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カテゴリ:貧乏こっとう
![]() ![]() ![]() 軟陶のカップとソーサーだが、セットではない。カップは二十年程も前に求めたもの。ソーサーはつい先日、二百円だった。ソーサーの裏面には「1790 Avon Scenes Palissy England A Royal Worcester Ltd Subsidiary」と焼き付けられており、検索してみるとイギリスのパリッシー窯(Palissy Pottery Ltd)で一九六〇年代に作られたものらしい(Palissy Avon Scenes China)。パリッシーは一九五八年に英国最古の窯元とされるロイヤル・ウーセスター(Royal Worcester Ltd)に吸収された。 カップの方はもっとずっと古いように思えるのだが、窯元のマークもなく、このブランコ遊びの模様はよく見かけると思いつつも、知識不足のため素性は分からない(ご教示を乞う)。 検索してみると、ほとんど同じ図柄(左右反転した図)がゴブラン織のタピスリに見られる。 フレンチ・タペストリー 『ブランコ遊び』 十八世紀のタピスリにおける主題のひとつだった。 Le Retour de Tobie Tapisserie de la La Balançoire Tapisserie de Beauvais フラゴナールが有名なブランコの絵を描いている。 J.-H. Fragonard, Les hasards heureux de l'escarpolette (la Balançoire) (1767). ワトーにもブランコを描いた銅版画がある。 La technique de la gravure sied parfaitement à la délicatesse du trait d’Antoine Watteau (1684-1721). ぶらんこ(ポルトガル語 balanço から?)は「ふらここ、ぶらここ」とも言い春の季題。鞦韆(しうせん)、秋千、半仙戯(はんせんぎ)とも。 ![]() 絵絣と言えば、だいたい鶴亀、唐草、菊花などおめでたい模様や文字が多いが、これはモダンな花瓶に花を挿した図柄である。わりあい新しい作なのかもしれない。はなびらの散ったところに作者のセンスを感じる。 三年かそれ以上ぶりに歯科医院へ行った。かぶせがポロリと取れたため。先生は久しぶりなのでレントゲンを撮りましょうと言う。レントゲンの撮り方も以前とは違うし、何よりも画像が診療椅子の前に備えられたけっこう大型のディスプレイにくっきりと表示される。歯並びが悪い。 それをじっと見ていた先生は、浮かぬ顔でこう言った。 「どこにも虫歯はないですね…」 患者としてはひと安心だ。この先生には三年以上前に奥歯を抜いてもらったことがある。じつに鮮やかな手並みであった。名手と言っていいだろう。かぶせを取り替えるのなどちょちょいのちょいであった。そんな先生にとっては三年以上来ていない人間に虫歯が一本もないのはかなり心外だったに違いない。もう一度つぶやいた。「虫歯はないですね(おかしいなあ)」 しかし、それで終わったわけではなかった。歯周ポケットに歯垢がたまっています、と。まずは全体の歯垢のおそうじ。やはり三年以上のブランクは大きい。それなりに気をつけて磨いているつもりでも歯垢は積み重なっているようだ。血みどろのお掃除となった。 さらに日をあらためて歯周ポケット掃除にかかる。一度に奥歯三本から。これから何回も通わなければならないし、それなりに費用もかさむ。「歯周病になったら怖いですよ〜」と歯科技工士のお姉さんに脅されたので仕方がない。これがまた、ほとんど力技というか、先の曲がった金属で歯周ポケット(要するに歯茎と歯のすきま)内の歯垢をゴリゴリゴリと削ってゆくだけなのである。幸い痛みはそうでもなかったけれど、思わず肩に力が入って、終わった後はぐったりとなった。ふう。 お姉さんが「歯垢がやわらかくてサクサク取れますね。ものすごく固くて取りにくい歯垢もあるんですよ、人によっては」とほめてくれた。喜ぶべきことなのだろう、ね。 ![]() 恵文社一乗寺店で開かれている冬の古本市をちょっとのぞいた(9日まで)。古本もなかなか見応えがあったが、買ったのはこの二点。セルロイドのペンケースは色と形に惹かれて。少しだけ傷があるので安かった。あまり使われた形跡は残っていない。 曲尺は真鍮製品。青錆が少し出ているが、興味深いのはカギの部分を継いであること。写真ではわかりにくいかもしれないけれども、この曲尺は三つのパーツから成るのであった。しかも直角がすこし歪んでいる。目盛りは一寸・一分の刻み。ものさしが好きで、安いとつい買ってしまう。いま、十点くらいはあるかも。 ![]() ![]() 茶の湯にはまったく無縁な人間だが、茶碗はひとつふたつ持っている。これはいつどこで手に入れたのか、はっきりとは思い出せない。ただ、堀尾貞治さんの作品だということは間違いない。「さ」のサインも入っている。堀尾さんのかなり前の個展のときに売っていたのだろうか、買ったという記憶もないのだが。茶碗としてはまあ赤ちゃんみたいなものながら、堀尾さんらしいところも見えて嫌いじゃない。 今、よくよく見ると、茶碗の胴に林哲夫と鉄釉で小生の名前が書かれ白い上薬で半ば隠されている。さっぱり覚えていないが、そうすると注文して作ってもらったものだろう。それも覚えていないとは、もうろくしたなあ…。 ![]() こちらは去年の暮れに一個100円で求めた猪口(煎茶ですか?)。なんということのない、ありきたりのしなもの。だがちょっといい感じ。日本酒も煎茶もほとんどたしなまないけれど、小皿の代わりに使ったりしても面白い。 ![]() モランディにならってボトルばかりの絵を描いてみようかと思いつつ、なかなか試みるにいたらない。もう少し小さい薬瓶ならなんども描いたことがあるのだが、大壜はまだ形にならない。次のシーズンに向けて描いてみようかな……。 ![]() 左は古道具屋で。何の壜だったのか? 真ん中はワインボトル。パリの有名なレストランのオリジナルの銘柄(ただし日本でも売られている)。拙宅を訪問された方がその店の古くからの顧客で手土産にとパリから下げて「来られたらよかったんですが、百貨店で買いました(笑)」という感じで頂戴したもの。その方いわく「最近、あそこのシェフも年取ったのか、料理の味が変ってねえ、しょっぱくなってるですよ、なんでもかでも」と。むろんわれわれなどには縁のない高級店なので(検索すると日本人向けお試しランチが190ユーロらしい。1ユーロは本日103円)今後も出かける心配はないため、そんなこともあるんだなあと興味深く拝聴しただけだった。 ところが、その数日後、あるところで知人の女性と話していると、なんと息子さんがその有名店の厨房で働いているというではないか。パリの知られたレストランおよびパン屋、お菓子屋には、たいてい一人くらいは見習い日本人が入り込んでいる。「そうですか、それはそれは奇遇ですね、最近、味が塩からくなったという話を聞いたばかりですよ」と言ってみたら、「そうなの? このあいだ、息子が帰ってきて、料理してくれたんだけど、塩からかったのね。若いからかな、と思ってたけど、そうなんだ」と納得されていた。 ただボトル(ブーテイユ)は大量生産ではなく手作りふうの重厚なものである。 右のボトルがいちばん気に入っているのだが、どこで手に入れたのか忘れてしまった。舟の形の大きな気泡が美しい。壜の底に GOPPEL & Co FRIEDRICHS とある。ワインボトルでないようだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 義母から譲ってもらった木造の彫刻。たしか誰かにアフリカ土産として貰ったものと聞いたように思う。PCの周辺を写した写真にときどき登場しているのでお気付きの方もおられよう。 背面に「MADE IN TANZANIA」のシールがある。時代的にはおそらく一九七〇〜八〇年代か(土産を貰う時期ということで)。一般にマコンデ彫刻と呼ばれるものらしいが、現在ではアート作品としてまた土産物としてさまざまなスタイルで制作されているらしい。材は黒檀だという。 今ざっと検索しただけではこれとそっくりな像は見つからなかったが、似ているものはいくつかあった。現在の主流はもっとシュールレアリスティックな、あるいはマンガっぽいキテレツな作風である。これは縦に引き延ばされていながらもリアルさを失っていない。この顔にそっくりの日本人の知り合いがいて、あの人の祖先はタンザニアかと思ったりしたほどである。 ![]() こちらは Twins Seven Seven「Nigerian Beat」(King Record, 1991)のCD。アフリカつながりというだけのこと。ある古本屋で何か買おうと思って粘りに粘った末に、何もなくてこのCDを買った。それ以来けっこう頻繁に聴いている一枚。 トゥインズ・セヴン・セヴン(Prince Taiwo Olaniyi Oyewale-Toyeje Oyelale Osuntoki)は一九四四年ナイジェリアに生まれて、まず美術家として知られたそうだ。 《その一方で、トゥインズ・セブン・セブンは、ファーマーであり、かつてはボクサーで、サッカープレーヤーでもあった。そして、政治家であり、カーキチ・スピード狂がわざわいした1982年12月の交通事故で大腿骨折をするまでは、素晴しいダンサーでもあった。そして自作自演のミュージシャンであったし、いまもある。》(川田順造「解説」) 驚くべきマルチ・タレントぶりだ。ネット検索してみると、今年二〇一一年六月一六日に亡くなっている。彼の美術作品は独特ではあるが、あまり好きになれない。ミュージックの方がいい。 ![]() 『L'Art de l'Afrique occidentale』(Union Générale Éditions, 1967)。この表紙はナイジェリア西部で十三世紀頃に制作されたブロンズ像、高さ24センチ、イフェ考古博物館所蔵。十三世紀というと日本は鎌倉時代か。このリアリズムはアフリカ彫刻のなかでは際立っているように思う。 ![]() もうひとつ、アフリカの地図を出してお勉強、といってもこれは明治二十七年(一八九四)の『萬國地理初歩巻之下』(集英堂)。アルチュール・ランボオが地中海沿岸からアビシニアあたりを奔走していた時代の勢力図である。 タンザニアは東海岸、この地図ではザンジバルと書かれている「ジバル」のあたり(もうすこし内陸まで)。例のキリマンジャロ山がある。ナイジェリアは中西部、「ギ子ア灣」(ギニア湾)へニジェール川とベヌエ川が流れ込んでいるデルタを中心とした地域になる。 ![]() ![]() 市中で用事を片付け、姉小路通寺町西入ルにある骨董均一台からこの珉平焼(みんぺいやき)の小皿を買った。明治期のもの。目立つ窯キズがあるが、食卓ではなくパソコン・デスクに置いて小物でも入れたらちょうどよい。渋い黄色が目を楽しませてくれるだろう。店内に無傷の同様な小皿があって、そちらは二千五百円也だった。 《珉平焼〈みんぺいやき〉は、江戸後期の文政年間(1818~30)、淡路島の南端、三原郡伊賀野村(現南あわじ市北阿万伊賀野)で賀集珉平〈かしゅうみんぺい〉が創始したやきものです。京都の陶工尾形周平〈おがたしゅうへい〉を招き、京焼の色絵陶器技術とそのデザインを導入しました。天保年間後期(1838-44)頃には阿波徳島藩の御用窯になったとされています。 珉平焼の特徴はその製品の多様性にあり、京焼の色絵陶器写しや中国陶磁写し、さらには漆器や金属器を写したものまで作られています。これだけ幅広いバリエーションのやきものを生産した窯は、江戸後期の国内では他に知られていません。珉平の没後は甥の三平や淡陶社がその製陶技術を引き継ぎ、明治期の国内外の博覧会に出品し、海外にも輸出し販路を広げました。また近年には、明治から大正時代にかけての窯跡付近の発掘調査が行われ、これまで不明であった珉平焼の新たな側面が明らかになりつつあります。》(兵庫陶芸美術館のHPより) * ![]() 間道(かんとう)は古く渡来した織物にちなむ縞模様の名称であるが(広東からとも)、意味するところが広くて、具体的にこれが間道だとは限定しにくいようだ。昨日の「高級手焼きおかき」包装紙は単に「棒縞」でいいのではないだろうか。特別な呼び名があるのかどうかは知らない。 縞は代表的な文様である。こんな小きれなどを集めて喜んでいる。ハデな縞二点はインド。いずれ佐野繁次郎じゃないけど、装幀の材料にでも使えればいいかなと。 ![]() ![]() 自慢じゃないが、頭の鉢は大きい。ユニクロなどで売られているキャップなどでは後頭部のバンドをいちばん緩くしても、どうしてもぴったり被ることができないくらい。 あるとき装幀家のSMさんが黒いおしゃれなソフト帽を被っていたので「かっこいいですね」というと、SMさんも市販品ではどうしても頭に合わないとおっしゃる。「じゃあどうしてるんですか?」と問い返せば、銀座のどこそこでオーダーしているんだとのこと。なるほど、気に入りさえすれば一生ものだから誂えの帽子というのもひとつの手だな。貧乏人はそういうところに頭がまわらない。さすが売れっ子。 この山高帽(ボウラーハット)は神戸のアンティーク店で求めた。サイズ五十五センチ。試してみても頭にちょこんと乗せたというふうで、ビゴーが描く明治の日本人ほどにも似合っていない。もちろんはじめから被る目的ではなくルネ・マグリットやジム・ダインを連想して面白く感じただけである。傷んでいるので安かったが、内側にはいかめしいエンブレムが印刷され、またエンボスが施されている。CHRISTY'S LONDON。ミラー・クリスティが一七七三年にロンドンで創業した帽子店。 フランス語ではメロン帽と呼ぶ。この丸いふくらみがメロン(フランス語の発音ではムロン)に似ているということなのだろう。ちなみにボウラー(Bowler)は一八五〇年にこの帽子を考案した帽子屋の名前だそうだ。 ![]() 骨董店のニューウェイヴを紹介する特集を組んだある雑誌で、ペッチャンコになった空缶ばかりを並べて売ったという人の話を読んだ。そんな奴いるんだ、と驚いたわけだが、もしそれが売れたとすれば、どうやら売れたらしいのだが、さらに物好きな客がいたわけで、世も末、ではない、世の中捨てたもんじゃない。 じつは小生も路上に落ちているペチャンコの空缶を拾って大事にしている人種である。見事に錆びが吹いて、印刷された「GEORGIA」の地色も本来は紺色のはずなのが、すっかり焦茶色に変ってしまっている。裏面(上の画像)はいっそう酸化がすすみ、おそらくこちら側が地面についていたのであろうか、火星の表面もこうではないかと思わせられるほどの荒涼たる有様。もしこれが茶陶なら「景色」とでも嘆賞すべき風趣が感じられる。 拾ってからもう十年くらいになるだろう。その後も路上観察を欠かさず、空缶の掘り出し物、いやへしゃげ放置ものはないか注意を怠っていないにもかかわらず、これ以上の逸品、いや同じ程度の品にもまだお目にかかっていない。 おそらくふつうに町を歩いていただけではダメなのだろう。仮に商売になるほど商品を集めるとすれば、よほど根気よく歩くか、または特別なスポット、空缶を風化させ空缶とは別の存在にまで高める(あるいはおとしめる)ほどよい環境を熟知していなければならない。 それにしてもいったい一個いくらで売ったのだろうか? というかいくらなら買うかなあ……。 < 前のページ次のページ >
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