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Jindrich Styrsky

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某氏が処分するというのを聞きつけて、もらいうけた海外の古書目録の一冊。L'OR DU TEMPS(時の黄金…ブルトンの墓碑銘ですな)という店のもの。店主はセバスチャン・プチボン(Sébastien Petibon)。ただしこれは二〇〇四年の目録なので、その後、店の所在地はどうなっているのか、グーグルのストリートヴューでのぞいてみたところ、どうやら空き家状態のようだった。ストリートヴューには時間的なずれがかなりある。今現在も空き家とは限らないが(前回のパリではこの辺り、というのはマビヨンの近くのレショデ通り、を通った記憶がない、すぐそばは通ったけれど)、とにかく「時の黄金」は数年以前に廃業したか移転したようだ。

値段はものすごく高いというわけでもないけれど、数十ユーロはにぎやかし、数百ユーロから数千ユーロが主体だから、そこそこのレベル。カイヨワ、C-A. サングリア、ルネ・クルベル、リーズ・ドゥアルム、デュシャン、エルンスト、アンリ・ミショー、マンディアルグ、ボナ・ド・マンディアルグなどが並ぶ。とくにミショーとマンディアルグは冊数が揃っている(というか著作物が多いというのもある)。

そんななかでいちばん目を惹いたのがこちら。インドリッヒ・シュティルスキー(Jindřich Štyrský)。チェコスロバキアのシュルレアリストである。トワイヤンらとともにチェコのアヴァンギャルディストとして知られる存在らしい。といってもほとんど注意していなかったのだが(画像検索すると、数多くの画像がヒットしたなかに、いくつか見覚えのあるものがまじっていたていど)、いきなりモーレツに興味が湧いて来た。何しろ素晴らしいコラージュ作品をたくさん制作しており、写真集などもあるようだ。手に入れたい。

下の二頁の内、最初の写真は『Na jehlach techto dni』(Borovy, 1945、これは二番目の頁写真下側の本、No.200)に付いているオリジナル写真。フランス語の翻訳からすると「これらの日々のその針の上に」というほどの意味。 Heisler による詩とシュティルスキーの写真から成る。なんと5000ユーロ。
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199番は Vitezslav Nezval との共著でコラージュ図版が十点入っている。
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こちらはマンディアルグの肖像写真。エドゥワール・ブバ(Edouard Boubat)の写真集『Photographie de mon visage』(Fata Morgana, 1994)におまけとして付いている生写真。自宅でくつろぐマンディアルグ。これは意外とお安く400ユーロ。
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『Marcel Duchamp, La traversée du Grand Verre avec Giacomo Baruchello et le témoignage de Man Ray』(Au fil de l'encre, 1995)、限定二十七部という特別な本。バルッチェロによるこの写真は一九六六年にフィラデルフィアで撮影されたもので(デュシャンは六八年歿)、この本のためにプリントされたそうだ。
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他にも紹介したいものがあるので、もう一回くらい書くかもしれない。それにしても、この本屋、一度のぞいてみたかった(まだ、どこかでやっているかも知れないが)。
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by sumus_co | 2012-02-29 21:49 | 雲遅空想美術館

女優マチネー番組表

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 女優マチネー番組表
 毎日午後十二時半
 開演
 丸の内
 帝国劇場

B4ほどの用紙を四つ折りにした番組表である。絵のある外側の面だけをスキャンした。内側には演目と役名、役者の名前(省略)などが印刷されている。ただし日時が記されているのに、何年かが記されていない。

 三月十三日より二十二日迄。

 第一 右田寅彦作 吾妻鑑紅筆草紙 二幕三場
 第二 碁太平記白石噺
 第三 東洋古典舞踏 春の胡蝶 西本朝春
 第四 踊 賤機帯/花戦霞幔幕

 御観覧料
 特等 金一円
 一等 金八十銭
 二等 金六十銭
 三等 金三十銭
 四等 金十五銭

右田は劇作家。明治四十二年帝国劇場付属技芸学校の開校とともに教師を勤めていた。西本朝春は舞踏家で大正六年三月に鈴木康義とともに少女歌劇「日本歌劇協会」を創立しているそうだ。

帝劇がマチネー興行を始めたのは大正元年四月で、三越呉服店がここにあるように「今日は帝劇 明日は三越」(浜田四郎作)のコピーを採用したのが大正二年だという。

このサインは…どう読むのだろうか。
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三越の他に大日本麦酒とレート白粉、東洋軒の広告が出ている。
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サッポロ、エビス、アサヒが合併して大日本麦酒となったのが明治三十九年。「清涼飲料シトロン」とあるが、大正四年に「リボンシトロン」に改称されているというから、それらを考えれば、この女優マチネーの演目は大正三年のものではないかと思われる。

こちらのサインは「文」だろうか? (「レート化粧品の広告のまるに文の字のサインは、渡辺文子のものだ。」と表現急行さんのブログに記されている)
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by sumus_co | 2012-02-28 20:59 | 古書日録

森川義信詩集

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鮎川信夫編『森川義信詩集』(国文社、一九七七年一二月一五日)。昨日に続いてうどん県の文人。大正七年十月十一日、香川県三豊郡粟井村本庄二二五四にて出生、三豊中学、早稲田第二高等学院英文科入学(中退)。鈴木しのぶの筆名で『若草』『蝋人形』に投稿、『LUNA』(後『LE BAL』に改題)に参加して山川章と改め、さらには本名で書くようになる。昭和十六年四月丸亀歩兵連隊入隊、十七年八月十三日、ビルマにて戦病死。二十五に満たない生涯だった。

本書に収録されている作品は中学時代からちゃんと詩になっている。解説で鮎川信夫はこう書いている。

《数は多くはなかったが、詩人としての天稟は疑うべくもなかった。彼と接していて受ける「もろくて、はかない雰囲気」という印象は、極端な口下手とか実務的な面でのある種の無能力とかからくるよりも、こうした初期の詩にみられるような素朴きわまる自然人の無垢な心情を、いつまでも持ちつづけていたことによるのかもしれなかった。》

はっきりいって甘ちゃんな、大正の抒情詩なのだが、テクニックはできている。「雨」の頁をスキャンしてみた。かろうじて読んでもらえると思うが…。
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この後(だろう、本書では初出が明記されていないので)、《あまりうまくない萩原朔太郎》からシュルレアリスムの影響も受け、中原中也を感じさせる作もある。それでも晩年には(あまりに早い晩年!)鮎川が《同時代の詩人の作品に心から動かされたという点で、ほとんどはじめての体験》という作品「勾配」(小生はさほどとも思わないけれども)や「廃園」「哀歌」などにおいては、戦後、現代詩と呼ばれるようになる言葉の形がすでにはっきり完成した姿で提示されているように思う。
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《彼は、詩と同様、絵も字も彫刻もうまかった。いかなる意味でも努力家ではなかったから、天性というほかはなかった。しかし、どうしてそうなのかということをつきつめれば、ひょっとすると彼の中にひそむ狂気じみたものにぶつかったかもしれない。》(解説=鮎川信夫)

口絵写真より。生家、家族、義信。
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田村隆一『若い荒地』(思潮社、一九六八年)より、友人茂木徳重に宛てた森川の手紙。字がうまいと鮎川が言うのがよく分かる。
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『森川義信詩集』は古書としても入手しやすく、また『増補森川義信詩集』(国文社、一九九一年)は版元在庫もあるようなのでぜひ紙の本で森川の作品を読んでいただきたい。
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by sumus_co | 2012-02-27 20:41 | うどん県あれこれ

夕顔の言葉

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壷井栄『夕顔の言葉』(名著複刻日本児童文学館、ほるぷ出版、一九八一年一一月)。元版は紀元社、昭和十九年二月二十日発行。装幀、挿絵は松山文雄。短編が八作収められている。どれも戦時中の小豆島の生活、子供たちを中心とした田舎のくらしがよくわかる物語。表題作「夕顔の言葉」は『二十四の瞳』(一九五二年)の挿話のひとつのようでもある(昔、読んだだけなので具体的な内容は忘れてしまったが)。

見返し。
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扉。
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「小さな先生 大きな生徒」挿絵より。朝鮮の娘が女中としてやってくる話。登場人物は誰もが善意のかたまりのような人たちで、ある意味、大いなるアイロニイを感じさせる書きぶりだ。
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巻頭に置かれた「港の少女」にうどんが登場する。船着場の近くで商売をするおばあさんと娘ケイ子の話。引用文中、促音(小さい「つ」)はそのまま。

《ケイ子が学校からかへると、おばあさんは、きまったやうにいなりずしを作ってゐました。これはお客様に売るためで、そのほかには、手打うどんもありました。》

《かまとこ[四文字傍点]の調理場で、うどんの湯気に包まれてゐるおばあさんの顔を、ぼんやりと見ながら、うどんのおつゆのにほひの中から昆布と雑魚をかぎ分けながら、数では数へられないほどの早さで、コトコトコトコトと葱を刻む包丁の音を夢の中に聞きながら、いつの間にかぐっすりと眠ってしまふのが、毎夜の習慣になってゐました。》

《宵にはあんなに山盛りだった夏みかんの大ザルも、玉うどんの入ってゐたせいろも、戸棚の中のいなりずしの大皿もみんなからっぽになってゐる》

《笈[ルビ=おひづる]を着た母子づれの巡礼などが店へきて、うどんを註文したり、おすしを食べたりするとき、おばあさんは決まったやうに、
「おへんろさん、もうお廻りになりましたか」
 とたづね、うどんの中へ卵を一つ落としたり夏みかんを子供巡礼の手に持たせたりして、
「卵はうちのお接待です。ほんの心もちだけですが」
 などと云ひました。》

などと、当時から、現在の讃岐の食堂などで見られる光景が定着していたことが知られる。郷里でよく行くラーメン屋でも店主は子供の客にゆで卵やみかんをお土産に持たせたりしているけれど、これも巡礼に対するもてなしからきている習慣かもしれない。

なお、ここで言う「おへんろさん」は、小豆島八十八箇所霊場巡りの「お遍路さん」である。これは四国八十八ヶ所のコンパクト版で、島巡礼の総延長距離は四国のおよそ十分の一ほどだという。
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by sumus_co | 2012-02-26 21:08 | うどん県あれこれ

絵絣

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絵絣と言えば、だいたい鶴亀、唐草、菊花などおめでたい模様や文字が多いが、これはモダンな花瓶に花を挿した図柄である。わりあい新しい作なのかもしれない。はなびらの散ったところに作者のセンスを感じる。

三年かそれ以上ぶりに歯科医院へ行った。かぶせがポロリと取れたため。先生は久しぶりなのでレントゲンを撮りましょうと言う。レントゲンの撮り方も以前とは違うし、何よりも画像が診療椅子の前に備えられたけっこう大型のディスプレイにくっきりと表示される。歯並びが悪い。

それをじっと見ていた先生は、浮かぬ顔でこう言った。

「どこにも虫歯はないですね…」

患者としてはひと安心だ。この先生には三年以上前に奥歯を抜いてもらったことがある。じつに鮮やかな手並みであった。名手と言っていいだろう。かぶせを取り替えるのなどちょちょいのちょいであった。そんな先生にとっては三年以上来ていない人間に虫歯が一本もないのはかなり心外だったに違いない。もう一度つぶやいた。「虫歯はないですね(おかしいなあ)」

しかし、それで終わったわけではなかった。歯周ポケットに歯垢がたまっています、と。まずは全体の歯垢のおそうじ。やはり三年以上のブランクは大きい。それなりに気をつけて磨いているつもりでも歯垢は積み重なっているようだ。血みどろのお掃除となった。

さらに日をあらためて歯周ポケット掃除にかかる。一度に奥歯三本から。これから何回も通わなければならないし、それなりに費用もかさむ。「歯周病になったら怖いですよ〜」と歯科技工士のお姉さんに脅されたので仕方がない。これがまた、ほとんど力技というか、先の曲がった金属で歯周ポケット(要するに歯茎と歯のすきま)内の歯垢をゴリゴリゴリと削ってゆくだけなのである。幸い痛みはそうでもなかったけれど、思わず肩に力が入って、終わった後はぐったりとなった。ふう。

お姉さんが「歯垢がやわらかくてサクサク取れますね。ものすごく固くて取りにくい歯垢もあるんですよ、人によっては」とほめてくれた。喜ぶべきことなのだろう、ね。
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by sumus_co | 2012-02-26 17:41 | 貧乏こっとう

西川満のプライベート・プレス

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『京都新聞』二〇一二年二月二四日号。文化欄に扉野良人「台湾に咲いた日文出版の"花束"」が掲載された。

『いまそかりし昔』特装本のお披露目会のときに扉野氏が京都新聞の行司さんに西川満のやっていた媽祖書房(まそ・しょぼう)や日孝書房の通信をまとめて見せたところ、西川について書く段取りになったのだ。『装幀台湾ーー台湾現代書籍設計的誕生』も持参していたしナイス・タイミングだった。

扉野氏は、何年か前のみやこめっせで何も収穫がなくて、その代わりに水明洞でこの西川満の冊子類がひとまとめになっているのを発見したそうである。当時、その話を聞いたのを覚えている。さすがブッダハンドだ。
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by sumus_co | 2012-02-25 21:33 | 古書日録

葉山藝大 BOOK-01 美しい本

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『葉山藝大 BOOK-01 美しい本』(用美社、二〇一一年一〇月一二日、構成&ブックデザイン=佐々木龍)。葉山藝大というのは本当の芸大ではなく、架空の空想大学だそうだ。昨年五月に催されたアートブックフェアーに際して「葉山藝大のつくりかたPROJECT-VOL.1」のトークイベントをもとにこの本は作られているという。用美社の所在地でもあり葉山館という美術館もできたことだし、アートブックの発信地になるかもしれない。

これは用美社の岡田氏が選んだ美しい本の一頁。佐野繁次郎や青山二郎もあれば池田満寿夫と横尾忠則の本もある。『PUSH』(講談社、一九七二年)は横尾本。
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そしてこちらは用美社の刊本。加藤一雄に板垣鷹穂、志村ふくみ、稲越功一など。近刊(と言われて何年経つのか思い出せないほどの)『加藤一雄の小説』もカバーまでちゃんと出来上がっているではないか! 早く手に取ってみたいもの。
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葉山空間SHOP 用美社
http://www.hayama-shop.com/shopbrand/027/O/

用美社の本 | フクヘン
http://fukuhen.lammfromm.jp/?p=862
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by sumus_co | 2012-02-25 21:11 | おすすめ本棚

千代紙文庫

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スムース文庫『私の見てきた古本界70年』に使用した図版の原稿(カラーコピー)が出て来た。三十八〜九頁に掲載した「千代紙文庫」の刊行案内と第一集の表紙四種。インタビューで八木福次郎さんはこう話しておられる。

《昭和二十二年(一九四七)には、こんなものもつくりました。『千代紙文庫』第一集(双美社)といって、藤村の「椰子の実」や国木田独歩、上田敏、石川啄木、若山牧水の詩や歌をそれぞれ一枚の紙に印刷して折ったものを、表紙に挟み込んだものです。この表紙のデザインは、小学校の同級生で、女子美を出た人に頼んで描いてもらいました。》

発行所は兵庫県加古郡二見町東二見、東京事務所が目黒区中根町旭ヶ丘で、これは岡野他家夫の自宅だったという。二十二年八月に東京に戻るまで《のんびりとこんなものをつくっていたんですが、東京で出版に復帰するための準備でもあった》ということである。

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インタビュー当日のスナップ写真も何枚か預かったままになっていた。なかで扇子を開いた一枚を掲げる。

 随意讀吾書

この文句は、検索してみると、元の陳徳永が出典らしいが、詳しい事は分からない。『欽定四庫全書 書史會要卷七』(明)陶宗儀撰の元の項に以下のように出ているそうだ。

 陳徳永字叔夏黄巖人徳望清重書宗李北海

書家の署名、これはどう読めばいいのだろう?
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by sumus_co | 2012-02-24 19:58 | 古書日録

川柳大大阪 第十一号

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『川柳大大阪』二の一(大大阪川柳社、一九二五年一月一日、表紙=竹久夢二)。編輯兼発行者は渓花坊こと本田敬之助、大阪市北区老松町三丁目。扉絵が宇崎純一。純一は創刊号から十号まで表紙画を描いていた。瀧克則さんが「宇崎純一ノート」(『spin』06、みずのわ出版)でこう書いておられる。

《翌年、第二巻の表紙は竹久夢二の作が飾る。夢二の大大阪最初の表紙はうなだれた青年の絵だった。その二巻の新年号の中絵を純一が描いている。純一の絵は二、三人の男たちが軽やかに歩いているカットである。夢二と対照的な軽やかな絵である。この夢二と純一の競演は大正ロマンの中心にいた二人の画家の交差を表しているようで貴重である。大胆で絵に入り込む夢二の作に比して、純一の絵は冷めた眼で見た世界を描いている。おそらく何かと夢二と比べられた純一であろうが、純一自身夢二との違いは充分わかっていただろう。純一はあくまで風景の観察者である。夢二の絵からにじみ出るような自己移入はない。そこにみられるのはむしろ冷めきった眼、風景、風物を観察者として眺めてしまう冷ややかな眼だ。そして、それは理知的でもある。》

夢二の表紙、この絵柄は異例であろう。正月号としては明らかに季節が合わない。洋傘を持っているのだから、梅雨時分と考えるべきか。男の着ているものは洋服らしくも見えなくはないが、あるいはパッチと半纏とか、そういった労働着かもしれない。草履履きで、無帽だし、煙草入(だろう)を腰に着けている。ただ夢二式に頭が小さく手足が長く描かれており、写生のリアリティが半減してしまっているのである。「大大阪」のタイトル文字もちょっと変っている。あるいは関東大震災後のスケッチから制作したというふうに考えてもいいかもしれない。

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対して純一の方は和服と洋服(チャップリン風か)の対比に妙があろう。先日の今和次郎らの調査でもこの時代には男性では洋装の方が多かった(関西では多少違った可能性もあるが)。チャップリン風の男は「もう一軒いきましょ、そこに懇意の店がありますさかい」とでもしゃべっているのかもしれない。和装の男は折り詰めを下げているので帰宅するつもりだろう。

川柳の古書を集めた体験談を語る花岡百樹の「古本物語」が面白く、かつ貴重な古書売買の記録となっている。一般人でも入札で古書を買えるシステムがあったのだ。

《東京では淡路町の酒井好古堂が今の須田町の角辺に古本専門の舗であつた時に多く同店で買ひました。其頃同店では柳樽を尋ねる客は皆無と可謂時代で》

《私が大阪へ移住後の話ですが、或時八幡筋のだるまやの主人木村君が店[酒井好古堂]へ立寄つた時、大阪の柳樽のお客様が貴君のお噂をしたと云つたさうで今日まで私の名は知らないのです》

《アノ頃即二十四五年前は如何かと云ひますと、酒井では何でも柳樽が一冊四銭と定めて置いて、猶外に買物をすると吉原細見の一冊位はお供にして呉れたものです。全体が其位なもので今では百円以上になつて居る西鶴の『世間胸算用』がチヤンと揃つて居て同店で勿驚唯の一円二十銭でした。東京以外の地方でも大方一冊四五銭で買ふ事が出来ました。》

さらに神保町の本屋で柳多留が二尺程の高さで五六十冊縄でからげられていたという。

《値を聞くと皆で二円ですと云ふので一円五十銭にまけろと云つた処が、まけません 其頃はみんな出掛けやうとすると、エヽ宜ろしう御座いますと呼びとめるのが古本屋の呼吸なので後から呼留められる心算で出た処が、呼留ませんので巳むを得ず帰つては見たものゝ残念なので翌日友達を又其店へ買ひにやつた所が、出して置いたのが売れぬので、今朝仲間の市へ出して仕舞つたといふ事でした。》

《平野町の夜店でもボツボツ買ひました。沢の鶴の石崎の前へ一六の夜毎に定店を出す亀さんとか云ふ和本専門の古本屋が私が前へ立つと時々『大将川柳おまつせ』と脇の箱から別にして置いて出してくれました。其他安土町の書籍商組合事務所で毎月開かれた古書交換会でも毎回一二冊位は出るので買ひました。其頃十銭が通り相場と見えて十二三銭に札を入れると大方落ちました。》
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京都市富小路御池南入「楽山荘」の広告。
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by sumus_co | 2012-02-23 20:41 | 宇崎純一資料

八木福次郎さん死去

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《八木 福次郎氏(やぎ・ふくじろう=日本古書通信社前社長)8日午後2時42分、肺炎のため埼玉県所沢市の病院で死去、96歳。兵庫県出身。葬儀は近親者で済ませた。》(時事通信)

『日本古書通信』は年内に1000号を迎えるはず。残念な訃報である。八木さんにはスムース文庫で南陀楼綾繁編『私の見てきた古本界70年』(二〇〇四年二月二九日、表紙画=内澤旬子)を作ったときにお世話になった。といっても小生はレイアウトしただけだったが、刊行後、南陀楼氏といっしょに神保町にあったビルの上階の事務所を訪ねてご挨拶をした。当時は八十八歳だったということになる。明晰な話し振りだったことが強く印象に残っている。ご冥福をお祈りする。以下はスクラップ帳より。

神戸新聞一九九四年四月二五日(見出しの「書箱」はひょっとして誤植!)
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朝日新聞二〇〇六年四月一五日、 be on Saturday
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『日本古書通信』編集長日誌より。

《2月8日(水曜日)

八木福次郎顧問がとうとう亡くなってしまった。午後2時42分、入院中の病院でご長女に看取られながら静かな最期だったようだ。享年96歳、4月17日が来れば満97歳、11月の通巻1000号達成まであと少しだった。

午後6時過ぎ病院に伺い静かに眠っているような顧問に会った。昭和54年1月14日ころだったか、初めて古書会館三階の事務所で面接し、20日から出社したが、それからずっと机を並べての33年間お世話になった。葬儀は生前からの意思で密葬とし、後日偲ぶ会をすることになった。会場も2009年2月にゲスナー賞受賞祝賀会を開いた明治大学の紫紺館でやってもらいたいと、随分以前にご長男に話していたようだ。

病院からご遺体を自宅へ迎える準備をするために、折付と二人で駅まで十五分ほど歩いた。夕方駅に降りたときは、雪がちらついていたがもうやんでいた。以前は年一回春に会社の旅行があり、健脚が自慢だった顧問はよく歩いた。伊豆の修善寺に行った時は、伊豆箱根鉄道の駅から数キロを一時間ほど歩いた。明治生まれの一誠堂の番頭小梛さんも一緒だった。もう二十年以上も前だが、なぜかその折のことがしきりに思い出された。

午後10時頃自宅に戻られた顧問は、さらに静かな表情になっていた。今年1月13日にお見舞いに伺ったとき、これでお別れになるだろうと感じた。ただ、それは顧問が亡くなるというのではなくて、今までに感じたことの無いとても遠い人に感じたのだ。偶々体調が悪く意識が薄れていたためかもしれないが、確かにあの日に今生の縁が切れたのだろうと、今にして思う。生前の八木は姿を消したが、これからはずっと心の中で生き続けてくれて、生涯縁がきれることはない。十二時過ぎ雪もよいだった夜空も晴れて満月が真上に出ていた。句が浮んだ。

 本の人春を待たずにまるい月》
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by sumus_co | 2012-02-22 20:43 | 古書日録