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松本竣介展 生誕100年

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神奈川県立近代美術館葉山で六月九日より「松本竣介展 生誕100年」が開催される。別に何も関係するようなことはしていないのだけれど、レセプションの招待状が届いた。『帰らざる風景』所収の「XXXX 松本竣介のサイン」という小文を書いたことがあるくらい(初出は山崎書店の古書目録)。それももう随分前の話になる。

葉山でのレセプションは当方も個展を控えているため失礼せざるを得ない。そうでなくてもちょっと遠いかもしれない。しかしながら関西方面では島根県立美術館へ巡回する(九月二十七日から)だけのようなので、遠出する機会があればぜひ見ておきたいものである。回顧展それ自体は新宿小田急以来、何度か見ているが、毎回それぞれ内容も違っているようだし、松本竣介は何度でも見ておきたい作家である。

参考までに岩手県立美術館のチラシも掲げておこう。
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by sumus_co | 2012-05-31 19:31 | 雲遅空想美術館

21世紀の落語入門

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小谷野敦『21世紀の落語入門』(幻冬舎新書、二〇一二年五月三〇日、ブックデザイン=鈴木成一デザイン室)をご恵投いただいた。深謝です。とは言うものの、落語のことはほとんど知らない。とは言うものの、われわれの子供時代にはテレビでかなり落語を放送していた。見たくなくてもけっこう見ている。まあテレビで見る落語だから寄席とはまったく違うのだろうが、小谷野説によれば、

《近ごろ多い、落語を聴くなら寄席へ行け、落語会へ行け、といった、現物を見なければならない、という言説への大いなる疑問がある。》

《グレン・グールドというピアニストは、ある時期からコンサートの類いを一切やめて、レコードだけを出すようになった。私はふと、いずれグールドのように、生身の口演はせず、CDないしはDVDだけを出す、という落語家が出てもいいんじゃないかと思う。
 むろん私も、寄席へ行ったことはあるし、独演会とかホール落語へ行ったことはある。だが、私にとっては、深夜、寝る前に聴いた落語のほうが、遥かにすばらしい、豊かな鑑賞体験だったのである。》

《私は「現場主義」というのが嫌いなのである。》《その昔、蓮實重彦が、野球が好きなら野球場で観ろ、というようなことを言ったのに対して、それは野球場がある大都会に住む者の勝手な言い分ではないかと書いたことがある。するとさる先輩から、蓮實先生にとっては、大都市に住むのも才能のうちなのだ、と言ってきた。まあシャレ(冗談)だろうが、けったくそ悪い。》

ということなので、小生にもそれなりの鑑賞体験はあると言えようか。ついでながらこの反現場主義は美術にも飛び火している。

《美術の「現場主義」とも言うべき現物主義となると、さらに鼻もちならないものがある。へたをすると、買って持っていなければ美術の価値は分からない、などと言うのだが、もちろん金持ちが言うのである。》

ははは、まあ、そういうきらいもあるかもしれない。小生、いちおう美術が専門なので、思うに、作品の現物を見るのと、画集やネットの画像を楽しむのは、まったく別の行為であろう。作品を所有するとなれば、さらに別の次元である。これは優劣ではない。作品を所有したからといって作品の価値が分かるわけではない。そんなこと言い出したら、いかなるジャンルにおいても評論は成り立たないだろう。そう言う意味で、本書は「評論」全般に対しての問題提起にもなっているし、小谷野流の定義にもなっている。

ベンヤミンは《複製技術のすすんだ時代のなかでほろびてゆくものは作品のもつアウラである》(『複製技術時代の芸術』川村二郎訳)と書いているが、小谷野氏はもちろんこの言葉に触れつつ、そうではないのだ、と主張しておられるようだ(ベンヤミンを否定しておられるわけではないが、ここでも金持ちへの反感を表明しておられる)。要するに複製技術にもアウラはあると。アウラは《どんな近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象》(同前)だとすれば、カセットテープで聴く落語にだってアウラはあって不思議じゃない。要するにアウラは受け手の問題でもある。

落語を最後に聴いたのはいつだろう? そうだ、2008年6月2日に東京古書会館の落語会で瀧川鯉昇を聴いて以来、ほとんど落語らしいものには触れていないように思う。しかし本書における小谷野先生のウンチクをあれこれ読んでいるとムショーに落語が聴きたくなった。何と言うありがたい世の中。ユーチューブでたいていのところは見られるのだ。先生が熱っぽく語っている立川談志の「黄金餅」も早速探し出して視聴させてもらった。どうも昔聴いた覚えのあるような話だ。天才と言われるだけはある。ただしあまり笑うところはない。落語は笑いの芸ではないと小谷野氏も断言しておられるように。

こうなると小谷野氏の選ぶ名人たちをひと通り聴いてみるのも久方ぶりの落語鑑賞体験として楽しいかも知れない。誰を推しているのかは、直接この新書を手にしてお読みいただきたいが、まったく知らなかった川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)の「ガーコン」とは一体なんだろう?

《若手ではないが、川柳川柳も、好きな落語家である。かといって、「ガーコン」以外に何があるのかと言われるかもしれないが、「ガーコン」があればいいのである。私はもう八年くらい前か、初めて「ガーコン」を、テレビで「笑話歌謡史]と題して演ったのを聴いて、軍歌マニアになってしまったことがある。》

と思って探したところありました。小生は軍歌よりジャズのモノマネが抜群だと思う。歌はうまいが、これは落語かな? しかし小谷野氏が好きだという理由はよ〜く分かる気がする。小谷野ファンならむろんだろうが、ファンならずとも本書さえ読めば分かっていただけると思う。

小谷野敦ウェブサイト
http://homepage2.nifty.com/akoyano/index.html

猫猫塾
http://homepage2.nifty.com/akoyano/juku/
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by sumus_co | 2012-05-30 21:52 | おすすめ本棚

カフェと文学 レイロで会いましょう

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福岡市文学館開館記念『カフェと文学 レイロで会いましょう』(福岡市総合図書館文学・文書課、二〇〇二年五月二五日、デザイン=石原一慶)展図録。福岡の戦前の文学、各種同人雑誌のおおよそが見渡せる構成である。その内容は分からないが、見た目で判断すると、劉寒吉編集で表紙を青柳喜兵衛が担当していた『とらんしつと』(とらんしつと詩社、一九三二年〜三六年、二十二冊)は古本心をくすぐられるいい佇まい。

カフェーブラジレイロは東中洲の西大橋の袂に昭和九年四月六日に開店した。本店は大阪梅田新道(昭和五年開店)、銀座(昭和五年開店)、神戸三宮(昭和六年開店)、四条河原町、博多の順に支店を展開していった。ブラジルコーヒー十五銭、ケーキ十銭、カレーライス四十五銭、ランチ六十銭。「福博カフェ史」には、大正三年カフェーキリンが福岡市内に開業。大正六年生田菓子店が東中洲電車通りに開店。大正九年西中洲にカフェーブラジル、東中洲にカフェーパウリスタが開業。昭和三年明治製菓が東中洲に、台湾物産フルーツパーラーが片土居町に開店。同年、喫茶店山の家(青柳喜兵衛設計)開店などとある。

矢山哲治が真鍋呉夫と出会って雑誌『こをろ』の発刊を相談したのが喫茶店メトロ(東中洲)、第一回同人会が開かれたのがブラジレイロだったというように同人雑誌と喫茶店の関係は切っても切れない。『こをろ』(一九三九年一〇月創刊〜四四年四月、一〜四号まで『こおろ』)もなかなかいい雰囲気だ。九州帝大法学部の学生だった島尾敏雄も編集に加わっていた。また真鍋の母は昭和十四年十月十日の創刊日と同じ日に喫茶店「木靴」を開店した。真鍋の父甚兵衛は俳人で吉岡禅寺洞とも幼なじみだったという。翌年、当局の指導により「門」と改名しおよそ五年間営業を続けたそうだ。コーヒーは二十銭。

旧制福岡高校卒業アルバム(昭和十六年卒業文科乙類クラス)。これは若き日の伊達得夫が「高校生活の総決算のつもりで」編集したということで、二枚の写真の右の「悪の華」の上に寝る学生と左の中央左の「ストーム」中の若者が伊達の勇姿だそうだ。
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「古本屋にて」とだけキャプションがある。これも卒業アルバムからだろうか。
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『カフェと文学 レイロで会いましょう』表紙。
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  *

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杉山さんに続いて吉田秀和が亡くなった。著作などほとんど読んだことはないけれど、かつてラジオでの解説は毎週のように聴いていた。お二人ともに中原中也を直接知っていた人たちだ。ということで中原中也記念館の年間カレンダーを掲げてみた。表紙の『在りし日の歌』は言うまでもなく青山二郎の装幀である。もし中也が生きていれば…百五歳か。

中原中也記念館
http://www.chuyakan.jp/00top/01main.html
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by sumus_co | 2012-05-29 20:48 | 喫茶店の時代

時代を駆ける 吉田得子日記 

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題 名=時代を駆ける 吉田得子日記
発行日=2012年6月9日
著者等=女性の日記から学ぶ会編
    島利栄子 西村榮雄 責任編集
発行所=みずのわ出版
http://www.mizunowa.com/index.html
装 幀=林哲夫
用紙等=カバー テトン うすクリーム 四六判Y目102kg
    表 紙 里紙 稲 四六判Y目100kg
    見返し 里紙 すすき 四六判Y目130kg
    別丁扉 ハーフエア ヘンプ 四六判Y目90kg
寸法等=A5丸背上製 タテ217mm


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朝日新聞五月二十七日号に「日記が語る時代の本音」として「女性の日記から学ぶ会」が紹介された。

《筆者の吉田得子さんは1891年生まれで、女学校卒業後、教師に。結婚、出産、婚家の農作業を手伝いながら教職を続け、夫とラジオ店を開業。15歳で日記をつけ始め、83歳で亡くなる直前まで続けた。》

装幀にかかる前にゲラのごく一部だけを見せてもらったが、岡山県で暮らす吉田一家を取り巻く時代の空気がとてもよく感じられる貴重な資料だと思った。摘録ながら、まさに生活の断片が淡々と綴られており、それがかえって感動的ですらある。

まずは書物に関係する事柄を拾ってみると、女学校時代の読書は『金色夜叉』だった。明治四十一年八月二十四日に続編を読み、読了したのは明治四十三年二月二十七日である。教師時代の愛読雑誌は『婦女界』、しばしば投書もしている。あるいは歴史上のおなじみの事件のときに得子は何をしていたのか、というのも興味をそそる。まずは天体観察。

《彗星[ハレー彗星大接近]を見る。生来初めなり。》(明治四十三年一月二十七日)

《彗星十八日許りもありて美しとて起き出でたれども、今朝は打ちくもりて見えず。》(明治四十三年五月十五日、この日最も接近した)

《太陽に黒点、二、三日前より見えて、直径七万哩[マイル]もあるとの記事見え居て、双眼鏡に黒硝子を当てゝ見てよくわかりたり。》(大正九年十一月六日)

スペイン風邪のとき。

《休校の学校あまたなり。岡山市なども小学校殆ど休校、中等学校と高等学校も休校なり。誠に恐ろしきことになりて。》(大正七年十月三十一日)

《マスク買ひたりしも誰人もかくるをいやがる、誠にをかしき心地してかけにくし。》(大正九年一月十七日、今とは違って小さい黒いマスクだった、かもしれない)

そして関東大震災の直後には被災地へ古本を送るという現代と同じような活動をしていたことが分かる。

《震災地へ送り与ふべき古本の荷造りして、自転車隊全部に分配、郡役所へ送るべくわかつ》(大正十二年九月二十二日)

太平洋戦争が始まった。

《午前七時臨時ニュースあり。英米軍の交戦状態に入りたる旨公報あり。早速、表に提示すべく大書す。木の葉かきに行く考へなりしも中止して、ひっきりなしに入るニュースをきく。》《[欄外]警戒警報出でたり。》(昭和十六年十二月八日、ラジオ店をやっていたため)

戦争が終わった。

《正午、重大放送あるとの事に、日ソ宣戦布告か講和かと想像しあふ。(客まねく)。工場より工員達整列してきゝに来る。大陛下の玉音にて、和を求め給ふ旨、勅ありたり。》

前にも書いたが、この玉音放送を聞いた多くの庶民には日本敗戦が伝わらなかったようだ。その証拠に得子は翌十六日、息子の入営の支度をしている。本書は昭和二十年まで収録だが、これはどうしても続編が読みたくなってくる。

生活や風俗の様子も手に取るように分かる。吉田夫妻は新しいモノ好きだった。自転車はもちろんヴァイオリンを習い写真機やラジオを早くから手に入れパン食を試みている。他には例えばこの記述なども面白い。

《クリスマスに行きたる児童のため》(大正六年一月二日)

正月にクリスマスの行事をする教会もあったそうだ。それからコーヒーが登場するが、さて、大正十一年では、いったいどんな珈琲だったのだろう? まだインスタントコーヒーはなかった、いや「珈琲糖」というものがあったが。

《まらうど多くなりたり。コーヒー、瓜など出して、写真撮影をすまして後夕餉を参らす。》(大正十一年八月三日)

《福岡高原氏来られ、コーヒーと角砂糖をもらふ。》(昭和五年十一月二十六日)

他にもいろいろな記述があって感心することしばしば。とくに次のくだりは意外だった。

《竹久夢二兄君帰村されし由ときゝて逢ひたき心地す。昔の顔はよく覚えず。》(大正三年一月二十六日)

得子は竹久夢二と幼友達だったという。帰村は夢二の年譜に追加できるのではないだろうか?
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by sumus_co | 2012-05-28 21:14 | 装幀=林哲夫

古書店レッテル新収品

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先日、岡崎氏が古書店レッテルのことに触れて《あれ、剥がすのが難しくて、破れたり、もう本体をあきらめて、ええいとそこだけ切り取って本体は捨てたり。意外に難しいコレクションです。》と書いていたのは大いに同感した。古書市の百円均一などで見つけると、奥付とレッテルの貼ってある頁だけ破り取って、それ以外は捨てて来ることがたまにある。かわいそうな気もするが、何もしないと結局すべて廃棄されてしまうだけなのだ。ごく一部でも救い出せればよしとしたい。

ただ、本の内容や装幀が良くて捨て切れないこともしばしばある。レッテルだけきれいに剥がすのは至難の技。できれば本にも傷をつけたくないし。鋭利なカミソリなどでゆっくりじっくり切り剥がすと言う人もいるが、気短な人間にはできそうにない。だから近頃は本のまま保存している(もちろん気に入ったレッテルが貼られている場合だけ)。何人のかの方々より剥がしたレッテルを送っていただいているが、これには大いに感謝している。

上に掲げたものは昨日たまたま見つけた。ビニール袋に古書店レッテルや蔵書票や印紙、切手などの小さな紙モノをひとまとめに放り込んであった。誰かの気まぐれコレクションだろう。古書店レッテルは百枚ほどもあった。ただし剥がし損ねてビリビリあちらこちらがほつれてしまったものも少なくなかった。戦後すぐの品が多かったようだ。レッテルも本もどちらの紙質も脆弱だからなおさらうまく剥がせなかったのだろう。それらの中からこれまでに紹介したことのある品も含め京都の書店だけ集めて見た(三菱は書店じゃないかな?)。

このブログで紹介してきた主なレッテルの記事
http://sumus.exblog.jp/17825230/
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by sumus_co | 2012-05-27 21:20 | 古書日録

犬猫人

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by sumus_co | 2012-05-27 09:50 | 写真日乗

本の手帖31〜40

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「書坊余録」という奥付頁にある短文欄で近藤東が「一冊の詩集」と題して荘原照子『マルスの薔薇』を紹介している。荘原照子は本ブログで紹介している手皮小四郎さんの連載に詳しいのだが、この記事は荘原照子の消息が不明だったところから本人を見つけるまでに十年かかったという内容である。

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中込純次「パリの或る日」。ノートルダム寺院のファッサード《左側の聖者たちの中に、首を手にぶらさげている首無し聖者が居る。それが聖ドニである。切られた首を手に持ったまま、三百メートルも歩き、モンマルトルの岡の上で倒れた。それからあの岡が殉教者の岡「モンマルトル」と呼ばれるようになった…》という観光案内の解説を書き留めているが、正確にはモンマルトルの丘の上で斬首され、歩いて今日サン・ドニ教会堂がある場所まで自分の首を提げて歩いた、という伝説である。これとは別に「Mons Martis (le mont de Mars)」に由来するという説もあり、それによればガロ=ロメーヌ時代(紀元前一世紀〜後五世紀)にマルス(メルキュール)に捧げられた丘だったからだという。

サン・ルイ島に渡る。《一九三〇年頃、日本美術コレクターとして早くから日本人に知られていたユルリック・オダンが、この島のベチューヌ河岸に住んでいた。僕はその岸にたたずみ、彼の住んでいた五階のバルコンを見上げ、往時を偲んだ。この家のサロンで僕も、他の留学生たちと一緒にお茶の接待を受けたものだ。オダンはその後東京の荻窪に妻とめと移り住んで、日本の土と化した人だ。この岸から見える彼の部屋に、昔かけてあった栖鳳の「烏賊」の図が眼に浮かんでくる。》近くのアンジュ河岸にボードレールが住んでいたピモダン館がある。《オダンもこの詩人を好きだったらしく、「悪の華」の中の「おお、主よ、わが心と肉体を嫌悪なしに挑むる力を我に与え給え!」という意味の詩句を、よく口ずさんでいたことを思い出した。》

カルチェ・ラタンでは《学校の裏手のデカルト街に出て、ヴェルレーヌの最後の家の前に出た。階下はヴェルレーヌ書房という看板が出ていて、飾窓に本が並べられてある。パンテオン前の横丁のスフロー街から、下り坂になっているトリエ街に出て、往年永井荷風が泊まったというホテルの前に立つ。》ここで「学校」というのはソルボンヌのことのように書かれているが、アンリ四世校だろう。その裏のデカルト通りにヴェルレーヌの家があり、その家の左側にヴェルレーヌ書房があった(というのが蜷川譲『パリ文学地図』の説明)。この書店は現存はしないと思う。この通りは何度か通ったが記憶にない。それからボードレールの墓というキャプションのある写真が掲載されているが、どうもボードレールの墓ではないようだ。少なくとも小生が訪れた詩人の墓ではない。

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山崎義彦「リルケの秘密」。クレール・ゴルの回想録『私は誰も赦さない。現代の言語道断な文学的年代記』の紹介。クレールは詩人イヴァン・ゴル(堀口大学訳『馬来乙女の歌へる』版画荘、一九三七年、で知られる)の妻。ゴルと結婚する前からリルケのファンだったクレールは一九一八年、第一次世界大戦終結直後、スイスからミュンヘンへやってきた。《ミュンヒェン到着の翌十一月十八日、アインミラー街34番地アパート五階の詩人の住宅へと通ずる階段を登るに先立って、そのアパートの中二階のパウル・クレーの所へ立ち寄ってクレー夫人心尽くしの軽い食事で気息を整えねばならなかった。リルケは女たらしだとの評判を聞かされて、さしものボルシェビキの闘士もぶるぶる震えた、と件の回想録は告げている。》だが会ってみるとすっかり詩人と意気投合したクレールは詩人の子供をみごもった。リルケとゴルが長い手紙のやり取りを重ね、結局は堕胎することになったという。うかつながらクレーとリルケが同じアパートに住んでいたとは知らなかった。

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四十号で終刊のようだが、終刊するとはどこにも書かれていない。
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by sumus_co | 2012-05-26 21:29 | 古書日録

季刊本の手帖21〜30

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前田愛「東ベルリンの「舞姫」」。ジャルパックで前田が東ドイツを一週間で駆け抜けた。森鴎外『舞姫』の舞台である東ベルリンの街並みを自分の眼で確かめるというのが目的の一つだった。まずウンテル・デン・リンデンの有名な並木通りへ。《冷やかな物憂さが立ちこめている、人通りもまばらなウンテル・デン・リンデンの大通りをブランデンブルク門へと近づくにしたがって、リンデンの若芽の香りがかすかに感じられてきた。その香りだけが、何か気恥しい想いをかりたてられるほどに、なやましい精気を発散させているのだ。》……とここを読んで先頃亡くなったディートリヒ・フッシャーディスカウの「菩提樹」を思い起こした。あの名唱はやはり忘れがたい。

次に鴎外が最初に下宿したマリエン通りを訪ねる。森鴎外旧居である旨の碑板がはめ込まれているが、その記述が間違っていることについて(検索すると現在では森鴎外記念館がブランデンブルグ門の近くの Hermann Matern 通りにあるそうだ)。つづいてアレキサンダー広場へ。《鴎外が下宿していたはずのクロステル街九十七番地は、テレビ塔の真下、下駄ばきアパートのあたりという見当がついた。『舞姫』の太田豊太郎がエリスと出会う古寺のモデルに擬されているマリエン教会は、完全に復原されてはいるものの、まわりの近代的な建築とは、何ともちぐはぐな景観をつくりだしている。赤裸に剥がれた中世がさらしものになっているといった風情であった。》

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《明治二十一年の厳冬を迎えた太田豊太郎が、四階のエリスの家から見おろしていた街路は、こうした凸凹の舗道であったにちがいない。「クロステル街のあたりは凸凹坎坷[とつおうかんか]の処は見ゆめれど」とある条りである。黄昏どきの影がたれこめているこの陰うつな路地に足を踏みいれたとき、私はごく自然に『舞姫』の世界へと通ずるタイムトンネルの入り口に立っているような想いにとらえられた。エリスと太田豊太郎の暮らしは、たぶんおたがいが身をすりよせずにはいられない、侘しさをただよわせていたのだとおもう。》

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富士正晴「書庫」。まずは司馬遼太郎が書庫を中心にして新居を建てたはずなのに書庫よりも住居の方面に力が入っていて使い勝手が悪いと不満をもらした話。そして『VIKING』の津本陽は和歌山で建て売り業をやっていたが、津本が《富士さん、土地を都合しなさい、そしたら、家はただでわたしが建てて上げますと、びっくりするような申し入れを本気でした》話。しかし富士は断る。《ぼろの家でもいいから、本の背中が読める位の広い家が買えたらその方がええんやとわたしはいったが、もし、そんな家が買えても、沢山の本を動かせて家移りすることを思うと、わたしは想像するだけでくたびれる。》、津本は空いている庭を利用すれば建たないこともないとさらに提案するのだが《うちの伸子(次女)が花を咲かしてよろこんでいるのでなあ》という理由をつけてウンと言わない。津本はあきれて帰ってしまった。

《桑原武夫の家にも新しい書斎がある。もっとも、書斎のベッドの上まで、本が乱れ積みされているはいるが。ベッドの上の乱れ積みの方がまだしもで、わが家はもう十年もしたら、本の中に小さくなって飯を食い、眠りということになるかも知れぬという気がしているが、十年も生きてたまるかという気がしていないでもない。》

この二十二号には井上究一郎「エトナを見る」というややセンチメンタルなエッセイも収められている。

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寺崎浩「小田嶽夫のこと」。《私たちは世界大戦の時、徴用されて大阪城へ集合を命じられた。私は井伏鱒二、小田君らと大阪へ行った。私は井伏、海音寺らと共にマレー派遣組であり、小田君は高見順らと一緒のビルマ派遣組であった。この二組は兵舎も同じであったし、乗せられた船も同じアフリカ丸であった。
 そしてサイゴンで小田君たちと別れた。
 一年経って、私たちは東京へ帰るためシンガポールへ集結させられた。ジャワへ行った組、ビルマ、マレー組、ヒリピン組が一つに集められた。その中でビルマ組が一番貧弱な防暑服姿であった。私はすぐ小田君を迎えて呑んだ。小田君たちは物資が手に入らなくて困った、と語った。ジャワ組が一番立派な身なりだった。》

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竹之内静雄「杜詩一句山水一幅 三好達治の死」。君山狩野直喜の揮毫した「九日藍田崔氏荘」の杜詩の解釈をめぐって三好達治の詩人的なこだわりを描く。《「一人だけ好きな詩人をあげよと、言われれば、日本では萩原朔太郎。/中国では、蘇東坡」》という言葉は竹之内に強い印象を与えた。

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by sumus_co | 2012-05-25 20:09 | 古書日録

「紙と束見本」大阪展

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竹尾関連イベント
http://www.takeo.co.jp/site/event/linkage/201206.html

graf bld.
http://www.graf-d3.com/events
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by sumus_co | 2012-05-25 18:37 | 装幀=林哲夫

甲陽選書

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《偶々、甲陽書房という出版社から本を取り寄せたところ、同封の書皮?が巻かれてありました。「意匠青山二郎」とありますけれども、何だかおとなしい?》という御手紙とともに御恵投いただいた。たしかに青山にしてはきちんとおさまりすぎているようだ。

甲陽書房
http://tokyo.koyoshobo.jp/ 
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by sumus_co | 2012-05-24 20:08 | 青山二郎の本