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カテゴリ:古書日録( 1362 )

廣韻反切圖表稿

『四声解環』に詳しいコメントをくださったMakinoさんより御著作『廣韻反切圖表稿』『廣韻反切圖表稿附属常用漢字』の二冊(二〇〇七年)、および「中国の言語と文字」(『広漢和辞典』索引より)を頂戴した。中国語に熟達しておられるとはお見受けしていたが、韻学がご専門だったのだろうか(違いました)。何しろ韻にはまったく疎いもので、チンプンカンプンながら、解説文を読みつつ、漢字の音韻について基本的知識をお茶漬けのようにかき込んだ次第。おぼろげにしか理解していなかったものがかなりクッキリとしてきたのは確かだが、これを極めるには一生涯あっても足りない。

内容は文字通り『廣韻』の「反切」を「圖表」にした稿ということである?! ご本人に解説していただくのがいちばんだろうが、一応最初の頁を掲げておく。「廣韻」(こういん)は中国で十一世紀の初めに成立した韻書。巻首の記載によれば26194字を収め,注解の文字191692個に至るという。

最初の「歌」の列の「歌」のところは「古俄 歌 ge」となっているが、この「古俄」が要するに「反切」(別の漢字の子音・母音によってある漢字の音を表すこと)である。古(gu)+俄(エ、e)=ゲ(ge 歌)[アクセント記号は略]。

漢典/哥的解释|哥的意思|汉典“哥”字的基本解释
http://www.zdic.net/z/16/js/54E5.htm

これらをどう使えばいいのか、使わなくてもいいのか、はよく分からないけれども、とにかくたいへんなものである。深謝。

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頂戴して思い出した。そう言えば、買ったまま何年間も放置してある字書があった。それは『新刋校正増補円機詩韻活法全書』(積徳堂、延宝癸丑=一六七三年)七冊十四巻。明代の作詩用の辞書を日本で版刻したもので、早稲田大学には坪内逍遥旧蔵『新刋校正増補円機詩韻活法全書』が所蔵されている。パッと見たところ同じような版面だが、早稲田本の版元は京都の八尾友春(出版年不明)だとか。漢字の意味や用法を平仄によって分類してある。だから漢詩を作る時にはたいへん便利である。ただし、これも通しの索引がないため、四声の別を知らない漢字ははじめから探さないといけない。なるほど、だからこそ『四声解環』の和訓で引けるという機能が便利だった、と、そういうわけだろう。

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この字書で下平声の五歌を披いて見ると、「歌」の反切は「岡何」(gang+he)となっている。歌と同じ列の「多」も「得何」ではなく「當羅」。『廣韻』は中古音だから明代と表記が違って当たり前なのだろう(素人考えです)。

蛇足ながら、この字書は百円均一から拾い出した。
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by sumus_co | 2013-08-21 21:56 | 古書日録

新アルセーヌ・リュパン

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Boileau-Narcejac『Arsène Lupin Le secret d'Eunerville』(LE LIVRE DE POCHE POLICIER, 1973)すなわちボワロー=ナルスジャックによるアルセーヌ・リュパン(ルバンとも)のパロディ・シリーズの一冊を頂戴した。

推理モノには疎いので初めて知ったが、ボワロー=ナルスジャックはピエール・ボワローとトマ・ナルスジャックという二人のフランスの推理作家が使った共同の筆名だそうだ(というか、それぞれの名前をつないだだけだね! いちばん最初は Alain Bouccarèje と名乗っていたようです)。一九四八年にボワローがナルスジャックの冒険小説大賞受賞式に参加したとき、二人は出会い、意気投合。一九五〇年から二人で共同執筆という新しい作家活動を始めた。彼らの作品のほとんどは映画化されている(あるいは映画のために書かれている。日本のドラマにもなっているので詳しくは日本語のウィキ「ボワロー=ナルスジャック」を参照されたし)。

新リュパン(第二の顔 Le seconde visage d'Arssène Lupin)シリーズは七〇年代に彼らがル・ブランの著作権者の許可を得てパロディとして書き始めた。日本でも新潮文庫などから邦訳が出ている。

送って下さった方はボワロー=ナルスジャックよりも、この表紙の作者、ピエール・フォシュー(Pierre Faucheux)の装幀がお好きだとのこと。フォシュー(1924-1999)はフランスのタイポグラファー、デザイナー。戦後のシュルレアリスト・グループにも関係したようだ。いくつかの出版社で働いた後、一九六三年に自身のアトリエ(l’Atelier Pierre Faucheux)を設立、リーヴル・ド・ポッシュの表紙デザインを多く手がけるなどフランスの出版界で重要な足跡を残した(代表作としてはジャック・プレヴェールの『パロール』など)。

《表現が"悪趣味"に陥らないところにふみとどまっている"様(さま)"を見ていて楽しく思うものです。昔、〜5、6年前〜まではそれこそブラッサンスできれいなのがいくつもあったものですが、それがもう田舎の蔵出し市でやっとこのようなのが"めずらしく"見つかる、という感じです。》

七〇年代は遠くなりにけり……ですか。
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by sumus_co | 2013-08-19 21:00 | 古書日録

四声解環

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皐門訳註『四声解環』巻之上下を頂戴した(上下で一冊になっている)。深謝です。頂戴したものは序文と奥付を欠いているが、上の画像は欠落している封面と序の最初の頁で、欠落を補う意味で画像をも頂戴したのである。本書は早稲田大学図書館に完全なものが所蔵されているようだ。

四声解環. 巻之上,下 / 皐門 訳註
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko30/bunko30_e0431/index.html

早稲田所蔵本によれば、源文伯による序の日付は安永庚子(一七八〇)春二月、中川有叙による序の日付は享和辛酉(一八〇一)冬十月、奥付は文化元年(一八〇四)甲子夏四月。版元は浪華書肆(山内五郎兵衛/柳原木兵衛/三木佐助)、帝都書肆(植村藤右衛門/加藤新兵衛/林権兵衛)。安永オリジナル版に増補した内容のようである。

四声解環とは何か? 四声は漢字の中国発音、去・入・上・平と四種ある。解環は…手許の辞書には載っていなかったが、四声の区別を丸で示している、すなわち四声がよく分るという意味だと理解する。

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内題につづいて校閲者の名が並んでいる。驥士良は皐門先生の子息。第二の序を草している丹州・中川有叙(別号周策、文政八年一八二五、歿)は丹波の郷士の中川家に連なる人物か? 阿州・美馬璞は? 蔵印は「伊澤氏図書信」。
 
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要するに見出し漢字に丸印が四声に応じて付記されているということ。

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漢字の配列は、和訓のみの五十音順(!)だ。となると、さて、これはいったいどういう時に使う辞書なのだろうか? ア部の最初の漢字「アザヤカナリ」には四種類の文字が挙がっており、平声は「鮮」だけだから、漢詩を作るときに、平仄(ひょうそく)の参考にしたのだろう……(封面に「詩文重宝」と明記されていました!)。ただし、どう考えても、音でも引けないと使い勝手は良いとは言えないように思う。タテが十センチ余りの豆本である。おそらく昔の人はこれを常に携帯しておおよそ覚えてしまったのかもしれない。
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by sumus_co | 2013-08-18 20:43 | 古書日録

北方文明史話

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中島峻蔵『北方文明史話』(北海出版社、一九四二年一二月二五日)。これも下鴨にて。昭和四年に初版が出ている。そこへ二十六章を新たに加えて九十七章にして再刊したもの。装丁は初版と同じ菅野利助。函館水産学校教授だが、版画家としても活躍したようである(北海道立近代美術館蔵・菅野利助「停車場通りの冬」1928年)

北海道についての様々な事柄を取り上げたエッセイで、なかなか読ませる。例えば「チエーホフの流刑地紀行」。チェホフが突然思い立って樺太旅行を決行したのは一八九〇年。当時、帝政ロシアの監獄が六ヶ所あったサガレン島(サハリン、樺太)に三ヶ月と二日滞在した(ロシアが領有を宣言したのが一八五三年、全島をロシア領としたのが一八七五年、日本が取り返したのは一九〇五年で以後南半分を領有)。

《紀行サガレン島は一八九三年(明治二十六年)十月からルスカヤ、ムイスリにペンを執り、翌年七月号まで続いた、彼は親友へ「サガレン全島の充分な詳細な住民調査を行ひ死刑の外は一切のものを見ました、お目にかゝつた時、旅行鞄一杯の囚徒に関する材料をご覧に入れます」と便りしてゐる。チエーホフのサガレン島は、暗黒の島に天日を齎したと云はれた、彼がこれを発表するや、直に知識階級の一部に徒刑囚待遇の改善運動が起きた、それが政府をも刺戟した、チエーホフのサガレン島は忠実な報告書であつた丈け、地獄絵の現実をモスコーに伝へたことになり、当時のロシヤに大きな波紋を与へたのであつた。》

地名の起源、これなどは当地の人には当たり前なのかもしれないが、あまりこういう文献を読んだことのない小生には新鮮にうつる。

《札幌、小樽、旭川等の大都市をはじめ、多くの町村の名が、付近の川に関係があるのも面白い。即ち札幌は乾燥広大の陸地を意味する。昨日の淵は今日の瀬となり、瀬は更に河床を現はし、やがて平野に変じたのである。小樽はオタナイ即ち沙川で、石狩郡と小樽郡の境にある川である。オタルナイといふのは誤である。松前藩は、オタナイの支流マサラカオヤプに住んで居たアイヌを、今の小樽市入舟町にあたるクツタルシの地に移して、小樽場所を開いた。爾来、春風秋雨幾星霜、遂に今日の大都市となつた。
 室蘭はモルエランホトエウシで、小坂を下り、舟を呼ぶところの意味である。昔、山道が未だ開けなかつた頃のこと、絵鞆のアイヌが小舟でこの地へ猟に来ての帰り、小坂を下り、ホトエウシの岩に上り、絵鞆の舟を呼びそれに乗つて帰つたからであると伝へられる。》

他に、稚内は「ワツカ、ナイ」で「飲水の沢」の義、給水を意味するとか、網走はアイヌ語「チパシリ」から転訛したもので「チパシリ」は「我等が発見したる岩」の義、往時、網走湖畔に白い岩があり、その形が笠を冠って立つアイヌの姿に似ていたから、あるいは「アバシリ」は「船の出入口の陸地」の義で、樺太へ通う船の出入口だったためとも言われているとか。

ウポポという熊祭の際などに歌われる歌詞が採録されている。これがいい。普通には婦人たちが歌うものとしているようだが、本来は男性のものだったのだろうと著者は推測している。

 雄鹿の群声を挙げて啼けば
 雄犬は声を挙げて吠えるよ
 北風が急に爐端へ吹いて来て
 灰が雲のやうに空へ舞ひ上る

  *

 わしは大層大きな鯨だから
 庭の上から
 冷い空気や風に
 吹き上げられる

  *

 ワオーイ ワオイ
 乾魚の荷六つの荷が
 此処にあつたのに
 誰だ盗んだのは
 ワオーイ ワオイ

  *

 海の上で雄の小鳥が
 今にも沈みさうになつてゐる
 浜の砂の上で
 雌の小鳥が
 泣叫んで助けを求めてゐる

  *

 アヨロ村の広庭で
 いつも神々が遊んでゐて
 ピカピカ光る
 カラブト村の広庭で
 いつも神々が遊んでゐて
 ピカピカ光る
 
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by sumus_co | 2013-08-17 21:33 | 古書日録

追憶の哲理とグレちゃん

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キェルケゴール『追憶の哲理』(吉田健一・堀田善衛訳、一九四八年、装幀=高橋忠弥)、これも下鴨にて。かつて、吉田健一本のなかでは見つけ難い一冊だと西村氏が教えてくれた(今「JADOB」に一冊出ている)。すでに架蔵しているが(二〇〇五年に大阪第三ビル地下で購入)、買わないわけにはいかないだろう。自分のブログを検索してみると同じ装幀のキェルケゴール『懼れとをののき』(鬼頭英一訳、大地書房)も買っていた。

《一つの秘密を織りなしてゆくことほどに美しい憂ひはまたとあるであらうか。この秘密の愉しさの中にはえも云はれぬ魅惑がある。しかし秘密が諸君に少しでも似つかはしくないものである場合はこの愉しみは何と多くの不安を含んでゐることだらう。しかし若し実際に、一つの秘密が何の危険もなしに持ち運ぶことができ、かつ人に譲渡しうべき一つの財産の如きものになりうると信ずるならば、それは間違ひだ。何故なら、実に昔から「糧はこれを食ふものに存す」と云はれてゐるからである。そしてこの秘密から来る愉しみは、この秘密を洩らすといふ危険だけにしか諸君を曝さぬと思つたら、それも間違ひだ。何故なら秘密であることを忘れないといふ責任がついてまはるからであり、又これが人々が、事を半分しか思ひ出さず、かつその魂を傷んだ荷物の仮の溜り場にしてしまつたことに対して嫌悪をしか感じないことの理由である。他人の前にあつては、忘却は人々が自ら閉ぢる絹の幕(とばり)であり、そして思ひ出は幕のうしろに身をかくす聖らかな処女である。忘却は幕の内側にもなほ存在し、これを思ひ出すべき真の思ひ出をわずらはさなくなるまでいつまでも存在するのである。》(前言)

さすが、翻訳としてはじつに調子の良い名文だと思う。吉田の名前は出ているが、堀田が全体を訳した、その後で吉田と一緒に訳文を検討した、というふうに「あとがき」には書かれている。

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『日本古書通信』1009号(二〇一三年八月一五日)にグレゴリ青山さんの漫画が載っていた。『彷書月刊』かと一瞬目を疑った。題して「京都記憶捏造古書店」……これが、笑える。扉野良人氏登場(!)。かつてこのブログでも紹介した草木米穀店も登場。グレゴリさんの実家はこの近くだそうだ。
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by sumus_co | 2013-08-16 21:02 | 古書日録

石版絵葉書

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こちらも下鴨での収穫。絵葉書を集めているわけではない、が、安い絵葉書箱があるとつい何かないかと探してしまう。安い絵葉書は風景写真(日本各地の観光名所の類い)がほとんど。とは言え、一昔前と較べれば、絵葉書はベラボーに高くなっている。

名所絵葉書でも、テーマ(例えば特定の土地だとか、特定の建物やモニュメントなど)を絞れば楽しめるだろう。今のところ、そういうテーマも持ち合わせないし、たまさか、讃岐関係があれば買うかもしれないという程度だ。ただ美人絵葉書は買っておくことにしている。美人はいつの世にも人気があるようで、絵葉書と言えどもそれなりのお値段。にもかかわらず、これは二百円だった。高いと思えば高い。例えば美術館の新刊ポストカードは100〜150円ほど。しかし、お買い得と思えば、たいへんお買い得だろう。何しろ百年以上も昔に作られたものだから。

この絵葉書、情報が何も記載されていないので、詳しい人(生田誠氏ですが)に尋ねないと分からないながら、石版刷(リトグラフィー)のようである。拡大しても凸版のような網目は見えない。石版なら手書きである。じつに繊細なタッチ。小生、もし「お前、やれ」と言われても、労力を考えると割に合わないので、引き受けない。

色刷は手彩色かと最初は思ったが、よく見ると簡単な版式による印刷のようだ。葉書の用紙にも細かい格子のエンボス(凹凸の型押)が入っている。美人十二ヶ月どこそこの菖蒲園(江戸なら堀切)……というようなシリーズものの一枚かもしれない。
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by sumus_co | 2013-08-13 20:19 | 古書日録

天野大虹短冊・慈姑

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今年の下鴨の収穫と呼べるものは、これくらい。天野大虹(隆一)の自筆短冊である(写真は上部を欠く)。

天野には詩画集もあるが、架蔵しないので河野昭仁『詩のある日々ーー京都』(京都新聞社、一九八八年)より事蹟などを引用しておく。

京都美術工芸学校から絵画専門学校に在籍。桂女子専門学校、戦後は日吉ヶ丘高校で教える。
大正十二年二月 詩誌『桐の花』同人として創刊(〜5号)
大正十四年一月 詩誌『青樹』天野隆一編集にて創刊(〜55号)
昭和二十四年五月 コルボウ詩話会を天野忠、田中克己、本家勇らと結成
昭和三十六年六月 詩誌『RAVINE』創刊

もう少し詳しい履歴は「天野隆一(大虹)と関西の詩人たち」(高橋輝次の古書往来)参照。また天野には以下のような著作がある。他に詩集『青い旗』があるようだが、それについてはご教示を乞う。

『公爵と港 : 詩集』青樹社、一九二八年
『紫外線 : 詩集』青樹社、一九三二年
『詩集 雲の耳』文童社、一九五一年
『山 天野隆一詩画集』文童社、一九六七年
『京都詩人年表』RAVINE社、一九七三年
『詩画集 石人』文童社、一九七五年
『手摺のある石段』文童社、一九八七年
『京都詩壇百年』文童社、一九八八年
『京都の詩人』共著、教育図書、一九八九年
『天野大虹作品集 画と詩』同刊行会、一九九二年
『八坂通り』文童社、一九九三年

絵画作品としては以下の二件くらいしかヒットしなかった。

正月飾りと天野大虹
http://d.hatena.ne.jp/manrayist/20100109

四季花に小禽図 天野大虹
http://www.jingudo.com/kc/63.html
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by sumus_co | 2013-08-12 21:06 | 古書日録

FISCHER BUCHEREI GESAMTVERZEICHNIS 1962

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フィッシャー叢書の総目録。この表紙がなんともいい感じ。四月に紹介した「インゼル叢書 富士川英郎旧蔵書!」などとひとまとめになっていたので、おそらくこの目録も富士川英郎旧蔵ではなかろうか。
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by sumus_co | 2013-08-10 20:53 | 古書日録

トウケイ

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『トウケイ』第二号(鳥取県統計協会、一九三六年七月三〇日)。この表紙がすごい。ロトチェンコかと思った(!)。久々のジャケ買い。残念ながら作者名は記載されていない。

鳥取県統計協会は県庁統計課内にあったようだが、この雑誌は誌代一部十五銭で商店広告も載っているから、一般雑誌と同じような扱いだったのかもしれない。編集兼発行人は犬丸實(同県統計課長)。当時の知事は立田清辰(たつたきよとき、第二十九代、昭和十一〜十四年)。

さまざまな統計に関する記事があるなかに、昭和十年施行の国勢調査による確定人口が掲載されていた。

全国 69,254,148
東京府 6,369,919
大阪府 4,297,174

続いて北海道、兵庫県、愛知県、福岡県、新潟県、静岡県、神奈川県、広島県、長野県という順位で、次が

京都府 1,702,508

である。そして当の鳥取県は全国最少だった。

鳥取県 490,461

なお鳥取県の平成二十五年七月一日現在の推計人口は578,052人。二〇一〇年の国勢調査でもやはり全国最少である。

日本一もある。二十世紀梨。《栽培反別は約三百五十町歩で九十万貫[3,375,000kg]を産し、価額四十三万円に達している》。それが平成十八年には17,200,000kgでやはり二十世紀梨の生産量では日本一(ただし、二十世紀梨が全ての梨の生産量に占める割合は約一割である)。

他に裏話的なコラム欄にいくつか変った数字が出ている。まずは自殺者数(「ブランコ乗り」と呼ばれていた)。昭和十年、既遂83名、未遂32名。これが平成二十三年では147名である。人口倍率は約1.18倍だから、既遂だけで較べると、現在の方が自殺率はかなり高いということになる。

また、昭和十年中における火災度数は142とある。平成二十四年における建物だけの火災発生数は136。これは減っていると考えていいだろう。

他には鳥取市の娼妓数76名(昭和十年末)、貸座敷数46、遊客人員69,096、消費金額242,330円、一人当たり消費額3円51銭。昭和十年、映画館の入場者数は1,013,784人、県民が一人当たり年に二回半見たことになる。観覧料は最高50銭、最低5銭。ざっと180,000円の興行収入があったとしている。……トウケイ数字というのも、なかなかに興味深いものである。

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表紙4の広告「鳥越呉服店 鳥取市智頭街道筋四ッ角」。これは検索すると鳥取市元町102のようで、現在も鳥越呉服店として登録されているようだ。他にはこういう情報も得られた。

鳥越すゑ(1897~?) 早川氏、(鳥越すえ)。鳥越呉服店。政治家(鳥取市議会議員)。参考資料:山陰評論。
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by sumus_co | 2013-08-08 20:34 | 古書日録

集書日誌 高橋新太郎

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ロードスさんで『彷書月刊』のバックナンバー、架蔵していないと思ったもの、四冊ほど買った。帰宅してバックナンバーを見てみると、持っていないのは一冊だけだった。しかも、このとき初めて鞄の中に『彷書月刊』バックナンバーのリストを入れて持ち歩いていたことを思い出した。モウロクはしたくないものである。

あちらこちら斜め読みをしていて、高橋新太郎の連載「集書日誌」に『牙』の書影が出ているのが目に留まった。「「神戸詩人事件」関連詩誌II」(一九九六年九月号)。

《月の輪書林から詩文冊志『牙』九冊(季刊昭和9年1月〜昭和11年9月)を入手した。》

高橋は《当面の小生の関心事は、小規模ながら自覚的に反ファッショ文化運動を持続させた竹中久七・高橋玄一郎・藤田三郎らシュールレアリスム詩人達の「『リアン』芸術運動」との対比において「神戸詩人事件」を相対化しようとするところにある》と書いてこう続ける。

《十五年戦争の経緯の中でかつて旧来の抒情詩人たちを〈無詩学時代の詩人〉として貶しめていた主知的なモダニズム詩人達のほとんどが、自己の詩法を捨てて、戦争謳歌の注文詩を書き、こぞって、厳しい漢語や古語を多用した古い文体の詩を、〈をらびの詩〉を護身の呪文のごとくに大合唱した、あのダミ声の季節の中で、それが小規模であろうと、どのようにささやかなものであろうと、自己の詩を保守し反ファシズムの文化運動を持続させようとした試みは、貴重な遺産として記録されるべきだろう。》

そして《ささやかな抵抗なるが故に、常民にも可能性として持続し得る抵抗として重い意味をもつ》と結んいる。『牙』については季村敏夫『山上の蜘蛛』(みずのわ出版、二〇〇九年)および『窓の微風』(みずのわ出版、二〇一〇年)にも詳しいので、興味ある方は参照されたし。

高橋新太郎文庫
http://www.noracomi.co.jp/takahashi/

この時期の『彷書月刊』はほとんど読んでおらず(だから今バックナンバーを集めているわけだが)、「集書日誌」もこれまであまり読んだ記憶がない。今、あらためて読み始めると、これがなかなか面白くて止められなくなりそう(なので探すのをやめた)。高橋新太郎文庫サイトの「掲載書籍一覧」によれば、『彷書月刊』一九八八年五月号「フェノロサ氏演述 大森惟中筆『美術真説』のこと」から三ヶ月つづけて寄稿したのが最初で、集書日誌は九二年一〇月「桐生でボン書店本に出遭う」から始まったようだ。最終回は「集書日誌75 京阪神の戦後誌ほか 月の輪書林古書目録から」九九年一〇月号。すなわち『sumus』のメンバーが『彷書月刊』に関わるのと入れ違いのようなかたちになっている。

しかし高橋新太郎の名前ははっきり記憶していた。その理由は二〇〇三年三月号に掲載された月の輪書林高橋徹による「新太郎さん」という追悼文が秀逸だったためである。

《会ったことも飲んだことも数回しかないのに、新太郎さんから注文のハガキが届くと、まだぼくは古本屋でいていいんだという思いにさせてくれる数少ないお客さんの一人だった。
 「虚を突く」注文が好きだった。読めるようで全く読めない。書目を並べているのは古本屋であるぼくなのに、新太郎さんの注文ひとつでその本が生き返り、眼を開かされる。独創的であり、独走の人だった。
 ぼくは、間違いなく新太郎さんの注文ハガキによって古本を見る眼を鍛えられた。》

《店の机の横の、古書目録を書くための資料棚。最上段の左端に「新太郎さん」と背にマジックで書きつけた一冊がある。『月の輪書林古書目録12 特集・寺島珠雄私記』(平成十三年四月)段ボール二十函分の注文を新太郎さんからいただいた時の「荷出し用」の一冊。背はヤニで黄ばみ、小口は手擦れで真ッ黒だけど、記念にとっておいた。個人で、身銭を切って段ボール二十函分の注文は今後も破られることはない、いや、誰かこの記録を破って下さい。》

《二人で三崎町のバーへ行った。三好十郎に魅かれるのはどうしてですかと聞いたら、「ぼくは意志が弱いから意志の強い人にあこがれるんです」と。新太郎さんは、とても意志の強い人に見えたから意外で、とても印象に残っている。》

ここを読んで、ハッとした。先に引用した《常民にも可能性として持続し得る抵抗》ということの意味が「ぼくは意志が弱いから意志の強い人にあこがれるんです」という言葉によって、よりはっきりと心に響いてくるように思えたからである。
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by sumus_co | 2013-08-07 21:29 | 古書日録