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カテゴリ:古書日録( 1362 )

インキと印刷

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組見本帳のついでにこちらも印刷関連の一冊、黒瀧慎三郎『インキと印刷』(東京インキ、一九二四年一二月二五日)を取り上げて見る。大正十四年だというのにタイトルが左から右へ書かれている。ただし奥付は右から左に横書きになっているが。

東京インキの前身は博文館印刷所の練肉部(明治二十八年創立)とのこと(本書の印刷も博文館印刷所)。大正五年、豊島区巣鴨に印刷インキ製造を目的とした合資会社日本油脂工業所が設立され、同十二年にそれが東京インキ株式会社となった。田端と巣鴨にもった工場も戦災で失ったようだが、戦後いちはやく復興し現在も盛業中である。(同社HPによる)

黒瀧慎三郎は東京インキ技術部長。他に『印刷・筆記用インキ製造法』(誠文堂新光社、一九三六年)の著書もある。

《蓋し、著者の本書に於て望みし所は、インキ技師と印刷業者諸君の簡潔にして要領を得たる参考書たらしむるにあり》

《要はインキ技師が彼の造るインキの一缶一缶が如何なる機械に懸けられて然して如何なる結果が得られる迄を充分に飲込んで居ると云ふ事が肝心で、亦印刷業者も其の使用する印刷インキが如何なる原料と方法で製造されて、如何なる特徴を有して居るか、此の印刷インキは斯う加工して使用すれば最も使ひ易くする事が出来ると云ふ事迄を詳細に知悉して居る事が必要で、製造者と使用者双方に此の考えがあつてこそ始めてインキ技師と印刷業者との間に技術上に於る意志の諒解が出来、従て比較的優秀なる印刷インキを印刷業者に提供する事を得る。》

要するに、インキは生き物である、質が悪いとか、値段が高いと文句を言う前にちゃんとした使い方を覚えてくれよ、とインキ製造者・黒瀧としては訴えたいようだ。当時の日本はいまだ上質な製品を造ることができなかったらしい。

《翻つて、吾国の斯界を看るに未だ見るべき製品少なく研究時代なりと称するも敢て過言に非ざるべく、故に之が製品も欧米製品と、比肩し得るものたらしむるには、印刷業者は印刷インキに多少の欠陥を看出すとも、之を直ちに製造業者に返却するが如きことなく、如何にせば満足に適用し得るかを充分に考究し、一方印刷インキ製造業は如何にして印刷業者に対して優良なる印刷に適するインキを供給し得るかを研究し、両々相俟つて優秀なる製品を製出することが、実に現在に於ける最大の急務であると確信する。》

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インキは知らないけれど、大学時代に絵具の製造工場を見学したことがある。マツダ絵具(松田油絵具株式会社)の工場だった(ということは埼玉県狭山市だったわけだ)。顔料と油脂を混合する機械があったのを覚えている。

また、一時期、画学生たちの間で、自分で絵具を造るというのが流行した時代もあった。大理石のパレットに顔料を出して、油を徐々に加えてガラスの練り具で混合してゆく。これも凝り出すとキリがなく、はっきり言って、絵なんか描いてる場合じゃないのだ。友達がやっているのを見て「おれはやらんぞ」と思ったのであった。
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by sumus_co | 2013-08-06 20:46 | 古書日録

海文堂書店閉店

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神戸新聞に「神戸の海文堂書店、9月末閉店 創業100年目前 経営不振」という記事が出た。慌てて確認したところ、朝礼で突然の発表だったらしい。

某氏より《海文堂さん閉店本決まり。取次入帳は8月一杯。9月一杯で廃業。閉店するらしいといふウワサは一寸前から聞いてたのでびっくりはしませんが、まあ、神戸も終わりましたね。》というメールも届いた。たしかに、いつ閉店してもおかしくないとF店長も常々口にしていたが、お茶目なF店長のことだからと、さほど深刻に受け止めていなかった。実のところ、よくぞ今までもちこたえてきた、と言うべきなのだろう。神戸が終わったというのは、ちょっとどうかな、変って行くと前向きに考えたい。

当ブログから主な海文堂書店関連の記事をリストアップしてみると、これまでたいへんお世話になってきたことが分かる。これらの他に拙著のフェアーや装幀展もやってもらった。心より感謝したい。F店長、ようやく古本屋になる夢が叶えられますよ。


海文堂書店の書皮
http://sumus.exblog.jp/7523559/

三箱古本市
http://sumus.exblog.jp/5855146/

海野弘トークショー
http://sumus.exblog.jp/6464833/

海文堂書店のレッテル
http://sumus.exblog.jp/7528190/

海文堂書店主催のワリカン新年会
http://sumus.exblog.jp/7981241/

ほんまに8号
http://sumus.exblog.jp/9618916/

古書探索の愉しみーー神戸の詩人を中心として
http://sumus.exblog.jp/11109814/

「神戸の古本力」トークショー
http://sumus.exblog.jp/5215936/

平野義昌さんの『本屋の眼』
http://sumus.exblog.jp/6191684/

読書の腕前 トーク&サイン会&一箱古本市
http://sumus.exblog.jp/6674543/

本好きガチンコ対決
http://sumus.exblog.jp/6859540/

口舌バトル無事終了
http://sumus.exblog.jp/6903621/

ブックイベントのたのしみ
http://sumus.exblog.jp/12409293/

本と女の子の本音?
http://sumus.exblog.jp/7587971/

海文堂書店のあれこれ
http://sumus.exblog.jp/9730710/

本をよむならいまだ
http://sumus.exblog.jp/9712287/

元町・古書波止場
http://sumus.exblog.jp/14399781/

「女子の古本屋」による「女子の古本市」
http://sumus.exblog.jp/15829924/


《謹啓
常々、弊社業務に多大のご支援を戴き、ありがたく厚くお礼申し上げます。さて今般、関連会社集約のため、弊社グループの書籍販売部門であります海文堂書店の営業を9月30日を以て終了させて戴きます。大変ご迷惑をお掛け致しますが、何卒ご了承下さいますよう、粗状を以てお願い申し上げます。 敬具》(さきほどメールで届いた挨拶状の文面)
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by sumus_co | 2013-08-05 19:57 | 古書日録

和文活字

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『和文活字』(大日本印刷、一九七一年)と題された活字見本帖。活字の歴史から活版印刷の手順、校正記号まで写真入りで解説されている。活版の教科書のような内容である。当時はまだまだ活版印刷が盛んだったに違いない(ただしこの見本帖はオフセット印刷)。

そう言えば、一九八〇年代後半に大阪の大きな印刷所の活版工場を見学したことがあった。当時はすでに写植が主流で、ワープロも普及し始めていたが、それでもまだ金属活字を使った活版印刷の需要は残っているというような説明を受けた。しかしながら、活版が実質的に終了してしまうのに、おそらく、そのときから十年は必要なかっただろう。同じ頃、写植屋さんの工房も見学したが、その写植もほぼ同時に消えてしまった。

一九七三年には《単体決算で米ダネリー社の売上高を抜く(世界最大の総合印刷企業に)》という大日本印刷が、この見本帖を発行した年の前後、どんな事業を行っていたか。HPの沿革から引いてみる。

1970 「ホワイト&ホワイト ライオン」でラミネートチューブを商品化
    磁気材料コーティング技術を確立

1971 PS版(感光層が塗布された状態の版材)を導入
    ホログラムの量産技術開発に着手

1972 シーティエス大日本を設立。電算写植システムを実用化
    ミクロ製品事業部に精密加工研究所を設置
   (現ディスプレイ製品研究所、電子デバイス研究所)

世界一の印刷企業としてずっと先を見通していたようだ。

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こちらは以前にも少しだけ紹介したことのある『組版ハンドブック』(凸版印刷、刊行年記載なし、おそらく大日本の見本帖と同じ頃か?)。内容はほぼ同じだが、活版印刷の説明は省かれており、もっと実際的なレイアウト・編集技術の例示に徹している。大日本のものより実用性がありそうだ。組版見本の見せ方も余白まで考慮に入れて非常に分りやすい(凸版印刷は一九六九年からコンピュータ組版に取り組み始めたという)。

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ただし本書の巻頭では原弘がはっきりと以下のように予言しているのには驚かされた。

《写真植字の出現は、たしかに文字印刷史の上では画期的な発明だが、どれだけに金属活字の地位、特色をはっきりさせた、ということができるだろう。世界的に見ても、書物の世界から、金属活字が消えるということはないだろう。》

トップ・デザイナーの歴史認識という観点から、これは歴史に残していい発言であろう。
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by sumus_co | 2013-08-04 20:54 | 古書日録

五百冊ばかりの本があれば…

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岡崎武志『蔵書の苦しみ』のなかに「「正しい読書家」とは?」と見出しのついた文章がある。「書棚には、五百冊ばかりの本があれば、それで十分というのが、吉田さんの口癖だった」(篠田一士『読書の楽しみ』)を主に引きつつ、西村孝次『休み時間の英文学』をも援用している。例えば、昭和十四年、諏訪町(新宿)に住んでいた頃の話。

《 「さて、その亭主[吉田健一のこと]の蔵書だが、それはかれの酒量と反比例を示していた。少なくとも当時はそうだった。ただ、そのなかに、ストレイチーのものだけは全部揃っていた。それが ぼくにはひどく羨ましかった」》(西村孝次)

このくだりを読んでいたので、昨日の古本あさりの最中、『文藝春秋 冬の増刊 爐辺読本』(文藝春秋新社、一九五三年二月五日)をめくっていると、口絵写真「一週間の顔 金曜日」(カメラ=樋口進、似顔絵=岡部冬彦)に写し出された吉田健一の書斎が目に焼き付いた。買うしかないでしょう。

ご覧のように、真冬なのでコートをひっかけて本棚にもたれ、膝掛けをして机に向かっている。机の上には原稿用紙。たしかに本の数は少ない。酒壜は当然として吉田茂の似顔絵(清水崑?)やランドセルが本棚にひっかけてあるのも気になってくる。

篠田は五百冊説についてこういう註釈を施している。

《「本は五百冊あればというのは、ズボラか、不勉強かとは逆に、よほどの禁欲、断念のはてに実現するもので、これを実行するには、並大抵の精神のエネルギーではかなうことではない。一日に三冊もの本を読む人間を、世間では読書家というらしいが、本当のところをいえば、三度、四度と読みかえすことができる本を、一冊でも多くもっているひとこ そ、言葉の正しい意味での読書家である」
吉田健一こそ「そういうひとだった」というのだ。》

たしかに、よく読み込まれた本や雑誌が乱雑に放り込まれた本棚という感じをこの写真から受けることは間違いない。

《篠田はまた、こうも書く。 「自分の書棚には、時に応じて、自在にページをひるがえすことができる本が、五、六百冊もあれば十分、その内訳が少しずつ変ってゆくというのが、いわゆる完全な読書人な のである」
 五、六百冊といえば、スチールの五段本棚にすると、三本分ほどの冊数か。しかも前後 二列にせず、すべて背が見え、いつも全貌が見渡せるのがこの数字。》

ま、吉田健一が完全な読書人かどうかはともかく、この増刊号には吉田の原稿も載っている。「宰相御曹司貧窮する」(一九五四年に同社から同名単行本が出る)。敗戦後の貧乏生活を事細かに描写したもので、読んでいるうちに(書いているうちにだろうが)だんだんと現実離れして横須賀線を転覆させて先輩文士連をあらかた始末してしまおう(そうすれば原稿依頼がこっちへ回ってくる)という妄想に発展してゆくあたりは『酒宴』など後の小説集を連想させるやや支離滅裂な内容だ。冒頭あたりにこう書かれている。

《金と縁がないといふのは金が少しも入つて来ないといふことではないので、入つて来ても直ぐなくなつてしまふといふことのやうなのである。そしてどうかすると、或る程度の纏つた金が入つてから次に又入るまでに何年もたつことがあつて、さういふ時は随分ひどいことになるものである。》

要するにパッパッパと使ってしまうがゆえの貧乏人、石川啄木や内田百閒と似たような人種である。そんな人種が大それた蔵書を蓄積するとは、少なくともこの文章を信じるなら、在り得ないことであろう。文末の方にはこう書かれている。

《教訓、貧乏はしたくないものである。爾来幾星霜、といふやうな次第で、この頃は幾ら何でも、それ程困つてはゐない。新橋の若竹に行けば、つけでいつでも飲ましてくれる。》

というような訳で、口絵写真に見るような書棚が形成されている、と考えたほうがいいように思うのだ。もちろん、いくら貧乏していても蔵書を持ちたい人は何としてでも持つ(吉田が何としてでも酒を食らうように)。吉田健一にとっては蔵書よりも酒宴の方に圧倒的な魅力があった、そういういことであろう。
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by sumus_co | 2013-08-03 21:46 | 古書日録

旅行用箱の研究

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ナサリー・ビイ・マックエワオン『先史時代より現代に至る旅行用箱の研究』(イセダ井商店熊谷大次郎、一九三七年一一月一二日)。いかにも珍品である。

《米国のラツゲツジ・アンド・レザーバッグ誌にナサリー・ビイ・マツクエワオン氏が先史時代より現代に到る旅行用箱の歴史と題して一九三六年乃ち昭和十一年一月より本十二年七月迄を十六編に分けて連載されてありました。処々を翻訳致して見ますと私等現業にも一脈通ずる事がある様なので其の全編を翻訳致しました。》

本文ガリ版(神田区駿河台・文精社、この会社は現在も印刷業として営業しているようだ)一五〇頁、写真四十二点を十六頁に貼付けて綴じ込んである。角背の上製布装函入り。

英文の著者名が分からないので著者については検索できなかった(コメント欄でご教示いただきました)。『Luggage and Leather Goods Magazine』、こちらも見つかった限りでは一九七〇年代まで同名雑誌は刊行されていたようだが、それ以上のことは調べていない。イセダ井商店は小林春吉『日本橋總覧』(日本魁新聞社、一九三九年)に掲載されている。名前からすると銀座に現存する「伊勢大商店」との関連を考えたくなるが、詳しいことは分からない。

タイトル通り旅行用箱や鞄の歴史を外観した内容。歴史研究としてはやや浅い(というか先史時代から考察しているので、どうしても浅くなってしまう)ながらいろいろ教えられる記述がちりばめられている。

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例えばトランクの語源について

《「トランク」なる語は「切り離す」(切り取る)といふ意味を表はす古ラテン語の「トルンクス」に由来する、古語方言辞典は、箱(チェスト)を棺(コッフイン)と釈義してゐる。棺中に収めたチエステイツドの意である。》

とか。箱に収めるのはまず死体であったか。またバッグの語源について

《古高独逸語のバルグはバック若しくは皮(ハイド)の意、古愛蘭語のバッギイは包み(束)或は荷物(梱)を意味してゐる》

などと書かれている。

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あるいは出エジプト記第二十五章についての記述。

《彼の神の指示に基いて造られた箱舟は、エジプトの旅行用箱(トラベリングチェスト)に酷似していゐる。『而して汝等、シッチムの箱舟を造れ、その長さ二キウビット半、その高さは一キウビット半たるべし、汝はそを純金にて作れ、内をも外をも。而して汝は金の輪四鋳造りて、その四隅に当つべし。その二を一側に、その二を他側に、次に汝はシッチムの材をもて桶板を作り、此れにも金を張れ、而して後、此の桶板を箱舟に作らるべき側板と竝べて輪にかくべし》

ここで「箱舟」と訳されているのは「櫃」(ark)であるべき。ただしかし、箱舟(Ark)が箱(ark)と似ているのは「なるほど!」と腑に落ちるしだい。

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もうひとつ、著者は日本の旅行用箱については一言も触れていないが、朝鮮の帽子箱には賛辞を惜しまない。

《朝鮮は今では最早、政治的区画ではなくなってゐるが、未だ明らかに一国をなしてゐた時には興味ある工芸史を有してゐた。旅行用箱に於けるその著しい構造は帽子箱(ハットボックス)であった。シカゴ、フィールド博物館の二個の非常に見事な標本は、その製作に費やされた技能、芸術を如実に示してゐる。男子の帽子は朝鮮人にとって正に頭部の覆ひ以上のものであったのである。》

《其故此等二個の特製の箱(ケース)は二人の上流社会の男子の所有に係り、祭儀用の帽子を収めたものであるが、特に朝鮮古代に於ける帽子箱(ハットボックス)の重要性を説明するものである。箱は八角形をなし、直径十八吋、高さ約十吋である。一は黒木で作り、側面及び天辺を真珠貝を用ひた美しき図案で飾ってあり一は濃淡の黄褐色をした竹紐の編細工が被せてあるものである。》

ということでフィールド博物館のホームページからここで述べられている見事なハットボックスの画像を探し出してみた。カッ(갓、笠子帽)が収められたということだろう。
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こちらは『「写真絵はがき」の中の朝鮮民俗』図録より帽子職人の写真。
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朝鮮の帽子箱など
http://blog.daum.net/klgallery/15683278
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by sumus_co | 2013-08-01 21:26 | 古書日録

明理詩集

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漢詩集の写本を求めた。題簽がほとんど読めない。ただ、巻末に奥付的な覚え書きがあって、それと考え併せて表題は『明理詩集』としてよいであろう。弘化二年(一八四五)の夏から秋にかけて成ったもののようである。五言絶句ばかり百五首が収められている。

詩の内容はご覧のように、柳下坐、夏夜、谷上花、遊松下、夏山、遊水、深山、憂酒、夏深、月夜、夏月、谷深、遊山上、遊愛宕山……と山や川で遊んでは酒をくらってばかり。「愛宕山」とあるから作者は京住まいだろうか。「望天星少夜名月出東山」という表現も出ている(東山は単に東の山かもしれないけれど)。また「竹林酌酒飲酔向南風眠 水冷声蝉静西山微日憐」ともあって、西山に竹林の多い山城国に符号するようにも思える。

ただし「北海」「山青々海緑見谷多花紅」などの語句からして海が比較的近い場所に住んでいたととれるところもあって、そうだとすれば京都とは考えにくだろう(あるいは単純に観念的な詩的用語かもしれない、全体的にそういう常套句の多い作風である)。

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弘化二年に何があったかというと、二月に老中水野忠邦が辞職(天保の改革の失敗)、イギリス船が琉球にやって来た(前年にはフランス船が来航しオランダ船が国書を持参していた)。江戸城本丸が落成(前年、火災により焼失)。高野長英が脱獄。幕府は崩壊へ向かって一直線に進んでいた。

そんな激動の時代にこんなのんきな詩集が写されていた。もっとも、のんきな詩集でなければ、書けなかったということもあるのかもしれない。
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by sumus_co | 2013-07-30 21:04 | 古書日録

諏訪優関係資料一括

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『第22回東急東横店 渋谷大古本市』目録が届く。この古本市、発送は代引きのみなので注文する気持ちがしぼみがちなのだが、それでも一応はハラハラとめくって、探し物が出ていないかをチェックする(と言っても、何を探しているのかは小生もよく分らない、チカッとするタイトルがないかなあ……と)。

するといきなり巻頭カラー頁に「諏訪優関係資料一括」および諏訪優旧蔵書と思われるものが掲載されていて、ギョギョっとした。以前このブログでも少しだけ言及したケネス・エル・ボードワンによる「アイ・ポエム」作品も出ているではないか。雑誌などから切り抜いた文字によるコラージュ詩である。

洪水 第3冊 Kenneth Lawrence Beaudoin (1913-1995)
http://sumus.exblog.jp/10168430/

諏訪優については『彷書月刊』299号(二〇一〇年九月)の目録頁で石神井書林さんが見事な回想を執筆しておられるので、先日の鶉屋目録に引続いて度々の引用で申し訳ないが、以下に転写してみる。

《諏訪さんは、田端にあった六畳一間の学生下宿に住んでいた。壁の全面を黒い布で覆っていて、そこにギンスバーク(だったか)のポスターが貼ってある。まるでジャズ喫茶のようだった。
 本宅は練馬だったが、その頃は一人暮らしだった。ちょっとしたお金が必要になると(たとえば展覧会の案内状の送料とか)、「少し本を見てよ」と呼び出されるのだが、評価も何もない。その「送料」を申し上げるしかないのだ。
 学生時代、仲のいい友人が田端に住んでいて、私には馴染みのある街だった。諏訪さんは昼から水割りを飲みながら「ウチボリ君のお店、やっていけそう?」と優しい笑顔で心配してくれる。私の答えはいつも同じだ。「スワさん、人のこと心配してる場合じゃありません」。
 帰り際になって、「そうだ、これを上げようと思っていたんだ」と、自分で綴じた自筆の一篇詩集とか、絵と俳句を書いたポストカードだとかを持たせてくれる。ああいうのが諏訪さんのダンディズムだった。
 何年かして、諏訪さんは谷中のマンションに引っ越した。今度は二人暮らしだった。大きな窓があって、ずっと下に何本も線路が見えた。そこを終の棲家にして諏訪さんは一九九二年に亡くなった。》

歿後二十年を経て、旧蔵品の核心的な部分が古書の世界に現れた。
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by sumus_co | 2013-07-29 20:00 | 古書日録

ターバンを巻いた娘

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マルタ・モラッツォーニ『ターバンを巻いた娘』(千種堅訳、文藝春秋、一九八九年二月二〇日、装幀=中島かほる)読了。原題は『La ragazza col turbante』( Longanesi, 1986)でマルタの処女短編集である。イタリア語や歴史を教える教師だったが、演劇に興味をもって劇評を書き、プルーストなどの作家論もものしている。創作意欲の起こるままに一年一作のペースで短篇を書き上げ、一九八三年に批評家のピエトロ・チターティへ送った(本書に収録の前半三篇で「ターバンを巻いた娘」を含む)。チターティはこれらの作品にすっかり感心してロンガネージ社から出版されることになり、世界各国語に翻訳される出世作ともなった。

《身ごもった妻を残して、ハーグの商人ベルンハルト・ファン・リイクは海へでてゆく。まだ会ったことのない得意先のデンマーク貴族ヘアフールエの城に、一点の絵をとどけるためである。》

《何日もの航海のあと商人は城に着く。はじめて会う年老いた貴族は、一人の若い娘と一匹の大きな犬といっしょに暮らしている。海に近い、謎(なぞ)めいた不安のたちこめる広大な領地。静かだ。何も起こらない。若い娘とのつかのまの対話のなかで、何かが起こりそうな気配がふときざすが、それも影のように過ぎてしまう。一切がすでに起こってしまったので、もう時間のなかで起こることはなにもない。すべて時間のなかで起こることは、青いターバンの娘の絵のなかの、あの時間の彼方の世界にひそやかに引き取られてゆく。》

……とこれは本書に挟まれていた新聞切り抜きより(掲載新聞紙は不明)。「"時間の彼方"の物語」と題された種村季弘による本書の書評である。

《生(なま)の時間がことごとく物語の音楽的無時間に転位されてゆく一方で、ほとんど意味というほどの意味のない物語のテクスチュアからは、時間のなかで起こり得るおびただしい出来事が想像を通じて生成してくる。》

たしかに種村の言う通りで間違いはないと思うが、小説としては描写力が弱く、妄想を紡いでゆくような感じであって、そういう意味ではマルタがプルーストに興味をもつのは分かるような気がする。フェルメールもプルーストの小説を通して知ったそうだ。だから絵についての蘊蓄などは一切出てこない。それは潔くて小説としては何の問題もない、というかレトリックの一種として成功している。

人間が描けているか、というとそれも型通りであろう。背景も人間も描けていないのに、なぜか、かえって、面白味のようなもの(ようなものであって、いわゆる面白さではない)が宿っている。そこが作者のもっともユニークな着想だろう。筋立ては、モーツァルトやカール五世の周辺を描いていかにも時代劇映画に向いていそうなのだが、そのストーリー展開への期待をことごとく裏切って物語は進む、物語が進むというより時間が進む。アンチ小説と言ってもいいだろう。むろん歴史読物やエッセイ風ではない。不思議な味の作品群である。千種堅の翻訳が手堅い。
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by sumus_co | 2013-07-28 20:32 | 古書日録

鶉屋書店

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東京都台東区谷中七丁目十八番地十三号にあった鶉屋書店の古書目録。発行日は記載されていないが、後述するように昭和五十三年のものである。

《改築のため永い間ご迷惑をおかけ致しました 誠にささやかな目録ではございますが 能うかぎりの極美本を選びました なお大変勝手なお願いでございますが 今回は御売約の品も特にお許しをいただき開店より三日間 当目録全品を店内に展示させていただきます 書棚にも精々お目に新しいものを差しいれます 何とぞ 御一覧を賜りますよう切にお待ち申し上げております》

《憶えば戦いに生き残り 遥々と帰りついた瓦礫の中から 古書店としての私の人生が始まりました 最初に売れた本が露伴の「五重塔」 何か因縁めいたものを感じます よいお客さま よい先輩 よい友達に恵まれながらも たどたどしく稔りの少ない道でした 古書もなりわいとなっては 一冊を願望することそれはすでに修羅です 最早や五十の坂を越えこれからの人生こそ私にとっては かけがえもなく貴重な附加というべきでしょう 所詮 修羅を負っての世界なら せめて思うまま信じるままに 何からも制約されることなく 自分の仕事を思いきりこの店の中で 楽しませてもらおうと心を括りました》

鶉屋書店飯田淳次については追悼集や評伝も出ているが、残念ながらまだ手にしたことはない。ただ、店には一度だけ入ったことがある。朝倉彫塑館を訪ねた帰り道、真新しい古本屋さんだなあ、と思ってふらふらっと入った。おそらく昭和五十四年だったはず。改装後間もない頃であろう。ガラスケースに稀覯本の詩集が収めてあったのが印象に残っている。「おや、こんな詩集が!」とまだ古本の世界にはさほど深入りしていなかったのだが、それでも知っているような有名な詩集が何冊もあったように思う(具体的には思い出せないけれど)。

この鶉屋目録は『第三回伊勢丹府中本店古本市』目録(二〇〇四年)に載っていた。石神井書林さんが出品していたのである。そこにこういう説明文が付いている。

《鶉屋書店は、谷中の一角にあった古書店。詩書の品揃えで知られた。昭和53年、瀟洒な店舗に改装し、その記念に作られた在庫目録。厚手の和紙を折り、24頁の冊子仕立てとしている。アンカット原装。掲載される詩集の189点はどれも逸品と呼べるものばかり。詩書を専らとする古書店は、これだけの品揃えをいっときに叶えるものかと思えば、我途は遥かに遠い。この二年後、つまり昭和55年に、私は初めて作った自店の古書目録を手に、鶉屋書店を訪ねた。思えばいい度胸であった。貧相な目録を、それでも店主の飯田さんは「これでいいんだよ」と言ってくれて、そのことがとても嬉しかった。「僕が君の歳にはまだ兵隊にとられていたんだから」、そう笑っていた飯田さんは、そのとき六十歳を目前。ところが、対面していた二十代の若造は、なんということ、今では五十歳を目前としている。改めて鶉屋書店古書目録を見れば、このラインナップは奇蹟なのかと、途方ない気持ちになる。昭和56年、飯田さんは病に倒れ、長い闘病生活を送る。そして、奇蹟のようなこの店を再開することなく亡くなった。》

う〜ん、そういう因縁があったのだ。文中「和紙」とあるのは石神井さんの勘違い、洋紙である。これを手に入れて、嬉しくて、湯川書房へ持参して、自慢しようかなと思った。そうしたところ、湯川さんは、一目見るなり「それは私が作ったんもんや」と言うではないか。鶉屋書店は湯川書房の本も扱っていたし、湯川さんは金策のため架蔵の詩集を売りに出かけたこともあるそうだ。こちらにもそういう浅からぬ縁があった。

言われてみると、たしかに湯川好みの仕上がりで、凝りすぎずに上品にうまく抑えてあると思う。表紙の書影は別刷りで貼付けになっている。これも上手い。一八九冊目、書目の末尾に湯川書房の本、高橋睦郎『頌』(一九七一年)が掲載されているのは、鶉屋さんによる湯川さんへの御礼、あるいはオマージュであろうか。


三稜亭敬白
追想 飯田淳次
「塚本」本を語る上で、書肆季節社の社主・政田岑生と古書肆鶉屋主人・飯田淳次を外すことはできない。

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by sumus_co | 2013-07-26 22:58 | 古書日録

水蜘蛛

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『乾河』67に掲載された冨岡郁子さんの「展覧会『パリの本屋さん』」に登場する古書店ポン・トラヴェルセの店主マルセル・ベアリュの代表的著作『水蜘蛛』(田中義廣訳、エディシオン・アルシーヴ、一九八一年一〇月一〇日、装幀=羽多良平吉他)の裸本を入手して読んだ。実際はゴージャスな飾函がついており、明らかに函の方が価値が高いと思われる。

表題作の「水蜘蛛」がよく書けている。カフカの「変身」に類似したメタモルフォーゼが主題だが、そこはフランス人らしく色っぽい仕掛けになっている(その分、深みには欠ける)。

一九〇八年、ベアリュはロワール河流域のセル・シュル・シェールに生まれ、ソーミュールで幼年時代を過ごした。パリへ出た後、一九三一年モンタルジス県のモンタルジスという町で帽子屋になった。三二年に処女詩集を刊行。三七年にマックス・ジャコブと知り合ったのをきっかけにジャン・コクトーをはじめ多くの詩人たちの知遇を得た。

一九四五年、パリに戻る。まず郊外のサンジェルマン・アン・レイで古家具店を営み、次いで四九年、パリ七区のリュ・ド・ボーヌに古書店「Le Pont traversé」(ジャン・ポーランの小説のタイトルだそうだ)を開店。サン・セヴェラン寺院の近く(ソルボンヌのそば)に移転した後、ヴォージラール通り六十二番地の肉屋だった建物に移った(現在もそこで未亡人によって営業中)。五五年より雑誌『秘密の現実 Réalités secrètes』をルネ・ルージュリ(René Rougerie)とともに刊行(〜七一年)。九三年歿。

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田中義廣「ベアリュを訪れて」に付されている写真より。ベアリュと若妻のマリー・ジョゼ。

《マルセル・ベアリュ氏は現在、パリ、リュクサンブール宮殿の近くで「ル・ポン・トラヴェルセ(渡られた橋)」なる看板を掲げた古書店を営む。かねてより彼の作品を愛読していた私は、一九七九年夏の訪問以来ふたたび渡仏して、八〇年秋、彼のもとを訪れた。文学(特に幻想文学、シュールレアリスム、詩)と美術書を専門にしたこの店で彼は忙しく働き、執筆は午前中にするという。原稿を清書するタイプライターのリズムに合わせて、豊かなバリトンの声で歌を口ずさむベアリュ氏は元気そうであった。
 彼と彼の若き伴侶マリー・ジョゼに迎えられた私は、二階の住居へ案内された。皮表紙の貴重な蔵書が収められたガラスケースを踊り場に見、献呈本がところ狭しと並ぶ廊下を通り抜けて居間に入る。ベアリュ氏自身の手による水彩画が収められたその部屋で、この日、私たちはゆっくりと語りあうことができた。》(ベアリュを訪れて)

函の写真を探し出した。ここに幅広の帯が付く。
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版元のエディシオン・アルシーヴにも興味を覚える。巻末の書目を見ていると、ド・クインシー『芸術としての殺人』(川島昭夫+法水金太郎・共訳)というのがあった。これは、これは、びわこのなまず先生と古本邪鬼横山先生のコンビではないか(!)。本書の編集人は訳者夫人の生田智恵子で、検索によれば生田耕作の姪にあたるそうだ。季刊誌『ソムニウム』という雑誌も刊行していた(四号まで?)。エディシオン・アルシーヴに要注意である。
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by sumus_co | 2013-07-24 20:38 | 古書日録