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ちくま表紙画展 終了しました

ご来場いただいた皆様に御礼申し上げます。来る十月には神戸のギャラリー島田で新作油絵とともに展示の予定です。詳細はあらためて。

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画廊詳細
http://geiriki.com/ba/detail.cgi?id=10000956

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林哲夫作「ちくま」表紙画絵葉書6枚セット500円、『読む人』(額付)1.3万円など会場にて販売しています。

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by sumus_co | 2010-06-30 21:40 | 画家・林哲夫

Le bleu du ciel

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バタイユ『青空』(JEAN-JACQUES PAUVERT, 1971)を読了。話がつながっているようでどんどん一見脈絡もなく変化してゆくふしぎな作品で、ある意味、役立たずでヘナチョコな主人公は第二次大戦を目前にしたフランスの寓意なのかもしれない。一九三五年に書かれて、そのままになっていたのを一九五七年にジャン・ジャック・ポヴェールが刊行した。さっぱり売れなかった。

いちばん印象深い文章を引いておく。美女ダーティ泥酔の末の自然現象であるが、この前後はじつに鮮烈だ。かんたんな表現を巧みに使っており、フランス語に堪能でなくともわりとすらすら読める。

Les domestiques terrifiés virent un filet d'eau couler le long de la chaise et des jambes de leur belle interlocutrices : l'urine forma une flaque qui s'agrandit sur le tapis qu'un bruit d'entrailles relâchées se produisait lourdment sous la robe de la jeune fille, révulsée, écarlate et tordure sur sa chaise comme un porc sous un couteau…

この本はすでに報告したようにヴィーニュ書店で買った普及版。初版はこちら。

http://sumus.exblog.jp/13105686/

タイトルの「Le bleu du ciel」は「青空」(天沢退二郎訳、今日の文学3、晶文社、一九六八年。晶文社クラシックスとして一九九八年に再刊)というよりも「空の青み」(ジョルジュ・バタイユ著作集、伊東守男訳、二見書房、一九七一年。河出文庫、二〇〇四年)の方が文字の並びとしては正しい飜訳なのかもしれない。文中にはバルセロナの星の輝く夜中に「空の青」を見るというようなところで出てくる。バダローナ(Badalona)の海岸で泳ぐときには「青空(le ciel bleu)を見た」とも書いているので、違うといわれればたしかに違う。

ついでにブルーというのはフランスでは国旗(三色旗)のブルーのようだ。サッカーのフランスチーム(今大会ではガタガタだったけどね)のユニフォームの色、だからフランス代表チームをレ・ブルー(Les Bleus、青軍団?)という。「空の青(Bleu ciel)」はもっと水色に近い。CMJN (印刷の配色を現わすCMYKのフランス表記=シアン、マゼンタ、黄、黒)は「53%, 29%, 0%, 0%」。ようするに初版の『Le bleu du ciel』の表紙の色である。
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by sumus_co | 2010-06-30 21:29 | 古書日録

窓の微風

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季村敏夫『窓の微風』のジャケットその他の色校正が届いた。そのまんま窓の絵にしました。本文はもう少し、索引取りなどに、時間がかかりそうだが、完成が近いのは間違いない。乞御期待。

『窓の微風』のゲラ
http://sumus.exblog.jp/13471041/
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by sumus_co | 2010-06-30 12:41 | 装幀=林哲夫

本との出会い『黒いユーモア選集』

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『みづゑ』761号、アンコール。この号の「本との出会い」コーナーに澁澤龍彦が登場しており、アンドレ・ブルトン『黒いユーモア選集』の想い出を語っている。『澁澤龍彦全集』では第十巻に「『黒いユーモア選集』についてーーアンドレ・ブルトン」として収録されているようだ(別巻2の著作索引による。この巻しか架蔵しないので)。

澁澤は昭和二十年に旧制浦和高校に入学した。入学式は七月一日(別巻2の年譜による)。勤労動員で授業は夜だけだった。戦争が終わってもすぐには外国の本は手に入らなかったので、

《私たちは配給の手巻き煙草を吸いながら、マントの裾をひるかえして神田の街をほっつきまわり、洋書専門の古本屋の棚を、血まなこになって漁って歩いた》

《海外文学の情報をどしどし私たちに提供してくれたのは、そのころ春山行夫氏の編集していた「雄鶏通信」、鎌倉文庫発行の「ヨーロッパ」、京都の世界文学社発行の「世界文学」などの諸雑誌で、私たちはそれらの貴重な記事をむさぼり読んだものである》

浦和の同学年には出口裕弘、一学年下には菅野昭正、野沢協がいた。そして二度受験を失敗して三度目に東大のフランス文学科にはいったのが昭和二十五年。

《しばしば新宿紀伊国屋書店の洋書部に足を運んで、ずらりと並んだフランス書籍の棚を眺めたり、分厚いカタログのページを繰って、新刊書の註文をしたりするという楽しみをおばえるようになった。あの犬屋の横のせまい角を曲った、映画館と喫茶店のあいだに挟まれた、今はなき木造の紀伊国屋書店である》

このころ一九五〇年に出た増補のサジテール版『黒いユーモア選集』(Anthologie de l'humour noir)を買って大きな影響を受けたという。

《私が正統の文学史や、正統の美術史を軽蔑することをおぼえたのも、私自身の生来のアカデミック嫌いもさることながら、このブルトンの『黒いユーモア選集』にあずかるところが大きいと申さねばならぬ》

ポヴェール版の『黒いユーモア選集』
http://sumus.exblog.jp/9948638

澁澤の言う《犬屋の横のせまい角を曲った》が気になって最近手に入れた『株式会社紀伊國屋書店創業五十年誌』(紀伊國屋書店、一九七七年)を開いてみると、ありました、「犬」。

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そしてこちらが店内。同書掲載の「紀伊國屋と私」のエッセイのなかで玉虫文一が《パリ・ラテン区のいくつかの書店を連想させるものがあった》と書いている通りと思う。昭和二十二年、前川國男設計のこの二階建ての店舗は完成していたが、洋書輸入を開始したのは昭和二十四年四月である。

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《新宿の表通から小店の立ち並んだ細い路を通って住宅風の玄関口を入り、奥まったところの階段を上って二階の洋書部を一巡することは一つの楽しみであった》(玉虫文一)

《二階建てバラックの、だだっ広い建物を建てて、その一足ごとにぎしぎしと音を立てる二階一面に、欧米の書物を並べたのも、この輸入再開後まもない頃であった。もちろん当時はどの店もバラック建てであったのだが、妙にがたびしするその建物の中に並べられた洋書の数量は、まことに壮観そのものであった》(佐藤輝夫)

表通りに面したビルになったのは昭和三十九年。オリンピックの年である。この店舗はよく通ったので覚えている。通ったのは紀伊國屋画廊だが。常設展示されていた森芳雄の「二人」(一九五〇)が見たくてちょっと上がって行くということもあった。

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紀伊國屋書店といえば『scripta』16号の内堀弘さんの連載は『文藝耽美』を始めた徳田戯二(とくだ・じょうじ)について。金がなくても雑誌をつくるのが好きな人間は昔からたくさんいたのだ。

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工作舎さんよりメールあり。

《先週末26日の黒岩さんと岡崎さんのトークイベントは、入場者も120名を超え、おかげさまで大盛況のうちに終わりまし た。

京都ジュンク堂BAL店での黒岩さんと古書のフェア(タイトル 仮)が7/17からスタートと決まりました。》

ということで『sumus』メンバーが黒岩比佐子にちなんだ選書をするという話になった。大分前に連絡があって、とっと選書はしていたのだが、締切が昨日だとは思ってなくて、ほったらかしてあった。本日あわてて送信。新刊を選ぶのは品切れかどうかをチェックしなければならない(アマゾンを使う)。品切れになっているタイトルは多いけれど、かと思えば、別の版元から蘇っていたりして、感心もした。
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by sumus_co | 2010-06-29 21:12 | 古書日録

舞姫タイス

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題 名=舞姫タイス
発 行=昭和13年5月24日
訳 者=水野成夫
発行者=福岡清
印刷者=吉原良三/康文社印刷所
発行所=白水社
東京市神田区小川町三ノ八
装 幀=六隅許六
タ テ=187mm
註 記=序文に《装幀は斯道の鬼才六隅許六氏を煩はした。流石の出来栄えであると思ふ。同氏に敬意を表する次第である》

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挟み込みの白水社の広告。
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by sumus_co | 2010-06-29 17:18 | 渡邊一夫の本

みづゑ 761号

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『みづゑ』761号(美術出版社、一九六八年六月三日、表紙=池田満寿夫)。洲之内徹が「作家登場・長谷川潾二郎」を執筆している。そこに掲載された「猫のいるアトリエ」。これは気まぐれ美術館の展覧会でおなじみの片方の髭のない猫であろうか。それならば太郎という名前で、この文章によればすでに死んでいる。

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また『絵のなかの散歩』(新潮社、一九七三年)には「長谷川潾二郎「猫」」というエッセイが収められており、『みづゑ』の原稿と重複する部分も少なくないけれども、両方読むとちょうど補い合ってさらに面白い。『みづゑ』では猫の絵を譲り受けたことは出て来ないが、『絵のなかの散歩』では片方しか髭のないことは分かっていながら、それを長谷川に言うと、もう片方の髭を仕上げるまで絵が手に入らないだろうから、何も言わずにもらってきたとある。髭を描くのに何年もかかるかもしれないというのだ。そのときに「どこへも売りません」と約束して、その通り洲之内コレクションとして宮城県美に入っている。

もう一篇、「無学のすすめ」(『気まぐれ美術館 セザンヌの塗り残し』新潮社、一九八三年)という長谷川ファミリーと北一輝の関係について書かれたエッセイもある。

新潟新聞の主筆だった小林存の伝を読んだことから話を起して行く。日本海海戦のときに旗艦三笠が発した電文「天気晴朗ナレドモ浪高シ」を新潟新聞はロイターから買っていた、そのことに洲之内は驚く。当時は各社ともロンドン通信(ロイター)から情報を入手していたが、小林存によればその電報料が月に千円(明治三十八年)にも達したそうだ。当時の千円は今のいくらぐらいか定かではないが、さしずめマイケル・ジャクソンの父親のインタビュー代金に匹敵する金額ではないだろうか。

そして新潟ということから松本健一『若き北一輝』の話へ移り、そこに長谷川潾二郎が登場しているのを見てまたもや驚く。潾二郎の父・長谷川清(淑夫)は佐渡の出身で佐渡中学で教師をしていたときに北一輝を教え、思想形成に大きな影響を与えたというのだ。洲之内はこのことを潾二郎に話して、北一輝の想い出を聞き出している。詳しくは洲之内エッセイを読んでいただきたいが、潾二郎という難しい名前は祖父の医師で漢学者だった葛西周禎がつけたそうで、本人はこの字のためにかなり苦労したらしい。

『みづゑ』稿によれば田村泰次郎から現代画廊を受け継いだばかりのころ、洲之内は額縁を探しに神田へ来た。すずらん通りの古道具屋の《入口を入ったところの、軒の裏側みたいな薄暗いところに、ほこりまみれの小さな油絵が1枚掛っていた》。それが長谷川潾二郎の「薔薇」(一九三八)だった。額縁が欲しいとごまかして二千円で買って帰って、絵をきれいにすると、すっかり見とれてしまった。しかしそれが誰の絵なのかは分からなかった。

それからある時間が経ってある画家が洲之内の画廊へ絵を買って欲しいと持ち込んできた。そこに「薔薇」と同じ「Rinjiro」のサインを見つけて驚き感動した。それが長谷川潾二郎との馴れ初めで、ぜひ個展を開きたいと思ったのだが、実際に開催するまで六年以上かかったという。その間ずっと同じ作品に手を入れ続けてなかなか完成しなかったのだそうだ。ふしぎな画家とふしぎな画商のつながりである。
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by sumus_co | 2010-06-28 22:31 | 古書日録

COULEURS

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昨日の文房堂のカタログで思い出して引っ張り出してみた。フランスの絵具会社ブルジョワ・エネが一九一一年三月に発行した『価格表6 TARIF No.6』工業デザイン用の絵具と画材のカタログ。これは古本屋ではなく京都のアンティーク・ショップで見つけたもの。少々お高かったが、珍しいと思って買った。

ブルジョワ・エネ(BOURGEOIS AINE)という会社は一八六七(慶応三)年にパリで創業した。「危険のない絵具」を売りとして学校関係に販路を拡げたという。一九六五年に老舗のルフランと合併してルフラン・ブルジョワとなった。

小生が学生時代にはフランスの絵具ではルフラン・ブルジョワが高級品として売られていた。イギリスのウィンザー・アンド・ニュートンと双璧だった。絵具には発色(色の美しさ)と堅牢性(長く変色・剥落しない)が求められるが、堅牢性はともかく色合いはやはり日本のメーカー(小生は当時主にマツダを使っていた。その後、顔料を自分で練って使った時期もあったが、現在はニュートン少々とホルベイン)とはちょっと感覚が違うなと思わせられる冴えがあった。

ちなみにパリへ行ってBHV(ベ・アシュ・ヴェ=日本のロフトみたいなところ)の画材コーナーを初めて訪れてびっくり。ホルベイン(もち日本製)が輸入高級画材として売られていたのだ。最近はのぞいていないので知らないが、一九八〇年はそうだった。

ルフランはパリのサンジェルマンで一七二〇年に創業した。それまで絵師は自分で、または弟子に絵具を調合させていたが、創業者のシャルル・ド・ラクレ(Charles de LACLEF)は商売として製造することを始め、顧客のなかにはシャルダンなどがいたという。

また科学的に絵具の性質を研究することに先鞭をつけたのがアレクサンドル・ルフラン(Alexandre LEFRANC)で、一八四一年にアメリカ人の画家(John GOFFE RAND)が絵具を鉛のチューブに入れることを考案したのを一八五九年には取り入れてチューブ絵具の製造を開始した。

これによって絵具の持ち運びが容易になり、画家は風景を前にして油絵具の絵筆をふるえることとなった(それ以前は油絵の道具を戸外に持ち出すことは難しかった)。そしてこの携帯できる絵具からあの印象派が生まれたのである、という主張がルフラン・ブルジョワのHPに掲げられている。
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by sumus_co | 2010-06-27 21:45 | 古書日録

モランディのアトリエ

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昨日イタリアから届いた絵葉書。モランディが最後の絵を描いたモチーフだそうだ。写真はルチアーノ・カルゾラーリ(Luciano Calzolari)。

《ボローニャへ日帰りで行きました。いま帰りのローマテルミニ行きのユーロスターの車中。フィレンツェSMNまでわずか30分強の旅です。モランディ美術館を見てきました。一筆一筆に確かさを求めるというより、ためらいためらい筆を置くような印象を受けました。1959年に放映されたテレビ番組が小さなブラウン管に再生されていて、モランディの静物画がモノクロに変換されたのが、力強く見えました》

モランディが住んでいた建物のある通り
http://sumus.exblog.jp/8851733
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by sumus_co | 2010-06-27 11:47 | 雲遅空想美術館

油絵用品

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東京神田表神保町の文房堂が発行した油絵用品のカタログ(T氏より頂戴しました。御礼申し上げます。なんだかもらいものブログみたいになってます)。本文十頁、中綴じ、タテ一八八ミリ。発行は大正十一年三月。この目録は油絵に関する概略を抄録したもので、総目録は只今編集中だ、との註記あり。巻頭言にいわく

《文房堂油絵具ハ弊店工場ニ於テ製造セラル文房堂油絵具ハ弊店ニテ過去三十有余年間ノ豊富ナル経験ト幾多ノ研究トノ結果成レルモノニシテ舶来品ニ比シ些ノ遜色ナキコトヲ確信ス、過般ノ拓殖博覧会ニ於テモ優秀ト認メ一等賞金牌ヲ授与セラル》

拓殖博覧会は明治四十五年開催のようだ。現在も盛業中の文房堂は創業明治二十年を謳っているのでたしかに《過去三十有余年間》ということになる。HPによれば、

《明治20年(1887年)年に創業した文房堂は、日本ではじめて専門家用油絵具を製造・発売いたしました。文房堂の歴史は、絵画材料はもちろんのこと、デザイン材料、彫塑材料、版画材料等、現在の画材全般の基礎をつくった物語ともいえます。》

キャンバスの号数サイズを決めたのも文房堂。

《フランス絵画の寸法基準を研究し、尺貫法による木枠、スケッチ板の規格を設定。これが日本の油絵の号数規格となる》

ただしフランスのサイズと微妙に違うため向こうの額縁が合わないという欠点も生じた。美術家連盟では一時このサイズを改訂しようという試みもあったようだが、結局は文房堂仕様のまま続いている。また高校生のころ当り前のように使っていた「ポスターカラー」(デザイン用の絵具)も、これを命名したのは文房堂だそうだ。

現在の建物は正面外壁だけを残して改装されている。関東大震災にも耐えた元のビルは大正十一年に建設されたというから、このカタログと同じ頃である。画材の総目録も新築に合わせていたのだろう。改築は一九九〇年、ということは古いビルの時代に何度かここで買物をしたことになる。階段が狭くて急だった。武蔵美は小平なのでそう頻繁に神田に来たわけではないが、特殊な道具の品揃えは良かったように覚えている。その頃には向いの三省堂もまだ石造りだった。すずらん通りも薄暗い商店街だった。

他にも古い画材の目録類もいくつか持ってはいるが、めったに見かけない貴重な資料と思う。なお表紙のデザインはサインを見ると杉浦非水のようである。
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by sumus_co | 2010-06-26 22:08 | 古書日録

芦ノ湖 古茂田守介

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「芦ノ湖」1960年、町立久万美術館蔵。「古茂田守介の全貌展」の絵葉書。伊丹市美術館でこの展覧会を見たときの印象は忘れ難い。会場では図録が売り切れていた。何年か経ってから街の草さんで求めた。

絵葉書だけは売っていたので何枚か買った。その一枚だろうと思ってハガキ・ファイルから引き抜いてみると、木内寛子さんから頂戴した『ARE』三号の感想が切手面にしたためられていた。消印は《95.8.9.8-12》。三号は神戸の震災特集。木内さんの詩を掲載させてもらっていたのである。

《自分の作品は照れくさく見ないように気をつけながら一読、震災も日常のなかのように見えます。》

その後、小生の個展の会場などで何度かお会いして、『木を抱く』(ドッド・ウィザード、二〇〇四年)という詩集も装幀させてもらったが、それから間もなく木内さんは亡くなられた。木内さんも古茂田守介が好きだったんだな、ひょっとして、こちらの好みを察してこの絵葉書を選んだのかな、などと思いをめぐらせてみる。
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by sumus_co | 2010-06-26 09:38 | 雲遅空想美術館