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カテゴリ:淀野隆三関連( 5 )

淀野隆三スクラップ帖 著作(一)

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淀野隆三日記を依然として解読しつづけてはいるのだが、『spin』が休止となってしまったためぐっとペースダウンしてしまった。現在読んでいるのは三笠書房に勤務しているあたり。

また、この前の四天王寺で『日本浪曼派とはなにか』復刻版「日本浪曼派」別冊(雄松堂書店、一九七一年)を百円均一で見つけたり、Mさんより佐藤正彰『フランス文学雑話』(佐藤正彰文集刊行会、平成九年五月三十日)に収録されている「プルーストを訳した頃」(初出は河出書房版『世界文学全集』第二期第十四巻月報)の複写を頂戴したり、周辺資料もボチボチ集まっている。

日記とは別に淀野は自身の著作を原稿あるいは発表雑誌切り取りの形でスクラップブックに整理している。これは自身の著作についてが七冊と近親者(知友)の著作や記事が四冊残されている。ただしそれで全部が揃っているというわけではなく、著作についてはちょうど「日本浪曼派」の時期に当たる一冊が紛失しているようだ。

上に掲げたのは「著作(一)」の一番最初のページに封筒に入れた状態で張り付けられている原稿。「とりやの菊さん(童話)」。祖母から聞いた話を童話風というか、白樺風に淡々と叙述した内容である。それなりのレベルに達していると思う。だから淀野自身も最初の著作と考えたのであろう。大正十三年九月とあるだけで発表媒体については明示されていない。

他はほとんどが『青空』に発表したもの、および大学のレポートだが、一袋だけ変ったものがあった。清水蓼作による『青空』に使ったカットである。清水は淀野日記にもっとも早くから登場する幼なじみ。表紙画も描いている。

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著作1

001 童話 とりやの菊さん 大正十三年九月 自筆原稿五枚 封筒一
002 童話 からつゆ[四字傍点]のあと 青空四号(大正十四年六月)雑誌切取・こより綴じ
003 信吉の幼時 青空五号(大正十四年七月)雑誌切取・こより綴じ
004 青空祈願 青空七号(大正十四年九月)雑誌切取・こより綴じ
005 袂と財布の話 青空八号(大正十四年十月)雑誌切取・こより綴じ
006 朝の間 青空十号(大正十四年十二月)雑誌切取・こより綴じ
007 夜の沍え 青空十二号(大正十五年二月)雑誌切取・こより綴じ
008 辰野先生レポート《ルナァルといふ人》 大正十五年二月 自筆原稿十枚 紙紐綴じ
009 沼波瓊音講師レポート(俳諧史) 向井去来に就いて 大正十五年二月 自筆原稿十七枚 紙紐綴じ
010 十月五日の朝 青空十五号(大正十五年五月)雑誌切取・テープ貼
011 冬 青空十七号(大正十五年七月)雑誌切取・テープ貼
012 朝鮮人 青空二十号(大正十五年十月)雑誌切取・テープ貼
013 痣 青空二十三号(昭和二年一月)雑誌切取
014 《青空》用カット 清水蓼作画 十九点
015 辰野先生へのレポート 『たはむれに戀はすまじ』を通して見たるミユツセに就いて 昭和二年二月二十五日 自筆原稿十二枚(辰野先生の評言あり) こより綴じ
016 辰野先生レポート Don Juan, fils de don Louis について 昭和二年二月二十八日 自筆原稿九枚(辰野先生の評言あり) こより綴じ
017 鈴木先生へのレポート La Chastelaine de Vergi 昭和二年二月 自筆原稿三枚半(鈴木による朱書アリ)
018 啓 青空二十七号(昭和二年五月)雑誌切取
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by sumus_co | 2012-06-06 22:01 | 淀野隆三関連

日本浪漫派の群像

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三枝康高『日本浪漫派の群像』(有信堂、一九六七年四月一〇日)掲載の《「転形期の文学」処女出版記念会(銀座オリンピックにて)昭和九年》とされている記念写真より淀野隆三(左)と中谷孝雄。二人は『青空』時代から仲がよく終生の親友だった。

先日の春の古書大即売会でこの写真を見つけた。買うつもりでずっと会場の中を持って歩いていたのだったが、ちょっと値段にひっかかって、この手の本ならネットでもっと安く買えるかもしれない、などという卑しい下心で、最後の最後に置き去りにしてしまった。ところが帰って調べてみると日本の古本屋には一冊しか出品がなく、しかも即売会の方が安かった(送料もかかるし)。まだまだ修行が足りません。自戒として購入。本の状態はこちらの方が良(まけおしみ)。

写真の全体は下のようなもの。見開きになっているのでノドのところが見え難いが、気になる人物だけ名前を付しておく。

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1 中谷孝雄
2 淀野隆三
3 林 房雄
4 亀井勝一郎 『転形期の文学』の著者
5 キャプションに従えば保田与重郎になるはずだが、この人物ではないというご教示をいただいたので訂正。下の写真の11阪本越郎の上の人物である。
6 高見 順

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7 江口 渙
8 平林英子
9 上野壮夫
10 遠地輝武
11 阪本越郎
12 北川冬彦
13 平野 謙

淀野隆三の名前は本文に四度出てくる。ただそれはいずれも同じような文章の繰り返しである。

《かくて同人雑誌『日本浪漫派』は、昭和十三年三月に創刊されたが、最初の同人はすでに掲げた名前の他、伊東静雄、芳賀檀、伊藤佐喜雄、淀野隆三、緑川貢がこれに列っている。そして第二号から同人雑誌『青い花』と合流することによって、太宰治、山岸外史、檀一雄、小山祐士、伊馬鵜平、今官一が加わり、その後も随時同人を増加して、十二年暮には三十名近くに及んだが、財政的理由にもとづいて廃刊した。》

また

《一と口にいって、「日本浪漫派」は、プロレタリア文学が壊滅したのちの文学界に、浪漫的な新風をもたらそうとした運動であって、これらの同人のうちでも保田と亀井と太宰とは、かつて左翼運動に関係していたのである。》

というが、むろん淀野隆三も関係していた。上の記念撮影で左翼の人々が多いのもそういう理由である。淀野については著者はほとんど認識していなかったようだ。巻末の「『日本浪漫派』目録」を見ると、創刊の年昭和十年に次のような論文・飜訳・編輯後記を載せている。『青空』同様、かなり深く編輯にかかわっていたことが分かる。

第一巻第三号 人生劇場を読む 
第一巻第四号 宗教・政治・文学に関して 一九三三年の「日記」より
       アンドレ・ジイド 淀野隆三訳
第一巻第五号 現代浪漫主義の一態度 
第一巻第六号 文芸時評
       編輯後記
第一巻第九号 絶望の逃走
       編輯後記

残念なことに『日本浪漫派』に関係していた頃の淀野日記は残されていないようだ(『spin』08号に掲載した時期に相当するのだが、記載は見えず)。淀野は昭和十一年一月に父を亡くしたため京都伏見に戻って稼業を継いだ。住友系列の鉄材商として実業の世界で精一杯の働きをしていたようだ。その結果、敗戦にいたるまで文学の世界から離れてしまった。昭和十七年三月には《このまゝ商人では死にきれない気がする》と日記に書き付けている。文学の火は心中にくすぶっていたのである。

  *

Mさんのmixi日記を見ると以下の記述があった。

《『世界文学2 五・六月合併号』昭和二十一年六月世界文学社
「創作」6篇のうち翻訳が5点、1点が織田作之助「夫婦善哉後日」というのが異色のような気がする。「詩」は「ポエム」レオン・ポオル・フアルグ淀野隆三譯である》

たぶんフアルグの飜訳は旧稿だと思うが、とにかく戦後になると文学へまっしぐらという感じなのである。
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by sumus_co | 2011-05-09 21:55 | 淀野隆三関連

三好達治書簡

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『森井書店古書目録』第三十一号(二〇〇六年七月)に掲載されている三好達治から淀野隆三宛の書簡。四百字詰原稿用紙二枚、封筒付き。昭和三年。その一枚が図版になっていてほぼ判読できる。

《昨日電報頂戴しましたが少し都合が悪くて御
 眼にかかれず別れてしまいました。悪しから
 ず。
 御約束により御令嬢様□
 「華子」と御名前をつけられては如何。と申し
 あげます。「華」と云ふ字が急にその美しさで僕
 を誘ひました。時は春、僕の室の前には昨日
 から白い桃の花が咲きました。もしも御気に
 召さなければ、どうぞ宜しき様御取消し下さ
 い。
 
  春の風 吹くや小さき午の門。》

「午の門」でいいと思うのだが、「ひる」の門か、「うま」の門か。「午門」は南の門と言う意味だが。なお長女(第一子)の名前について淀野隆三日記第十冊(『spin』07掲載)にはこうある。昭和三年。

《三月廿五日午前一時、
 永いあいだのブランクの後に、私は書きつける。
  昭和三年三月十九日  私は父になつた。
 と。そして、その女の子に、
  華[ルビ=ハナ]子と名付けたことを。
 三好が名付け親だ。(三年四月八日夜)》
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by sumus_co | 2011-01-03 20:19 | 淀野隆三関連

群像 24卷11号

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『群像』一九六九年十一月号。表紙、挿絵は大沢昌助。佐野繁次郎ほどではないが、大沢昌助も文芸雑誌の表紙や装幀を多く手がけていて、好きな画家である。

この『群像』には中谷孝雄「日本浪曼派」が掲載されている。これは翌年講談社から『同人 : 青空・日本浪曼派』としてまとめられている。淀野隆三のことも当然登場する。昭和九年のこととして語られている中に次のようなくだりがある。当時、作家同盟の財政部長などを務め、左翼活動家を援助していたらしい。そのため警察に拘束された。

《淀野の父は京都ではよく名の知られた実業家であつたが、何分にも一代でたたき上げたやうな人だつたので、息子が東京でしてゐることには詳しくなかつた。嫁の手紙に驚いた彼は急ぎ上京し、それから警察へ日参した。その甲斐があつたかどうか、淀野は十日ほどで釈放され、シラミだらけになつて帰宅した。そして父からは叱られ細君からは泣きつかれて、淀野は今後一切、左翼の運動には関係しないと誓はされた。むろんそれは淀野の本心ではなかつたが、さうかといつて一応は表面的にもせよ従来の運動から手を引かないわけにはいかなかつた》

当時としてはありがちな話だったかもしれないが、警察へ日参したとか、シラミだらけになつて帰宅した、といったところに中谷らしいリアリティがある。

÷

ソックス対策として、拒絶せずに、糞場をあつらえてやりないさいというアドヴァイスをある方よりいただいた。共存の発想でなるほどなあと思った。


÷

池上博子さんより『ハンコ通信』とともに「手展」の案内。池上さんはハンコを20個以上展示されるようだ。詳しくは下記サイトにて。
合同展「手」展 6月16日〜22日
海月文庫アートスペース
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by sumus_co | 2007-06-06 21:50 | 淀野隆三関連

門柱に蝉の殻見る三五日

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小田久郎『戦後詩壇私史』(新潮社、一九九五年、表紙画=瀧口修造)やっと読了。「私史」という以上に戦後詩壇を史として語ろうとしているところに齟齬がある。引用も煩雑。伊達得夫、森谷均あたりについての記述がもっとも力も入り、興味深い部分ではあるが、徹底的に私史を掘り下げるべきだった。全体的に中途半端。

教えられたのは、吉本隆明の「「四季」派の本質」(『文学』一九五八年四月号)が戦後の四季派否定を決定的にしたということで、小田によればこれは《当時きわめて衝撃的で戦慄的だった》そうだ。偶然だが、先日の『gui』78で奥成氏が

《詩集『風土』は“戦争期”に入ったら「北園克衛のような超モダニストが日本の障子のような風景に美を見出したり」するようになった、と吉本隆明氏等にずっと否定的に指弾されてきていた詩集である》

と書いていることと符号する。北園克衛については小田も冷たい。例えば、昭森社の森谷均が『本の手帖』を創刊したときのレイアウトが北園だった。ところが森谷と北園の感覚が一致せず、

《創刊前には足繁く出入りしていた北園の姿は、創刊号が出たあと、ぷっつりと見かけなくなった。勲章のように残されたのは、趣味的なたたずまいの誌面にそぐわない、北園の描く扉のイラストとデザインだった》p306

と書かれているが、dsでも紹介したように、第二号も構成者は北園克衛である。何号までそうなのかは分からない。架蔵されている方にはご教示をお願いしたい。奥成氏は端的に『詩と思想』(土曜美術社出版販売)二〇〇三年三月号の座談会で、なぜモダニストが攻撃されたか、その理由についてこう発言している。

《戦後の詩のジャーナリズム、つまり「ユリイカ」の清水康雄さんとか「現代詩手帖」の小田久郎さん、「詩学」の嵯峨信之さんとかが単にモダニズムを嫌いだったから——というのが一番分かりやすい具体的な解釈ですね》

『詩学』を長く編集していたのは木原孝一だから、小田、清水とともに、伊達『ユリイカ』にごく近い人々によって排斥されていた四季派でありモダニストだったということになるが、これも変な話ではある。伊達は何しろ書肆ユリイカの最初期に中原中也と稲垣足穂を再刊した男なのだから。



「[書評]のメルマガ」275号につばめさんがこう書いておられる。忘れないように引用しておこう。淀野隆三についてはこれから本格的に追跡したいと思っているので、情報よろしく。

《川端康成全集補巻二の書簡来簡抄に、淀野隆三の長女華子さんがちょくちょく登場します。手紙の内容から、川端夫妻にとても可愛がられた印象がします。川端秀子著『川端康成とともに』203頁の「中野同道とありますが、これは淀野隆三さんの長女(華子さん)のお婿さんの中野四郎さんのことです。ちょうど京都高桐書院の編集の仕事をしておられまして、上京の時にはいつも鎌倉に寄ってくださいました。」との一節からすると、林さんの文にも出てくる高桐書院の編輯者中野四郎と結婚したんですね。》



池上博子さんより『ハンコ通信』7号届く。昨日触れた閏月のことが書かれていた。今年は八月三十日に閏文月七日がもう一度やってくるそうだ(ようするに七月がふた月あるわけ)。願い事を忘れた方はご安心あれ。
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by sumus_co | 2006-08-09 22:08 | 淀野隆三関連