげていてはきりがないのでめぼしい人物だけ拾うと…斎藤義政(千疋屋主人)、尾上松助(俳優)、永見徳太郎(南蛮趣味研究家)、ボース(印度志士)、黒川光景(赤坂虎屋主人)、竹越三叉(史家・政治家)、吉田十一(東京駅長)、秋山徳蔵(宮内省司厨長)、高村光雲(彫刻家)、三輪善兵衛(ミツワ石鹸)ら。

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誰もが熱心に語っているし、じっさい興味津々の話が多いけれど、今回は高村光雲(高村光太郎の父親です)の「四谷馬方蕎麦」を引用しよう。新蕎麦が待たれる季節(とはいえ十一月にならないと店には出回らないようだが)。光雲の話はめっぽうおもしろい(『光雲懐古談』万里閣書房)。

《維新前後、そばもりかけ十六文。店の前の往来へ、大てい正面に「二八」横の方に「二八そば」と書いた大きなあんどんがおかれてあつた。》《ところによつては、往来、このあかりが一つといふ淋しさ。お武家は余り行かないが町人は食べに行く。》

《そばは手打ち、うでてしやつきりと角があつておつゆをかけて出されても、きらりと光つてゐたものである。「かけ」の丼は八角の朝顔がた、せいろも今のとはちよつと違つて、あの四角の端に耳が出てゐる、つまり井桁に組んであつてあげ底に細い竹がすうすうつとつくりつけになつてゐる。このごろは竹のすだれで至極手軽になつてゐるが、あんなものではなかつた。手で粉をこねて、のして、さくりさくりと切つたそばである。》

《「ざるそば」といふのは、通常のところには無く、竹あみ一枚のざるへもつて出すので、海苔なんかかゝつてゐるものではない。神田けだもの店[だな]、(今の豊島町通りを右へまはつた辺)に「二六そば」という名物、つまり十二文で、なみのところより四文安いが、またその安いざつなところに一種の味があつて、そば食ひ達はよく出かけた。》

《四谷の「馬方そば」も評判で、真黒いもりがよくて、一つで充分昼食代りになつた。》《両国回向院前に「田舎そば」といふのがあつた。有名でよく遠くから食ひに集まつた。このうちには細打ち、中打ち、太打ちと三通りあつて、註文次第でどれでもこしらへてくれる。》《深川弁天脇の「冬木そば」はなかなか凝つたもので、贅沢やが珍重した。浅草駒形には「つんぼそば」、おやぢがひどいつんぼでくるくるの坊主頭だつたから「坊主そば」ともいつた。》

《麻布永坂の更科、池の端の蓮玉庵、団子坂の薮そばはその頃から有名で、神楽坂の春月は二八そば随一のうまさだなどゝいはれたものだ。下谷車坂の小玉屋といふのも評判。七軒町の佐竹ッ原のところに蘭麺といふのがあつた、これもうまかつたが、何しろあの辺はずつと屋敷町で、夜になると真ッ暗で、鼻をつままれてもわからぬ位、それに佐竹侯だの立花侯だのゝ仲間折助[ちうげんおりすけ]などが悪さをするので女などは通れなかつた。
 よく昼間出かけて行くと大名の屋敷内などから、金蒔絵をした立派な重箱をもつて、そばを買ひにきてゐた。一体あのそばは元禄時代からぽつぽつ出たものだといふ事で、はじめ菓子屋で売つたといふが、その頃になつてもまだ菓子屋で、そばを売つてるところもあつた。今のうで出しうどんのやうに、これを買つて来て家[うち]でうで、つゆをこしらへて食べるものもあつた。》

《「夜鷹そば」は如何にも江戸らしい風情のあつたもので、細いあんどんにお定まりの当り矢、手拭をとんがりかぶり(けんかかぶり)にして、風りんをチンリンチンリン「そばアウーイ」とくる、筒袖のこしらへ。》《火事見の帰りに、往来へしやがんでこれを食べる。火事はまづ冬、凍るやうなところで舌の焼けるやうに熱いのを、ふうふう吹きながらたべる、味百層倍で、小食なものも三杯はお代りをした。》《そら火事だといふが早いか、殆ど江戸中の夜そば屋はこの火事場へ集まつて来たものである。》

…と引用していてはきりがないが、語り口がじつにいい。この蕎麦の写真は芦屋の「かぶらや」。まずまずだった。
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by sumus_co | 2012-09-28 20:54 | 古書日録

APIED VOL.20/ルーフォック・オルメスの冒険

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『アピエ』第二十号(アピエ、二〇一二年九月二四日、表紙装画=山下陽子)が届く。今号は海外短編小説集がテーマ。それにしても十一年で二十号は見事。《明確な将来のプランはなく、とりあえず本誌を作れなくなればストップ、作る意欲が失せても長期休憩でいいかなと、固い決意うすく思い巡らせています。と控えめに低音で言いつつ、本誌なくしては甲斐のない人生です。》(編集後記=金城静穂)だとか。こういう覚悟がいちばんしぶとい。

巻頭、若島正「短編小説と私」にこんなくだりがある。二十歳くらいの頃、どこででも小説を読んでいたという。

《通学のバスの中でも読んだ。便所の中でも読んだ。あるとき、ヘンリー・ミラーの読書論を読んだことがある。ミラーによれば、便所は排便をする場所なのだから、そこでは一心に排便すべきであり、そこで本を読むなんて邪道だというのだ。実にもっともな説だと思うが、そう思ったところで、便所で読書をする癖が治るわけではない。食事のときも同じであり、家で食事をするときはさすがに遠慮するが、たとえば一人で外食するときなどは、まず確実に一、二ページは読む。
 悩むのは風呂に入るときである。何に悩むかと言えば、湯船につかっているあいだにちょうど読み切れる分量の短篇で、何かいいのはないかと考えるわけだ。あまり長いこと湯船につかっているとのぼせてしまうし、それに本も確実にふやけてくるので、湯船の中で読み終わらなければ、いったん出てタイルの上に座り込み、身体を洗わずにそのままの状態で読み切る、ということもしばしばある。とにかく、風呂場で読む短篇に何を選ぶかはつねに大問題であり、それを決めるだけで風呂に入っているよりも長い時間がつぶれてしまったりする。まあ、それはそれで読書人間にとって楽しいことなのだ。もしかすると、本は読んでいるあいだよりも読む前がいちばん楽しいのかもしれないのだから。》

以前書庫トイレを紹介したが、昔の人も三上(枕上・馬上・厠上)とはよく言ったものである。若島氏はそれに「皿上」と「湯上」を加えるという話である。善行堂は風呂で古書目録を読むと聞いて、なにもそこまでしなくてもとずっと思っていた。しかしながら同じようなことをする人はどうやら少なくないようだ。

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海外短編小説集というテーマだが、今なら自分は何について書くかなと考えてみた(今回は書いていません)。先日取り上げたアルフォンス・アレーも悪くない。またアレーの後継者のような面も少しあるかもしれないが、この本、カミ(Pierre Henri Cami)の『ルーフォック・オルメスの冒険 Les Aventures de Loufock Holmès』(L'Atalante - Bibliothèque de l'évasion, 1997、オリジナル版は Flammarion, 1926)を挙げるのもいいかと思う。一話が一幕二頁ほどの二幕か三幕で終わるから風呂にはもってこい(?)

これはたまたまブックオフで見つけたペーパーバックだが、どうしてカミの作品を買ったかというと、ずっと前に読んだ赤塚不二夫の自伝にカミを愛読したというくだりがあって、なぜかずっと頭の隅に残っていた。赤塚が好きだというくらいだから想像がつくだろう。まったく奇想天外というかナンセンスの極み。アレーに似ているというのはいかにも科学的に荒唐無稽の筋立てを描いているからである。タイトルからしてシャーロック・ホームズのもじり。迷探偵ルーフォック・オルメスの大活躍、第二部は最凶のライバル・スペクトラの活躍の方に重点が置かれるのだが、そのまったくナンセンスな犯罪の数々、そして脱獄の手口は見事というか開いた口がふさがらない類いのおそまつぶり。それを大真面目に描くところに真骨頂がある。

例えば「悲惨強盗団」は捕まって閉じ込められた高い塔のてっぺんからボートに乗って空の上を漕いで(飛んで)脱走する。警察から協力を求められたオルメスはその謎を解く(「Je comprends tout! すべて分った!」というのが口癖)。じつは盗賊たちの乗ったボートはヘルツ波(ondes hertziennes)という「波」にのって飛去ったのであった。そこでオルメスは妨害電波を発して彼らのボートを転覆させる……はは。

ひとつフランス語を学んだ(一冊読んでもひとつしか覚えないところがミソ)。「レ・ミゼラブル les misérables」(あるいはアン・ミゼラブル un misérable 単数形)という単語が何度か出てくるのだが、それはヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』(「悲惨な人々」「哀れな人々」とされる)とは違う使い方だということだ。カミの用法では明らかに「悪党めら、悪党め」である。ユゴーもあるいはそういうつもりだった(あるいは「乞食たち」とか?)わけはないか。

ルーフォック・オルメス Loufock Holmés
http://www.aga-search.com/807loufockholmes.html

ピエール・カミ Pierre Cami
http://www.aga-search.com/407cami.html 
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by sumus_co | 2012-09-27 21:46 | おすすめ本棚

将棋世界/近代将棋

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二十五日付けの新聞を見ていると、早くに死亡説もあったヴァイオリニスト諏訪根自子の死亡記事が出ていた。今年の三月に亡くなっていたそうだ。九十二歳。そのすぐ下の欄に永井英明さんの死亡も報じられていた。『近代将棋』(近代将棋社、一九五〇年創刊)の発行人だった方。テレビ将棋でも聞き手を永く務めておられたので将棋ファンなら知っている人も多いだろう。

つい先日、義父の将棋部屋を整理していて見つけた昭和五十九年頃の『近代将棋』と『将棋世界』(日本将棋連盟)を数冊持ち帰ってきた(これまで一度もそんなことはしていなかったのだが)。だからこの記事には不思議な符号を感じた。もっと古い号もあったはずだが、処分したのだろうか。近年は新聞形式の『週刊将棋』(マイナビ=旧・毎日コミュニケーションズ)をずっと購読していた。それも中止して何年にもなる。今はテレビ将棋を見るだけだ。

昔はよく教えてもらっていたが、『週刊将棋』を止めた頃から指さなくなった。義父としては二枚落ちから教えた娘婿に負けるのが癪なのだろうかとも思う。「駒を落として指してもらわんといかんようになるな」と言いつつ、それは絶対に嫌だったらしい。かつて大山名人と親しくしており、若い頃にはよく指導してもらったそうだ。「風呂敷包み抱えて大山さんがようきよったで」と聞いた。大山名人は岡山の人だから帰郷のついでにファンサービスで海を渡ったのであろうか。自身も全国大会で準優勝の経験もある。子供たちに将棋を教えていた期間も長く、小林健二九段も中学生の頃に通ってきていたそうだ。教え子には奨励会に入った子や女流プロになった子もいる。そういうプライドもあるだろう。もう少し指したいとこちらは思っているのだけれど、もう無理のようである。

『将棋世界』昭和五十八年新年号より「将棋雑誌の変遷」(越智信義コレクション)。この頁は明治から大正時代の将棋雑誌。こんなにいろいろ出ていたとは知らなかった。いちおう均一棚などで注意しているが、ほとんどおめにかかることはない。この号には古棋書専門のアカシヤ書店の古書目録も載っている。
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次は『将棋世界』昭和五十九年九月号。関東奨励会成績表。奨励会はプロの卵たちがリーグ戦を戦いプロをめざすところ。二十八年前である。この頁の右から三人目に羽生善治(当時初段)の名前がある。十三歳は周囲の年齢と較べると断然若い。羽生を追って1級に佐藤康光十四歳。2級には先崎学十四歳、森内俊之と郷田真隆が十三歳。この頁に三十二人の少年青年たちの名前があるが、プロとして残っているのはたぶん三分の一くらいだろうか。それにしても現在の名人(森内)と名人経験者が二名(羽生、佐藤)入っているというのは驚くべきことである。ちなみに当時の名人は二期目の谷川浩司(二十二歳)だ。
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前月の『将棋世界』昭和五十九年八月号に郷田2級(現・棋王、九段)の写真と記事が載っていた。かわいい少年である。
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一番上の写真、『将棋世界』の表紙は九手詰めの詰将棋(二上達也九段作)になってます。トライ!
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by sumus_co | 2012-09-26 21:00 | 古書日録

レンズの狩人

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『scripta』通巻25号(紀伊國屋書店、二〇一二年一〇月一日)が届いたのでいつのものように平出隆さんの連載「私のティーアガルテン行」から読み始める。連載第五回は「レンズの狩人」。今年各地で写真展を開催された平出さんはこれまでの写真との関係について書いておられる。

一九五九年三月『週刊少年マガジン』が創刊され、その巻末の懸賞付きクイズに応募して平出さんは賞品のカメラ「フジペット」を手に入れた。その後ミノックスB型を買ってもらって小学五年の夏に阿蘇旅行で写真を撮った。門司駅近くの小石カメラにフィルムを出した。

《数日後、仕上がりを取りに行くと店の小父さんが、「ぼく、この写真はいいよ」と一枚を取り出して、くり返し褒めてくれた。それは煙の少しだけ立つ火口を写したもので、大きな岩が、自分の一部をくっきりとした陰の平面に変えていた。画面の構成まで、いまでもはっきりと覚えているのは、のちに何度も、どこがいいのだろうと見つめ直したからだろう。
 その後、別のなりゆきから小石清をまず知って、それからしばらくして故郷の、あれは、小石清の店だったのかと気づいた。》

小石清は大阪生まれの前衛写真家である。モホリ=ナギやマン・レイの影響を受けて『初夏神経』(浪華写真倶楽部、一九三三年)という型破りの写真集を出版した。ひそかにこれは佐野繁次郎の装幀『時計』(横光利一、創元社、一九三四年)に影響を与えたのではないかと考えているが、それはさておき、小石清と平出隆のニアミスはなかなか興味深いものがある。小石は一九五七年に歿しているから直接出会ったというのではないだろう。

小生は平出さんほど早熟ではないが、とにかく写真を撮るのは好きだった。中学時代からリコーのハーフサイズのカメラを持って国道を走る自動車だとか、どうでもいいものをパチパチ撮っていた。今でも、どうでもいいものに惹かれて、デジカメだからいっそう見境なしにドンドン撮ってしまう。

このカメラの話を読んで思い出したのが上に掲げたベタ焼き。田舎の書棚を整理していたときに見つけた。百枚ほどある。四十年近く前に撮ったもので郷里の風景がほとんど。おやっと思ったのはしばらく飼っていた黒犬が写っていたこと。この犬は何か悪い物(農薬入り?)を拾い食いしてこの後間もなく死んでしまった。すっかり忘れていた。

一枚一枚ベタ焼きを眺めていると、ほんとにどうでもいいものを撮っている。今となっては撮影場所が分らないものも多いが、まるでその当時の風が肌をなでるようだ。水田の匂いが鼻をうつようだ。これぞ写真の力だなあとあらためて感じ入っている。
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by sumus_co | 2012-09-25 20:58 | 写真日乗

ノーベル文学賞

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柏倉康夫『ノーベル文学賞 「文芸共和国」をめざして』(吉田書店、二〇一二年一〇月一日)。本日届いたばかりでまだほとんど目を通していないが、とても面白そうである。ノーベル賞に文学があって美術がないのがなぜなのか不思議だったが、単にノーベルの趣味の問題だったようだ。

バーナード・ショウは「ダイナマイトを発明したのは、まだ許せるとしても、ノーベル文学賞を考え出すなんて言語道断だ」(本書より)と言い放った。

《I can forgive Alfred Nobel for having invented dynamite, but only a fiend in human form could have invented the Nobel Prize.》

「a fiend in human form 人間の姿をした悪魔」これは「死の商人」とも考えられるノーベルへのあてこすりだろうか。

こうは言ったけれどもショウは一九二六年に同賞を受諾している。一九二五年に指名を受けていたのだが、固辞していた(辞退しても一年間受賞資格はなくならないそうだ)。本書のショウの章をめくってみると一九二六年に《ロンドン駐在のスウェーデン公使は、ショウのスウェーデン語の通訳をつとめるミス・ローに協力を頼んだ。彼女はかつてショウの女友達の一人で、ショウに信頼されていた。努力のすえ彼女は説得に成功し、騒動は一週間目にようやくけりがついた》そうである。

ちなみに英語のウィキには《accepted it at his wife's behest: she considered it a tribute to Ireland.》妻が母国であるアイルランドへの手向けになるわよと説得(behest=命令!)したと書いてあるが、いずれにせよ女性に動かされたわけだ。賞金は受け取らず、スウェーデン文学の英訳に使うように求めたとのこと。


吉田書店
http://www.yoshidapublishing.com

ムッシュKの日々の便り
http://monsieurk.exblog.jp
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by sumus_co | 2012-09-24 21:41 | おすすめ本棚

興農雑誌 No.132

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『興農雑誌』第百三十二号(東京興農園、一九〇六年一月一日)。明治三十九年の正月号だが、創刊は明治二十七年。発行所の東京興農園は渡瀬寅次郎の興した種苗の販売会社である。渡瀬は沼津の産、札幌農学校で内村鑑三とともにクラークの薫陶を受けた。受洗して内村らと札幌基督教会を設立。開拓使御用掛、水戸中学校校長、東京中学院(関東学院)初代院長を経て「東京興農園」を設立した。東京、札幌、信州上田、沼津などに農園を作り種苗の通信販売を行った。そのカタログが『興農雑誌』であり、花巻農学校教師だった宮澤賢治も購読していたそうだ。

農業や園芸作物のことを調べている者には価値ある雑誌だろうが、当方はもっぱらイラストレーションの面白さで求めたのである。

表紙になっているのは極早生節成胡瓜と新種伊国最晩生甘夏蜜柑(バレンシアレートオレンジ)。バレンシアオレンジはふつうカリフォルニア産だが、伊国(イタリア)でも新種が作られていたようだ。下は二十世紀梨、これは東京興農園で昨年(明治三十八年)発売したと説明されている。甘藍(漢名)に「たまな」のルビ。キャベツ。
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スペイン甘蕃菽(あまとうがらし)、白玉葱、極長大菜豆、西瓜凱旋。左頁の下に萵苣(ちしや=レタス)もある。
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右頁に苜蓿(クローバー)など。左頁は草花で、ペチユニア、コスモス、麝香撫子(カーネーション)、三色菫、百日草など。
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葡萄の部はなんと二十八種類。最上新種の核なしタムソン一本五十銭。桜桃も六種掲載されている。
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新着洋梨の部。米国産の新洋梨ロスネー一本三十銭(十本二円)。ラ・フランスは明治三十六年に受粉用としてフランスから輸入されていたそうだが、この時代にはまだ一般的ではなかったようだ。
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明治時代も末頃になると農作物や園芸作物がこれほどの多様性をもっていたのだ。この雑誌を手にするまで思いも寄らなかった。

興農雑誌 第83号
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by sumus_co | 2012-09-23 20:58 | 古書日録

作品梱包

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月末に搬入となるので梱包作業を進める。展示スペースも考慮しつつ、油彩画10点(静物およびパリの書店)、水彩画5点(すべてパリの書店)、コラージュ多数、書籍・絵葉書を仕分けして四つの荷物にする。

ポ・ト・フ 林哲夫作品展
2012年10月2日〜31日

ウイリアム・モリス珈琲&ギャラリー
東京都渋谷区渋谷1-6-4 The Neat青山2F
開廊時間 12:30 -18:30
休廊日 日曜/月曜/第3土曜
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by sumus_co | 2012-09-23 10:26 | 画家・林哲夫

余白の時間 辻征夫さんの思い出

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八木幹夫『余白の時間 辻征夫さんの思い出』(シマウマ書房、二〇一二年一〇月一日、装幀=戸次祥子)が届いた。二〇一〇年にシマウマ書房で行われた「詩人辻征夫さんの思い出」と題した八木幹夫氏の講演が一冊の本になった。辻征夫と永く交際してこられた八木氏ならではの回想や逸話、そして辻詩に対する解釈がやさしく語られている。一気に読んでしまった。

八木氏が引用している辻作品から「ある日」(詩集『かぜのひきかた』所収)。

 ある日
 会社をさぼった
 あんまり天気が
 よかったので

 公園で
 半日すごして
 午後は
 映画をみた
 つまり人間らしくだな
 生きたいんだよぼくは
 なんて

 おっさんが喋っていた
 俳優なのだおっさんは
 芸術家なのかもしれないのだおっさんは

 ぼくにも かなしいものが すこしあって
 それを女のなかにいれてしばらく
 じっとしていたい

辻の詩をそう多くを読んでいる訳ではないが、かなり技巧派だとは思う。「ある日」などもじつに巧妙な作品である。詩にかぎらずどんな文章にも技巧は必要なものだが、辻詩と俳句の関連についてもテクニカルな面から論じれば面白いのではないかと思ったりもする。

『詩学』の嵯峨信之が辻と小沢信男さんにうなぎをご馳走していたとき、辻が「学成らずもんじゃ焼いている梅雨の露地」という俳句があるけどこれはいい句ですねと小沢さんに向かって言った。じつはそれは小沢さんの俳句だった。その後すぐ辻が「小沢さん、ぼくらの先生になってくれない?」と依頼して詩人たちが一ダース集まった余白句会が生まれた…とこれは小沢さんの文章でも読んだことのある話だが、考えてみると、「ある日」の作り方は「学成らずもんじゃ焼いている梅雨の露地」とまったくと言っていいほど同じではないのか? 辻の詩法(それは非常に現代詩的なものだと思うが)は俳句の構造をもっていると断言してもいいように思う。

掲載写真から。上は高見順賞を受賞した頃(一九九〇年)の辻と八木氏(右)。下は八木宅にて。左から八木夫人、辻、中上哲夫、小沢信男、井川博年。なお余計なことだが、32頁に《どこへ行ったときでしたかね。日米なんとかって札に書いてありますけどなんだろう》と述べられている写真の撮影場所は伊豆下田の了山寺である。「日米締交法燈下」 と書かれた木札で分る。
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ところで、辻の歯ぎしりは凄かったらしい。

《私も一緒にあちこち旅行に行きましたけれども、いや、隣の部屋、壁隔ててものすごい音が聞こえるんですね。私はその、辻さんのなんて言うのかな、歯ぎしりの音の凄まじさを思うと、辻さん自身になにかこう、えらく内側に抱え込んでいたものがあったんじゃないかという気がします。》

歯ぎしりの原因は不明。ストレスを発散させるためだと言われたり、逆流性食道炎を防ぐためだと言われたりする。歯ぎしりが激しい人は軽い人よりストレス度が高くないという調査もあるそうだから、八木氏が心配しているほど抱え込んではいなかった、かもしれない。また遺伝的な影響がかなり強いともいう。たしかに歯ぎしりはびっくりするような音が出る。中上哲夫「辻さんのヴァイオリン」より後半部分。

 もうひとりの
 別の辻さん
 知る人ぞ知る
 歯ぎしりの名演奏家の
 辻征夫のことさ
 三年前
 親しい友人と丹沢の山のなかの渓流に釣りに出かけたときのことだけど
 夜中に便所に起きると
 旅館の廊下に薄い布団が敷かれていて
 辻さんが月明かりのなかでキコキコと一心にヴァイオリンを弾いていた

辻ファンには必読の一冊であろう。


シマウマ書房
http://www.shimauma-books.com
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by sumus_co | 2012-09-22 21:36 | おすすめ本棚

山川の菊の下水

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少し前に手に入れていた短冊。双白銅文庫所蔵の自筆もので作者がはっきりしている例はほとんどないのだが(ようするに安物ということ)、例外的にこの短冊には裏面に極め書きが貼付けられており、それを信じてしまうかどうかは別として、とりあえず作者は判るのである。

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  一条准后忠良公姫亀君様ト奉称
  後鷹司輔煕公簾中也古歌ト存候□

一条忠良の姫で鷹司輔煕の妻となったのは崇子である。亀と呼ばれていた。姉の秀子は徳川家定の二人目の正室として嫁いだが二十六歳で歿。崇子と輔煕の嫡男輔政も十九歳で早世。娘の治子は三条実美へ嫁いでいる。

歌の方は古歌ということで検索してみると新古今和歌集の巻十七にある藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の作であった。改造文庫の高野山伝来本より引くとこうである。

 山川の菊の下水いかなれば流れて人の老をせくらむ

倭漢朗詠集に《谷水洗花汲下流而得上流者三十余家地脈和味喰日精而駐年顔者五百箇歳》とあるところから菊の根元を流れている水は長寿を与えてくれるということを歌っているようだ。「せく」は「堰く」、水の縁語を使って「老いを止める」という意味をもたせている。

この歌を亀君様はこういうふうに書いておられる。

 屋ま川農菊のし多水伊可奈れ盤
     な可連て人能老越世くらむ
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by sumus_co | 2012-09-21 22:34 | 雲遅空想美術館