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新菜箸本撰第八号

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橋爪節也さんの雑誌『新菜箸本撰』第八号(二〇一一年六月二〇日、編集・意匠・図案=荒木基次・和田誠)が届いた。昨年二月以来だから、ちょっと間が空いたが、いつもながらの大大阪満開。「サラヴァ!そごう」号である。「サラヴァ」はクロード・ルルーシュ監督の映画「男と女」の「サラヴァのサンバ SAMBA SARAVAH」から。「神の祝福あれ」「あなたに幸あれ」という意味だそうだす。

http://www.youtube.com/watch?v=F9Wx78z6L0A

そごうは坐摩神社の近くに十合伊兵衛が文政十三年に創業した古手屋「大和屋」から始まった。明治十年に心斎橋筋一丁目へ移転、十合呉服店となったが、平成十二年に倒産。村野藤吾設計のモダーンな建物(昭和十年竣工)も解体された。本書にはその建築途中の写真を初めとしてそごう関連の資料(広告、パンフレット等)がふんだんに盛り込まれている。昭和初期には社員慰安のために「十合の運動会」が甲子園や宝塚グラウンドで開催されていたという。また、そごうと美術の関わりを小川知子女史が詳述しておられるのも参考になる。

丸の中に三角二つが向き合っているようなそごうのマークは「丸にちきり」と呼ぶそうだ。古着の「大和屋」時代から使っていた家紋。「ちきり」うんちくを

《それから六代目三遊亭圓生の噺の「ちきり伊勢屋」。なっがい長い噺ですねん。お江戸の落語によう出てきまっしゃろ、人のえぇ若旦那が金に困っている娘を助け、そやのに自分自身は色々あって、没落。困っているところに、その娘にまたばったり出会いますねん。そっからはもう、気を入れ替えて「ちきりの暖簾」をかけて立派に家を再興します。いうたら「積善の家に余慶あり」ちゅうことどっしゃろなぁ〜。どっちゃにしても「ちきり」は、「契り」とも読めますやろ、商売やるんやったらやっぱり約束は重いちゅうことを、心せなあきまへんわなぁ。》

などと宗右衛門町の琴福喜さんが書いている。髭のある芸妓はんですかいな?(違うそうどす)


『新菜箸本撰』第七号
http://sumus.exblog.jp/12773950

『新菜箸本撰』第六号
http://sumus.exblog.jp/10151778

『新菜箸本撰』第五号
http://sumus.exblog.jp/7960103

『新菜箸本撰』第四号
http://sumus.exblog.jp/7100936

『新菜箸本撰』第参号
http://sumus.exblog.jp/6236097

『新菜箸本撰』創刊号、創刊弐号
http://sumus.exblog.jp/5633002
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by sumus_co | 2011-06-30 20:40 | おすすめ本棚

えびな書店店主の記

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四月と十月文庫「えびな書店店主の記」
出版記念トークイベント
対談 蝦名則 + 牧野伊三夫 司会=鈴木るみこ

日時 7月16日(土)15時〜17時
会場 東京堂書店神田神保町本店六階
参加費 500円(要予約)

東京都神田神保町1-17 東京堂神保町第1ビルディング
電話 03-3291-5181
http://www.tokyodoshoten.co.jp/

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えびな書店さんとは付き合いが長い。といってもほとんど目録だけだが、きっかけは「青山二郎全仕事」という特集の目録を知って注文したのだったような気がする。ちょうどその少し前から青山二郎の装幀本を集め始めたのだ。本書によればそれは一九八九年の第五号らしい。えびな書店古書目録『書架』はそれ以後全冊保存してあるはずだ(郷里の書架に)。

全冊などと自慢げに書いているが、ふつう古書目録は、二、三回つづけて注文しないとまず確実に来なくなる。欲しい目録に関しては出来る限り毎度注文したいと思っている、思ってはいるが、そううまくいかないのが、ビンボー人のつらいところ。他店の目録が一日早く着いたりして注文してしまうと、遅れた目録では何も拾えなくなってしまう。しかし、ここがえびな書店の器量というのか、しばらく注文しなくても必ず目録を送ってくれる。この点はきわめて有難い。つき合いが長いといっても、買った本はタカが知れているから、これはえびな書店の方針であって、優遇されているというわけでは決してないようだ。

えびな書店から買った本で忘れられないのは先日も紹介した『良寛遺墨集』。神戸の震災後、郵便が再開してはじめて届いた古書だった(多分、地震の直前に発送されていて、再開までどこかで滞っていたのだろう)。洲之内徹が出した雑誌『これくしょん』第一号(これくしょん社、一九五八年、創刊号のみで廃刊)はちょっと珍しいかなと思った。アンリ・ミショーの個展(一九六七年)カタログもうれしかった。

本書『えびな書店店主の記』(港の人、二〇一一年六月二六日、画=牧野伊三夫)は「追い書き」と題された蝦名詔子(蝦名夫人)のエッセイから読むべきである。そうすれば店主の文章がいきいきと沁みてくる、そんなニクい効き目があるように思う。

《結婚したとき夫は無職だった。普通ならあり得ないことだが、親戚に保証人になってもらって就職した会社を一日か二日で辞め、次の会社ではコピーライターの養成講座に社命で行かされていたのをパチンコ屋で過したそうな。今考えてもハチメチャなことをしたものだ。自分が納得できないことは絶対しないという東北人特有の頑固さもあるのだろう。
 編集者として努めた小さな出版社を退社してからはフリーランスで仕事を続けた。そして二十九年前、姑にもらったわずかなお金で古本屋を開業した。》

《私も働いてきたが、娘の誕生で一人の収入になり、二人で働いて一人前なのだから、長い赤貧状態が続いた。商売の経験もないまま本屋になってからも生活できるのかとても不安だった。赤貧からただの貧乏に格上げ? はしたが、暮らしぶりは大して変らなかった。ずいぶん後になって知ったことだが、好きな骨董品を購入し続け、女房子供にはぼろをまとわせていたらしい。》

どうです、こんなサイテーな男(書き写していて、他人事ではないことに気づいたけど)の書いた文章、読んでみたいでしょ。
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by sumus_co | 2011-06-29 20:40 | おすすめ本棚

仮額縁ほぼ完成

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あとは紐が足りないので都合しなければならない。ビニール紐ならあるけれど、それもちょっとわびしいので。
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by sumus_co | 2011-06-29 13:55 | 画家・林哲夫

焼けた本

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『彷書月刊』一九八八年一二月号に串田孫一が「焼跡での怒り」と題した文を寄せている。串田は二度火事で家を焼かれた。関東大震災と東京大空襲である。後者は昭和二十年四月十三日(三月十日、四月十三、十五日、五月二十五日が大規模だった)、当時山形県へ疎開していた串田は、知らせを受けてからも直ぐには東京に戻れず、四月二十五日になってようやく焼跡に立つことができた。

《本の形を若干残している灰が見当ったかも知れないが、もう十日以上も経ち、灰は、溶けて再びかたまった硝子や陶器の破片、金具類と一緒になってしまって何も判らなかった。机も椅子も書棚も、それらしい形をしたものは何もない。》

《ところがそう思って、少し盛上がっている灰を蹴ちらすようなことをしている時、その灰の中から、ジャン・パティスト・ルソーの顔が見えた。鬘をかぶり、少し胸をはだけているその姿は決して幻影ではなく、ランソンの文学史の、詩人としての評価を受けている部分の肖像であった。》

パティストとあるのはおそらく誤植。ルイ十四世に仕えた詩人、劇作家ジャン・バティスト・ルソー(Jean-Baptiste Rousseau)

串田には目的があった。万一を考えて地面に埋めさせた《二十数冊の本と帳面》を取り出すためにここへやってきたのだった。それらを石油箱に仕舞い込んで留守番の者に穴を掘って埋めるように頼んでいた。しかしその人は土をかける前にその箱の上にいろいろな品物を詰めて薄く土をかけただけにした。そのため、箱を開けてみると、本は灰になる前の段階で蒸し焼きになっていた。

《そっと取り出すと、風に散り、ところどころに私の鉛筆の書込みが光って見え、辛じてそれが読める状態であった。それはモンテーニュの『旅日記』の余白に書き込んだものであった。
      *
 それを見ながら、急に怒りが込み上げて来た。それは漠然とした戦争への怒りではなく、愚かさに走った人間が何をするかの見極めが出来なかった自分への怒りであった。もう少しはっきり言えば、遅れをとってしまった自分への怒りであった。》

本を疎開させるべく交渉をし、手筈は整っていたが、荷造りを始めたころには輸送ができなくなっていた。

《この悔いと怒りの複雑に絡み合った気持は今も殆ど薄れていない。自分の不手際で焼いてしまった本は全部憶えている。時々、眠れない夜に、それらは瞼にちらちら見えて来て、眠っても夢を見て魘[うなさ]れそうになる。》

これ以前、串田は「本とのつきあいについて」(『人生読本 本』河出書房、一九八〇年)という文章でもっと簡潔にこう書いている。

《自分の不手際からもう運べなくなって焼いてしまったが、しばらくして本の灰をかきまわしたら、厚い辞書のなかほどは燃え切らずに残っていた。》

「焼跡での怒り」にこの辞書のことが出ていないのがちょっと興味をそそる。

写真は、おそらく十年ほども前、ミカン(飼っていた犬)とよく散歩していた河原で拾った本。そこで誰かが焼いたのだろうが、持ち帰ってコンビニでカラーコピーしておいた。いつか装幀の材料に使えるかもしれないと思ったのである。現物はさすがに捨てたが、よく見ると国語辞典、どうやら新明解のある版のようだ。やはり辞典は燃え難い……か。
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by sumus_co | 2011-06-28 21:08 | 古書日録

眩暈と夢幻 結城信一頌

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矢部登さんより『眩暈と夢幻 結城信一頌』(私家版、二〇一一年五月三一日、限定百部、造本設計=龜鳴屋、函・表紙絵=一二明子)を頂戴した。包みを開いて唸る。うつくしい本だ。EDI から何冊か著書を出しておられる矢部さんだが、EDI の純粋造本よりも龜鳴屋本は少しばかりやさしい感じ。

『空無頌 津軽輕一間舎本書目』
『結城信一 眩暈と夢幻』

巻末「結城信一への旅」によれば、三十四年前に結城信一の著書『文化祭』を読んで魅了され、発表紙誌や作品集の蒐集を始めた。そして未知谷から刊行された『結城信一全集』(二〇〇〇年)月報に「結城信一著作年譜」を発表した。

《最終回のゲラを読みながら、私は日本近代文学館にある《結城信一コレクション》のことがしきりに思われた。ある日、保昌正夫先生にお願いして見せていただいた。半切にした土佐半紙に楷書で墨書された草稿類は、それぞれ一綴にされ、表紙でくるまれている。推敲のあとが鮮烈で、目を瞠った。地下の書庫では、結城信一が十三年もの歳月をかけて蒐集した二百冊を超える室生犀星の初版美本に出合った。
 その日の夕暮どき、駒場公園の落葉している樹木を見ていたら、結城信一の句が浮かんできた。
  一字づついのち刻みて秋の暮
 十二月のはじめ、第三巻が手許に届いたとき、「結城信一著作年譜」をながめながら、私のさらなる結城信一への旅ははじまっていた。》

この後、矢部さんは保昌先生に連れられて面影橋の EDI 事務所を訪ね、松本八郎さんの『サンパン』第三期(二〇〇二〜二〇〇八)に参加して結城信一などについて書くようになる。小生も同じようなことで『サンパン』に書かせてもらうようになり、矢部さんともお近づきいただいたのである。

結城信一は永井荷風に心酔していた。結城の若き日々を叙述した「一つの青春」によれば、結城は荷風好きが嵩じ、友人から荷風の手紙を見せられたことをきっかけとして、荷風の居所であった偏奇館を見に出かける。昭和十七年のこと。敬愛するゆえに敢えて荷風には会わなかった。周知のように偏奇館は昭和二十年三月十日の東京大空襲によって焼失する。

《四月の風の強い或る日、私は既に春の草が萌えはじめたその惨ましい廃墟に立つた。万巻の書の燃え落ちた跡にはなほ、風に吹かれる黒焦げの書冊から、蝶が飛ぶやうに紙片が一枚一枚空に向つて剥がれていつた。私は深い物思ひに沈みながら短歌を作り、荷風の避難先にそれを送った。》(結城信一「偏奇館焼亡」)

荷風はきれいな字で書かれた結城の手紙を女性のものと勘違いして短歌を日記に引き写していた。それが「罹災日録」(『新生』昭和二十一年三月号)に登場したとき、結城は大いに驚き喜んだという。

  *

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額縁の下塗りを行なう。この後、中塗り、上塗り、磨き、絵のマウント、紐付け、という手順で用意が整うことになる。同じ工程を昨年九月にアップしてある。

ウンチク流仮額縁の製作手順
http://sumus.exblog.jp/14011617/
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by sumus_co | 2011-06-27 21:36 | おすすめ本棚

青山書店を探す

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《森に佇むひとは、そこではあらゆるセリー(系)が、無限の豊かさにおいて錯綜していることに気がつくでしょう。》《一冊の本は、そして書店という空間もまた、このような意味における「森」であるということができるでしょう。》《本紙『三階』は、東京堂書店三階からお届けする「けものみち」のスケッチとして、隔週の発行を予定しております。本紙を「森」の散策の拙いガイドとしてご利用いただければ幸いです。「街をはなれこうして森に佇んでいると、「進歩」という観念が愚かしく思えてくる」と卒然と語ったのは、ピアニスト・グレン・グールドでしたか‥‥。「森」に足を踏み入れただけでも心が寛ぐということもあるかもしれません。皆さまのお越しをこころからお待ちしております。》

東京堂書店三階(三浦亮太)発行のフリーペーパー。CDのケースにほぼ近いサイズの袋状に折った紙に四つ折りの本文が差し込まれている。創刊から三号までを某氏より恵投いただいた。平倉圭『ゴダール的方法』(インスクリプト、二〇一〇年一二月)の特集も熱っぽく、「インスクリプト全点フェアー」を開催していたということにも敬服する。間村俊一さんの装幀でシブイ本を出している版元だ(現在、ジュンク堂書店京都BAL店にて、ブックフェア「ゴダールと指紋」開催中。7月中旬まで)。

そういえば港千尋『文字の母たち』が出たときに大阪で間村さん、港千尋さんたちといっしょにインスクリプトの丸山氏も来られておられ名刺交換したことを思い出した(ここに写っているおじさまたち、左手前が港、奥が間村、右奥から大西隆志、瀧克則、季村敏夫、時里二郎!)。

『三階』の内容はスゴ過ぎて当方では紹介不能だが、注ぎ込まれた情熱はひしひしと伝わってくる。今も隔週で続いているのだろうか。Bon courage!

  *

あるお寺さんより以下のようなメールが届いた。

《拙寺の境内に小さな石碑があるのですが、それを寄進されたのが名古屋の青山書店さんです。昭和3年6月10日とも刻まれています。一度その書店さんが現在も存在しているかどうか、調べようと思っておりました。そして前述の通り、貴殿のブログに出会いました。2010年1月28日 一千円開店法です。

http://sumus.exblog.jp/12746253

発行所の青山書店は名古屋市中区裏門前町一ノ二八 

そこで何か青山書店さんに関してご存じではないかと、厚かましくもメールを差し上げる次第です。拙寺の知りたいポイントとしては、

1  青山書店は存在したかどうか。
2  青山書店が存在したとして、昭和3年には有った。
3  そして、青山書店は現在どの様になっているのか。》

こんな問合せのメールを頂戴した。ときおり当ブログの内容について同様なメールをいただくことがあるものの、だいたいは返答に窮する場合が多い。青山書店について調べるとすれば、まず現在の書店リストおよび出版社リストに載っているかどうか。とりあえず試みたが、ネットで見る限りは存在しないようだ(もしご存知の方おられましたら、ご教示ください)。

次いで国会図書館に出版物は所蔵されているかどうかを調べる。名古屋の青山書店としては田伊良久志『セキセイインコ巣引法』(一九二七年)のみ。最後の頼みと『出版・書籍商人物情報大観—昭和初期』(金沢文圃館、二〇〇八年=『日本出版大観』出版タイムス社、一九三〇年一〇月三一日の復刻)の索引を見る。あ、青野書店、青山書店! いとも簡単に見つかる。以下全文。

《青山書店
 青山光次 氏
 明治二十三年五月生
 名古屋市中区裏門前町一ノ二八 

 同店は大正三年当主青山光次君の創業に始り、書籍雑誌販売店として市内屈指の小売店であるが、其の傍ら時好に投じたる出版を試み就中「一千円開店法」「小鳥の飼ひ方」「登録商標の受け方」等は相当な成績を納め地方出版業者の意気を示してゐる。
 君は東京開成中学校卒業後、東京西尾書店に入り四年間の修業を了へ独立したのであるが其の間早稲田大学専門部商科に学んだ。開店すると間もなく、広告第一主義を執り、まだ斯業者間に誰も試みなかつた東海道鉄道沿線に百余の沿線広告を掲出し、本屋広告の先鞭を打つたが、さうした方針は新聞雑誌は云ふまでもなく、チラシにまで巧みな宣伝文を入れて顧客の吸収に努めてゐる。尚面白いのは、店頭に大小数個の電気仕掛の剥製熊を置いて顧客を喜ばしてゐるが、これも君の広告法の一表現であらうことを付記して置く。》

現在「裏門前町」は町名として使用されていないようで、地下鉄鶴舞線の駅名として残っている。昭和十九年まで(?)は「裏門前町」もあったらしいから戦前の地図に照らせば場所を特定できるだろう(こちらもご存知の方にご教示をお願いしたい)。今はこれくらいのところで勘弁してもらうとして、名古屋で書店や出版の歴史を調べておられる方から情報提供を得るのが最上のように思う。
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by sumus_co | 2011-06-26 21:47 | 古書日録

「女子の古本屋」による「女子の古本市」

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海文堂書店の「女子の古本市」をのぞく。外は日射しがキツいけれど、ここはクーラーがよく効いてラクチンだ。それにしてもたいへんな人出でびっくり。昨日もすごかったらしい。岡崎棚はガサガサになっていた。何人かの顔見知りの人たちと「やあ」など言い交わしていると二時頃に岡崎・山本両氏登場。来るなり古本の追加あり。さすが。立ち話少々。講座の方も満員のようすで、こちらは失礼する。店内の常設古本コーナー「古本波止場」で高橋輝次さんにばったリ。外に出てお茶を飲む。近々、大散歩通信社から『ぼくの古本探検記』と題した本を出版することについてなど。

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けっきょく「女子の古本市」では目移りしてしまって(実際、欲しくなる本が多過ぎた)、買ったのはこの裂き織りの布だけ。「さおり織り」という名称だそうだが、みどり文庫さんが出品しておられたもの。渋い!

「さおり織り」
http://kturezure.exblog.jp/16481653/

「女子の古本市」各店の写真はこちらに
http://kturezure.exblog.jp/16514353/

古本は、その後、ちんき堂さんで少しだけ買った。いずれ紹介します。
http://d.hatena.ne.jp/chinkido/
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by sumus_co | 2011-06-25 21:00 | 古書日録

TAXI

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by sumus_co | 2011-06-25 09:53 | 写真日乗

カリグラム

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横道が続いたが、探していた図はこちら。コンティーノ(COMTINO, 1420-c. 1485)のトーラーの注釈書(Kelil Yofi=美の王冠、あるいは Ma'amar Mordekhai として知られる)の写本である。一五〇〇年頃にオスマン帝国の、おそらくコンスタンチノープルで制作された。

問題はこの頁がコンティーノの詩で、実のなる樹木の形をとっているということ。そう、折りに触れて紹介しているコンクリート・ポエトリーのかなり古い作例なのだ。

具体詩(concrete poetry)
http://sumus.exblog.jp/11673191

マラルメの『骰子一擲』(一八九七年、直訳「サイコロのひと振りは決して偶然を廃止しないだろう」)がアポリネールの『カリグラム』に影響を与えた。そう言われることがあるのだが、それはたしかにそういう面もあるのだろうが、どちかというと、マラルメよりもコンティーノのような古い時代の形象詩に触発されたのではないかと思うのだ。

Un coup de dés jamais n'abolira le hasard
http://www.theoriedesigngraphique.org/?p=349

次の図が『カリグラム』からのふたつの例。二番目は雨。以前、ハート形になっている墓碑銘も紹介した

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ピエール=マルセル・アデマ『虐殺された詩人アポリネール』(鈴木豊訳、講談社、一九七七年)にはこう書かれている。

《のちに彼は、リリックな表現の新形式の研究をさらにいっそう進めることになる。いわば周辺のリリスムを記録しつつ、しかしさらに古典的な作詩法の平行線を表現するために利用しながら、視覚の同時性を置き換えるべき運命を与えられ、そしてそれを読むことによって生命の中心で詩人を捉えさせる会話詩のあとに、印刷上の同時性ともいうべき「イデオグラム」が続く。その最初の試みは、一九一四年六月十五日の「レ・ソワレ・ド・パリ」紙上に、当時メキシコにいた弟のアルベールに宛てた手紙「大洋の手紙」"Lettre-Océan" によって表現される。
 アポリネールはここで主要な地位を占めるとは主張していない。彼は四世紀からギリシア詩人シミアスが「図で表わされた詩句」を書いたことを、その作品が彼にとっては親しいものになっていたルネッサンスの詩人たちが、再びこの試みをしていたことを心得ている。ヴィリエ・ド・リラダン、マラルメは彼よりも以前に新しい印刷上の構想に訴えていたし、マリネッチや未来派の詩人たちは「解放された言葉」の端緒を開いた。このジャンルでの彼の最初の試みは、こうしたさまざまな企てにそのインスピレーションを受けている。》

「大洋の手紙」は『カリグラム』ほど具象的ではなく、タイポグラフィの練習といった感じであるが、とにかくさまざまな先人の要素にヒントを得たことは間違いない。ギリシャやルネサンスの形象詩というのもそのうち探してみよう。

CALIGRAMAS
http://www.antoniomiranda.com.br/poesia_visual/apollinaire.html
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by sumus_co | 2011-06-24 22:26 | 古書日録

筆蹟

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昨日の肖像写真はトーマス・エディソンである。ニューヨークのアンダーソン写真館で撮影され、「アンブレラ」のフラーリッシュ(装飾)付き自筆サインが入っている。

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この目録の目玉のひとつがアーネスト・ヘミングウェイの新発見を含む草稿・書翰類、十六ロット。これはヘミングウェイが自分でも気に入っていた作品のひとつという「The Light of the World」の原稿。二十四枚。一九三二年。解説を読むと、内容が生々し過ぎて編集者の受けは良くなかったようだが、作者は「モーパッサンの『テリエ館』よりずっといい」と信じていたとか。ヘミングウェイの自筆原稿はほとんどすべてケネディ図書館をはじめとして公的機関に納まっており、こんな原稿が出てくることはもうないだろう……なんて書いてある。

ちょっと驚いたのがこの手紙。奇妙に装飾的な筆蹟だ。さあ、誰でしょう?
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ジョージア・オキーフです。自筆書翰五十四通(一九五〇〜六一年)。すべてメトロポリタン美術館の極東美術担当の学芸員アラン・リード・プリースト(Alan Reed Priest)宛。引用されている文章には「欧米人はどうして絵画を重要なものと考えるのでしょう? わたしはそうではありませんが、ほとんどの人はそうです。わたしにはそう思えないくらい身近なものにちがいありません。たいていの人はどうして重要なのか分かりさえしないで、重要だと信じ込んでいます……」あるいは「わたしは絵を描きます、人生のように」などの言葉があるそうだ(訳はてきとう)。
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by sumus_co | 2011-06-23 21:16 | 古書日録