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カテゴリ:喫茶店の時代( 51 )

らぷそでい・いん・大阪

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ある方より『大阪新聞』(一九八六年)に連載された石濱恒夫「らぷそでい・いん・大阪」から喫茶店に関する記事のコピーが送られてきた。これは嬉しい。連載第一回は「創元」。

《御堂筋なんばの東がわ、現在は千日前大通りとシネマビル南街会館とのあいだ、銀行のビルがいくつも目白押しに並んでいるが、その中央ややなんば寄りのところ、いまの辻クッキングなんば校のあたりだったろうか。》

《表は書棚にぎっしりと新刊本がつまった創元書房であり、奥が木製の黒いテーブルセットがいつつばかりのちいさな喫茶室で、店をでるとすぐ歩道のむかいは、地下鉄なんば駅への出入りの昇降口だった。さきごろ亡くなった北大阪十三の詩人、清水正一も若い日に常連であったらしい。昭和二十三、四年ごろのオーサカ詩人や画家、ジャーナリストの溜(たま)り場は、難波新地三番町のこの店であり、お露さんと呼ぶ品のよい小母さんと、少女時代の竹久恵子をしのばせる女店員がひとり、堺に住んでいた先輩詩人の安西冬衛とも最初に出あったとも、遺著になったエッセイ集犬は詩人を裏切らない、の文中に述べている。》

清水正一『犬は詩人を裏切らない』(手鞠文庫、一九八二年)については以前触れた。連載の右下に関連した囲み記事があり、そちらには宇井無愁への短いインタビューが載っている。

《「なつかしい話ですね」と、東京に住む作家・宇井無愁(うい・むしゅう)さん(七七)。「創元には何回か行きました。藤沢桓夫さんを中心にミナミの方の店で、私などとても常連とは…」》《「カストリ雑誌など戦後の雑誌発刊は東京より大阪の方が盛んでキタの店が連絡場所となった。源氏鶏太、長谷川幸延、京都伸夫さんらが集り"在阪作家倶楽部"と称した」》《そのキタの店の名はーー「うーむ、思いだせない」》

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第四回には湯川弘文社や三島書房が登場している。

《同居していた従兄藤沢桓夫のすすめで、住吉大社裏に移っていた湯川弘文社が、出版しはじめた少年雑誌《新少年》を手伝って、表裏の表紙絵からカット、さし絵、ぜんぶひとりで描いた。いいや、もうひとり、年少の医学生だという手塚治虫が、連載マンガを載せている。》

《また、松屋町で出版をはじめた三島書房の新講談叢書を、わたしはペンネームで、長沖一、吉田留三郎、沢野久雄らと、一冊ずつ書いている。》

《そんなとき、三島書房に勤めていたおなじく復員青年の、吉田定一からーー「あの喫茶店、織田作がよう来よんね」と教えられたのが"コンドル"だった。御堂筋の道頓堀橋の東南袂、現在は娘さん夫婦がやっていて、名まえもリブリバと変っている。》

第五回。織田作之助の長姉竹中タツから藤沢桓夫にかかってきた電話を取り次いだ石濱は織田作が死んだことを知る。

《そのまますぐ道頓堀の喫茶店"コンドル"へ出かけた。あんのじょう、三島書房に勤める復員青年、吉田定一がそこにいた。彼は織田作の文学に傾倒していて、自分の書いた小説を彼に読んでもらいたくて、マダムに預けていたりしたが、死んだよ、というとボロボロと大粒の涙をこぼして泣きだし、ついて来てくれへんか、と頼んだ。天下茶屋あたりの、松通りにあるアパートに、やはりミナミの"フランス・バー"で働いている孔雀さんという女性に、教えてやらんならん、というのだ。》

《そう、戦後の焼跡のミナミで、いちばん早くできた喫茶店だといわれる"コンドル"は、まだ木造の平屋であって、夜は店の周囲に竹のヨシズをめぐらせたりしていたものだ。》

《"コンドル"が二階建てになると、マダムから、吉田や西原らとその階上を、文化サロンとして使わないかと相談をうけた。そして道頓堀文化サロン、セゾン(季節)、が誕生して、その看板も油絵具でわたしが描いた。》

西原は三島書房に勤めていた西原寛治。第八回にはルルが登場している。

《法善寺裏の喫茶店"ルル"は、道頓堀橋の東南袂の例の"コンドル"や難波精華小学校裏の"ミドリ"や、法善寺境内の"ハワイアン"……などにつづいて、昭和二十二年の二月開店であって、難波御堂筋の"創元"からの流れをひく、詩人たちのたまり場だった。
 現在の大阪球場、もとは難波御蔵跡の専売局煙草工場の被爆跡から拾ってきた煉瓦で、壁の一部や床を敷きつめた細長い、ウナギの寝床のようなちいさな店であり、最初、国民服姿の詩人安西冬衛が、"創元"の文学的な雰囲気の群れからの、自分ひとりのひそやかな安息所として、奥の小部屋で原稿を書いたいりしていたが、黒トンビにステッキの詩人小野十三郎が嗅(か)ぎつけて、当然のように女流詩人の港野喜代子たちの姿もみうけられ、大阪文学学校の開校は昭和二十九年であるらしいが、その後もずっと長く、三十年以上も詩人たちの巣であったといえるだろう。》

石濱が挙げるルルに通った人々は、浅野孟府、榎本冬一郎、民芸の俳優たち、田中克己、竹中郁、坂本遼、田木繁、井上靖ら。そしてここで再びコンドルの話題に戻り、こんな自慢話を披露している。

《"コンドル"のその二階の改装された四周の壁に、油絵でいくぶんシュール・レアリズム的な大壁画を描いたりした。その制作中を、それぞれ一時間あまり、珈琲を飲みながら眺めていたのは、吉原治良と、それから来阪した川端康成のふたり。吉原さんは、のちに出会うたびに、具体(美術)にはいりませんか、と誘ってくれていた。いまふうにいえば、ナウイ壁画だっただろう。》

戦後の一時期(いや、その後も長らく)、喫茶店が特別な「場所」だったことがよく分る回想である。
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by sumus_co | 2013-02-10 21:16 | 喫茶店の時代

新語新知識付常識辞典

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『新語新知識付常識辞典』(大日本雄弁会講談社、一九三四年一月一日)キング新年号別冊付録。質問・回答形式で新しい言葉を説明している辞典。某氏よりお借りしているが、これは読んで飽きない。面白い。

「野球の球の性質を教へて下さい」ではイン・カーヴ、アウト・カーヴ、イン・ドロ、アウ・ドロ、イン・シユート、アウト・シユート、イン・コーナー、アウト・コーナーの説明がしてある。インとアウトは打者に近い方と遠い方という意味。カーヴ、ドロップ、シュートの意味するところも現在とやや異なっているようにも思う。球種の細かいことには詳しくないけれどもシュートとあるのが今のスライダーのようだ。

「最近美術界に於ける左の主義の意味を教へて下さい」では立体派(俗に三角派ともいふ)、印象派、後期印象派、シュール・レアリズムの説明が答えとして出ている。シュール・レアリズムは以下のように定義されている。

《現実的な意識から離れて人間の感情や夢想などを画面に示すことを主張した一派で、世界大戦後のフランスに起つた画派です。これにはフロイドの精神分析学の理論が影響してゐますが、画面といふものは現実をうつすことに限らないといふ点で、勝手な表現をするから、これも一見何が何かわからぬ。》《ミロー、タンギー、ピカソ等が現在この派の作家。》

あれ? ピカソはシュルレアリストだったのかな。ごく広い意味で言えばそうかもしれないが。

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「レストラン、バー、カフエー、ミルクホール、喫茶店はどう違ひますか」の回答は全文引用しておく。(改行のところ一行アキとした)

《【答】 レストランとは特に欧米風の食事をさす料理店を云ひます。定食の外に二三品といふ軽便な食事もつくり、食事中に必要な酒類其他の飲料も備へて客の註文に応じます。

 バーは酒場のことです。各国の各種の酒類を網羅し、酒本位の客の満足する様、設備してあります。つまみ[三文字傍点]と称へる小菜以外その店では食事の用意をせず、レストランに比し、小規模で、経費も少く、随つて売価も幾分低廉です。

 カフエーは珈琲店です。良いコーヒーを安価に飲ませるのが主眼ですが、ビール、リキユール等の飲物や、パン、サンドウヰツチ程度の極く軽い食物位は用意してゐる訳です。我国現在のカフエーは、本当にコーヒーのみを飲ませて呼物にしてゐる店もありますが、大体レストランでもあり、バーでもあり、カフエーでもあり、殆ど此等三種を混同した特種の営業をしてゐるものが多く、何も美人のサービスを切離しては考へられぬ様な有様です。又、サロンと云ふのは我国の現状では美人揃ひの大きな構へをもつた所謂高級なカフエーを指します。

 ミルクホール、これは牛乳を飲ます店です。多く牛乳屋が兼業して居り、ミルク、トースト位を売うつてゐます。多く学生や小サラリーマンなどがお客で、官報や新聞などを供[ママ]へて奉仕をしてゐます。併し食堂や喫茶店などが盛になつた今日では、ミルク専門のかうした店は段々数少くなつて来ました。

 喫茶店、これは主として紅茶とか菓子とかを販売する店です。紅茶の外コーヒー、ソーダ水、アイスクリーム、各種の和洋菓子などを備へて、婦人子供等を常客とするのが普通ですが、今では手軽な食事なども出来、中には酒精含有の飲料も売る店もあつて、欧米の喫茶店に比し、余程風変りの形をしてゐます。》

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こちらは架蔵のキング新年号付録。ただし戦後版である。『新語大辞典付世界時局人名録』(一九五一年)。作りとしては簡略化されていて戦前版の凝った感じはまったくない。シュルレアリスムはここでも新語として出ている。

《シュール・レアリスム(sur-réalisme 仏)「超現実主義」の意。主観的で、幻想的な、独特な芸術傾向。文学上にも使われるが、もともと絵画の一方向で、ピカビア、キリコなどがこの派に属する。フランス映画「美女と野獣」、イギリス映画「赤い靴」のバレーの場面などはこの傾向のもの。略してシュールともいう。》

《もともと絵画の一方向》でいいのか? もともとは詩人たちが始めた文学運動ではなかったろうか。グループの主導権を握ったアンドレ・ブルトンの美術好きから美術に偏重したようにみなされるのかもしれない。なおブルトンは音楽に興味を持たなかったため、当時は音楽のシュルレアリスムは存在しなかったようだ。
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by sumus_co | 2012-10-29 21:31 | 喫茶店の時代

女給時代

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台湾出張のお土産を牧野さんより頂戴した。以前もとても役に立つ『装幀台湾』と『二手書店的旅行』をご恵投いただいたが、今回はなんと日本統治時代のカフェーについてまとめた廖怡錚『女給時代 1930年代台湾的珈琲店文化』(東村出版、二〇一二年九月、封面設計=黄子歓)である。

「珈琲店」と言っても、ここでは女給の接待のある戦前日本の「カフェー」を指している。台湾に進出していた有名どころのカフェーが貴重な写真とともに紹介されている(図版の解像度が甘いのが難点)。ライオン、タイガー、クロネコ、メトロポール、トモエ、永楽、日活、南国、美人座。そして少しだが純喫茶についての言及もある。
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言及されていたなかでとりわけ興味深い資料は今井廉編輯『カフェー時代』(今井廉發行、新高堂書店發賣、一九三二年)である。これは得難いもの。台湾カフェーの当時の状況がとてもよくわかる(台中図書館蔵)。

また『現場』九月号(誠品大台北/宜蘭、二〇一二年九月)も同封されていた。台湾のアマゾン(?)誠品書店のPR誌。レイアウトも洗練されているし、日本の情報系フリーペーパーによく似たテイストである。
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そのなかに古本即売会「誠品書店旧書拍売会」の広告があった。
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牧野さんのメモによれば《台北最大級の書店の6F催事場でちょうど古書即売会をやってました。日本のように一冊一冊に値がついているのではなく、ワゴンごとに「定価の何割」というシステムです。「全面3折起」というのは「すべて7割引きからいろいろ」という意味です。》とのこと。『カフェー時代』とか、見つけたいなあ…。

誠品網路書店
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by sumus_co | 2012-09-20 20:59 | 喫茶店の時代

東京盛り場風景

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酒井真人『東京盛り場風景』(誠文堂十銭文庫、一九三〇年一一月一五日)。下鴨古本まつりの収穫のひとつ。某書店平台の和本の陰の小物箱の底に眠っていた。現在は『コレクション・モダン都市文化 第2期 第31巻 「帝都」のガイドブック』(ゆまに書房、二〇〇八年)に収録されているようだ。昭和五年の東京盛り場の様子が酒井真人の名調子で紹介されている。データ的には大雑把すぎて使えないものの時代の雰囲気はいきいきと伝わってくる。

《時代はもう汁粉屋の時代ではない。氷月に限らず、専門の汁粉屋はもう成り立たなくなつた。汁粉屋ばかりでなく、専門の鮨屋、蕎麦屋も年々減るばかりだそうだ。》(不忍池畔)

《今日は云ふまでもなく、映画時代である。灯ともし頃から、この辺は異様が[ママ]活気を呈し、これ等の劇場に殺到する群衆は、雲のごとく渦巻き流れる。伝明フアン、クララボウのフアン、入江たか子フアン、伝次郎フアン、ダグラスフアン、これ等入り乱れてもみ合つてゐる。しかじ[ママ]ながら、こゝの何よりの特色は、割引時の混雑である、八時のベルがなるのを待つ列は長蛇の如く時には映画館をとり巻くほどである。》(浅草)

《大震災直後は、幸運にもその火災から免れたばかりに、松屋、三越、銀座の村松時計店、資生堂、さてはカフエープランタン等、灰燼にかした帝都の中心は、こゝに移された如く賑や[ママ]つたものだつたが、その後三年四年のうちに、これ等の一時の出店は影をひそめて、昔ながらの神楽坂になつてしまつた。》(神楽坂)

《一時左傾の出版社として名をあらはした南宋書院は肴町通り、故有島武郎の親友足助氏の叢文閣、古本屋の竹中、いま盛業をしてゐる盛文堂、武田芳進堂、機山閣、そことは遠くなるが新潮社、盛り場をひかへて知識階級がこの近くにゐることを語る。》(神楽坂)

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《近頃、児童虐待で大部問題になつてゐるカフエー相手の少年少女行商人(?)が最も多く出入りするのは新宿であらう。十二三から七つ八までの男の児や、女の児が、四五枚の辻占を手にもつて、低級卑猥な歌を唄つて、カフエーの客から金をねだるのである。》(新宿)

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《盛り場に夜店がつきものであると同様、不良少年もつきものである。ここには時代のテンポの波に乗つた思ひ切つて大胆で、悪辣な不良の徒が出没する。無数のカフエー、安ホテル、駅待合室、往来の人間洪水、いたるところとして、かれ等活躍の場所たらざるはなしである。一時近代的不良少年少女は銀座を中心とするといはれてゐたが、漸時移動して新宿に集り、硬軟あらゆる手段を弄して良家の子女を誘惑してゐる。その数、数百、手口はちよつと素人には見当もつかぬ程、巧妙なので、山の手に子女を持つ家庭は充分に注意せられるがよろしい。》(新宿)

誤植が多いのはご愛嬌だが、文章はいい。酒井は川端康成、石浜金作、鈴木彦次郎、今東光と第六次『新思潮』(一九二一年創刊)を創刊し、『あこがれ : 抒情詩歌集』(教文書院、一九二一年)、二八年には雑誌『黄表紙』(黄表紙社)を発行しているから、新感覚派の流れに属するということになるのだろうか。この後は文学というよりも風俗ライターとしての活動が中心になるようだ。『カフエ通』(四六書院、一九三〇年)、『映写幕上の独裁者』(中央公論社、一九三〇年)、『三都盛り場風景』(誠文堂十銭文庫、一九三二年)。
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by sumus_co | 2012-08-15 22:27 | 喫茶店の時代

カフェと文学 レイロで会いましょう

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福岡市文学館開館記念『カフェと文学 レイロで会いましょう』(福岡市総合図書館文学・文書課、二〇〇二年五月二五日、デザイン=石原一慶)展図録。福岡の戦前の文学、各種同人雑誌のおおよそが見渡せる構成である。その内容は分からないが、見た目で判断すると、劉寒吉編集で表紙を青柳喜兵衛が担当していた『とらんしつと』(とらんしつと詩社、一九三二年〜三六年、二十二冊)は古本心をくすぐられるいい佇まい。

カフェーブラジレイロは東中洲の西大橋の袂に昭和九年四月六日に開店した。本店は大阪梅田新道(昭和五年開店)、銀座(昭和五年開店)、神戸三宮(昭和六年開店)、四条河原町、博多の順に支店を展開していった。ブラジルコーヒー十五銭、ケーキ十銭、カレーライス四十五銭、ランチ六十銭。「福博カフェ史」には、大正三年カフェーキリンが福岡市内に開業。大正六年生田菓子店が東中洲電車通りに開店。大正九年西中洲にカフェーブラジル、東中洲にカフェーパウリスタが開業。昭和三年明治製菓が東中洲に、台湾物産フルーツパーラーが片土居町に開店。同年、喫茶店山の家(青柳喜兵衛設計)開店などとある。

矢山哲治が真鍋呉夫と出会って雑誌『こをろ』の発刊を相談したのが喫茶店メトロ(東中洲)、第一回同人会が開かれたのがブラジレイロだったというように同人雑誌と喫茶店の関係は切っても切れない。『こをろ』(一九三九年一〇月創刊〜四四年四月、一〜四号まで『こおろ』)もなかなかいい雰囲気だ。九州帝大法学部の学生だった島尾敏雄も編集に加わっていた。また真鍋の母は昭和十四年十月十日の創刊日と同じ日に喫茶店「木靴」を開店した。真鍋の父甚兵衛は俳人で吉岡禅寺洞とも幼なじみだったという。翌年、当局の指導により「門」と改名しおよそ五年間営業を続けたそうだ。コーヒーは二十銭。

旧制福岡高校卒業アルバム(昭和十六年卒業文科乙類クラス)。これは若き日の伊達得夫が「高校生活の総決算のつもりで」編集したということで、二枚の写真の右の「悪の華」の上に寝る学生と左の中央左の「ストーム」中の若者が伊達の勇姿だそうだ。
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「古本屋にて」とだけキャプションがある。これも卒業アルバムからだろうか。
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『カフェと文学 レイロで会いましょう』表紙。
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  *

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杉山さんに続いて吉田秀和が亡くなった。著作などほとんど読んだことはないけれど、かつてラジオでの解説は毎週のように聴いていた。お二人ともに中原中也を直接知っていた人たちだ。ということで中原中也記念館の年間カレンダーを掲げてみた。表紙の『在りし日の歌』は言うまでもなく青山二郎の装幀である。もし中也が生きていれば…百五歳か。

中原中也記念館
http://www.chuyakan.jp/00top/01main.html
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by sumus_co | 2012-05-29 20:48 | 喫茶店の時代

甘苦一滴/音読

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フリーペーパー『甘苦一滴』十五号が『音読』とのコラボ紙面になって届いた。貴重な喫茶店インタビューは京都のジャズ喫茶「YAMATOYA」と名曲喫茶「柳月堂」。関西圏を中心にけっこうあちらこちらで配布中。

音読(おとよみ)
http://www.otoyomi.com/
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by sumus_co | 2012-03-25 17:42 | 喫茶店の時代

秦テルヲ「カフェー風景」

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京都精華大学紀要第40号に斎藤光「ジャンル「カフェー」の成立と普及(2)」が掲載されていると「神保町系オタオタ日記」に書かれていたので早速参照してみた。なるほど京都におけるカフエーの成立について新聞記事や広告などを精査した労作で大変参考になる。

それによれば秦テルヲが一九一一年一一月七日の『京都日出新聞』に書いた文章「大阪の一友へ」のなかに寺町や吉田のカツフエーが登場しているとあったのだが、なんと、今日届いたえびな書店古書目録『書架 98』の表紙と巻頭写真が「秦テルヲ」ではないか。しかも「カフェー風景」(これが本来の画題なのかどうかは不明)と題されて女給とカフエーの客、椅子テーブルなどが描かれた絵である。絵としても悪くない出来だ。あまりにピッタリなので驚いた。
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by sumus_co | 2012-03-08 20:41 | 喫茶店の時代

今和次郎採集講義展

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今和次郎展が面白かったですよ、というお葉書をお二人の方より頂戴した。

《今和次郎展に行ってきました。そうか、そういう人だったのかと改めて知りました。今までずいぶんぼんやり生きてきたものです》

こんな添え書きがあった。小生も一度どこかで美術学校時代の作品などの展示を見た覚えがあるが、それくらい。喫茶資料として本はいくつか参照したが。さらに別の方から絵葉書セットも頂戴した。3月25日までパナソニック汐留ミュージアムか…。

上は「銀座のカフェーWaitress服装採集」今和次郎、吉田謙吉。小松食道(六丁目西側)、松屋地下室喫茶部(三丁目東側)、CAFE KIRIN(二丁目東側)、千疋屋フルーツパーラー(八丁目西側)、ALPSと陶京はどこだか今すぐ確認できなかった。

「東京銀座街風俗記録より」。男女の和装・洋装の比率に驚かされる。大正十四年初夏で女性は99パーセント和服を着用していた。男性は洋服が和服の倍以上なのに。他ならぬ銀座で、である。
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東條書店。神田小川町にあったようで、幸徳秋水や白樺の同人たちも出入りしていたという。バラック装飾社が関東大震災後二番目に装飾を手がけた店だそうだ(神保町系オタオタ日記による)。
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今和次郎採集講義展ちらし
http://chirashcol.exblog.jp/14640420/
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by sumus_co | 2012-02-18 21:57 | 喫茶店の時代

コロンバン

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『銀座百点』七十九号(一九六一年七月一日)に立野信之が「あの頃」と題して銀座のコロンバンについて書いている。あの頃(コーヒーが十銭の頃)立野は時間をもてあまして用事もないのにふらふらと銀座へ毎日のように出かけた。

《不二屋かコロンバンの二階に陣取つて、窓下の往来をながめながら網を張つていると、誰かがかならずやつてくる。それは横光利一であつたり、片岡鉄兵であつたり、林房雄であつたり、武田麟太郎であつたりする。また板垣鷹穂であつたり、伊奈信男であつたり、高田保であつたりする。時には広津和郎であつたり、中野重治であつたりさえもした。》

《不二屋の二階には、いまは轟夕起子のマネージャーか何かをしている三好貢がボーイをしていた。三好は文学青年で、われわれとは顔馴染であつた。一人で網を張つている時など、三好は通りすがりに空のコーヒー茶碗をさらつて行き、コーヒーを入れ直してだまつて置いて行く。もちろんタダである。ブラックと称するクリームを入れないコーヒーが十銭で、クリームが五銭であつた。》

《不二屋やコロンバンの二階に二人集まり、三人集まりして、コーヒーをのみながらワヤワヤ雑談しているうちに、日が暮れる。するといくつかの組が自然にできて、別々に巷へくり出す。のみ屋を転転とのんで歩く。》《当時は年配者かフトコロぐあいのいい者がのみ屋の勘定を持つのが不文律になつていた。勘定を払う方も払つてもらう方もそうするのが当たり前だと思つていた。だから、横光や片岡におごつてもらつても、御馳走さまと言つたことはただの一度もない。》

よき時代かな。

コロンバンおよび不二屋(不二家)については拙著『喫茶店の時代』でもあるていど詳しく取り上げたが、この回想は知らなかった。川端康成や横光利一がやっていた雑誌『文芸時代』のメンバーたちが毎日のように集まったそうだ。寺下辰夫がやはり文学好きなボーイの三好のことを書き残している。コロンバンについては、井伏鱒二「タケリンさん」、野口冨士男『感傷的昭和文壇史』、田村泰次郎『わが文壇青春記』、寺田寅彦の日記などを参照したが、他に二件ほど追加の記事をメモしておこう。

ひとつは『断腸亭日乗』昭和九年七月二十一日。

《喫茶店テラスコロンバン店頭板囲にはりたる紙に「閉店させて頂きます云々」とあり》

コロンバンは銀座六丁目の大通りに面した西側南の角にあったが、近くにテラスコロンバンという店を出していた。それが上の写真である。引用は初田亨『カフェーと喫茶店』(INAX、一九九三年)より。コロバンHPの沿革によれば昭和六年に銀座進出、同年十二月にテラス・コロンバン開店となっているが、銀座進出は昭和四年だと『サライ』(一九九三年六月一七日号)では取材されていたはずだ。いずれにせよテラスの方は長続きしなかったらしい。
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もうひとつは『八雲』第三巻第七号(八雲書店、一九四八年七月一日、表紙=猪熊弦一郎)に収められている座談会「銀座十字路」で珈琲店「きゆうぺる」の主人・道明真治郎がこういうふうに述べている。北原は作家の北原武夫。

《北原 戦争前から店なんかもってらっした方は、大分変ったでしょうね。
道明 殆んどと云っていいくらい、表通りでも変りました。コロンバンなどは、戦争中二万五千円で大増へ売ったんですよ。それから魚河岸の大村が買った。今じゃ二百五六十万のことを云ってるでしょう。》

今となっては、正確な事実かどうかは留保するとして、注意しておくべき発言だ。
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by sumus_co | 2012-02-06 20:49 | 喫茶店の時代

黒田三郎追悼

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『歴程』No.258(歴程社、一九八〇年四月一日)。京都へ戻る新幹線で読んでいた。会田綱雄も一文を寄せている。

《昭森社の近くに、兵六という居酒屋があって、むかしから球磨焼酎をおいていたので、わたしはひとりでときどき呑みに行ったが、そこで一度偶然、黒田三郎と隣りあわせたことがある。二十年ぐらいまえのことではなかったか。話しているうちに、黒田三郎が謙虚なはにかみを見せながら歴程にはいりたいが、と言った。思いがけないことだった。わたしは感激して、翌月「歴程」同人会に出席したおり、同人になる意志が黒田三郎にあることを伝達した。》

臼井愛子の「「ラドリオ」から」も貴重な文章だ。

《日暮時お向の二階の笑声が富山房の塀にひびいて私の耳に入ってきます。又森谷さんと何人かの方で酒盛が始まったのでせう。
 時間とともに店はお客様でにぎやかにタバコの煙、思い思いの語らい、店にはシャンソンが流れています。そんな所へ森谷さん、大村さん、うしろよりニコニコ顔で入ってらっしゃった黒田さん何時もお酒を飲んでいらっしゃる時は楽しそうですね。
 或夜私がカウンターの中で働いて居りますと突然「ガシャガシャン」とガラスの壊れる音にびっくり外に飛出て見ますと昭森社の硝子戸がはずれガラスはメチャクチャ、路上にたれかが倒れて居るではありませんか。私は急ぎかけより「だいじょうぶですか? あら黒田さんこんなにお酔いになって、しっかりして下さい」私は腕を貸し「サーお立ちなさい」併し一所懸命起しても又倒れてしまいます。
 よくよく見ますと、ズボンが下まで落ちて、而もベルトの前は掛けたままです。そのため足にからまり十三階段より落ち戸外にまで転げ出てしまったのでせう。幸い怪我もなさらず「どうもありがとう」とニッコリ、それとも苦笑いか暗闇に消えて行かれました。》

森谷さんは昭森社の社主・森谷均、大村さんは大村達子、昭森社を切り盛りしていた女性である。この追悼文集には多くの詩人が文章を寄せているのだが、いちばんすごいとおもったのは娘の須田ユリによる「「かなしい西部劇」」。身内のことだから凄いというだけではなく文章も上手い。いつものごとく泥酔して帰った父黒田三郎が、ねぼけて「インディアンが来る!」と騒ぎ出す。

《私が「お父ちゃま、テレビの見過ぎよ」と否定し、弟もきてもう寝ましょう寝ましょうとせき立てると母も「そうよ、インディアンは石神井までは来やしませんよ」父は耳も貸さずに、私にライフルを出せと言い出した。》

《「灯りを消せ」、「保安官を呼べ」、「その死体を片ずけろ」とやたらと命令を出し、自分も千鳥足で、あちこちぶつかりながら動きまわっている。そのうち何だかホッホッホッと奇声を発しているので、見ると父は今度はインディアンの側にまわったらしい。片足とびに跳びはねる恰好が振っている。》

何十分かそれが続いた。

《あとでトイレに起きて行くと、辺りは静かになっていて、玄関脇に父があお向けに倒れ、刀折れ矢尽きた態で何かうわ言のように言っている。傍らにかがみこんでいる母に向って、「わしのことはいいから、光子お前ら逃げろ。俺の馬に乗って、早く、逃げるんだ」と、まだやっていたのだった。
 あの西部劇ごっこの夜のように、「俺を置いて行け」という父の言葉に叱咤されて私達は今、父を一人だけ見捨ててきてしまった。そして私たちは互いにそのことに触れないように知らん振りして暮している。けれど、あの可愛[ママ]そうな父親を独りだけ、人っこ一人居ない場所に置いてきぼりにしたという意識が、心の深くに刺のように突きささって、日が経てば経つほど、動けば動くほと[ママ]疼くのだ。》

妻光子の文章も容赦なくて素晴しいが、引用は最後の一文だけにしておこう。詩人の妻はこうでなきゃ。

《若し冥土への便があれば、私は夫に言づてを頼みとうございます。
"たとえ誰一人あなたの詩を読む人が居なくなった時でも、あなたの妻は、最後に残る黒田ファンです"》
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by sumus_co | 2011-10-27 21:25 | 喫茶店の時代