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賽の一振りは断じて……

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『ステファヌ・マラルメ 賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう 原稿と校正刷 フランソワーズ・モレルによる出版と考察』(柏倉康夫訳、行路社、二〇〇九年三月二五日)が届いた。これは驚きの一冊。内容は雑誌『コスモポリス』に発表された「賽の一振り」と「序文」、その自筆原稿、そしてヴォラール版(出版されなかった)のための自筆原稿と校正刷(いずれもすべてカラーの写真版)、その活字化とモレル女史による解説、柏倉氏の「あとがき」。

とにかくマラルメの自筆原稿は凄いの一言。いや凄いではなくて美しいというべきか。それも整った美しさというのではなく名手のデッサンに見るような繊細な混沌をはらんだ逸品だ。

自筆原稿の6〜7
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『コスモポリス』のための原稿。なんとも絵画的!
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『コスモポリス』「序文」の校正。フランスの校正法(correction d'épreuves)についてはまったく無知なのだが、日本語の校正法(多分に英米式)と比較するとやや風変わりな記述である。
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斜線が校正すべき文字や記号を示す。それをどう直すかは欄外に書かれている。子供のお弁当に入っている蛸のウィンナーみたいな、踊っているような記号は日本式なら「トル」に当るようだ。「Enlever」の「e」らしい。「,/」は本文の「/」のところに「,」(コンマ、フランス語ではヴィルギュル)を入れるの意味。その下の行のややこしいのは「à l'entour」となっているのを「alentour」にする(昔風の表記を止める)ということだろう、たぶん。その下の「=」は行末の「t」が上がっているので位置を少し下げる。
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この書物についてはもう少し書いておきたいが、今日はここまで。
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by sumus_co | 2011-08-31 22:12 | おすすめ本棚

伊坂芳太郎 李賀 

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昨日の『狼藉集』で「伊坂芳太郎の死」を読んで『平凡パンチ』第五巻第十二号(平凡出版社、一九六八年三月二五日、表紙=大橋歩)を取り出してみた。伊坂のイラストが載っているはずと思いついたから。伊坂は一九二八年生れで七〇年九月八日に歿した。四十二歳。草森は

《井上洋介さんと、つれだって葬儀にむかう途中、デザイナーの福田繁雄氏に出逢った。「もう徹夜はよすよ、よそうね」。氏は井上洋介さんにむかって言った。やはり仕事のしすぎなのだろうか。》

伊坂はライトパブリシティに勤務しながらイラストレーションの仕事もやっていた。

《イラストの仕事が主、勤務が従という段階を氏はつけなかったし、また両者は一致していたところもあったし、どんな小さな仕事でも、手を抜いた形跡がなかった。まさにいま考えると、挑戦的であった。いったいなにに挑戦していたのか。
 ただ。いつも仕事を楽しみながらやっていたように思う。楽しみながらといえば、ホイホイとやっているようだが、実際は苦しみながら、イヤだイヤだと思いながらやっているより、はるかに根がいるものなのだ。》

焼香をすませた後、草森は和田誠や湯村輝彦、井上洋介、『話の特集』の矢崎泰久らと喫茶店に入った。過労か寿命かなどということを話し合い《この死の報に接した人々はみな一様に「働きすぎ」ということに自戒をこめて、考えたことはだけはたしかのようであった》と観察している。

《和田君が「横尾ちゃん、病気だって。さっき代理できた奥さんに逢ったけど、心配そうだった」と突然言った。マスコミを相手どった横尾忠則の奮迅の活躍は、いったいなんであったろうか。健康を害したのは、やはりその活躍のたたりなのだろうか。彼の一時的なイラストレーター廃業宣言は、彼の肉体の危機に対する一種の本能的な防御なのだろうか。》

六〇年代、イラストレーターはスターだった。過労死してもおかしくないくらい。ただここに名前の挙がっている人たちは福田繁雄を除いてはみなさん健在のようだ。または健在な者だけが生き残ったのか。下は『平凡パンチ』第五巻第十二号の野坂昭如「真夜中のマリア」連載第二回の挿絵の一点。
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Pero 伊坂芳太郎
http://www.paters.co.jp/goods/goods_pero.html

なお大橋歩の『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』の挿絵版画展が神戸元町通二丁目のSHIRASAで開催される(9月1日〜6日)。10月11日~17日には恵文社一乗寺店でも。

  *

「老人になった鬼才李賀」という文章も面白い。二十七歳で夭折した唐の詩人(七九一〜八一七)。鬼才という冠称を中国の詩史上においてひとり独占することになった(《鬼才という呼称は、中国では李賀しかさすことはない》と草森は書いている)この詩人を草森は偏愛したという。十五年前からと書かれているので一九五六年頃からということになるが、その頃の日本ではまだアンソロジーでさえほとんど刊行されていなかったようだ。

日本でも五山僧によって愛好され、石川丈山が詩仙堂に中国三十六歌仙の画像を掲げた時にはその一人に選ばれている。草森は詩仙堂へ足を運び狩野探幽の筆と言われるその絵を実際に見たというのだが、黒ずんでいてほとんど何が描かれているのか分からなかった。ところが『詩仙堂志』という本にその模写を発見して驚く。李賀は老人に描かれていた(!)

石川丈山は三十六歌仙の選定を林羅山に依頼した。しかし実はそれを選定したのは羅山の四男読耕斎(とつこうさい)だったのだ。丈山と読耕斎の間に文通はあったらしいが面識はなかった。羅山も李賀が何者かよく知らなかった。そんなところから丈山は老人だと勘違いして肖像を描かせたのかもしれない、というような話である。草森はこう結んでいる。

《歴史の中にもぐりこむ楽しさの一つは、このように興味が縦横に時空を超えて飛火し、また増殖を重ねていくところにある。》

  浩歌 李賀

  南風吹山作平地,帝遣天吳移海水。
  王母桃花千遍紅,彭祖巫鹹幾回死。
  青毛驄馬參差錢,嬌春楊柳含細煙。
  箏人勸我金屈卮,神血未凝身問誰。
  不須浪飲丁都護,世上英雄本無主。
  買絲繡作平原君,有酒惟澆趙州土。
  漏催水咽玉蟾蜍,衛娘發薄不勝梳。
  看見秋眉換新綠,二十男兒那刺促。
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by sumus_co | 2011-08-30 21:58 | 古書日録

マン・レイへの思い

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八月二十九日付け京都新聞文化欄に「マン・レイへの思い/手製本に込めて」という記事(行司千絵)が出た。石原輝雄さんの近著『三條廣道辺り』を紹介しつつマン・レイ・コレクターとしての存在から手製本へのこだわりまでを詰め込んである。後の世の石原輝雄研究家にとっては貴重な記事になったと思う(マジです)。
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by sumus_co | 2011-08-30 17:05 | おすすめ本棚

狼藉集

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草森紳一『狼藉集』(ゴルゴオン社、一九七三年一二月五日、装幀=羽良多平吉)。まだあとがき「魚座の弁解」を読んで、本編を二、三つまみ食いしただけなのだが、あとがきは草森による草森論になっておりスコブル面白い。以下は出版の経緯について語られた部分から。

《この雑文集は、一九六三年から一九七二年までに書いた五枚以下の文章を収録したものである。ただし十数篇はやや長いものが混入されているし、マンガ、写真、テレビCM、インタビューに関する掌文は、例外を除いて、省いたのだが、百篇にはなった。》(「魚座の弁解」)。

《ゴルゴオン社の来住君が、ある日、本を出させて欲しいと言ってきた。この会社に集っている人は、みな二十三、四の青年でみなそれぞれ別に職業を持っていて、年に一冊か二冊出していくのだという。取次店も通していないという。その主旨が気に入ったので、私は承知し、どういう原稿を集めて一冊にしようかと相談すると、短いものばかりがよい、と来住君は言った。》(同前)

奥付に発行者となっているのは村松俊彦。NDL-OPAC では以下の書物が確認できた。

1. 困難な時代の詩人 / 長田弘. -- ゴルゴオン社, 1971
2. 戦場からの手紙 / ジャック・ヴァシェ[他]. -- ゴルゴオン社, 1972
3. 困難な時代の詩人 新装版/ 長田弘. -- ゴルゴオン社, 1973
4. 戦場からの手紙 新装版/ ジャック・ヴァシェ[他]. -- ゴルゴオン社, 1973
5. 雅歌 / 秋吉輝雄. -- ゴルゴオン社, 1973
6. 狼籍集 / 草森紳一. -- ゴルゴオン社, 1973

ゴルゴオン社はこの後「夢魔社」を経て「村松書館」となる。

1. アリス煉獄 / 穹野卿児[他]. -- 夢魔社, 1974
2. 戦場からの手紙 / ジャック・ヴァシェ[他]. -- 夢魔社, 1974

1. 横光利一論 / 岩尾正勝. -- 村松書館, 1975
2. 戦場からの手紙 / ジャック・ヴァシェ[他]. -- 村松書館, 1975.12
3. だが、虎は見える / 草森紳一. -- 村松書館, 1975
4. 酒井宗雅茶会記 / 粟田添星. -- 村松書館, 1975
  [以下略]

『戦場からの手紙』はよく売れたようだ。ジャック・ヴァシェ(Jacques Vaché, 1895-1919)は若きアンドレ・ブルトンに強い影響を与えた男、麻薬の吸引によって事故死した。

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カバーがなくて幅広の帯というのは今でこそそう珍しくはないけれど、この時代にはかなりとっぽいデザインではなかっただろうか。
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表紙をモノクロにして見返しをカラーというのも捻ってある。しかも継ぎ表紙なのだ。
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腕によりをかけて凝りに凝った装幀をほどこしたデザイナー羽良多平吉についても一文がしたためられている。見開きの頁に著者と装幀者の写真が載っているというのもちょっと珍しい(向かって左が羽良多)。これは肖像写真の掲載を渋っている草森に「僕の写真もいれさせてください」と《羽良多君》が主張して実現したのだそうだ。

《羽良多君は、昭和二十二年吉祥寺の生れ。東京芸大デザイン科卒の俊英、などと書きだせば、いっぱしの紹介にはなるけれど、私が最初彼に逢ったのは、新宿の「プレイマップ」の編集室であった。「草森さんですね」とまだ紹介もされていないのに、のっけから話しかけてきた青年がいた。それが彼であった。》

《羽良多君は、妙な可愛げをもった青年で、真正面な上昇性をもっている。それは羨しいほどに素晴しい。その奇妙な味をもった資質は、彼のまだ未知数な、これからのデザインやイラストレーションの活動を、大きく開花させ、羽ばたかせる、その原動力となるだろう。》

「魚座の弁解」で草森は自分自身のことを「ゴミ箱」のような人間だと定義している。大学卒業をして東映の入社試験を受け、演出・脚本・プロデュースを志望すると発言して失敗したときにこう感じたのだという。

《どうして自分はなにか一つに絞れない人間になってしまったのだろうか、と言うことであった。あの面接のさなかでも、もう一人の自分は、冷静に、この国は専門一筋でないと生きにくいらしいぞと、呟きかけていた。
 私は、この苦い経験から、専門一筋の人間に切りかえたかと言えば、そうではなく、自分のやりたいことは、臆面もなくなんでもやろうということであった。それが、自分の生まれついての性であるように思えてきたからである。》

《だが、私流に言えば、一つである。》

《その専門家であることを尊しとする風潮は、あまりにも偏狭ではあるまいか。》

このくだりを読んでピンときた。岡崎氏が28日の「okatakeの日記」で引用している「あいおい古本まつり」のトークにおける古書現世向井氏の言葉だ。これはなかなか鋭い発言であり、草森の論旨とみごとに響き合う。

《これからの古本屋は専門店化しないと、とよく言われてきたが、それは逆。古書現世は、むしろ十年前に専門性を捨てた。》

だから、古書現世はゴミ箱的な古本屋だと言いたいわけではないので、念のため(なお本書を古書現世の盟友・立石書店から求めたのも何かの縁)。

草森の自己分析、あるいはこれはいわゆる「マルティテュード」というやつではないか。現代思想は生かじりもいいとこなのだが、専門性を「帝国主義」と置き換えれば、統合されたひとつの勢力でありながら多様性を失わない立場を草森は自分自身のあり方において主張しているように思えてならない。
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by sumus_co | 2011-08-29 21:48 | 古書日録

三時のわたし

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浅生ハルミン『三時のわたし』(本の雑誌社、二〇一一年八月二〇日、装丁=川名潤)を頂戴した。どうしてかというと、小生もチラッと登場するから(でしょう)。ありがとございます。ハルミンさんの絵と文をたんのうできる素晴しい一冊。二〇一〇年の一年間、午後三時に何をしていたのか、ということを絵と短い文章で記録した本。はっきり言ってハルミン・ストーカーになった気分にひたれます。

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ハルミンさんとは二三度しか会ったことはないが、面識のある美術系女子アーティストではベスト3のひとり。もう一人は武藤良子、あと一人は内ザワ先生かな。三人三様、文武両道にひいでている。その武藤さんも六月二十二日に登場。武藤さんのアトリエで個展の宛名書きをハルミンさんは手伝った。

《アトリエはもう使われていない小学校の教室。武藤さんが「ハルミンさん、いいもの見せてあげっから、こっちこっち」と言うのでついていくと、校庭の隅っこの木陰に大きな水鉢があって、小さなおたまじゃくしが水面を覆っていた。散り散りに浮かんだ水草にからまったり、乗っかったりしていた。このままするすると身体のなかに入ってきそうなくらい活発な泳ぎ。》

無邪気な、でも何かとても大事な風景だ。また田村治芳さんが何度も登場しており(ハルミンさんは『彷書月刊』で十九年も連載していたんだねえ)、ビミョーに似ている似顔絵が田村さんのいくつかの決定的な側面をとらえていて感心してしまった。

いずれにせよ、この本は浅生ハルミンの過去(DNA分析によるルーツまで!)、少女時代、そして昨年の仕事から衣・食・住、交遊、何よりもその心の内側まで、ほとんど丸見えの《自分を標本箱に据えてピンで留めたような》内容だ。ファンならずともハルミンさんの属する女性層の心理に興味のある向きには必読。小生はやはり筋の通った古本者でもあるハルミンさんに同感してしまう。

五月十七日
《神保町の田村書店の前にいる。今日は古書の先輩方の姿が少ない。均一台の本をひとりじめして、『庭にくる鳥』という写真集を見つけた。佐伯敏子さんというかたが撮った、庭の小鳥の写真集。昭和三十七年の本。かっぽう着姿でカメラのレリーズを持つこのひとの姿も写っている。この写真一枚のためだけでも買いたいと思った。前に勤めていた会社の社長が言った、「アサオさん、これどうしよっかなーと迷う本があるでしょう。でも本は、いいページがひとつでもあったら買うんですよ。あとから必ずよかったって思いますよ」という言いつけを私は守っている。》

十二月二十七日
《本を買いに出かけている。地元と渋谷の本屋さんを覗いてから、神保町までハシゴした。本屋さんにはそれぞれの色合いがあり、出たばかりのぴかぴかの本、小さな出版社の味わい深い少部数の本、古本屋さんでしか見られない本たちが、「私はここよー」と自分の歌をうたっている。そんな中にいると、やっぱり東京はいいなあ、はなれたくない!と思う。》
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by sumus_co | 2011-08-28 21:17 | おすすめ本棚

縮刷 夏目漱石

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段ボール箱整理をしていると漱石の縮刷だけを集めた一箱を見つけた。かつては何度も何度も絵に描いていたのだが、ちょっと描きすぎたような気がしてしばらくお蔵入りにしておいた。重版ばかりで傷みもはげしいけれど絵にするという目で見るとその疲れ工合にそそられるのである。装幀はおおむね津田青楓で(『猫』は中村不折、『こころ』は漱石自装)、見返しや扉などに愛らしい木版画が添えられている。

手前『吾輩は猫である』大倉書店、一九二六年一一月二〇日百二十二版(初版一九一一年)、奥同じく一九二〇年五月二〇日百六十五版。前者には「1,000」という値段が街の草さんの字で書かれている。今ならパスしたろう。
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『こころ』岩波書店、一九二四年七月一日四十四版(初版一九一四年)。箱の平には篆体(?)で『心』(でしょうね)、背には楷書体で『心』、表紙の平には楷書体で『心』背には『こゝろ』、序文では『心』、本文巻頭および柱には『こころ』、奥付にはタイトルは記載されておらず、最終頁の出版広告には『こゝろ』とある。さていったいどれが本当のタイトルなのでしょう?
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『道草』岩波書店、一九二〇年五月二〇日二十八版(初版一九一四年)。『こころ』とともに何度も描いた一冊。
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『硝子戸の中』岩波書店、一九一七年九月二〇日九版(初版一九一五年)。
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左『草合』春陽堂、一九一八年一二月二五日九版(初版一九一六年)、五〇〇円。右『行人』大倉書店、一九二〇年三月二〇日十五版(初版一九一六年)。
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左『文学評論』大倉書店、一九一七年一二月二五日三版(初版一九一七年)、五〇〇円。右『行人』岩波書店、一九二〇年二月五日二十七版(初版一九一七年)。
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手前左『岩波文庫版漱石全集(13)』岩波書店、一九五〇年二月五日、五〇〇円。手前右『鶉籠』春陽堂、一九二四年二月五日二十五版(初版一九一七年)。
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『門』春陽堂、一九二四年六月一五日二十二版(初版一九一五年)。
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『三四郎 それから 門』春陽堂、一九二一年三月一五日五十一版(初版一九一四年)。
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『漾虚集』大倉書店、一九一九年五月一五日七版(初版一九一七年)。
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左より『夢十夜』春陽堂、一九一九年一二月三日二十五版(初版一九一五年)。『草枕』春陽堂、一九二〇年五月一五日四十三版(初版一九一四年)、三〇〇円。『思ひ出す事など』春陽堂、一九二〇年七月二五日二十五版(初版一九一五年)。『夢十夜』春陽堂、一九二五年一二月二五日九十四版(初版一九一五年)。
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アールヌーヴォ(『猫』はまさに)と表現主義の谷間のような時代において津田青楓は独自の装飾性豊かな世界を展開しているように思う。
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by sumus_co | 2011-08-27 21:00 | 古書日録

海山に行かで市井に夏や了 石塚友二

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by sumus_co | 2011-08-27 10:27 | 写真日乗

珈琲共和国

先日の『小さな蕾』四十八号(一九七二年六月一日)「薩摩磨崖仏」特集号を見ていると山内豊之が「珈琲屋の戯言」というエッセイを書いていた。喫茶店「ぽえむ」チェーンの創始者である。

《私が珈琲専門店を始めて五年になる。
 当初、家内と二人で何とか喰べていければいいと思って始めた商売であったが、今日では店数も五軒に増え、従業員も二十名を超えるようになった。》

と書き始め《最近珈琲店をやりたいからと相談に来られる方が大変多い》ために時間と労力を取られて困ると嘆く。さらに店の設計をデザイナーに頼んでマスタープランを出してもらって図面書きを断ったらデザイナーが怒り出したという話になる。この二つの話をアイデアよりも物質を重視する日本人の悪癖としてとらえ、こういう結論を導く。

《他人の知的な財産を充分尊重する気持を持つようになったら、私達一人一人の富、財産や幸福などというものに新しい価値観が生れて、より豊かな、より平和な社会が形成されるのではないかと思うのであるが、その考え方は間違いだろうか。》

《もし、そのような認識が進んだとしたら、少なくとも私は、招かざる客から解放され、仕事は快調に進み、女房も機嫌よく、そして、もっと余裕をもって少しはマシな文章も書けただろうと思うのである。》

山内と言えば『珈琲共和国』という機関誌を田村治芳さんから買っていたことを思い出した。ブログにも書いた(2007-08-24)。

『珈琲共和国』
http://sumus.exblog.jp/7343608

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十八、二十二、二十三、二十四号の四冊(月刊、一九七三年六月〜十二月。逆算すれば創刊は一九七二年一月ということになる)。第二十四号巻頭の山内による「コーヒー党宣言」では六千部発行(実売二千)としている。寺下辰夫、伊藤博といった珈琲通の連載もあって熱っぽい雰囲気がムンムン。記事によれば「ぽえむ」のフランチャイズは一九七三年一一月中に二十一店になったというから『小さな蕾』の五軒から考えると二年足らずの間に十六軒増えた計算になる。それは鼻息も荒くなろうというもの。

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考えるに、二年前の山内は《最近珈琲店をやりたいからと相談に来》る訪問者に仕事を邪魔されて閉口していた。ところが、ある日、これは商売になるとヒラメいて、その発想を転換した。珈琲店で儲けるのではなくフランチャイズ展開で儲けるという方向へ。アイデアを物質に変えたのである。その勢いをかって本も書いた。著書は以下の通り(NDL-OPAC)。

1. 実録珈琲店経営 / 山内豊之. -- 明日香出版社, 1974
2. 珈琲でまともに儲けろ / 山内豊之. -- 東京経済, 1976
3. コーヒー店戦争 / 山内豊之. -- 東京経済, 1977.3. -- (ビジネス戦争シリーズ)
4. 実録新珈琲店経営 / 山内豊之. -- 明日香出版社, 1983.10. -- (アbusiness)
5. 喫茶店は楽しさ商売 / 山内豊之. -- マイブックチェーン21, 1985.10

『実録珈琲店経営』は昔『喫茶店の時代』を書いているときに読んだ記憶がある。大阪の「食の図書館」で借りた。今、検索してみると、案外入手しにくい本になっているようだ。
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by sumus_co | 2011-08-26 21:26 | 喫茶店の時代

長戸寛美

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長戸寛美『漫筆草市噺』(長戸寛美、一九八〇年一〇月二四日)を頂戴した。長戸は明治四十三年東京生れ。実父は茅ヶ崎上正寺の住職佐々木英之。故あって漢学者の家系である母方を継いだ。東京帝国大学法学部卒業、昭和十年検事に任官、甲府、長野、高松、広島など各地で検事生活を続け昭和四十八年最高検察庁次長検事をもって定年退官した。以後弁護士となる。

本書は著者が三十年にわたって『研修』『民事研修』『法曹』『罪と罰』の各機関誌に発表した随筆を一冊にまとめたもの。メインテーマは演劇に現れた犯罪と刑罰の研究……というと堅苦しいが、歴史資料からフィクションのヒーロー、ヒロインたちの実像を描くといった内容である。国定忠次から鼠小僧次郎吉、お染め・久松、お七などを扱って大岡忠相で締める構成。例えば、今話題のヤのつくお仕事で言えば、国定忠次。忠次は豪農の出で身を持ち崩してやくざになった。

《博徒結合、賭場開帳、常習賭博は、それが「渡世」だから目をつぶるとしても、暴行脅迫が日常茶飯、強盗、殺人、傷害の連続では、今だったら、さしづめ、暴力主義団体で特審局の御厄介ものだ。》

「特審局」は法務府特別審査局の通称。昭和二十七年に公安調査庁となったようだ。

《御掛は、池田播磨守。牧野備前守の御指図(指揮)。罪状は、前述べたように、賭博、人殺し凶状とあるが、最も重いとされたのは関所破りで、「関所難通類、山越等いたし候もの、於其所、磔」の御定書百箇条の御法通り極刑に処されたわけである。》

殺人より関所破りが重く見られたとは、のんきそうでも大変な時代だなあ。その処刑は嘉永三年十二月二十一日。行年四十一。ちなみに数え二十一歳の吉田松陰が九州を巡歴して萩にもどったのが同年同月二十九日である。ペルリの浦賀来航まで二年半という時代だった。

こんな切り抜きが挟んであった。
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他に長戸が「本を買う話」を執筆している『月刊提言』122号(提言刊行会、一九八三年六月二〇日)も挟んであった。かなりの読書家だったようだ。母方の曾祖父は長戸得斎だという。

《大学時代、丸ビルの古書展で、私の曽祖父 長戸得斎が嘉永三年(これまた嘉永三年!)に刊行した「得斎詩文抄[鈔]」(和綴木版・全三冊)を発見したときは嬉しかった。得斎、名は寛司、岐阜加納藩の藩儒であり、江戸昌平黌の教授方をつとめた。ほかに「北御[道]遊簿」等の著書があるそうだが、まだ見つからない。》

『得斎詩文鈔』はいくつかの図書館に収蔵されており、『北道遊簿』は目下、むむむの値段で日本の古本屋に出ている。それはそれとして、ちょっと目にとまったのは次の文章。

《文字どおりの兎小屋ーー狭いわが家のどの部屋も本だらけ》

「兎小屋」はこの頃から使われていたのだなと思って調べてみると《(rabbit hutch)一九七九年、ECの非公式報告書の中で、日本人の狭い住居を形容した語》(『広辞苑』第四版)だそうだ。ただし「兎小屋」というのはフランス語で「Cage à lapin」(ウサギの檻)なのだが、フランスでは一九七〇年代から大規模な集合住宅のことを「うさぎごや」と称していたらしい。で、報告書でもそういう「集合住宅のような」というコンテクストで用いられたらしいのである。

では、フランス人が「うさぎごや Cage à lapin」と聞いてイメージするのはどんな家か? いくつか検索してみたので、お閑な方はご覧あれ。文化財になっている「うさぎごや」もある。

La Cité radieuse [Monument historique]
http://fr.wikipedia.org/wiki/Cité_radieuse_de_Marseille
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Cage à Lapin ...
http://stephaneraould.canalblog.com/archives/2009/10/02/14913741.html

Vive les cages à lapin !

Cage lapin pliante Mega Rabbit
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by sumus_co | 2011-08-25 21:15 | 古書日録

印刻について

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『渡邊一夫画戯集成』(一枚の繪、一九八二年六月一〇日)より。渡邊一夫が自ら彫った印の数々。このところ話題にしている竹の印が右手前に見えている。

《多くのことを次々に思い附き、それをまめに実行に移されていた渡辺先生は、さまざまの印を刻しておられる。
 検印に使われたもの、蔵書印として作られたもの、署名と共に色紙などに押されたものなどである。東京高校で教鞭をとられていた頃、丙類の生徒のために教官室の隅に本箱を置き、自由に貸出せるフランス語の本が並べられてあったが、それには木印で、NBと押されていたし、「ふらんす手帖」の奥付のCEFもそうである。
 中でも晩年によく使われた「幽幽自擲」は先生らしい印である。これを押して手渡された時の表情が忘れ難い。
 先生の印は自由であって、面倒な約束事の多い篆刻とは自から異なるものである。従って先生らしい面白さが伝わってくる。》

と串田孫一が解説している。文中「NB」は「Nota Bene」(注意せよ)だろうが、「CEF」は? Cogito, ergo…facit でもないか。串田自身も自分で彫った自由な篆刻の検印を使っている。しかし《面倒な約束事の多い篆刻》というのは偏見であろう。たとえば先日ご指摘いただいた「青邨」の「青」の下のところを月(肉月)として彫ってはいけない、「丹」でなければ漢字そのものが間違っていることになる、というようなことで面倒な約束事というのとは少し違う。漢字をそれこそ漢時代までさかのぼった形で正しく書くということだ。といっても皆が皆そうしているわけではないが。

たまたまムッシュKさんが「幽幽自擲」印を話題にされている。

「幽幽自擲」ムッシュKの日々の便り
http://monsieurk.exblog.jp/14360824/

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『渡邊一夫画戯集成』より渡邊一夫の水彩画「リラの花、いま枯れんとす」に捺されている「幽幽自擲」印。

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同じく「幽幽自擲」印のある水彩画「奇跡」。一九六八年、渡辺はパリに滞在しており、学生運動を間近に目撃している。その騒動をモチーフにした作品の内の一枚である。
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by sumus_co | 2011-08-24 21:11 | 渡邊一夫の本