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Regardez la neige qui tombe

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Roger Grenier『Regardez la neige qui tombe Impressions de Tchékhov』(Editions Gallimard, 2005)。初版は一九九二年。『ブッキシュ』第九号(BOOKISHの会、二〇〇五年九月一〇日)に掲載されている堀江敏幸「メロンと爪ーーロジ・グルニエと山田稔」には次のように書かれている。一九九二年秋、ヴァレリー・ラルボーの会でグルニエに初めて会った堀江は後日ガリマール書店のグルニエを訪問する。グルニエはガリマール書店の編集顧問だった。

《迷路のような社屋の通路をくねくねたどって事務所を訪れ、氏自身の仕事のあれこれを語ってもらうという夢のような時間を過したのだが、ギベールの飜訳が終わったらつぎになにを選ぶかと問われた私は、迷わず答えた。自分にはとても無理ですが、なにか推薦せよと日本の出版社に訊かれたら、あなたのチェーホフに関するエッセイをつよく推したいと思います、『ほらごらん、雪が降っているーーチェーホフの印象』は今年出た本でもっとも印象深いものでした。おやおやありがとう、とグルニエ氏は目を丸くし、でも、その本ならもう日本語訳が決まっていると聞いたよ、とても良心的な出版社だそうだ、確認してみよう、とすぐに内線で該当部署を呼び、受話器のむこうから聞こえてきたMI-SU-ZUという単語を反復した。》

これが山田稔訳の『チェーホフの感じ』(みすず書房、一九九三年)である。それから十二年経って堀江は山田稔と深夜のラジオ番組で初めて会う。

《先にスタジオに来て休んでおられた山田さんが、軽く会釈をしてすっと椅子から立ち上がったときの様子は、飄々として、飾り気がなくて、やさしそうで、でも、よく冷えたなにかを身体のなかに抱えているような独特の雰囲気があって、それは作品の印象とたがわぬものだった。》

そうそう山田稔さんと言えば、キティ・ウーさんが最近の山田さんの様子を日記に書いてくれていた。

《今日は代休をとって京都へ。
山田稔さんとお茶。
さらっと、書くけど、文章冒頭で、人生の冴えてなさを嘆くけど、こんな時間を過ごせるって、あるようでないよ、と帰りの京阪電車のなかで、うすぼんやりとかんがえた。「もう書きたいことがない」とおっしゃっていたのはひどく残念だった。
この世のすべての行為が別れの手続きだ。 》

「もう書きたいことがない」のか……。それはともかく『Regardez la neige qui tombe』を読み出してみると、とても分かり易い文章で嬉しくなった。うれしくはなったが、そういえば、チェーホフってほとんど読んだことがなかったなあと思い当たった。「桜の園」くらいかな……。まずチェーホフを読もうと思い直したのであった。

  *

よんどころない用事によって五日間ほどブログを休みます。
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by sumus_co | 2011-05-28 14:44 | 古書日録

絵のある岩波文庫 6月12日ジュンク堂大阪本店トーク

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岩波文庫はたぶん三百冊に足りないか、その程度しかもっていないような気がする(数えたことなし)。そのなかで絵のある岩波文庫がどれほどあるのか、今、ざっと探して四十冊に満たない。坂崎重盛さんが取り上げておられるだけでも八十タイトル以上あるし、紹介されていない絵入り岩波文庫も含めてコレクションは約百九十冊とか。ふ〜む、とにかく『「絵のある」岩波文庫への招待』を再読三読しておかなくては!

せっかく絵入岩波文庫を探したついでに十点ほど気に入りの挿絵をアップしてみよう。まずは一茶『おらが春 我春集』(一九二七年)より。これは『岩波文庫総目録』の一番最初に出ているタイトル。昭和二年七月十日に二十二冊刊行されたうちの一冊である。岩波文庫のっけから絵のある本を出していた。絵は一茶の自筆。
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坂崎さんも本文で取り上げておられるサッカレ『床屋コックスの日記・馬丁粋語録』(平井呈一訳、一九五一年)より。サッカレ自身の筆になる挿絵二葉のうちの一点。
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『唐宋伝奇集(上)』(今村与志雄訳、一九八八年)より「南柯一夢」。主人公が寝入っている図だが、本文の描写とは少し違う。頭の上から(首筋から)線が出てラッパのように広がっているのは中国のイラストレーションにおける夢見の描き方(日本でも摸倣されている)。
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吉田光由『塵劫記』(一九九八年八刷)より「目付字」。数学遊びの本なのだが、挿絵や図がたっぷり入っていて見飽きない。「目付字」については本書を参照されたし。暗号の一種らしい。
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申叔舟『海東諸国紀』(一九九一年)より「日本本国之図」(近畿と中四国)。十五世紀の李氏朝鮮の高官・申叔舟(シンスクチユ)によって王に奉じられた日本研究書。くわしく紹介している余裕はないけれど、実に面白い内容だ。いずれ紹介してみたい。
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坂崎さんも本文で取り上げておられるシャミッソー『影をなくした男』(池内紀訳、一九九〇年一三刷)。《かつて私は「影のイメージ」を収集していて、集めた影のあれこれの図版を掲げながら「僕の"影"狩り」と題する一文を『話の特集』という雑誌に寄せたことがある》……そうだったんですか、『話の特集』に書かれていたとは。
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松原岩五郎『最暗黒の東京』(一九九九年一一刷)より「糶市」。道具屋のせりいちである。「最暗黒の」というが、挿絵を見ているととても活気のある情景が描かれていて明治時代における庶民生活のいろいろな場面がリアルに分かる。絵ならではの伝達力を感じる。
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ベルナール編『ゴッホの手紙 下』(硲伊之助訳、一九八六年一六刷)。これは若い頃むさぼり読んだ。なつかしい三冊本。たくさんのデッサンが挿入されている。
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村井弦斎『酒道楽』(二〇〇六年)より。いわずと知れた黒岩比佐子さんの解説付き。同じく『食道楽』(二〇〇五年)にも人気挿絵画家だった水野年方が雰囲気のある絵を提供している。
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『竹斎』(一九四二年)より。京で「やぶくすし」(藪薬師)として名前が知られてしまったため客がひとりも来なくなり、しかたがないので郎党の「にらみの介」を連れて旅に出るという滑稽なお話。作者は医師の富山道冶(昭和十七年版の当時には作者は確定していなかったらしい)、成立は一六二一年頃。およそ八十年後に芭蕉が『竹斎』になぞらえて紀行文を書いた(野ざらし紀行に言及ありとか)。出だしなど、たしかに『おくのほそ道』に似ている。
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いやあ、楽しいなあ。まだまだあるが、このへんで。トークまでにもう少し集めてみたい。お近くのみなさま、ぜひご参集いただければと思います。
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by sumus_co | 2011-05-27 21:52 | 古書日録

名著再会「絵のある」岩波文庫への招待

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坂崎重盛『「絵のある」岩波文庫への招待』(芸術新聞社、二〇一一年二月二五日、ブッデザイン=十河岳男、カバー銅版画=山本容子)を頂戴した。坂崎翁にはいつも御著書を頂戴している。厚くお礼申し上げます。これは『彷書月刊』に連載されたもの、および芸術新聞社のサイトに掲載されたものから成っている。大冊だが、挿絵がたっぷり、見て面白く、読んでためになる、一粒で二度おいしい一冊だ。

新潟の余韻か、「春の前ぶれの雪の日々 江戸の奇書『北越雪譜』を読む」に目が走った。坂崎翁は石川淳の『諸国畸人伝』(中公文庫)などから鈴木牧之と山東京伝、滝沢馬琴らとの関係を要約しながら、牧之の同書出版への強い思いを語る。そして、ここが古書通の坂崎さんらしいところだが、次のような本が本を呼ぶ事件が登場。

《『北越雪譜』を拾い読みしているとき、よくのぞく古書店での一冊、見かけぬ本と出会った。『北越奇談』。文化九(一八一二)年崑崙・橘茂世著になる本で訳本は昭和五十三年、版元は新潟県三条にある野島出版。
 えっ、「野島出版」といえば、「牧之愛蔵の初版本を複製し、世に送った」(益田勝美による)出版社ではないか。
 この『北越奇談』は『北越雪譜』が世に出る三十年ほど前に刊行されている。三十年前? とすると牧之が『北越雪譜』をなんとか世に示そうと、最初に京伝に相談した時期である。ひょっとして牧之はこの『北越奇談』を見て、(自分なら、もっと本格的な北越雪話を著せる)と意を強くしたのではないだろうかーー》

こういう出会いというか、発見は大好きだ。さすが坂崎翁。

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これは「明治・大正・昭和の児童文学を通観できる“お得な”名作集」のページ。右から巌谷小波「こがね丸」(画=武内桂舟)、小泉八雲の「ちんちん小袴」(画=?)、竹久夢二「春坊」(画=夢二)。『日本児童名作集』。

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小生が新潟で求めた『西洋紀聞』にも挿絵があった。いや、この挿絵が気に入って選んだといってもいい。絵のある文庫本を揃えたくなる坂崎翁の新著である。
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by sumus_co | 2011-05-27 13:35 | おすすめ本棚

スミカズ記事二題

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『アンティーク絵はがきの誘惑展』(長野市立博物館分館信州新町美術館、二〇一〇年一二月一日)図録掲載の山田俊幸「竹久夢二と絵はがき」に使用された図版「画・宇崎純一」。

《夢二以後は、多くの夢二風の作品が登場するようになった。例えば、大阪の夢二と称された宇崎純一があげられよう。このような現象が起きたことは、夢二作品の影響がいかに大きかったかを物語っている。》

宇崎純一をバッサリと《夢二以後》と切ってしまうのはちょっとどうかなと思う。ごく大雑把に言えば、アールヌーヴォが日本のイラストレーションに影響を与えて以降(一九〇一年『みだれ髪』以降と考えておく)夢二もその流れのなかの一人の画家であった。夢二は美術の先端を学びつつ徐々に才能を現してきた。たしかにスミカズ画集は夢二画集より一年半ほど後に出てはいるが、それらがすべて夢二の真似あるいは影響だったとみなすのではなく、ひとつの土壌があって夢二が育ち、スミカズも芽を吹いたと考えた方がいいように思う。

  *

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井口悦男・生田誠『大阪今昔歩く地図帖』(学研ビジュアル新書、二〇一一年五月三一日)より生田誠「大阪の画家、宇崎純一」。スミカズの紹介が手際良くまとめられている。

《早くから画才を発揮し、明治44(1911)年、22歳のときに早くもエミヤ書房から『スミカズ画集 妹の巻』を出している。この後も、『絵画の手本』『スミカズ画の手本』などを次々と出版、東の竹久夢二と並ぶ、人気画家となった。
 戦前は、大阪を代表する文化人のひとりとして、舞台美術などでも活躍、文学者らとの交流も深かった。
 絵葉書の世界でも、スミカズは有名で、夢二に負けない分量の「スミカズエハガキ」「スミカズカード」を出している。》

生田氏の書き方のほうが妥当のように思う。ただ《舞台美術などでも活躍》というところはどういう資料に基づいているのか、今度たずねてみたい。
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by sumus_co | 2011-05-26 20:45 | 宇崎純一資料

大阪今昔/東京今昔

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井口悦男・生田誠『大阪今昔歩く地図帖』(学研ビジュアル新書、二〇一一年五月三一日)および『東京今昔旅の案内帖』(学研ビジュアル新書、二〇一一年五月三一日)。古地図、古絵葉書、古写真と現在の写真を併置しながら大阪と東京の名所・旧跡の今昔を紹介して飽きさせない。

出ました。浅草十二階!
http://sumus.exblog.jp/14019632
http://sumus.exblog.jp/14026130

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『東京今昔旅の案内帖』には五点の凌雲閣(十二階)の絵葉書が紹介されているようだが、関東大震災によって倒壊した図(これは絵葉書ではないかも)を除けばいずれも浅草国技館(明治四十四年建設)が写っていない貴重なものばかり。

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『大阪今昔歩く地図帖』にもいろいろ興味深い写真がたくさん掲載されている。ちょうど五月初めに新装が成った大阪駅の頁を紹介しておこう。

大阪駅の歴史
http://osakastationcity.com/about/gallery/history.php
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by sumus_co | 2011-05-26 20:42 | おすすめ本棚

あやめ短冊

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フク和ウチを出て縄手通りへもどる。表に平台のある書画屋をのぞく。平台といっても古本屋と違って二百円というわけにはいかないが、それでも短冊ならかなり安く買えるのだ。気に入った文字があればと思いつつザッと見ていると、こんなステキな絵が紛れていた。「あやめ」と裏に鉛筆書きあり。白いあやめは珍しい。全体はスキャナーに入らないのでカメラで撮ったが、うまく写らない。部分と落款はスキャンしておく。署名は「古葉」か。印は……司? 乗?(ご教示願います)。厚紙に絹張り。そう古いものとは思えないが、タッチは素人ではなかろう。

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ちにみにお値段四百円也。

三条ブックオフをのぞく。久しぶりに来ると棚が変っていた。洋書の棚が四本ほどできていた。ただしとくに買いたいものなし。銀閣寺から百万遍をまわることにする。善行堂もかなり変っていた。百円均一のレベルが少し上がった。店内に大きな茶色ぽい絵があった。よく見ると印刷ではなく水彩画のようで「車折神社全景/池田純三謹写/紀元貳千五百八拾九年(昭和四年)」と書き込まれている。なかなかの力作だが、どういうものだか分からない。店を出て少し歩いたところでガケ書房のうめの君とバッタリ、少し立ち話。小倉でブックイベントをやるらしい。吉岡書店の二階で中山巍の絵葉書一枚(五十円)買って満足した。
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by sumus_co | 2011-05-25 21:44 | 雲遅空想美術館

四条大橋〜新門前

赤井稚佳挿画展を見ようと四条河原町まで電車で。拙宅と同じ並びに赤井さんの義理のお母様が住んでおられて案内状をくださった。大胆繊細ないい絵を描かれる方。沢木耕太郎『246』(スイッチ・パブリッシング、二〇〇七年)に本のイラストレーションを制作されたのをかつて紹介したことがあるような気がする。

四条河原でなにやら催し物の準備をしていた。
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四条南座(四条川端の交差点)。左手へ曲ると北座がある(かつてあった)。
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川端通り沿いに花咲大黒天の小さな祠堂。
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縄手通のビルの前に後ろ脚で立ち上がった馬の彫刻(!)
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新門前へ曲ると路地にこんな看板が……ドド美容室。
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この暖簾は豆腐屋さんだったか(?)。渋い色だ。
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ここを左手へ曲るとカフェ・ギャラリー・フク和ウチがある。ギャラリーとして十分な壁面をとってあって気持ちのいいスペースになっている。絵本などが詰まった棚もあった。
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by sumus_co | 2011-05-25 20:56 | 写真日乗

火曜日 第106号

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『火曜日』第106号(火曜日の会、二〇一一年五月三一日)。神戸の詩人・安水稔和とそのお弟子さんたちの雑誌。旧友の村中秀雄さんが編輯をやっており、いつも送ってくれる。深謝。今号は「詩誌「蜘蛛」の時代」と題して安水氏と伊勢田史郎が原田の森ギャラリーで行なった対談(二〇一一年三月一九日)の記録。これはたいへん興味深い。備忘のため内容をかいつまんで紹介しておく。

一九六〇年、伊勢田と君本昌久が新開地でバッタリ出あった。中村隆を加えて三人で相談をした。君本は小林武雄を引き込もうとしたが実現しなかった。同年七月、新開地の喫茶店「リリック」で伊勢田、君本、中村、そして安水が集まって《神戸を中心とする詩と批評の雑誌を出そうという話をした》(安水)。八月、リリックで同人誌関係の人間を集めて相談をした。十三人参加。九月初め、丸本明子がやっていた元町の喫茶店「DON」で編集運営委員会を行ない九人が集まったが、結局、当初の四人だけでスタートすることになった。

誌名は《君本さんが蜘蛛はどうやって言って、たちまちそれにしよう、それでええやんと、異口同音にサンセイになって、「蜘蛛」に落ちついたということです》(伊勢田)。安保闘争の熱気の中から《何かを立ち上げなくてはいけないという思いで、四人が集まったんですね》(安水)。伊勢田は大阪ガス勤務三十一歳、安水は教員二十九歳、中村は金物屋三十三歳、君本は《文化サービス業》(安水)三十二歳。

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創刊号は一九六〇年一二月二〇日発行(表紙=津高和一)。五つの主張を載せた。
一、この時代の状況をいかに受けとめ、記録し、定着させていくべきかを詩人の課題としたい
二、神戸モダニズムの再検討
三、神戸詩史を記録する仕事
四、詩壇の中央化を清算して,神戸における総合雑誌のあり方を組み立てる
五、新しい人たちの実験の場として誌面を提供する

二号 一九六一年七月三日 網谷義郎
三号 一九六一年一一月二五日 貝原六一
四号 一九六二年七月一日 鴨居玲
五号 一九六三年二月二〇日 丸本耕
六号 一九六三年一〇月一五日 中西勝
七号 一九六四年六月二〇日 松本宏
八号 一九六五年六月一日

『蜘蛛』発行以外の事業として「七月の詩祭」二回、「蜘蛛の市」三回、「現代詩講演の夕」を主催した。また蜘蛛出版社を設立し、五年間で十六冊を刊行(『蜘蛛』休刊以後も蜘蛛出版社は君本が引き継ぎ主に自費出版の詩集を百冊以上出している)。

ベトナム戦争開始の年に終刊(休刊)。その理由は上記五項目に一応の成果を上げたと考えたため。しかし本当の原因は財政的な破綻であった。《君本さんが計算した数字があります。七冊の「蜘蛛」に要した印刷費は八十万。これは当時の金額で、今なら一桁上げたらいいですかね。収入は購読料が二十万。差し引き六十万が赤字。六十万の赤字のために「蜘蛛の市」を催した。それでも編集グループ四人による穴埋め作業は四十万を越えた。》(安水)

『蜘蛛』が休刊になった後『100年の詩集—兵庫神戸詩人の歩み』(日東館書店、一九六七年)、『今日の詩』(「蜘蛛」編集グループ、一九六八年)、『神戸の詩人たち』(神戸新聞出版センター、一九八四年)、『兵庫の詩人たち』(同前、一九八五年)というアンソロジーを君本、安水らが刊行した。

《言葉に何ができるかというと、何も出来ない。言葉は無力です。とは言え、というところから文学/詩は始まるんだと思います。言葉によってしか出来ないことがあるとそう思って書き続ける。中村さん君本さんも、伊勢田さんも私も、私たち若い四人は息咳[ママ]切って走りました。》(安水)

このまとめの言葉はちょっときれいすぎるような気がするが、それもまたよしとしよう。

  *

小生は『蜘蛛』について扉野氏が『sumus』12に「蜘蛛出版社ノート」を発表したときにその名を初めて知ったわけだが、なんと、その扉野良人がブログを始めた(!)。まだできたてホヤホヤながら、いかにも扉野氏らしい内容になりそうだ。

ぶろぐ・とふん
http://d.hatena.ne.jp/tobiranorabbit/
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by sumus_co | 2011-05-24 22:11 | 古書日録

本の背中

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『日本古書通信』982号のある記事の中に、西洋でも昔は本は平に置かれていたが製本術の向上が本を直立させたという意味のことが述べられていた。上の図はイタリアの画家グエルチーノ(Guercino)「弁護士の肖像」。十七世紀の初め頃に描かれたということだが、たしかに本は平たく置かれている。肖像主(フランチェスコ・リゲッティと推定される)の持っている一冊からすると天に書名が記されたようである。

ただしそれは製本術の発達とはあまり関係はないようだ。フェーブル、マルタン『書物の出現』(筑摩書房、一九八五年)にはこう分析されている。

《豪華本の装丁が、一六世紀中葉、次いで一八世紀と飛躍的発展を遂げたのに対し、一般の本はきちんと保存できるよう丈夫に製本されているだけで、表紙には何の装飾も施されていなかったのである。ただし書棚に並べた時丸見えになる背表紙(この時代になると書物はスペースを節約するため、平積みではなく、ぎっしりと縦に並べられるようになる)だけは革装となり、小さな押型でちょっとした模様がつけられ、タイトルが箔押しされている。》

本が直立するようになったのは本の数が多くなりスペースを節約する必要に迫られたのが原因だった。

次の図は十五世紀にローマのサント・スピリト病院の壁画に描かれた法王シクトゥス四世の生涯より、ヴァチカン図書館にレオノーラ・デ・アラゴンを迎えた場面。立派な装幀の本が書見台にずらりと並んでいる。ペトロスキー『本棚の歴史』(白水社、二〇〇四年)によればこれらの本はすべて鎖で書見台に繋がれて保存されていたという(この絵では画家が省略したのだと著者はみなしている)。かのヴァチカン図書館でさえ平置きで十分間に合った時代である。

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次はJUVENALIS『Argumenta Satyrarum Invenalis Mancinellum. Cum quatuor commentariis』(Johannes Tacuinus de Tridino, 1498)の挿絵、部分。奥の壁に書棚が開いている。けっこういいかげんな並べ方だ。書棚というか戸棚に書物を平たく保存するということでは、現存最古の完全なラテン語聖書写本(コデクス・アミタティーナス)の口絵「聖書を転写するカシオドールス」(七〜八世紀、イギリス)にすでに描かれているので、洋の東西を問わず本を平たく置いておく時代の方がずっと長く続いたのは間違いないようだ。十六世紀頃からだんだんと縦置きにするようになり、十八世紀頃にはだいたい縦置きが普通になった。

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現在の装幀あるいはブックデザインにおいては背が重視される。言うまでもなく書棚に本の背だけを露出して並べるのが通例だからだが、じつはかつては背ではなく小口を手前にして並べていた(グエルチーノの絵もそうだが)。『本棚の歴史』から十六世紀後半のヘレフォード聖堂のブック・プレス(本箱)の写真を引用する。鎖で繋がれ,小口が前面になるように置かれている。

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同じような例がピーター・ブリューゲルの銅版画「マリアの昇天」(一五七四)にも見える。暖炉の上に置かれた本は留め紐が手前になっているではないか。図書館だけの置き方ではなかったようだ。しかも一冊は小口を上に(背を下に)もたせてある(?)。背は重視されていなかった。

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もうひとつ面白いのは、長澤規矩也『古書のはなし』(冨山房、一九七九年版)にこう書かれていること。宋代は十世紀〜十三世紀。

《胡蝶装は、シナでは、宋代装訂法の代表的なものといってよいが、何分にも遠い昔のことであるし、当時のまま伝わっているものは、ほとんどないといってよろしい。胡蝶装本の常として、表紙は厚手の用紙又は裏張りを加えたものが多い、そこで、当時、書物は下小口ーー書物の下方の紙の切り口ーーを手前に、背を上方にして、架上に立てた場合が多かったのではないかという推定が、北平図書館旧蔵(台湾故宮博物院現存)の宋刊本冊府元亀などの小口書きーー下小口に書かれた、見出し用の書名ーーが、背の方から、左小口に向けて施されているので想像される。》

これまた最初の絵、グエルチーノ「弁護士の肖像」を連想させる推測である。ま、本は好きなように置きなさいということです。
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by sumus_co | 2011-05-23 22:00 | 古書日録

鮨12ヶ月

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石丸久尊(料理)・野中昭夫(写真)・杉本伸子(文)・早瀬圭一(エッセイ)『鮨12ヶ月』(とんぼの本、新潮社、二〇一一年四月二〇日)。「新橋鶴八」主人・石丸氏の鮨(すし)を十二ヶ月にわたって撮影取材し、まとめた一冊。野中昭夫はかつて『芸術新潮』のスタッフとして活躍したカメラマンなので、『芸術新潮』のバックナンバーを集めていた小生にとって、その名前はとても馴染深い。そしてこの本の成否はすべて野中氏の写真にかかっているとも言えるが、それはなんともしっとりと鮨のたたずまいを伝えることに成功しているように思う。

開店以来の客である早瀬氏のエッセイによれば、担当編集者S氏も「新橋鶴八」の客で《「銀座、新橋界隈で、自分の金で月に一回ぐらい行ける真っ当な鮨屋はあそこしかないと思い、開店以来通っています」》ということだ。しかも早瀬氏と共に店主とは修業時代からの顔なじみなのだそうだ。そんな客がおり、これほどの一冊ができあがる。店主の、腕はもちろん、徳というものであろう。

石丸氏は十歳のときに二十五歳の長兄と二人で佐賀県から上京。九段中学を卒業後、神田神保町「鶴八」に住み込み見習いとして入った。親方は師岡幸夫(著書に『神田鶴八鮨ばなし』草思社、一九八六年/新潮文庫、二〇〇三年)。昭和五十七年三十二歳で「新橋鶴八」として独立、開店三十年を迎える。店主前口上にこうある。

《独立にあたって親方から言われたことは、「鮨は誰もが握れて、それなりに上達できる。しかし、それだけでは駄目だ。人間としても成長していかなければ意味がない」と。
 そのためにはどうするかと言うと、「店には一流のお客様が見える。一流の人はやはりいい事を話しているので、よく聞いて自分のものにすることが大切」と。》

これは古本屋にも通じる名言だろう。

《お客様が驚くことがあります。ウニの盛りがいいことです。ウニは箱にはいったものを、匙ですくって酢飯の上にのせればそれでお終い。職人としての仕事は何もしていません。ですからせめて盛りを多くしたい、というのが私の気持ちなんです。それと、残って明日に持ち越すよりも、お客様に喜んでもらいたい、というのも盛りのいい理由です。》

そしてその盛りのいいウニの軍艦巻きがこちら。北海道産。
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《白くて大きいのがムラサキウニ、オレンジ色で小粒なのがバフンウニ。いずれもしっかりとした形状を保っている。甘さとねっとり感の強いバフンと、バフンに較べては優しい甘さのムラサキとの合い盛り。口中を舞台に、2種類の華やかな競演が繰り広げられる。ふむ、ふむ、ふむ。しばし言葉がでない。》(杉本伸子)

一年間、毎月のタネが二〇一〇年から一一年にかけて紹介されているため、はしり、旬、名残、それぞれの姿や風情の違い(味の違いは解説だけで……当り前だが、涎)を新鮮な驚きをもって眺めることができる(小生、鮨を食べるのは年に一度くらいのものなので、季節感についてはほとんど考えたことがないのである)。とくにほぼ毎月登場するコハダが何ともうまそうだ。コハダも月によってそれぞれ味わいが違う(むろん個体差もあり、同じ個体でも部位によって味は異なってくる)。

画家という立場上、鮨はおごってもらうものと決めている(よく考えると画家とは関係ないかも、単にビンボーなだけ。妻はまったく海のものが食べられない特殊体質だという理由も少しはある)。「新橋鶴八」も二度ほど御馳走してもらった。むろん味は抜群だった。連れて行ってくれた人はバブル全盛の頃、東京中のうまいものを食べ尽くした、むろん名店といわれる鮨屋もすべて制覇した(接待で通った時代!)と言うのだが、そういう人が身銭を切って食べる店がこの「新橋鶴八」なのだ。ただし決して高い店ではない。

《1人のお客様から300円の利益を得ようと思ったら、1回で利益を出すのではなく、1回に100円ずつ、3回合わせて300円になればいい》(前口上)

という師岡親方の教えを守っておられるようである。

鮨は日本がオリジンではないが、ここまで洗練された食の形として完成させたのはまぎれもない日本人であろう。その幸せをかみしめることのできる一冊。かみしめるとは言っても写真は食べられないから歯がみするだけなのだけど。また連れて行ってもらおう(自分で行きなさい!)。
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by sumus_co | 2011-05-22 20:54 | おすすめ本棚