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鴎外全集 第十八巻

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『鴎外全集 第十八巻』(岩波書店、一九七三年)と「月報18」。月報には石川淳「京の墓(一)」、富士川英郎「『伊沢蘭軒』標注(三)」、安岡章太郎「見えざる主人公」他が掲載されている。

本日は貸家一軒の条件交渉に出向いた。なかなか難しい。その後、寺町三条上ルのスマートでランチ。名物のオムライスを久しぶりに食す。美味なり。食後、散歩がてら市中の物件調査をした。昨年の秋、貸家を探し始めた頃に出ていた三条通の中京郵便局近くの家を探してみる。その当時はまだ様子がよく分からなかったし、他にもいろいろとあって、現地を見ていなかった。今になって思えば、かなり条件的には良かったかなあと思われ、後学のために視察してみることにしたのだ。

これまでも何度か通りすがりに注意していたのだが、場所がどうしても分からなかった。今日は、フッと見ると、狭い路地の奥に小さな門が目に入った。そこをくぐってビックリ。かなり古い町家が四軒ほど額を寄せ合うようにしてかたまっていた。郵便受けもまとめて門の横にあったし、言ってみれば、アパートみたいなもの。これでは分からないはずである。

鴎外に戻ると、ようやくにして読了した「北條霞亭」のなかに、京都に住んでいた霞亭が引越をする話が出ている(その五十八)。文化壬申秋(1812)、木屋町より鍋屋町へ引き移った。鴎外は鍋屋町を河原町三条上ると注しているが、現在の地図を調べてもその辺りに鍋屋町はなく、木屋町通り四条上ルと、もう少し南の学校博物館近くに同名の町がある(京都には同じ町名が多数あるので要注意)。霞亭は郷里の父に宛ててこう書いているそうだ。

《此節は鍋屋町に罷在候。至極物静かに候而、別而住居安穏に候、別段に三丈の居間有之候故、終日其中に間坐読書仕候》

河原町三条上る辺りが「至極もの静か」だった……現在の感覚からはとても信じられないが、かつては烏丸通り以西が繁華街であったそうだから、そう不思議でもないのだろう。また、後に霞亭は嵯峨へ居を移すが、その頃、鴨川辺にあった頼山陽の居所に二夜泊まっている。文政辛巳(1821)の三月。《山陽の家は木屋町で、山紫水明処は未だ営まれてゐなかつた。主人も客も共に四十二歳である》。山紫水明処の現在の住所は上京区東三本木通丸太町上ル南町。山陽宅での様子を叙した霞亭の詩はこうである。

 宿頼子成鳧水僑居
 春風三月入皇州
 一笑相逢皆旧俦
 貪看鳧川楊柳色
 両宵沈酔宿君楼

霞亭の没後、天保壬辰(1832)の夏に山陽が墓碑銘を書したとき、山陽自身も喀血した直後だったが、病をおして嵯峨の霞亭旧居を尋ね、力作をものした。その後いくばくもなく山陽も歿している。

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茶の薄き借家ばなしや二月尽
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by sumus_co | 2007-02-28 22:32 | 京のお茶漬け

変態知識 第二号

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『変態知識』第二号(半狂堂、一九二四年二月)。『科学知識』とは「知識」つながり。当然ながら内容には何のつながりもない。宮武外骨による川柳研究雑誌。《恥でない誇れもしない妙味あり》と一頁目の見出しにある。川柳は解読がきわめて困難だという意味である。卷中から本に関する川柳を二つほど引いてみる。

 貸本屋何を見せたかどうづかれ

 うたゝ寝の顔へ一冊屋根をふき

貸本屋は堅物の客に見せてはいけない本を見せたのであろう。一冊屋根をふきというのは、顔に開いたまま本を載せた姿をいう。もう一句、本には無関係だが、最近の実感である。古川柳だというから、今も昔も変わらない。

 失念といふは立派な物忘れ

巻末に第一号の感想集があり、中に大阪柳屋主人・三好米吉からの便りが紹介されている。《変態知識拝読、敬々服々に候「此雑誌廃姓外骨主筆也」かうして川柳に御陶酔の御心境、羨ましく存候「むらさきは大津みどりは島の内」和歌と俳句の柳屋にもこんなのがあります》

また、外骨は第二号の刊行が遅れたことを詫びているが、その理由がちょっと面白い。『震災画報』の第六冊を編輯し終わったのが大正十三年一月十四日。ホッと一安心していたところ、翌十五日朝に強震があり、《復も印刷所の活字ケースが顛倒したので、それがため数日遅れる事になつた、其気のユルミで此二号の編輯が予定通りにやれなかつた》と書いてある。関東大震災の後にもかなり強い地震が何度もあったようだ。

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この間、ちょっと書いた、小生の古本エッセイ集、契約書に署名捺印して送り返した。遠からず出版されることになるだろう。版元は白水社である。古本屋が隣にあって、古書会館、八木書店のすぐそば。タイトルは……いや、はっきり決まってからにします。最近の白水社は坪内さんのシブイ本『変死するアメリカ作家たち』や斎藤美奈子『それってどうなの主義』など語学関係以外も幅広く出しているのだ。

先日の『辻馬車』講演会のために白水社が昭和五年から七年にかけて江川正之に文芸出版をまかせて次々に個性的な出版をした、という話をおさらいしたところだった。第一弾として昭和五年九月に『怖るべき子供たち』(コクトオ、東郷青児訳)を刊行。これが良く売れた。十月に小林秀雄『地獄の季節』、十一月に『世界選手』(モオラン、飯島正訳)。昭和六年には小林の『文芸評論』、横光利一の『機械』など次々に刊行している。調子に乗り過ぎて、デコブラ『恋愛株式会社』(昭和六年)を大宣伝したにもかかわらず、さっぱり売れずに、派手な文芸路線からは撤退した。クビになった(?)江川は限定版だけの出版に乗り出した、それが江川書房である。今では絶対に考えられないだろうが、白水社で江川が文芸出版を任されたとき、なんと弱冠二十歳だった(らしい)。やりますなあ。そうでなければ、あんな歴史に残るような本は作れなかったに違いない。

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脚長き羽蟲並ぶや二月尽
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by sumus_co | 2007-02-27 21:21 | 古書日録

科學知識 第十巻第三号

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『科學知識』第十巻第三号(科学知識普及会、一九三〇年三月、表紙画=西田正秋)。昨日、録画で「ローレライ」(樋口真嗣、2004)という潜水艦映画を少しだけ見た。潜水艦を舞台にした映画といえば「U・ボート 原題 : Das Boot」(ヴォルフガング・ペーターゼン、1981)は面白かったなあ……ということで、この『科學知識』にも「世界の潜水艦」という記事が載っている。

それによれば、近代的潜水艦の出現は一八九九年フランスで進水したナルバノだとのこと。一九〇二年にはアメリカがA型を設計し、日本はそれを一九〇四年に初めて五隻注文した。ドイツがフランスの潜水艦を模倣してU型の第一艦を建造したのが一九〇五年。一九〇七年頃には欧米各国が競って建造し、第一次大戦開戦当時の保有隻数は英国77、米国48、フランス49、ドイツ28などとなっており、日本は13隻で七位。ところが一九一八年にはドイツ170、英国156、米国114、イタリア73、フランス56となったが、日本は16とほとんど増やしておらず、潜水艦の重要性を認識していなかったことが分かる。むろんその後急速に増強してゆく。A型をベースにしたためかどうか「イ号」という名前が付く。

しかし潜水艦といえばやっぱり「ノーチラス」号だろう。ジュール・ベルヌの『VINGT MILLE LIEUES SOUS LES MERS』(一八七〇年)に登場するネモ船長の船。これは一八〇〇年、ナポレオンの委嘱によってフランスに住んでいたアメリカの発明家ロバート・フルトンが考案した実在の潜水艦 NAUTILUS(オウムガイ、ギリシャ語の「船乗」から)にちなんだ命名であった。四人の乗員で六時間潜れる圧縮空気を積み込んでおり、なんとスクリューのプロペラは手動であった。折りたたみ式の帆も付いていた。

『VIGNT MILLE LIEUES SOUS LES MERS』は、海底2万マイル、海底二万マイル、海底二万里、海底二万海里などと邦訳されている。ただし LIEUE という古いフランスの距離単位は約四キロだということなので「マイル」ではないし、海里(nautical mile 約1.8km)でもない。「海底二万リーグ」という訳もあるようだが、1 league は3マイルとのことなので、やはりぴったりとせず、結局は「海底二万里」(私市保彦訳)が妥当か。どうでもいいかも知れないけど。

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白き実に濃赤たまる初苺

近所のスーパーへ買物に出かけた。二品ほど篭に入れ、レジへ行くと、右手はカゴいっぱいに品物を詰め込んだ女性が待っている。左は一品だけのおばあちゃん。むろん左手に並んだ。ところが、さすがおばあちゃんだけのことはある。まずは店のポイントカードを後出ししてレシート打ち直し、財布からお金を出すのも、お釣りやレシートを受け取るのも、じつにスローライフ。山のように買物したお隣とほぼ同じくらいの精算時間であった。角の花屋に苺の鉢物が並んでいた。
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by sumus_co | 2007-02-26 21:11 | 古書日録

科學知識 第十一巻第六号

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『科學知識』第十一巻第六号(科学知識普及会、一九三一年六月、表紙画=杉浦非水)。『彷書月刊』二月号が「特集・板垣鷹穂の照準像」なので、ふと思い立って引っ張り出してみた。この号には板垣鷹穂は執筆していないが、もう一冊あった昭和五年三月号には「軍艦の形態美に就いて」という見開き二頁の記事を執筆している。

先日、新聞(朝日、2007年2月8日)に「「学天則」復元へ」という記事が出ていた。「学天則」とは大阪の生物学者・西村真琴が昭和三年の京都大礼博のときに作ったロボット。大阪市がそれを2100万円かけて今年度中に復元するそうだ。俳優の西村晃は真琴の次男で、「学天則」の登場する映画「帝都物語」(実相寺昭雄、1988)では父親役を演じていた。

で、この『科學知識』に西村真琴が「表情人造人間ガクテンソクの創作」という表題で四頁にわたって執筆している。西村はロボットを二種類に大別するところから説き始める。
 A、実用的人造人間
 B、芸術的人造人間
「学天則」はBであり《まだこのB系統に属する人造人間が世に進出してゐないから、このスタートを我国から切つて見ようといふ意気込みが、ガクテンソクの製作に着目した理由である》と述べ、製作の苦心とその解決、像容の象徴について語り、最後にこう締めくくっている。

《京都大礼博に出品以来、五度の改造によつて其都度進展を観、只今は鳥の鳴声を聞いてほゝえむやうに又笑ひ声の出るやうに専ら考案中である。》

現在の目からしてもこの発想はユニークなのではなかろうか。

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冴返る鉛筆の芯研ぎ細り

鉛筆で古本のデッサンを。鉛筆は手軽だし、子供の頃からずっと使っているのだが、扱いは案外と難しい。「冴返る」はいったん緩んだ寒さが戻ること。
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by sumus_co | 2007-02-25 20:35 | 古書日録

洪水 第9冊

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『洪水』第9冊(書肆季節社、一九六〇年十二月、表紙=織田博之)。編輯・発行ともに政田岑生である。表紙4の中央やや上にこの目次を組んである。表紙を入れてちょうど二十頁。表紙画と香川龍介のペン画の他は詩のみの潔さ。

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松本八郎翁より角川版『昭和文学全集』月報五十三号(一九五五年三月)のコピーをいただく。西村晋一が「蝙蝠座のころ」という回想を執筆している。蝙蝠座というのは昭和四年に池谷信三郎、中村正常、今日出海、舟橋聖一、坪田勝、西村晋一、小野松二らが結成した劇団である。第一回公演は築地小劇場を借りてヴェデキントの「ルル子」を上演した。佐野繁次郎、東郷青児、古賀春江、阿部金剛の舞台装置が話題を呼び、ヒロイン三宅艶子の水着姿が新聞に出たために大入り満員となったという。おおよそは高見順の『昭和文学盛衰史』にも記されているが、西村ならではの貴重な証言も散見される。

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本日も下鴨にて貸家一軒の外観のみ見学。ここはイマイチだった。その近くのパン屋さんで尋ねると、近隣の古い立派な家が何軒も空家になっているそうだ。取り壊す予定はないが、かと言って、貸すわけでもない。もったいないなあ……。

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風信子忌欠席囲む指の冷え

立原道造の会より風信子忌(立原道造を偲ぶ会)の案内が届く。3月31日、午前十一時半より谷中六丁目の多宝院にて墓参。鴎外荘で朗読・講演会などが行われるとか。
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by sumus_co | 2007-02-24 22:28 | 古書日録

歌舞伎ヒーローの誕生/歌舞伎ヒロインの誕生

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歌舞伎ヒーローの誕生
平成十九年三月二十八日発行
著者 利根川裕
発行所 右文書院

歌舞伎ヒロインの誕生
平成十九年三月二十八日発行
著者 利根川裕
発行所 右文書院

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歌舞伎の幕の三色を使用することという指定があった。余計なことはせず、ヒラギノ明朝のみでまとめてみた。用紙はヴァンヌーヴォ、PP(ポリプロピレン)コーティング(光沢)。
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by sumus_co | 2007-02-24 18:09 | 装幀=林哲夫

竹内道之助

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古谷綱武『川端康成』(作品社、一九三六年)の扉前の遊び紙。竹内宛献呈署名。この三笠書房の創業者である竹内道之助もなかなか面白い人物のようだ。一九〇二年東京生れ。正則英語学校、アテネフランセを卒業。上森健一郎らの文芸資料研究会に入った後、昭和八年に三笠書房を興している。『作品ヂャーナル』(一九三八年)掲載の刊行書目には、ロレンス、ハツクスレ、ジイド、プルウスト、ポホル・ジラルデイ、リラダン、ホフマン、ゲエテ、ヘツセ、トーマス・マン、フエルデス、ショーロフ、エレンブルグ、ファジエーエフ、グラトコフ、ドストイエフスキーらの翻訳小説が並んでいる。これらの内、ジイドの『窄き門其他』と『田園交響楽其他』は竹内自身の翻訳となっている。

三笠書房一番のヒット作品は、言わずと知れた『風と共に去りぬ』。原作『Gone With the Wind』(MacMillan, NY)は一九三六年五月に初版が刊行され、クリスマスまでに百万部を突破したというスマッシュヒットそしてロングセラー。同年度のピューリッツア賞を受賞。ネットで見つけたダストジャケット付きの、正真正銘の、初版本はおよそ一万ドルもしている。
http://www.quigleysbooks.com/gww.html

二年後には日本でも翻訳が出版され、各社それぞれのタイトルを付けて後に続いた。この時代には独占翻訳権という概念はなかったようだ(?)。

風に散りぬ マーガレツト・ミチエル著 阿部知二訳編 河出書房 昭13
風と共に去る マアガレット・ミッチェル著 深沢正策訳 第一書房 昭13-14
風と共に去れり マーガレツト・ミツチェル著 藤原邦夫訳 明窓社 昭和14
風と共に去りぬ マーガレット・ミッチエル著 大久保康雄訳 三笠書房 昭14
風と共に散りぬ マアガレット・ミッチェル著 深沢正策訳 創芸社・近代文庫 昭28
古書の森日記2009/2/6参照のこと)

三笠書房は大久保康雄(おおくぼ やすお、1905ー1987)訳で刊行したが、これが大ヒットし、タイトルも一般に定着した。三笠の戦後版では、竹内との共訳となっている。竹内は五来訳の例でもそうだが、自分で手を入れたいタイプのようである。タイトルだけでなく最後の決めセリフ「Tomorrow is another day」も訳者それぞれによっててんでんバラバラの日本語に置き換えられているようで(手許にないので比較出来ないが)、較べてみると、きっと笑えるだろう。

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浮田要三個展
2月24日(土)〜3月7日(水) ギャラリー島田
《'02年以来、5年ぶりの個展です。83歳を迎え、枯れるどころか益々、今と厳しく向かいあい、感性を全快に、しかし厳しく削ぎ落とし、自己存在と物質感の緊張を孕んだ均衡を提示する。その構成が、華やいだように見えるのは何故だろう。
 「具体」と童詩雑誌「きりん」との関連で語られることが多いが、それらと離れてすでに45年。現代に生きる作家として、先端を切り裂くような愚直なまでの「真正面性」が空間を建築する。ご高覧下さい。》

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3月16〜18日、2007 東美アートフェア 春 絵画・近代美術において岸本画廊のブースで近作展をやらせてもらう。そのカタログが届いた。美術商の世界というのはこういうものなのかと改めて知る。これまでほとんど縁がなかったので。

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青年のばばシヤツ脱ぎぬ蕎麦の湯気

本日、税務署へ書類を提出したついでに、足をのばして神宮道近くの蕎麦店・桝富にてランチ。詳しくはカテゴリー欄「京都おたべガイド」参照。給仕をしている青年が「今日は暑いですね。ばばシャツを脱ぎましたよ」と厨房の中でしゃべっていた。ほんとに春の陽気。梅が満開だった。
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by sumus_co | 2007-02-23 21:50 | 古書日録

洪水 第6冊

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『洪水』第6冊(書肆季節社、一九五九年十一月、表紙画=織田博之)。編集者は大塚啓也、発行者は政田岑生(まさだ・きしお)、広島市祇園町大字南下安。貴重な政田の初期の仕事。三冊入手した。じつに端正な編集、レイアウトであり、後年なされる政田の仕事の基盤はすでに出来上がっている。

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プルーストは弾切れと思ったら、またまた、つばめさんから貴重なコピーをいただいた。やはりプルーストの翻訳者で『失われた時を求めて』の世界初(?)の個人訳を成し遂げた井上究一郎に関するもの。

『襍誌流域』第二十二巻第一号(青山社、二〇〇〇年三月)掲載の吉田城「忘れえぬページ—井上究一郎先生を偲んで」、および井上究一郎略年譜。前者は鈴木道彦氏による井上訳非難に関する内容。鈴木氏は井上の師である鈴木信太郎の子息。

略年譜によれば、淀野隆三の勧めに従ってプルーストを翻訳し始めたのが昭和六年。雑誌『作品』一九三二年三月号から久米文夫との共訳で『失われた〜』を連載する。それが作品社版『スワンの恋』(一九三四年)、『土地の名』(一九三五年)としてまとめられた。戦後の新潮社版にも共訳者として参加。一九七三年に個人訳『失われた時を求めて』(筑摩版世界文学大系)刊行開始。一九八四年から筑摩版「プルースト全集」の個人訳『失われた時を求めて』を刊行開始(〜八九)。さらに一九九二年には改訳新注個人訳『失われた時を求めて』(ちくま文庫)を刊行開始(〜九三)。一九九九年に九十歳で亡くなっている。

つばめさんが一番好ましく思うという井上訳による「コンブレエ」冒頭と枕の頬の部分。『心の間歇』(弘文堂書房、一九四〇年)より。例によって旧漢字は改めた。

《長い間、私は早くから寝(ルビ=やす)む習慣をとつて来た。時どき、蝋燭を消したかと思ふと、すぐ眼がふさがつて、「眠るんだな」と心に言ふ間もなかつた。》

《私は頬を、ぷつとふくらんだ、みづみづしい、自分たちの子供のころの頬つぺたのやうな、枕の美しい頬に、やさしくおしつける。》

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柳居子徒然さま
柳居子徒然たいへん面白く拝読いたしました。その他の記事も京都の事情がよく分かる内容で今後も愛読させていただきます。

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プルースト 6 さま
By way of ときましたか。contre なら当然 against だろうかと(手許の辞書もそうなっています)思い込んでいました。なかなかしたたかな英訳ですねえ。プルーストの文章はむろんコンブレエの方が飛躍的にいいと思います。

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冬越の垢を流して薯煮える

約御一名様に惜しんでいただいたので、拙吟、できるだけ継続することにした。田舎から馬鈴薯を送るという電話があった。あわてて昨年来の残り薯を煮て食べた。
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by sumus_co | 2007-02-22 17:55 | 古書日録

contre sainte-beuve

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もう少しプルーストについて。『contre sainte-beuve』(Éditions Gallimard, 1965, photo-graphisme h.cohen)。読んだと言えるほとんど唯一のプルースト。ただし途中で投げ出したまま。新潮社版『失われた時を求めて第七巻』(一九五五年)卷末年譜では

《一九〇八年 (中略) またこの頃より『サント・ブーヴに反駁す』を書き始める。これは『失われた時を求めて』に直接つながるもので、そのばらばらの断片をまとめて、ベルナール・ド・ファロワの編輯で、一九五四年に刊行(一巻)》

としてある。これはその文庫版。鈴木創士氏は『魔法使いの弟子』(現代思潮社、二〇〇六年)に収められた「長い長い不眠の物語」において『サントーブーヴに反論する』の冒頭を訳出しておられる。ごく一部を引いてみる。

《……その時代、私は夜の十時に床につき、何度か短く目を覚ますだけで、翌朝まで眠っていた。たいていはランプを消した途端にすぐさま眠りに落ちるので、眠るんだなと心に思う間もなかった。》

……, où j'entrais dans mon lit à dix heures du soir et, avec quelques courts réveils, dormais jusqu'au lendemain matin. Souvent , à peine ma lampe éteinte, je m'endormais si vite que je n'avais pas le temps de me dire que je m'endormais.

「コンブレエ」の出だしとほとんど同じではないか。ただし、この文章の前にもう一つ文章があり、その時代云々は七行目になる。これを読むと、先日引用した「コンブレエ」の最初の一文がどれほどの推敲を経たものか、素人なりにも多少は分かるような気になる。大きな違いは、動詞が半過去形で書かれていることだろう。ある意味、プルーストはしごくまっとうに「時間」を記述している。

また、「コンブレエ」では de bonne heure(早く)となるところが夜十時と特定されていること、および蝋燭がこちらではランプだというところにはちょっとひっかかる。プルースト・マジックなのかも知れない。

上記年譜によれば、モンクリフによる英訳は、一九二二年九月、プルーストが気管支炎で倒れそのまま帰らぬ客となる二ヶ月ほど前に刊行され始めている。で、もうひとつ、たしか「つばめ」さんに頂いたコピーだと思うが、新潮社版の月報2に淀野隆三が「その頃の思い出」という文章を寄稿しているのを見つけた。それによれば、彼ら四人が『失ひし時を索めて』の翻訳を開始したのは昭和四年(一九二九)の七月、淀野二十五歳、だった。

それを知った『文学』の同人で編集をしていた犬養健が、堀辰雄か永井龍男を通して、連載しないかと声をかけてきたそうだ。昭和六年に単行本として刊行され、それを読んだ親友の梶井基次郎が感想の手紙を寄越し、すでに触れたように長谷川巳之吉の非難、そして川端康成の擁護があった。しかしこの時点で淀野隆三はそれら論争の内容を記憶していなかった。反駁文をしたためたことも恐らく忘れていたのではないか。「その頃の思い出」はこう結ばれている。

《二十年という歳月は、プルーストではないが、私から怒りと喜びとを二つながら奪ってしまった。》

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本日は領収書の計算に終始。去年は思ったほど資料費(古書・新刊)を使っていない。やはり「引越」ということが頭にあったため買い控えたようだ。何だか物足りない。

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思うところあって俳句をタイトルにするのはしばらく止めることにする。

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岩田さま
3月16〜18日に上京する予定です。
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by sumus_co | 2007-02-21 21:30 | 古書日録

白き尾の別れを告ぐる余寒哉

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『プルウスト研究』I〜III(作品社、昭和九年七月、九月、十月)。これはもう一冊IV輯が出ているが架蔵しない。編集者が久米文夫、発行者が松村保、発行所住所が京橋区木挽町二ノ四。年八回発行の予定だったことが一輯のあとがきに記されている。

久米文夫という人についてもよく知らない。とにかく、このシリーズは久米がプルースト研究のエッセンスを集めた編集をしており、淀野隆三も参加しているが、三高〜東大仏文の人脈がメインになっているようだ。発行者が松村保となっていることについては、今後の研究課題であるが、どうやらこの時期、作品社は松村に援助を受けていたように思える。木挽町二丁目というのは現在の銀座三丁目(昭和通りの東側)で、奥村書店のある辺り。作品社は昭和八年から十年にかけてここにあった竹田ビルに事務所を置いていた。

[補注/第4輯のあとがきは小野松二が書いており、《なお「プルウスト研究」は久米文夫君が居なくなつたのでは僕が少し忙しくなりすぎるので誌代前納者の期待に反いて大へん申訳ない次第であるが本輯をもつてひと先づ休刊することにした。》とある。久米の動向が気になるところだ。]

またまた中島先生よりご教示あり。『作品ヂャーナル』(三笠書房、一九三八年十一月〜三九年十月、十三冊)の創刊号と二号、五来達訳「ゲルマントの方II」掲載、のコピーをいただく。深謝です。それにつけても、無知蒙昧にも、五来達ってペンネームと書いてから、あっという間にここまで情報が集まったということはネット時代ならではのことである。後は、現物で検証して行かねばならないが、それは、そろりそろりと参ろうということで。

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岡崎武志氏より電話あり。氏が執筆した読書論(光文社新書)、三月には出るそうだ。「読む人」をカットに使っていただけるとのこと、有り難い。

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Gさま

貴重なご教示ありがとうございます。いただいた情報などを整理してみます。

◉五来が昭和三年頃から翻訳しておいた「失はれし時を索めて」の存在を竹内道之助が聞き知り、『プルウスト全集』として昭和九年から十年にかけて五巻刊行した。十二〜十三年に普及版としても刊行。

◉同人雑誌『秩序』(秩序發售處、一九三二〜四年?)にプルーストを訳載していた斎藤磯雄らを加えて、『プルウスト全集』別巻一「若き娘の告白」(五来達・斎藤磯雄・近藤光治訳、三笠書房、一九三四年)を刊行。
斎藤磯雄

[参考]斎藤磯雄・近藤光治訳『若き娘の告白』/市立小樽文学館報

◉五来は「失はれし時を索めて」の未刊部分を『作品ヂャーナル』(一九三八年〜)に訳載するも完結せず。訳稿は戦火で焼失。

◉『若き娘の告白』(五来達・斎藤磯雄・近藤光治訳)を『愉しみと日日』(三笠書房、現代叢書、一九四一年)と改題して刊行。

◉『失われた時を索めて』(一〜三巻、五来達訳、三笠文庫、一九五三〜四年)刊行。

◉『見出された時/愉しみと日日』(現代世界文学全集第六巻プルースト、三笠書房、一九五四年)刊行。「見出された時」(五来達訳) 、「愉しみと日日」(斎藤磯雄・近藤光治・竹内道之助訳)となっていて、後者から五来の名前が消えた。

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プルースト 5 さま
Fernand Vanderem 検索してみましたが、面白そうな本を書いている人ですねえ。プルーストの読み方指導もなかなかのものです。ほんとに次々と知識がつながって行くのがウエッブ的 la Gaya Scienza といったところでしょうか。
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by sumus_co | 2007-02-20 20:02 | 古書日録