林蘊蓄斎の文画な日々
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カテゴリ:古書日録( 1362 )

竣介余韻

洲之内徹の流れで大川榮二『美の経済学』(東洋経済新報社、一九八九年三刷)を読んでいると、松本竣介のアトリエ写真が出ていて驚いた。あわてて生誕100年展の図録を繰って記録写真の頁を見ると、アトリエの前および内部で竣介を撮った写真はいくつかあったが、これらは収録されていなかった。歿後の写真でもあるし、それでいいのだろうが、竣介ファンには貴重な記録である。大川氏は竣介のコレクターとして知られる人物。大川美術館を設立した。

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《それは秋も深まった昭和四十八年のある日だったか、下落合の松本禎子さんから大阪の拙宅に電話があり、「アトリエが傾き補修困難のため取り壊すことになったが、その前にぜひお知らせしたい。もし上京されるならその時まで工事を延ばしたい」とのこと。年末を控え、あまりに忙しい仕事に埋没していた私だったが、何か肉親の弔報をつきつけられたような焦燥感と限りなき愛惜がふき出し、どうにかスケジュールをやりくりし三日後上京した。》(竣介余韻、以下同)

昭和四十八年! その頃までアトリエがあったのだ。小生が大学入学のために上京する前年である。

《さて、上京の晩は夫人のご好意で、最後のアトリエの客人として、竣介愛用のベッドで泊まったものである。約一二坪半ほどの広さで、竣介の絶筆の一つである「彫刻と女」、中期の代表作「黒い花」を初め、一〇点位の絵が雑然と、しかし何気なく整理され、大きなイーゼルの横には彼の愛読した哲学書、バルザック、トルストイ、ロマンロラン、その他が可能な限り生前のままに近く保存されている。》

《また当時二歳で父を失い、絵を通じてしか父を識らぬ次女京子さんを交え、夜半まで竣介の遺稿やデッサンをみながら語り合う諸々の中で、彼が次男莞君の描いた童画を丹念に整理しており、その包装の上に、「何げなく描いた子供の絵の中に素晴らしい新しい何かが見出され面白い」という遺筆を見出した。》

《それから三日後、アトリエは取り壊され、そこには今は莞夫婦の新居が建てられている。私には淋しいかぎりだが、地下の竣介は、自分が少年時代の難聴のため、なりたくてもなれなかった建築家に成長した一児莞君自ら設計のものだけに、この新居を心から喜んでいるに違いない。》

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この写真は生誕100年展の図録より「婦人之友社時代の禎子、1932年頃」。大川氏は禎子夫人についてこう書いている。

《当時大学教授を父に持ち、第一線の婦人記者でもあったことを思い合わせ、聴覚を失った無名画家だった竣介のところによく嫁したものだと……。そしてまた、竣介没後、生前二人で色々なものを生み出そうとして名付けた「綜合工房」の看板を細い腕一つで守り続け、アートディレクターの仕事を今も立派に経営しておられる、何か強い支えをはっきりとみた感じであった。》

それにしても松本竣介のアトリエ、残して欲しかった。佐伯祐三のアトリエは修復されてきれいになったようだが、竣介のアトリエこそ、訪ねてみたいような気がする。
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by sumus_co | 2013-09-07 22:08 | 古書日録

中川六平さん

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《中川六平さんが昨日亡くなりました。
夜眠ったまま逝ってしまったそうです。》

というメールをある方より頂戴した。何年か前に神保町の「八羽」で田村治芳さんや坪内さんたちと飲んで、六平さんと一緒に中央線で帰ったことがあった(小生は岡崎氏のところに泊めてもらったため方向が同じだった)。六平さんの繊細な気遣いが感じられた小生にとっては大切な時間となった。今もはっきりと、温かい、そして幾分気まずいそのときの電車内の様子が懐かしく思い出される。心よりご冥福をお祈りします。

六平さん、最後の仕事となった内堀弘『古本の時間』晶文社が出来上がった。
http://www.shobunsha.co.jp/?p=2904

中川六平さんの笑顔
http://seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1364&forum=1
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by sumus_co | 2013-09-06 11:42 | 古書日録

ソムニウムNo.4

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『ソムニウム』4号(エディシオン・アルシーブ+彗星倶楽部、一九八一年九月一〇日、表紙+本文デザイン=羽良多平吉)を入手した。七月にベアリュの『水蜘蛛』を紹介して以来、探すともなく探していた。

参考までにこの号の執筆者を列挙しておく。荒俣宏、羽良多平吉、川島昭夫、多田智満子、内田道夫、鈴木潔、前川道介、法水金太郎、後藤繁雄、赤井敏夫、田中義廣、井上義一、大島哲蔵、吉田城、梅木英治、田中岑弥(発行人)、生田千恵子(編集人)以上。なかなか渋い。

縦長の判型といい、幻想文学研究を謳いながらもいかにも la gaya scienza な内容といい『エピステーメー』(朝日出版社、一九七五年創刊)の関西ミニ版という印象である。頁をめくるたびにこれでもかと繰り出される見知らぬ単語の洪水に目がチカチカしてしまう。なんとか読めたのは井上義一訳のアウグスト・モンテローソ「ミスター・テイラー」だけであった。『全集 その他の物語』(一九五九年)に収録されている一編で、干し首をテーマにしたブラックな小品。

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後書きには《さる五月三日、エディシオン・アルシーブにてメリエスのフィルム上映を行いました。幻想領域のひとつの地点、映画というスクリーンに投影されるメリエスの夢をあらためて感知しようとするものです》とあり、また五月二十日から六月二十一日にかけて四条麩屋町西入るの「ブックストア談」で「ソムニウム・ブックフェア '81」が行われたことも分かる。

《図書館ならずとも、幻想の書を一堂のもとに参集させ、ブックコスモスの饗宴を街の書店に繰りひろげてみる。その一郭では幻想がハレーションを起こしている。ソムニウムが贈るブックフェア '81 ビブリオテカ・ソムニである。》

京都書院ではなくブックストア談というところに「ほほう」と思う。

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表紙をめくると「オン・サンディーズ」(現在のオンサンデーズ - ワタリウム美術館)の紹介記事があり、巻末七頁の写真と裏表紙両面(表3〜4)はすべてブティーク、ジュンコ・コシノの広告。

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また、ベアリュ『水蜘蛛』の広告頁には澁澤龍彦が推薦の筆を執っている。

《ベアリュ讃 澁澤龍彦
一九〇八年生まれだから、今年七十三歳になるはずのマルセル・ベアリュは、おそらく現在のフランス文壇で、もっともおもしろく、もっとも独創的な作家ではないかと私は思っている。
ホフマンのような幻想あり、カフカのような不条理あり、しかもイノサンス(無垢)と黒いユーモアが混在していて、その作品は人工ダイヤモンドのように奇妙に乱反射する。》

「ソムニウム somnium」は「夢、幻想」という意味のラテン語である。
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by sumus_co | 2013-09-04 20:38 | 古書日録

ユビュ王

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アルフレッド・ジャリ『ユビュ王 Ubu roi』(Fasquelle, 1921)をなんとか読み終えた。ジョルジュ・ブラッサンス公園の古本市で買ったもの。現代思潮社から一九六五年に邦訳(竹内健訳)が出ており、六六、七〇年と重版しているにもかかわらず、古書価は、ものすごくではないにせよ、それなりに高いため(新訳が出ていないせいか?)、手が出ないでいた。しかしながら、浅学な者にとってはフランス語で読んでは意味不明なところが多すぎる。(タイムリーにも現代思潮社より『ユビュ王』が復刊されることになったとご教示いただきました!)

とにかくジョークは馬鹿馬鹿しい分だけ理解しがたい。しかも元々がジャリが高校生のときのネタらしいからなおさらである。そもそも「ユビュ王」というタイトルが、一応ソフォクレスの「オイディプス王 Œdipe roi」をふまえつつ、ジャリが学んだレンヌのリセで体育教師だったエベー(Hébert)先生から来ている。エベー、エベ、エビュ、ユビュ……。エベー先生を槍玉に挙げたジョークとして友人たちと共同で書かれたものだそうだ。高校生のやりそうなことである。

とは言え、ストーリーはいたって単純、君主を裏切って王座に着く『マクベス』のパロディである。後半はナポレオンのロシア遠征を連想させる。無能で卑劣なペール・ユビュが外国で大暴れして、さんざんな目に遭って逃げ帰るというフランス人の好きそうなおちゃらけ物語。

初めマリオネットによって一八八八年に上演され、一八九六年にポール・フォールの雑誌『Le Livre d'art』に発表された。その後すぐ「ルーヴル座 théâtre de l'Œuvre」によって上演されたが、開幕第一声が「くそったれめ!」(Merdre! 、これも「メルド merde」をレンヌの学生たちが「メルドル」と訛って使っていたところからきているらしい)だったことでスキャンダルを巻き起こした。マラルメをはじめとして支持する人達も多くいて、今でも人気は衰えていないようだ(漫画にもなっているし)。また、ubuesque(ユビュのように滑稽な)という一般形容詞も手許の辞書には載っている。

先日の『DADA』図録にも「ALFRED JARRY」が立項されており、ジャリがダダに与えた影響が簡単にまとめられているが、それによれば、マックス・エルンストが一九二三年に『ユビュ王』を読んで感激し、その直後に画き上げた作品が「征服者ユビュUbu Imperator」(下図)だったそうだ。樽のように進撃するというイメージを絵画化したもののように見える。

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で、ふと思ったのは、エルンストが読んだのは、ひょっとしてこの一九二一年のファスケル版ではないか、ということだ。だったらどうした、と言われても困りますが。

なお本書には刊年が記されていない。ただし一九二一年発行の特装版があるのでそれに従った。
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by sumus_co | 2013-09-03 21:22 | 古書日録

拝受多謝

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『古本海ねこ古書目録』6号(二〇一三年九月)届く。見所満載。コドモの本、あるいは絵のある雑誌などが、これほどまでの広がりと奥行きを持っているとはつくづく感心する。今回とくに興味をひかれたのはチャップブック・コレクション23冊一括という出品。

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《チャップブックは、主に17世紀から19世紀にかけてイギリスで発行された小さな本。行商人らが各地を巡って市場や祭で売りさばき、売れた分の代金を印刷業者に支払うシステム。大衆向けの文学や実用的な内容のものなど内容はさまざまですが、低価格で大衆に楽しみをもたらしました。しばしば木版画の挿絵を含む、8、12、16、24ページの体裁で、チープなつくりのものが多数。しかしながら、のちに蒐集家らのコレクション対象になり、19世紀の蒐集家によって「チャップブック」と名付けられました。》(本目録より)

THE CHAPBOOK
http://www.bekkahwalker.net/comt111a/websites_11/resheske_site/index.html

このサイトによれば十六世紀に発生したらしく。労働者階級の識字率の向上に一役買ったらしい。新聞というメディアが普及するに従って下火になっていった。本の行商については以前少し書いたことがある。

本の行商人
http://sumus.exblog.jp/13802970/



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『いい香のする名前 フョードル・ソログーブ童話集』(書肆盛林堂、二〇一三年八月二三日)。ソログーブの『影絵』(前田晁訳、精華書院、一九二二年)を底本とした内容。岩波文庫でも三月に『かくれんぼ・毒の園 他後編』が再刊されたということで、スプラッター・ファンタジィが注目されているのかもしれない。たしかに独特のタッチだ。「少年の血」などは、現実を中和させるべく徹底して無慈悲を描いたという逆説的なものすら感じさせるが、子供皆殺し、これが今現在、逆説ではなく、われわれの世界のあるところではリアリティとしてそのままに起こっている事実なのだ。愚かなるかな。それにしても、まさに「進撃のソログーブ!」と言いたい。



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『雲遊天下』114号(ビレッジプレス、二〇一三年八月三〇日)、頑張っている。「〈街とメディアと市民〉のかたちを模索して」本間健彦インタビュー(聞き手:南陀楼綾繁)に喫茶店が登場したのでメモしておく。

《ーー『新宿プレイマップ』の編集部があったのは、新宿二丁目ですね、当時からゲイ店とかはあったんですか?
本間 ありましたね。だけど、あの時点で二丁目で一番有名だったのはヌード・スタジオでしたね。むかしの赤線の店がそういうものに切り替えたんです。その中でゲイの店がだんだん増えていった感じだったと思います。
 編集部の新宿通りを挟んだ向こう側には、ミニコミを扱う〈摸索舎〉がありました。二丁目の仲通りには〈コボタン〉という漫画喫茶があって、宮谷一彦が展覧会やったりしていました。小さい店だったんだけど、漫画好きが集まっている喫茶店でした。》

『新宿プレイマップ』の創刊は一九六九年六月。「コボタン」は宮谷一彦の漫画にも登場していたようなあいまいな記憶がある。
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by sumus_co | 2013-08-30 20:50 | 古書日録

コリッシモ!

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パリよりコリッシモ(Colissimo)が届いた。コリッシモはフランスのポストがやっている小包サービス。いろいろな種類のパッケージがあるが、重さ30kg、寸法150cm(三辺の合計)以内でフランス国内はもとより世界中に配達してくれる。国内48時間以内、海外領土5〜7日、諸外国4〜8日と迅速な配達とインターネットによる支払いおよび追跡が売りである。

この荷物、内容物はすべて書籍。折をみていくつか紹介してみたいとは思うが、とりあえずこのマックス・エルンストの詩画集『パラミト』(Paramythes, LE POINT CARDINAL, 1967)を。元々は英語で書かれ、ビヴァリーヒルズのコプリー・ギャラリー(The Copley Galleries)から一九四九年に刊行された。さらに著者によってドイツ語にかなりゆるく翻訳されてケルンのシュピーゲル画廊(Galerie der Spiegel)からも出版された。そして一九六七年にドイツ語から著者の協力を得てロベール・ヴァランセ(Robert Valençay)が翻訳したのがこの版だそうだ。口絵にドライポイント、本文にはコラージュが掲載されている。千部本の377番。千部の内六十部はリトグラフ付き豪華版になっているようだ。

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「Paramythes」はエルストの造語だろうかと思ったら、十八世紀ドイツの哲学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーにも同じ仏訳タイトルの著作『Paramythes, imitées d'Herder』があり、そこでは以下のように説明されている。

《THEANO.
……Paramythes ! je ne connais pas ce mot !

 DEMODOR
Paramythion signifie délassement S'il en faut croire Guys, les Grecs donnent, encore de nos jours, ce nom à tous les ouvrages de l'imagination. Je pourrais encore alléguer une autre raison pour justifier le titre de ces fragments ; c'est parce qu'ils sont fondés sur la Fable des anciens Grecs. qu'ils appellaient[ママ] Mythos ; à taquelle j'ai simplement donné une autre interprétation.》

要するにギリシャ語の Paramythion(なぐさめ)と mythos(伝承、神話)を意に含めたタイトルだということである。
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by sumus_co | 2013-08-28 21:21 | 古書日録

北海道駅名の起源2

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手持ちのアイヌ絵葉書を並べてみる。まずは「(北海道・アイヌ風俗)メノコのモダンな姿(川上恵美子さん)」と記載のある絵葉書。これは使用済みで、切手面には「弟子屈/不老泉温泉」の夫から兵庫県西宮市の妻へ出した文章がしたためられている。弟子屈は「テシカ・ガ」(北海道釧路総合振興局管内川上郡)で『駅名の起源』によれば「岩盤の下」の意。消印がはっきりしないけれど、どうやら昭和十一年四月のようである。

昨日の続きで「アイヌ語地名単語集」を見ていると、日本語との関係でいくつか興味深い発見があった。まずは昆布盛(コンプ・モイ=昆布・とれる湾)に使われている「コンプ」、これを昆布の語源とみなす人もいるようだ(日本の古語では海藻類は「め」と呼ぶのがふつう、例えばワカメ、昆布はエビスメなど)。昆布ブランドとして名高い利尻(リシリ〜リイ・シリ)は「高い山」の意だとか。それから能登半島の能登、これは「ノッ」(岬)と「ト」(海)……別の解釈もあるが、アイヌ語起源だということはほぼ確かのようである。いちばん興味を引かれたのは「オ[o]」。そこにたくさんある(いる)、そこに群生する、という意味。「多い(オホイ)」との関係を考えたくなる。もちろん小生が無知なだけでアイヌ語研究は本書の時期よりきっとずっと進んでいるのだろうから、日本語(と単純に言っていいのかどうか)との相互作用もかなり見極められているに違いない。

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「白老みやげ/宮本酋長の絵はがき」の袋。この中に三枚入っていた。袋の裏面に昭和三十年とペン書きあり。白老は北海道白老郡白老町若草町。宮本酋長は当時有名な人物だったようだ。

白老のアイヌ民芸館「ミンタラ」
http://blog.livedoor.jp/janjannews/archives/2540485.html

宮本酋長売店 北海道白老郡白老町若草町
http://www.ainu-assn.or.jp/zigyosha/16.html

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アイヌの生(出産)と死(墓地)、そして酋長の娘ならぬ孫。

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何度か行きつ戻りつ、地名単語集を眺めていると「オタ」とあってニンマリ。アイヌ語で「オタ」は砂、砂浜という意味で地名にはよく使われる。ウタと訛ることも多いそうだ。さらに一文字ずつバラせば、オは尻(尾と関係ありか?)、タは打つ、クは弓をそれぞれ意味する。「オ・タ・ク」とは「尻・打つ・弓」になる。

最後になったが「アイヌ」は「人間」という意味。日本人のことを「シサム(シャム)」(隣国の人)という。
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by sumus_co | 2013-08-26 20:41 | 古書日録

北海道駅名の起源

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『北海道 駅名の起源』(池田晴男編、日本国有鉄道、一九六二年三月一日十三版)。先日の中島峻蔵『北方文明史話』に関して「こういう本もありますよ」と某氏が送ってくださった。深謝です。

初版は昭和四年らしいが、人気があったようで、何度か改訂もされ版を重ねている。ざっと目を通してみても、駅名の由来を論じただけでなく、「北海道国郡名の起源」「アイヌ語地名単語集」「北海道の鉄道機構の推移」など、思わず読み込んでしまう内容になっているから、数多い重版も当然かもしれない。折り込み北海道鉄道図も付録している。

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地名の語源は先日引用した中島峻蔵によるものとは少し異なるところもある。改訂においては高倉新一郎、知里真志保、更科源蔵、河野広道ら専門家の検討を経たと序文で根来幸次郎(札幌鉄道管理局長)は述べている。代表的な地名についていくつか例示しておく。

札幌 サリ・ポロ・ペッ(その葦原が広大な川)

余市 イ・オッ・イ(それが群生する所)〜イヨチ(蛇の多い処)の転訛

旭川 チュウ・ペッ(瀬の早い川)の誤転チュプペッ(日の川)の意訳

稚内 ヤム・ワッカ・ナイ(冷たい飲水の川)

礼文 レプンケ・プ(沖へ突き出ている所)

根室 ニムヲロ(樹木の茂つた処)とされるが、メム・オロ・ペッ(湧壺・そこにある・川)

この本については明日以降もう少し紹介したい。下の写真は撮影場所、発行年など不詳の絵葉書。架蔵のもの。写真用ペーパーをそのまま絵葉書として使っているようだ。「ORIENTAL OK PHOTO PAPER」と印刷されている。おそらくは戦前であろう。

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by sumus_co | 2013-08-25 21:01 | 古書日録

斗南先生

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中島敦『山月記・李陵』(集英社文庫、一九九三年)が読みたくなったので、ブへひとっ走り。集英社文庫版だけ見つかる。かつて新潮文庫で読んだ記憶があるし、中島敦全集も持っていた(ただし、年譜が入っている巻だけ)。あの本たちはどこへ行ったのでしょう。

「山月記」は高校の教科書で習ったときの印象が強い。酔っぱらって文字通りの「虎」になった元詩人がクダを巻く話……だとばかり思っていたのだが、読み直すと、やっぱり実際その通りで、青年時代の感性に狂いは無かった。この文庫の口絵写真に「山月記」の舞台として河南省の山岳風景が掲げられているが、これは正直にもほどがある。おそらく新宿あたりの夜の繁華街の写真を掲げた方が良かったろう…。

冗談はともかく、単純に春日井さんの冊子に触発されて「斗南先生」を読んでみたくなったのである。出来栄えは悪くないが、まだ小説になりきっていない感じもする(単行本『光と風と夢』に収録の際に付した文章に「私記」として書かれたとされている)。とくに伯父の臨終間近のノートのあたりは、もう少し練ってもいいのではないかと思った。鴎外のようにもっと淡々と書いてもよかった。おそらく敦はそうは書きたくなかったのであろう。昭和初めに流行っていた新心理主義の影響なども考えてもいいかもしれない。

「斗南先生」は昭和七年頃に書かれた。若い敦のなかには伯父の生涯に対して何か釈然としないものがあって、その遺稿集を図書館へ寄贈するのも何やらはばかられたのである。しかし十年を経た付記においては、その評価は百八十度変っている。敦は支那事変が起こった時、初めて伯父の著書『支那分割の運命』(大正元年刊行)を繙いてみた。二十世紀のアジアのあり方について伯父は大局をもって論じていた。

《支那事変に先立つこと二十一年、我が国の人口五千万、歳費七億の時代の著作であることを思い、その論旨の概ね正鵠を得ていることに三造は驚いた。もう少し早く読めば良かったと思った。或いは、生前の伯父に対して必要以上の反撥を感じていたその反動で、死後の伯父に大しては実際以上の評価をして感心したのかも知れない。
 大東亜戦争が始まり、ハワイ海戦や馬来沖海戦の報を聞いた時も、三造のまず思ったのは、この伯父のことであった。十余年前、鬼雄となって我に寇(あだ)なすものを禦(ふせ)ぐべく熊野灘の底深く沈んだこの伯父の遺骨のことであった。鯱(さかまた)か何かに成って敵の軍艦を喰ってやるぞ、といった意味の和歌が、確か、遺筆として与えられた筈だったことを彼は思い出し、家中捜し廻って、漸くそれを見付け出した。》

斗南中島端は散骨を言い残していた。見つけ出した色紙には瀕死の病者のものとは思われない雄渾な筆つきで次のような和歌がしたためられていた。

 あが屍野にみな埋みそ黒潮の逆まく海の底になげうて

 さかまたはををしきものか熊野浦寄りくるいさな討ちてしやまむ

この文庫本の口絵には「あが屍…」の色紙が写真版になって掲載されており「海」と敦がしているところは「潮」となっている。書風は雄渾というよりも亀田鵬斎の流れを汲む「フライング・ダンス」風であろうか。
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by sumus_co | 2013-08-24 21:18 | 古書日録

蒐集物語

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柳宗悦『蒐集物語』(中央公論社、一九五六年二月二八日、装幀=芹沢銈介)読了。少し前に、この中の「盒子物語」の粗筋を知る機会があって、何とも面白く、全編を読みたいものと思っていたら、ある古書目録に手頃な値段で掲載されていたのを折よく入手できた。後で調べてみると中公文庫版でもそこそこいい値がついているのでビックリ。

「盒子物語」の粗筋はこうである。大正の初め頃、柳は朝鮮京城の道具屋で染付に辰砂入りの可愛い盒子を見つける。一目気に入って予約、後日受け取りに行ったところ手違いで別人に売られてしまっていた。それから二年、李朝の蒐集家として知られた富豪、富田儀作の家でその盒子に巡り会う。手違いではなく道具屋は人を選んで売っていたのだ。柳は自分が先約だったことすら披露できずに指をくわえるしかなかった。しかし富田翁は数年後に歿し、コレクションは散逸してしまう。これでもう二度と盒子は手に入らないと諦めた。

昭和五年、柳はハーバード大学附属のフォッグ美術館に招かれてボストン近郊ケムブリッヂに滞在する。あるときボストンの山中商会を訪ね、朝鮮ものを探して地下室へ入ると薄暗い部屋に雑然と品物が置かれてあった。

《さうして重ねられたその箱を一つ一つ見て行った。ところが何たる奇遇か、その箱の一つから、例の辰砂の盒子と桃型の水滴とが肩を並べて共に現れて来たではないか。私は思はずも二つを掌の中にしかと握り、胸に抱いた。私は代金を支払ひ小さな包みを手に納めるまでは、それが現実の出来事とは思へなかつた。》

富田コレクションはほとんどを山中商会が引き受けていた。その一部がアメリカの各店舗に送られたが、まったく不思議な巡り合わせでボストン店に柳が想い続けていた盒子と桃型の水滴が届いていたのである。さらにそれらは米国では人気がなく地下室に長年放置されていた。

《私は多くのものを集めて来たが、こんなにも奇異な因縁に結ばれたものは少ない。又誰にだつて起る出来事ではない。それ故いつかこのことを書き記しておきたいと思つた。漸くその時が来て一部始終を綴るに到つたが、私の蒐集物語の中でも不思議でならない一例である。》

念ずれば通ず、ということか……それにしても。

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和讃の古版本を見つける話も、こちらは古本譚だけに興味深いものがある(レベルは違うがこのブログでも『正信念仏偈』を紹介した)。

《仏書を求める方は、今も京都を訪はねばならぬ。》《明治この方昔に比べたらさびれては来たが、これでも丁字屋、平楽寺などの名は、もはや古典的な香りがある。近年、貝葉書院、法蔵館、興教書院、護法館など、何れも仏書で名を広めた。古書を扱ふものに竹苞楼や細川がある。中で最も多く仏書を売るのは其中堂である。(東京の浅倉屋も森江も名があつたが、度重なる災害を受けて、昔ほどの蔵書がない。大阪にはひとり鹿田があつた)。》

柳は越中砺波の古寺で目にした色紙和讃(一枚おきに紙色が変る仕立てになった版本)にノックアウトされ、どうにかしてそれに類するものを見つけたいと京都を訪れていた。

《せめて室町末か慶長頃のものでも見出せまいか。今はもう稀な版本であるから無謀な求めと思へたが、再び若しやとも考へられて、次から次へと厭かず本屋を探つた。焼け去つた東京から来ると、京都の町々は物で埋もれてゐるほどに思へた。店々は美しく着飾つてゐるのである。書物も眼を忙しくさせるほどであつた。私は幾冊かのものを得たが、併し求める古書は容易に姿を現はさなかつた。
 だが如何なる宿縁によるのであらうか。之こそ奇縁と呼ぶべきであらうか。或は導きに依るのだと見るべきであらうか。求める者には与へられることが約されてゐるのか。既に授けられてゐるが故に、それを受けるに過ぎないのか。偶然なのかそれとも必然なのか。何れにしても思議を越える。私が夢に描いたその和讃が、突如目前に置かれるに至るとは。》

しかも値段は柳の支払える範囲の、どうして?と疑問を抱く程だった。

《だが果して私が求めたと云へるのか。誰かが私に求めさせてくれたのか。私が和讃を追つたのか、和讃が私を追つてくれたのか。「求めよ、さらば与へられん、叩けよ、さらば開かれん」と聖句は云ふ。併しもつと切な真理は、与へられてゐる世界の中でのみ求めてゐるのだと云ふべきではないのか。既に開かれてゐる扉を開きたいと希つてゐるまでに過ぎなくはないのか。得るものは一物もなく、贈られるもののみが凡てなのだと思ひ得ないであらうか。そこまで考へずば説き得ない謎である。》

こう考えて柳は宿命論あるいは運命論にたどり着く。すべて予定されていた宿縁だと。

《私はあり余るほど幸福なのである。かういふ本に廻り合はせてもらつたこと。こんなにも見事な本が存在することを知るに至つたこと。その美しさを感じる心まで授かつたこと。さうしてそれを求め得、座右に置くほどの恵みを受けたこと。それにこの悦びを頒ち得る多くの友達さへ与へられてゐること。いつでもこの本で日本の書物を語らせて貰へること。私は幾度となく厭かずその頁を繰つた。私は幾人かの親しい友人に報らせの筆を急いだ。さうして尽きぬ美しさの泉をそこに汲み、遂にこの一篇を綴るに至つた。》

気持ちは分かる。それにしてもこの舞い上がった調子は、やはり京都で古い絵画などを蒐集した岸田劉生にも通じる単純さがあって(首尾よく手に入れたときには「神様ありがとう」と日記に書くような)、ちょっとあっけにとられるくらいだ。

鶴見俊輔は《白樺派には書物蒐集家はいない》(『柳宗悦』)と柳が若き日に書物蒐集をした時期があったにもかかわらず、後年にはブレイクの影響から直観を重んじる方向へ転じたことを論じているが、本当にブレイクが柳をこれほど単純にしたのなら、それはまさに「神様ありがとう」と言わざるを得ない宿縁だろうと思う。
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by sumus_co | 2013-08-22 21:50 | 古書日録