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招く

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 古道具屋のまねごとをしていた時期がある。きっかけはたしか知人の米国人が骨董品を集めるのを手伝うということだった。京都市中の古道具屋や東寺の弘法市や北野天神の天神さんの市などを巡り歩いたり、さらには警察で鑑札(古物商の許可証)をもらって、京都市内にある業者の市場、大澤道具市場や福丸美術道具市場、伏見の市場までのぞいたこともある。

 米国人が帰ってからも妻と二人でしばらくまねごとを続けていたが、さすがに本当のプロの世界に入って行くほどの度胸も才覚もなかった。古いものが好きとかどうとか、そういう世界ではない。アマチュアとして楽しむのが性に合っている。

 招き猫はデザイナーのヨーガン・レールのコレクションを知ってから気になりはじめた。それらはよくある陶器のまるまるとした猫ではなく、大小さまざまな色絵磁器でできたスラリとした猫である。ところがその手はすでにけっこう高くなっていた。「こりゃだめだ」とすぐに諦めた。

 これは天神さんで求めた。あちこち傷んでいるため五百円だったか八百円だったか。高さ十センチほどのセルロイド製である。細かい毛並みまで再現し、腕が胴とは別の造りで細紐を引っ張れば動くようになっている。様式化されていながらもリアリズムを忘れない、この姿に惚れ惚れする。
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by sumus_co | 2010-01-31 19:41 | 貧乏こっとう

The Catcher in the Rye

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J.D.SALINGER『The Catcher in the Rye』(PENGUIN BOOKS, 1981)。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のペンギンブックス重版。ペンギンブックス初版は1958。この版ではないが、以前持っていたペーパーバックで読んだ。英語の小説を最後まで英語で読んだのは初めてだったかもしれない。分からないところはすっ飛ばしてではあったが、孤独が染み通るような読後感は残った。

ということで、野崎訳も村上訳も読んでいない。読もうとはしたが、やはり感触が違うのだ。「七人の侍」と「荒野の七人」の違いというか、クレープとお好み焼きの差というか……。最初の感じを大切にしたいということはある。これ別に飜訳でなくて日本語の作品でも同じ。何度も読んで理解が深まる、それもいい。しかし読み返す度に失われるものもある。

下の写真が初版(Little, Brown and Company, Boston, 1951)のジャケット表紙4側。サリンジャーというとこの時期の写真しか使えない、というか写真がないわけだ。永遠に三十代のイメージ。このポートレートを撮ったのはロッテ・ヤコビ(Lotte Jacobi)。ポーランド生まれのユダヤ人。ナチスが台頭する以前のベルリンですでに知られた写真家だった。アメリカへ移住して戦後はアインシュタインなど著名な知識人の肖像を数多く撮っている。

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英国版(Hamish Hamilton, 1951)がこちら。かなりイメージが違う。

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シグネットブック New American Library, 1953、はこんな感じ。

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Compania General Fabril Editora (1961), Buenos Aires, 1961がこちら。ブエノスアイレス、というかスペイン語初訳。タイトルは「隠れた狩人」。『El guardián entre el centeno』という原題にそった訳もあるようだ。それにしてもさすが南半球だからか、イラストの青年は胸をはだけている。英米の寒々しい出で立ちと対照的。ちなみにフランス語訳は『L'Attrape-Coeurs 』(Pocket、2002)、どう訳すのだろう、心をぎゅっとつかむということ?

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ところで一九六五年ころからずっと作品も発表せず姿も見せなくなったサリンジャー。隠れた著者になってしまった。ニューハンプシャー西部の小さな町コーニッシュ(Cornish、人口二千人足らず)の邸宅は高い塀に囲まれ、番犬とショットガンで守られていたそうだ。それでもこんな写真を撮られている。ちょっと可哀想というか、哀れかな……。初心を大切にするのもそこそこにしとかないとね。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-1246881/Why-did-J-D-Salinger-spend-60-years-hiding-shed-writing-love-notes-teenage-girls.html
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by sumus_co | 2010-01-30 20:33 | 古書日録

ジョルジョ・モランディ

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ジャネット・アブラモヴィッチ『ジョルジョ・モランディ:静謐の画家と激動の時代』(杉田侑司訳、バベル・プレス、二〇〇八年)を必要があって読了した。この本については購入したときに報告してある。

http://sumus.exblog.jp/9749185

はっきり言って、まず原文が読みにくい(のだろう)。つぎに飜訳が読みにくい。そして本文や図版の配置も充分に考えられていない。買ったままになって放置していたのも、その三重苦のためだった。しかし多少我慢して読み始めると、それらの難点もなんのその、書かれている内容はモランディを理解するうえでとても重要な事実の列挙であり、必須と言うべき資料のように思えてきた。飜訳者の苦労も並大抵ではなかったろうと推測できる。

日本でもモランディについては展覧会図録も数種あり、岡田温司氏の研究書もあり、同じく岡田氏による『芸術新潮』特集号も出ている(二〇〇五年五月号)。むろんイタリアをはじめ諸外国のモランディ関連書の数からすれば無いも同然ながら、とにかくも一通りのことは分かるのである。とくに芸新の特集はある意味トータルにモランディの姿をとらえた好企画。

芸新でも少しは触れられているが、アブラモヴィッチの方は徹底的にモランディと形而上絵画、とくにファシスト党との関係について(ともにモランディが、晩年、やっきになって否定しようとした関係である)同時代の証拠などを収集しており、そこから二大戦間をモランディがいかにして生き抜き、第二次大戦後(戦中からではあるが)、自らを神話化して行ったのかを叙述している。

画家がイタリア現代史のなかでどう生きたか、それはその絵に関係があるのか? 

ないとは決して言えない。しかし、また関係ないからこそ、何百年前の作品であってもわれわれの時代においても共感して見ることができるとも言える。モランディがファシスト党員だったという事実を知ったところで、その絵が変るわけではない。もし変るとしたら、それは絵ではなくわれわれの方である。

実際問題としてファシスト党に入っていなければ公の仕事はできなかった(少なくとも教職にはつけなかった)当時にあっては特別なことではなかった。ファシスト党がイタリアに希望をもたらしたときには大いに利用し(ムッソリーニがモランディの絵を買い上げたそうだ! そしてそれをモランディは履歴書に記入した)、どうしようもなくなると棄ててしまう。ようするに大衆の一人だった、あるいは庶民だった。日本人にも覚えがあるだろう。

しかしその状況でも彼の描く絵は、あのふしぎな、何とも形容しがたい静物、または風景だった。それは変らない。厳密に見れば、時代の流れが敏感に反映されてはいるようだが、その基本は譲らなかった。その頑固さがモランディをモランディたらしめている。
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by sumus_co | 2010-01-29 20:51 | おすすめ本棚

一千円開店法

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商工会議所調査編『一千円開店法』(青山書店、一九二九年五月五日五版)。裏表紙。発行所の青山書店は名古屋市中区裏門前町一ノ二八、青山光次。小資本で開店する方法と要領を説明し、具体的な職種を並べてある。

化粧品店、文具店、玩具店、菓子店、小間物店、金物店、喫茶店、煙草店、などが婦人に好適な商売あるいは副業として挙っているのが目につく。ちょっと不思議なのが《素人で出来儲の多い薬剤店》……、化粧品や食品といっしょに売れば良いと書いてあり、実際そういう店が必ずどの町にもあった(今もある)ような気がするが、昭和初年頃には素人でも開店できたのか。

書籍雑誌店も《副業に好適で且品のよい》文化の先駆者として一章設けられている。要点だけ箇条書きにしてみる。

・品がよく定価販売であるから役所や銀行員の細君などの副業として容易い。

・千円で開店なら間口九尺奥行き二間あれば結構である。

・近隣の同業者の承認を得て書籍組合に入会しなければならない。加入金は五十円位。

・雑誌は取次販売所から委託販売として仕入れる。

・書籍は買入れになるので注意が必要。問屋に相談して二ヶ月位様子を見て不向きのものは交換する条件で仕入れること。

・小資本の店は専門的な種類を取扱わねばならない。立地や客の種類によって取扱うものを選ぶこと。

・学校などで広告ちらしなどを配る。会社へ出張販売をする。

・雑誌の利潤は一割、書籍では一割ないし二割位のものである。

・年々歳々、受験悲劇が起る程上級学校への入学志望者は増加して、学校も増設されている。一般人にも読書力が増えて行き、書籍雑誌店は今後きわめて有望である。

そして大取次店が、東京堂、北隆館、大東館、東海堂(以上東京)、金正堂、盛文館(以上大阪)、川瀬書店、小沢百架堂、星野書店、マガジン社(以上名古屋)、比較的小資本に便宜をはかってくれる取次が、春工堂(東京)、江之本書店、侵々堂[ママ](以上大阪)、文教堂、奥盛文堂、梶田文光堂(以上名古屋)というふうに列挙されている。

本書の初版は昭和三年としてあるが、「今後有望である」という見通しはでまかせではなかった。京都だけの数字で参考程度ながら『京都書肆変遷史』(京都府書店商業組合、平成六)によれば昭和十年の組合員数六三三名は現在までの最多を示している。

昨日紹介したアドリエンヌ・モニエも小資本で本屋を始めた。その心得というか心意気をこんなふうに述べている。

《お金はほんの僅かしかなかったし、そのために私たちは近代文学を専門に扱うことにしたのだった。》《たかだか三千冊ぐらいの本で店を開こうというのはわれながら大胆なやり方だと思っていた。実をいえばやっとひとつの壁面が本で埋められているだけだった。》

《全作品を取揃えてある作家の名前を知らせることにした。そのリストは私たちの趣味と一般読者のそれをつきまぜたものだった。成功するためには一定の譲歩が必要だと私たちは判断していた。》

《創り出さなければならないのは、そしてまた援助しなければならないのは、多数の読者を満足させるのではなく、個人的におたがいに知りあう可能性のあるグループ、そしてその願いを完全に叶えてやれるようなグループを満足させることを目ざす書店=文庫なのである。》

《とはいえ、ひとつの都会のどんな通りにおいてであれ、貸出と売捌を両立させるという原則に立つ賢明な本屋なら、容易にその趣味を形成できる読者はつねにいるものと思われる。》

÷

iPadが発表されたということで話題を呼んでいるが、ペンギン・ブログに昨年こんなリーディング・プレートとしての雑誌の姿が紹介されていた。

http://thepenguinblog.typepad.com/the_penguin_blog/2009/12/interfacing.html

÷

先日ここでも話題にした季村敏夫・内堀弘トークの直後の様子について、貸本喫茶ちょうちょぼっこの日記に「神戸残照」としてSさんがとても良い文章を書いているのでリンクしておく。

http://www.geocities.jp/chochobocko/
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by sumus_co | 2010-01-28 21:59 | 古書日録

オデオン通り

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アドリエンヌ・モニエ『オデオン通り』(岩崎力訳、河出書房新社、一九七五年)。昨年読んだもののなかではもっとも印象深い一冊。

第一次世界大戦の最中、一九一五年十一月、ドビュッシーとマーテルランクとラファエロ前派にメロメロの文学少女アドリエンヌ・モニエがパリのオデオン通り七番地で本屋(貸本と古書販売、ちょうちょぼこみたいなもの?)を開いた。一九五一年に引退するまで三十六年間、さまざまな文豪(文豪になる前の)たちとつき合い、出版活動、朗読会、演奏会なども行なった。その回顧録も含めた遺文集である。

たとえばアンドレ・ブルトン。

《一九一六年のごくはじめにブルトンと知りあったとき、彼は軍医補の空色の制服を着ていました。》《彼はまだアラゴンもスーポーも知りませんでした。その二人と同じく彼も、最初は通りすがりの客だったのですが、のちには私の店を足繁く訪れるようになったのでした。
 私たちはすぐ大議論を戦わせるようになりました。私たちの意見が一致したことは一度もなかったと思います。話のあいそうな話題についてさえそうでした、ノヴァーリス、ランボー、オカルティズムなど。彼の考え方はまったく一徹で、とりつく島もありませんでした。》

ブルトンは二十歳だった。若き日のコクトーも登場する。売り出しにやっきだった。あるときローゼンベルグ画廊での朗読会が終わったとき、モニエのそばにコクトーが寄ってきた。

《「ジードが、オデオン通りで『喜望峰』の自作朗読を聞きたいと言ってますよ」
  [略]
 そう、ジードがその気なら私はもちろん結構よ、というわけです。
 そこでコクトーは、こんどはジードに駆け寄ってこう言いましたーー「アドリエンヌがオデオン通りで、是非あなたにもお出でいただいて私の『喜望峰』の自作朗読を開きたいと言ってるんですが、お出でいただけますね?」》

コクトーの計略はすぐに見破られ苦笑をかったが、モニエはごく内輪の朗読会を開いてやり、コクトーにお茶菓子を持参するように求めたという(普段はモニエが用意していた)。

まったく無名のジョイス(表紙の写真はジョイスと歩くモニエ)やベンヤミンを高く評価し世間に紹介しようと務めていたと、まあ、そういう逸話にもあふれる部分も面白いが、たとえばこんな文章にハッとする。

《実際的な面で、私たちは最初からいくつか良い思いつきをもっていた。たとえば、本にハトロン紙のカバーをかけること、製本させないこと、判を押さないことなどである。》

これは古本ではなく貸出文庫についての記述だが、ハトロン紙をかけるということはこの頃から行なわれていたのだ。もうひとつブレーズ・サンドラールが文無しで戦場から帰って、一篇の詩を携えてメルキュール社に行った話。

《その詩は受け容れられた。そこで彼は前払いしてほしいと言った。しかし《メルキュール》では詩には稿料を出さないことになっているという返事だった。そこで彼はこう言ったーー「じゃそいつを好きなように散文に書き直せ、そして俺に百スーくれ」》

《メルキュール》は十七世紀に淵源をもつという文芸雑誌『Mercure de France』、十九世紀末に Alfred Vallette によって再創刊され、象徴派の牙城となった。二十世紀初頭にはマラルメ、ジイド、アポリネールらがしきりに登場。メルキュールの火曜日( mardis du Mercure)として有名なサロンを毎週開き、多くの若き作家たちが集ったという。それでも詩には原稿料を出さなかった(!)とモニエは書いている。「食ふべき詩」を啄木が提唱したのは明治四十二年(一九〇九)、いずこも詩人は食えないものと決まっていたか。
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by sumus_co | 2010-01-27 21:43 | 古書日録

嶽水会雑誌/coto19

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『coto』19号(二〇一〇年二月一日)、早いもので連載「古書へんぺん記」も十五回となった(いくつかは『古本屋を怒らせる方法』に収録)。今回は「硝子戸の中の銀の匙」という題で『柳田泉の文学遺産』〜『ラセラス』〜『嶽水会雑誌七十周年記念号』〜『銀の匙』〜『硝子戸の中』について玉突き式に起った事件(というほどどのものではないですが)を綴ってみた。

『coto』そのものは20号で終刊を宣言しているので、余すところあと一回。年内で終り。『彷書月刊』と同じころになるかも。とにかく、よく続いたと言うべきだろう。キトラ文庫安田さんの執念である。雑誌は人ナリ。

キトラ文庫のブログ 古本屋ひまそがし日記 パート2
http://ameblo.jp/kitorabunnko/

『嶽水会雑誌七十周年記念号』(第三高等学校文芸部、一九三九年)は善行堂にて昨年ゲットしたもの。淀野隆三が「思ひ出づるまゝに」と題して三高の学生時代を振り返っている。

《僕達は世間的なものを顧ずに自分と仲間を磨くことをのみ追求した。同人雑誌を出してゐて文壇の人達に贈らぬといつたことを平然とやつてゐた。人の思惑など度外視して、僕達は生真面目な恋愛に苦しみ、動じがたい世間に向つて大それた闘争を挑んだ。梶井や中谷の書くところに、僕達の東京の日の三高は美事に現はれてゐる。特に梶井に於て然り。ーー東京に於て僕達のした青春の定著は総て、嘗ての三高の日々の実現であつたと云へる。》

『spin』連載の淀野隆三日記をひとことでまとめるとこういうことになるらしい。《人の思惑など度外視して》というのは少し誇張があるかもしれないが。

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これは草野豹一郎が掲出している古い絵葉書。消印は明治四十一年六月十七日とか。高田義一郎から草野に宛てたもので、三高の運動会らしい。高田は医学博士で作家。草野は大審院判事、法学者、弁護士。時代は少し違うけれど、三高の運動会は京都の市民が大挙して押し寄せる一大イベントだったことが淀野日記から想像される。模擬店などもたくさん出たようだ。
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by sumus_co | 2010-01-26 21:18 | 著述関連

『彷書月刊』2月号

「ボロをつむぐ 勝手ながら七痴庵戯文録」。田村さんのワンマンショー、面白い。「さあ、古本屋におなりなさい」はケッサク。例えばそのなかの「古本屋の原点は押し売りデハナイカ」。市会で仕入れた古本を車に積み込んで買ってくれそうな研究者の家を次々に回る。そして最後には日も暮れて、マクドナルドの駐車場に車を停め、懐中電灯で本を照らしながら「何かほしい本入ってないですかァ」と押し売りをするというAさんのお話(そんな古本屋さんが軽トラで回ってきたらすぐ飛び出しちゃうでしょうねえ)。そして

 古本屋は、無知デアル、無知デアレ。

これもいい言葉だ。古本屋にかぎらない、なべて知は無知からデアル。

坪内祐三さんの連載「晶文社のこと(2)」はショッキングな内容。晶文社の倉庫にあった植草甚一の日記など資料が詰まったダンボール箱が紛失してしまったという話。う〜ん。植草のコラージュ日記をそのまま乱歩の貼雑帖のように復刻したらいいのになあとずっと思っていたけど、これでは不可能のようだ。下は『鳩よ!』(マガジンハウス、一九九四年一一月号)から。「記録王植草甚一の遊技」というカラー特集の一部。これは《協力・晶文社》となっている。

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この翌年『太陽』(平凡社、一九九五年六月号)の「特集・植草甚一」でも大々的にスクラップ・ブックや日記が取り上げられている。こちらは《資料提供協力=関口展》とある。関口氏は植草甚一の甥で著作権継承者とネット上には出ている(小樽文学舎学芸員のよもやま日記、2002年9月)。

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こんなに積み上げて写真とったりしちゃって! で、世田谷文学館の『植草甚一 マイ・フェイヴァリット・シングス』展図録を当ると、日記は一冊、スクラップブック四冊、ジャズノート三冊と入院中の手製ノート四冊が掲載されていた。巻末にある「謝辞」欄のトップは関口展氏、つぎが晶文社他団体、そして個人名がずらり。

坪内さんはこう書いている。

《世田谷文学館で開かれた植草甚一展でも、晶文社の倉庫で私が見たダンボール内の物は展示されていなかった。》

実際にどうなったのかは部外者の知る由もないが、こんな楽しいスクラップ日記はちょっとないなあと、今、これら雑誌を眺めて再確認するのである。
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by sumus_co | 2010-01-25 21:15 | おすすめ本棚

sumus13 ゲラ

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『sumus』13号のゲラが届きました。これは小生が最終的に見て校了とさせてもらいます。

まるごと一冊晶文社特集

002 犀の足あと・晶文社略年譜
003 山本善行 晶文社の本について
011 福島 修 中村勝哉「創業のころ」を読む
026 岡崎武志 島崎勉さんと晶文社の日々 
037 田中美穂 古本屋の歌ううた
043 有馬卓也 棚をすべて晶文社の刊行物でうめてみたい
046 寺井昌輝 ただただ読む事に熱狂した時期

051 晶文社特集アンケート
   あなたの好きな、思い出に残る晶文社の本を教えて下さい。

077 荻原魚雷 となりあわせの本 中川六平さんと晶文社の本
085 扉野良人 クンパルシータの中川六平さん
093 林 哲夫 平野甲賀・装幀の本

101 晶文社営業部と中村勝哉社長 島田孝久さんインタビュー
   聞き手=南陀楼綾繁+高橋千代+目春典子

121 南陀楼綾繁 晶文社の広告
122 高橋千代 スクラップ通信のこと
124 晶文社SCRAP通信セレクション
147 晶文社図書目録1973.5


はじめに
2004年5月以来の発行となります。この間、書物を取り巻く世界は大きくさま変わりしました。それらが、今後どうなって行くのかもまったく見えてきません。こんな大変なときにこそ小野二郎と中村勝哉というゴールデンコンビの築いた晶文社の50年にわたる出版活動を振り返ることが大きな意味をもつのではないでしょうか。いえ、とにかく数々の素晴らしい書物、それらを思い浮かべるだけでワクワクしてしまいます。

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by sumus_co | 2010-01-24 21:02 | 著述関連

ちくま2月号

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今月の読む人は阪急電車京都線内の女子高生。エッセイは受贈本の転売についてです。
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by sumus_co | 2010-01-24 15:06 | 装幀=林哲夫

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 息子が小犬をもらってきたのは一九九四年の初夏だった。友だちから預かって帰った見合い写真に妻がまいってしまった。「フン」という感じで両足を踏ん張る小さな姿は何とも微笑みをさそうものだった。母親は柴だというふれこみだったが、写真ではどう見てもミックスである。父親ははっきりとは分からない。近隣のオスだそうである。どこからともなく現れいずこへか去って行ったという。

 毛色が茶白というか黄土に近かったのでミカンと名付けた。利発な、それだけに小心な雌だった。生まれて一年もしないうちに神戸の震災に遭った。半日あまりキャンとも言わず倒れた本棚の蔭で震えていた姿を思い出す。十二歳で死ぬまで、ほぼ毎日、早朝と午後との二回、散歩をさせるのが小生の役目だった。

 桂川は嵐山から木津川へそして淀川へと合流している。途中桂離宮の傍らを過ぎているが、その周辺にかなり広い川岸公園が整備されており、そこへはよく通った。一キロほどの距離を歩き、小さな運動場でボール遊びをする。ゴムボールを転がして追いかけさせる。息があがるくらい何度となく繰り返す。

 そんな散歩の道々で拾ったのがこれらの錆果てた金具類である。何かの折りにこぼれ落ちたか、置き忘れられ、ほろほろと崩れるほどに風化している。銀色に輝く新品のときには想像もつかない、時の加工品である。

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『sumus』13号のゲラをチェック。大きなミスはないようだが、細かい直しがけっこうある。創元社の『書影でたどる関西の出版100』のゲラも同時進行で直して行く。こちらの執筆者は21人(小生含む)。昨年、全員にPDFで数度にわたって校正をしてもらっている。今回は創元社のプリンターで出力したもの。念校のつもりだった。ほとんどの方は、訂正なし、または数ケ所。が、そうでない方も若干名おられた。そうカンタンに事は運ばないものだ。いい本になりそうなので最後のふんばりどころと思って集中する。

思えば、この二作にかかりきりの年末年始だった。一月も残り少なくなってきたにもかかわらず、ブックオフ以外どこの古本屋ものぞいていないとは、近年にない記録的古本ブランクかも。むろん目録とネットでは何冊か買っているが……。
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by sumus_co | 2010-01-23 20:21 | 貧乏こっとう