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John Calder

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ベケット特集のなかでやはり興味をひかれたのは出版人の回想である。一九四九年、ロンドンにカルダー・パブリッシングを創設したジョン・カルダーがベケットとの出会いなどを語っている。一九五五年、アーツ・シアターで「ゴドーを待ちながら」が初上演された。二百席ほどの小ホールだった。ピーター・ホールの演出で(後にベケットはあまり気に入ってなかったと知ったそうだ)、印象には残ったものの、そんなに大したものだとも思わなかった。友人トニー・ミッチェルが再演を知らせてくたのでもう一度見た。今度は神の啓示を感じた。

さっそくベケットに連絡をとった。演劇評論家のハロルド・ホブソンが電話番号を教えてくれた。ベケットに英語版の出版をもちかけた。彼は興味を示したが、パリの彼の版元がすべて処理しているということだった。「パリに来たら、立寄ってくれ」と言われたので、すぐにパリに旅立った。夕食の約束をし、モンパルナスのゲーテ街の魚料理のレストランで落ち合った。たちまち打ち解けた。長々と話し込み、カフェに席を移して、ビリヤードに打ち興じた。別れたときはもう朝になろうとしていた(ネットに出ている回想文では午前八時まで話し込んだとある)。

John Calder
http://textualities.net/john-calder/looking-ahead/

当時はオリンピア・プレス(Olympia Press)のモーリス・ジロディアス(Girodias)が『Molloy』英語版を刊行していた。アレクサンダー・トロッチ(Trocchi)の雑誌『Merlin』に幾つかの初稿が載り、他にはシルヴィア・ビーチの肝いりでアメリカのグローヴ・プレス(Grove Press)が『Murphy』を再刊していた。一九三八年の初版は大戦中にほとんど失われていたのだ。

そうこうしているうちにロンドンでのベケットの評判が高まってきた。ジェローム・ランドンが電話でフェイバー・フェイバー(Faber & Faber)が英語版の版権を欲しがっていると知らせてきた。ベケットに電話すると、彼は当惑していたが、友情を示してくれた。カルダーはランドンにフェイバーが猥褻だと判断したいくつかの小説を出版したいと告げた。そして一九五八年に『Malone meurt』が日の目を見た。続いて詩集とその他の小説を出した。しかし結局すべてのベケットの作品はフェイバーの名前で刊行されることになった。カルダーに献呈された『Come and Go』(一九六七)以外は。

ついでにネット上の回想にある原稿紛失のあわてぶりを引用しておく。ベケットは編集者にとっては仕事のしやすい作家だった。原稿に細心の注意を払うので、編集者が口をはさむ余地はほとんどない。たまにアドバイスをしてみると、ベケットはちょっと躊躇してから、たいていこう言うのだった。「いや、このままがいいだろう」。あるとき、何かできたものはないか尋ねると、「ここにもってきた。君は好きじゃないと思うけど、出版はできるよ」と言って原稿を手渡してくれた。

ホテルに帰ってみると、その原稿がない! 忘れたとすればレストランだ。電話をした。「何もありません」とそっけない。いや、そこしか考えられない。カルダーはダッシュして引き返した。午前四時だった。ゴミ箱を隅々まで捜し、ついにビニール袋に入っている原稿を見つけ出した。心底ほっとしてホテルに戻ったら午前五時だった、そこでその小説を読み始めた。それは長篇「Worstword Ho」だった。……ということでその作品は一九八三年にカルダー(ロンドン)とグローヴ・プレス(NY)から出版された。

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エディション・ド・ミニュイのランドンとベケット(右)。
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by sumus_co | 2011-01-31 17:17 | 古書日録

ひなたしみじみ石ころのやうに 山頭火

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TSUTAYA でコピーをしようと出かけた。一枚五円。セブンの半額である。一直線に歩いて数分の距離だ。すぐ目の前を手提げ袋をもった老人が歩いている。袋から書類の入った封筒がのぞいていた。直観的にコピーだなと思った。よほど追い抜こうかと足を速めかけたが、やめておく。ぴたっと後ろについて歩いて行くと案の定、TSUTAYA に入ってコピー機に取り付いた。カンが冴えていたな(とちょっと自慢しても、何の意味もないが)。しばらくレンタルCDコーナーを見て歩く。ノラ・ジョーンズのデビューアルバム『Come away with me』(邦題:『ノラ・ジョーンズ』)が目についたので(ジャケットの写真がいい)借りることにする。カードを更新して一枚無料になる。ただし、帰って聴いてみると、ものすごくヒットしたアルバムらしいが(聞き覚えのある曲もあったが)、つまらん。

銀行のキャッシュ・ディスペンサーのコーナーへ。十台はあるのだが、満員。列ができている。おとなしく並ぶ。みなさん何度もお金の出し入れをしている。やっと一人離れて、順番がひとつ進んだ。すると、ラン、ラン、ラン……と警告音が。さっさと出て行ったおばんさん、取り出し口の現金を忘れたまま。次のおねえさんが走って呼び戻して事無きを得た。お金を出すために機械を使っているのに、一連の作業が終ると、いちばん大事なお金を忘れる、不思議だ。もの忘れとか、そういうことではなく、人間の行動パターンの欠陥かもしれない。パリでは道路に面してCD機械がある(パリだけじゃないですけど)。何百ユーロのお札が忘れられたままになってヒラヒラしているのを目撃した。たしか、そんなお金を正直に届出たというニュースもあったように思う。届け出るとニュースになるわけ。
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by sumus_co | 2011-01-31 14:47 | 写真日乗

Beckett raconté par les siens

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ずっと以前『magazine littéraire』No.372(magazine littéraire, janvier 1999)を買ったのだが、読む機会のないまま放置してあった。このところ風邪の後で無理しないようにということもあり(なにしろ新潟への出張がひかえてます)、こたつ読書の時間を増やすようにしたので、ざっと目を通すことができた。

ベケット特集号。ベケットについては百円で買った『マーフィ』(早川書房、一九七二年)を読み始めたが挫折した、そんな程度の読者である。とにかくフォトジェニックというか、絵になる風貌だなあというくらいの興味しかないが、特集そのものはなかなか面白い。上の写真は一九六四年、パリにて、Giséle Freund 撮影。

まずは Evelyne Pieiller による略歴をちょっとだけ引用する。

1906年4月13日 Samuel Barclay Beckett は父 Bill と母 May の次男としてダブリン郊外の Cooldrinagh に生まれる。元来はユグノーだったベケット家は不動産業をいとなむ裕福なプロテスタントで、父は事務所をダブリンに構えていた。学校時代のベケットはピアノを習い、クリケットやラグビーに興じ、チェスに熱中した。トリニティ・カレッジでフランス文学を学んだ。

1922年にアイルランドを離れる。

1928-30年 パリ時代。エコール・ノルマル・シューペリウールの講師となり、ジェームス・ジョイス一家と親しくなった。ジョイスに薦められてダンテやブルーノについて雑誌『Transition』執筆し、詩「Whoroscope」、エッセイ「Proust」を発表した。フィリップ・スーポーらの勧めで「フィネガンズ・ウエイク」の一部などをフランス語に訳した。

1931-1936年 ダブリンのトリニティ・カレッジで教鞭を執る。最初の小説を書く。1933年に父が死ぬ。死の床で息子に向って「闘え、闘え、闘え」と言い残した。

1936-39年 ドイツ旅行。美術館を訪れ、ドイツ語を学んだ。何の理由もなくパリでぽん引きに刺される。『Murphy』出版(1938)。パリに永住することを決意しシュザンヌ(Suzanne Deschevaux-Dumesnil)と本気で付き合い、フランス語で詩を書き始める。1953年まで英国の出版社とは関係しなかった。

1939-44年 ドイツ軍の侵攻によって南部へ移住。アルカション(Arcachon)でマルセル・デュシャンと再会。1941年9月パリに戻り、レジスタンスに身を投じる。裏切りによる崩壊後、シュザンヌとともにルシヨン(Roussillon)の農家で働く。1944年、レジスタンスの最集合。

1945-53年 赤十字で奉仕。集中的に傑作を書きはじめる。「Watt」「Eleutheria」「Mercier et Camier」「Molloy」「Malone meurt」「L'Innommable」そして「En attendant Godot」。母死去。母に対する執着は強かった。ファヴォリット街つづいてサン・ジャック街に住む。1950年、エディション・ド・ミニュイのジェローム・ランドン(Jérôme Lindon)がベケットの出版を決意、1951年に『Molloy』と『Malone meurt』、1952年に『En attendant Godot』が刊行された。1953年1月3日、バビロンヌ劇場で最初の「ゴドー」が上演された。

1954-58年 兄の死。「ゴドー」が世界的に知られ始める。1958年『La Question』が発禁となる。

1961年 シュザンヌと結婚。1969年ノーベル文学賞受賞。ジェローム・ランドンがストックホルムへ出向いた。1970年ごろより健康すぐれず。長篇「Worsword Ho !」を嫌々ながら英語で書く。妻の歿後数ヶ月、1989年12月22日に死去。

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ロジャー・ケンプに当てられたベケットの手紙。モロッコのホテルについて書かれているようだ。
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by sumus_co | 2011-01-30 21:30 | 古書日録

藤澤清造全集内容見本

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二十八日の朝日新聞に「「破滅型作家」藤澤清造に脚光/西村賢太さん心酔 墓も隣に」という記事が出た。石川県七尾市西光寺の藤澤清造の墓のとなりに二〇〇二年に建立された西村賢太の寿墓が並んだ写真も。

藤澤清造全集内容見本はかつて朝日書林から配られたもの。全五巻別巻二で構成されるという。たしか古書通信に出ていた広告を見て注文した。立派な内容見本で圧倒されたが、その本体は某氏に差上げたので、今はコピーしか残っていない。よくぞコピーをとっておいたもの。西村氏による藤澤清造の《大大略年譜》をほんのかいつまんで引用しておく。

明治二十二年 十月二十八日、石川県鹿島郡藤橋村ハ部三十七番地に藤澤庄三郎、古ヘの第四子二男として生まれる。農家。
明治三十一年 父死去。
明治三十三年 七尾尋常高等小学校男子尋常科第四学年を卒業。活版印刷所で働く。右足の骨髄炎を患う。上京するまで職を転々とする。鏡花の小説を耽読。
明治三十九年 上京。
明治四十二年 弁護士野村此平の玄関番となる。
明治四十三年 弁護士斎藤隆夫の書生となる。徳田秋声、三島霜川を知り演芸画報社に入る。室生犀星と交遊。母死去。
大正二年 川村花菱作の舞台「熊と人と」で熊役を演じる。
大正三年 『演芸画報』六月号に署名入り記事が載る。
大正七年 友人らと稽古歌舞伎会を発足させる。
大正九年 『新潮』に「渠に云ひたいこと」発表。演芸倶楽部退社。小山内薫の世話で松竹キネマ入社。
大正十年 松竹キネマを人員整理により退社。「根津権現裏」執筆。
大正十一年 小山内薫の世話でブラトン社の非常勤編集者となる。三上於菟吉の尽力で『根津権現裏』(日本図書出版=小西書店の別会社)より刊行。
大正十二年 田山花袋が『根津権現裏』を激賞。『新潮』に「一夜」発表。関東大震災のルポルタージュを『改造』『中央公論』などに発表。
大正十四年 『演劇新潮』の編集同人となる。上荻窪で早瀬彩子と同居。聚芳閣より改訂版『根津権現裏』刊行。
昭和四年 『万朝報』に小説「謎は続く」を連載、中絶。
昭和五年 早瀬彩子と別居して下宿生活。
昭和六年 五月、『文藝春秋』に最後の小説「此處にも皮肉がある 或は『魂冷ゆる談話』」を発表。九月、『演芸画報』に「外は是蝉の声」を発表、絶筆となる。
昭和七年 空家へ入り込んで拘留される。一月二十五日より行方不明となり、二十九日朝、芝公園の六角堂内で凍死体となっているのが発見される。三十日、身元不明人として桐ケ谷火葬場で荼毘に付される。二月一日、彩子が検屍写真によって身元確認。十八日、徳田秋声らによって芝増上寺にて告別式が行なわれ、辻潤、近松近江、佐藤春夫、尾崎士郎ら百人を越す人々が集まった。

「『藤澤清造全集』編輯にあたって」で西村氏は藤澤清造に対する思いを縷々述べている。

《この人の、泥みたような生き恥にまみれながらも、地べたを這いずって前進し、誰が何と言おうと自分の、自分だけのデンディズムを自分だけの為に貫こうとする姿、そして、結果的には負け犬になってしまった人生は、私にこれ以上とない、ただ一人の味方を得たとの強い希望を持たせてくれたのである》

ラブレターである。そしてこう締めくくる。

《この全集さえ完結出来たら、もう、あとはいつ死んでもいい、全力で編輯にあたらせていただく。》

墓もあるのだから後顧の憂いはない。ガンバッテね。
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by sumus_co | 2011-01-29 20:14 | 古書日録

ゆきふるといひしばかりの人しずか 木歩

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by sumus_co | 2011-01-29 11:38 | 写真日乗

象山先生詩鈔

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北沢正誠編輯『象山先生詩鈔 巻之下』(日就社、一八七八年二月二日版権免許)。またしても上下揃わない双白銅文庫なり。揃っていれば、かなりのものだ。いずれそのうち上巻だけ……いつのことやら。
  信濃 北沢正誠子進 編
  越後 小林虎炳文
  美濃 子安峻士徳 校
小林虎炳文は小林虎三郎。吉田松陰とともに象山の弟子のなかで「二虎」と呼ばれた。「米百俵」の逸話で有名。子安峻は日本最古の日刊紙とされる『横浜毎日新聞』の創刊者の一人で鉛活版印刷所・日就社の創立者。読売新聞の淵源である。たしかに明治十一年の活版刷はまだ珍しいと思う。

象山は兵学者として有名になったが、詩も悪くはない。「読洋書二首」。便宜上、二句ずつに分けて引用したが、実際はベタに組まれている。最初の詩の四行目(八句目)最後の文字「壁」について旧蔵者は「恐璧之誤」(おそらく璧の誤り)と朱書している。むろん誤りであろう。象山についてはまったく詳しくないけれど、ざっと略歴を見ると、嘉永七年(1854)、吉田松陰の密航失敗に連座して捕らえられ、郷里松代で蟄居を余儀なくされた。その時期の作だろう。

 風露己凄其。荒庭落葉積。
 哀鴻響遠空。寒蟀鳴高壁。
 我弟在都門。為市新洋籍。
 窮格多精詣。珍愛超珪壁。
 心為曠澹悦。理将沈潜繹。
 日日貪新観。徂景豈足惜。

 秋雨変林光。哀草徧池塘。
 風物日蕭条。時景似可傷。
 譴居同巌隠。無客関門牆。
 恬静久成性。玄黙趣偏長。
 幽窓繙異書。欲将身世忘。
 却愍狂馳子。終歳徒倉皇。

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例によって正誤表が綴じ込まれている。「二葉読洋書詩 朱点ヲ以テ二首ノ分界トス」……ようするにここに引用した二首を分けるのを忘れたので朱点を入れたということ。のんびりした時代だよね。
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by sumus_co | 2011-01-28 15:47 | 古書日録

美しい暮しの手帖・カバア2

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美しい暮しの手帖・カバアを昨年四月に紹介した。あれは『美しい暮しの手帖』第十号に被せてあったが、今回は四六判用のカバーとして使われていたものが手に入った。
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by sumus_co | 2011-01-27 21:12 | 古書日録

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『柵』復刊第四号(詩画工房、一九八七年三月二〇日、表紙=勝田寛一)、第八号(詩画工房、一九八七年七月二〇日、表紙=田川勤次)を入手。発行人は志賀英夫。大阪府豊能郡能勢町が発行所である。桑島玄二、衣更着信が寄稿している。桑島は評論集『現代小説の十年』を詩画工房から刊行している(一九九〇年)。

第四号に石田三智雄「敬愛する足立巻一 その生立ちと業績」。石田は映画人のようだ。冒頭、高梨一男という詩人についてこう書かれていた。

《彼とは共に百田宗治の「椎の木」の同人であったし、昭和一桁時代に私の発行していた詩誌「闘鶏」の同人もしてくれていた数十年来の詩友である。彼が東京幡ヶ谷で、日輪書房という古書肆をやっていた時代、初版本に凝っていた私の書棚から、井伏鱒二や太宰治等の書籍を自転車に満載して運び去り、一冊二冊と買い戻しに行ったことも今は懐かしい。彼からは「羊腸詩集」を送って貰ったのが最後になってしまった》

以下、足立の業績を手際良くまとめていて参考になる。その巻一(けんいち)という印象的な名は漢詩人だった祖父の清三(敬亭)が『論語』巻の一を二六新報の秋山定輔に講じていたときにとっさに思いついて命名したという。足立にはその祖父のことを書いた『虹滅記』という名作がある。久し振りに取り出してみると、巻を措くあたわない面白さだ……。

第八号には藤村青一・談として「爪から血をしたたらせた大西鵜之介」が掲載されている。大西については高橋輝次さんが「古書往来」に書いておられるが、大阪の瓦屋町で明治三十六年に生れ、昭和二十三年に藤村雅光・青一兄弟、小野十三郎、安西冬衛らと『詩文化』を発行した。藤村兄弟は紙製品会社を経営し、大西はその社員だった。昭和二十八年七月十三日歿。詩集に『刺繍ある黒檀』(関西詩人倶楽部、一九二六年一一月)、『亜鉛風景』(高踏詩園、一九二七年二月一〇日)があるという。

なお『柵』は一九八六年一二月創刊、今も刊行され続けており、カナブンには揃っているらしい。
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by sumus_co | 2011-01-27 21:06 | 古書日録

氷る沼にわれも映れるかと覗く 三鬼

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by sumus_co | 2011-01-26 17:01 | 写真日乗

文豪の検印2

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『漱石全集補遺』(漱石全集刊行会、一九二五年)。「漾虚碧堂」、漱石の書斎号。宋の禅僧の句にちなむそうだ。刻=郊處。長辺が五センチほどもあるので、捺印も容易ではなかったろう。もちろん歿後刊行だから、押したのは、夏目家の誰か、あるいは岩波の小僧さんか(小林勇の回想にあったように思う)。検印紙ではなく奥付紙に直接捺印している。たぶん製本前に奥付頁だけを別にしていたのだろう。部数は三千とか、そのくらいではなかったろうか(? 補遺だからもっと少ないかもしれない) ときとしてブレたりしているものも見る。

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芥川龍之介『河童』(細川書店、一九四六年)。「我鬼」。これはいいもの。好きだ。言うまでもなく歿後二十年になろうとする頃の本だから、旧蔵印と考えていいのだろう。岩波版の全集はまる味のある「龍」印。

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太宰治『人間失格』(筑摩書房、一九四八年)。「人間失格」と未完の「グッド・バイ」を収める。「グッド・バイ」を読む限り死にそうな気配はないのだが……。印としてはとりたてて言うほどのことはなし。

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吉田健一『近代文学論』(垂水書房、一九五七年)。「楽」。さすがである。
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by sumus_co | 2011-01-26 16:35 | 古書日録